Day4「午前中は雨ですが夕方には五月晴れの空が広がります」④




「でも、それは過去の話でしょ?」

「そうだ。今は付き合っていない」
祐介はいまだ楽しそうに笑っている。

「俺は直樹の敵であり、沙那の味方なんだ。もうここまで言ったらわかるだろ」
祐介は挑発的に笑う。

私は、目を観測モードに切り替え、頭をフル回転させる。

直樹は、どこか歯痒そうに店内を見回し、沙那を見ようとしない。彼の対人能力の高さを知っているだけに違和感を抱いた。
対して沙那は、普段のように一切濁りのない笑顔であるものの、どこか落ち着いた佇まいだった。まるで昔の関係に戻ったかのような、優しい表情を浮かべている。

私は祐介に振り向く。

「もしかして」

「あぁ」
祐介は私の予報することを先に予見する。

「沙那は、今でも直樹のことが好きなんだよ」

沙那のあんなに落ち着いた顔は初めてだ。
元々積極的なタイプではないものの、まだ私たちには心を許しているように思っていた。それでも目で確認すると違いは歴然だった。

直樹の姉の萌さんも、直樹の想い人の美子もいないこの時間だからこそ、堪能しているように伝わった。

それと同時に、少し同情した。
直樹は美子のことが好きなんだ。恐らく彼女もそのことは察している。
それに奏多もだ。彼は純粋無垢なので、二人が付き合っていたという事実だけで落ち込む可能性がある。

観測者は、情報を仕入れて予見し予報し、そして同情しかできない。
恋愛って、うまくいかないものだ。

「信じられないか?」
黙り込んだ私に祐介は問う。

「祐介が言うことだから信じられるよ。それに、沙那のあの顔見ただけで全部わかる」

沙那も下野さんも、この貴重な時間を大好きな人と過ごしたくて行動をしているんだ。それだけにこの一時一時を大切にしているのだと伝わった。

何故かわからないが、少しだけ羨ましい、だなんて思ってしまった。

「祐介はよかったの?」

「え?」

「私たちなんかと一緒で」
今は私だけだけど、と付け加える。

「貴重な修学旅行というイベントなのに、わざわざ昔からの顔なじみと一緒で……祐介なんて、他にも誘いがあったはずなのに……」

「一番一緒にいたい人は、今はいないしなぁ」
祐介はさらりと答える。

「それに言っただろ。わざわざ修学旅行だからって舞い上がるのも違うっていうか。特に俺らは寮生活なんだから、会いたきゃいつでも会えるだろ。それに」

そう言って祐介は空を見上げる。「せっかく違う環境なんだから、あいつらにお土産買う時間の方が貴重」

「社交力の高い人故の余裕だ」

「現実的なタイプなんだ」祐介は軽く笑う。

あっさりとした言葉だが重みがあり、靄がどんどん晴れていくように感じた。
彼と幼馴染で本当によかった。

「何かありがとう」

「お礼言われるようなことはしてないけど」
祐介は驚いた顔で言う。

私は無意識に笑顔になる。「いや、何でもない」

***

一五分ほど経った後に、蓮から連絡が来る。

「デートはどうだった?」
祐介は、手を上げて尋ねる。

「……別に。普通に店回っただけで」

蓮はそう言うと、近くのベンチに座り込んだ。

「蓮?」

「ごめん。五分だけでいいから休憩させて」

蓮はそう言うと、返事を待たずして目を閉じた。

下野さんと一緒にいる時は、かなり気が張っていたのだろう。私たちだとわかった瞬間、緊張の糸が解けて眠たくなったのか。

「ほんと相変わらずだな」
祐介は、ははっと笑ってベンチに腰を下ろす。

「赤ちゃんだから仕方ない。それに、もうほとんどお土産買い終えたしね」

人は、安心する存在に出会うと眠たくなるとも聞いたことがある。
それだけ私たちには気を許してくれているのだと伝わって歯痒くなった。

蓮が何を考えているのかわからなくてもやもやした。
蓮が別人のように見えて怖くなった。
だけど今、私たちの前にいる蓮は、昔から変わらない姿だった。

観測者であるくせに、変化がないことに安堵してしまっていた。

***

その後、特に問題もなく、二泊三日の修学旅行を終えた。

初日は雨でどうなるものかと思っていたものの、最終的には気候も安定したことで良い旅となった。

行きの空港では舞い上がっている人が多かったものの、帰宅となると疲労が溜まっているようで静かだった。航空機が離陸する際も歓声すら上がらない。

前の座席の瑛一郎は爆睡しているようで、蓮ものびのびと眠れているらしい。
私も疲労を感じていたので目を閉じる。

「あの、北野さん」

隣に座る下野さんのか細い声が聞こえて我に返る。

「あの、本当にありがとう……」

下野さんは照れ臭そうに言う。
具体的に何か口にされてないものの、恐らく自由行動のことだろうとは伝わった。

「いやいや全然……楽しめた?」

「うん。良い思い出になったよ」
下野さんは朗らかに笑う。
幸せそうな顔が見られて、私は心が温かくなる。

人によって、見せる顔がそれぞれ違う。
温かい笑顔だったり、気の抜けた顔だったり、心から人を好きだという顔。
そしてその顔は唯一無二のもので、同じ顔は二度と見せない。

以前抱いた靄の原因はわからない。
だが私は、やはり観測するのが好きだと感じた。
そしてまた、観測者は基本的に晴れの顔を願っている。

「でも……ごめんなさい」

下野さんは申し訳なさそうに呟く。

「何が?」私は素朴に尋ねる。

「だって……北野さんって…………」

下野さんはそこまで言いかけるが、「ううん。何でもない!」と首を振った。

私は首を傾げて視線を戻した。
軽く目を閉じた瞬間、疲労がどっと襲ったことで眠りの海に落ちていった。

***

寮に帰宅した次の日、皆にお土産を渡した。

「これこれこれ! あたし昔、差し入れでもらったことがあって、ずっと食べたかったんだ!」

渚は嬉々として言う。苺にチョコレートのかかったお菓子を持っていた。

「わぁい美子、このチーズケーキ食べてみたかったの! ありがとうお兄ちゃん」

そう言って美子は祐介に抱きつく。その口はすでにもぐもぐ動いている。

「あっずるい美子! あたしの分も残しといてよ」

「美子の前にあるものは、全部食っちゃうど~」

美子は、がおーと両手を渚に向ける。彼女の場合は冗談にならないので失笑だ。

「ま、喜んでもらえてよかった」
祐介は小さく溜息を吐きながら言う。蓮も無言でこくりと頷く。

「じゃ、ちょっと奏多にも渡してくるね」

そう言って私はお土産の入った紙袋を手に持つと、そそくさとその場を去った。

***

 

「何か、すごく量多くない?」

奏多は、私の渡したお土産の量に目を丸くする。

私が渡したものは、手紙に記載されていたバターサンドはもちろんのこと、ラーメンやチーズケーキ、チョコレート、スナック菓子など「北海道フル満喫セット」と呼べるものだ。

「いつものことだから多分お金一万円くらいしか入っていなかったよね。明らかに倍以上あるじゃん」

「何かかわいそうで」

「かわいそう? 僕も来年、北海道行くんだけど」
奏多は困惑した調子で尋ねる。

「こっちの話」私は思わず笑みがこぼれた。
***

梅雨明けが宣言され、日中は夏日と呼べる季節となった。
冷房が完備されているので暑苦しくはない。だが鬱陶しい湿度が肌にまとわりつく、不快感で目覚める夏特有の朝が始まった。

快適な室温であれど、運動をすれば汗が吹き出す。その為、運動後にはシャワーが必須となった。
まるで運動部のようだなと思いつつも、これだけ汗を流す機会がなかっただけに爽快感も感じていた。

「私たちが修学旅行に行っている間、この運動やっていたの?」

朝の運動とシャワーを終え、ラウンジのソファで食堂の時間まで休憩していた。

最近は朝の運動とシャワーを終えてもまだ七時にならないほどだった。

「もちろんだよ! でもさすがに二人は寂しかったから奏多も一緒にね」
渚は胸を張って言う。

「奏多も?」

「奏多、モヤシ体型だから鍛えてあげようって。それに一年は彼だけだし」

渚はごく当然のように言う。一応、身内をさらりと罵倒されたのだが、確かに彼は運動ができるようには見えない。

「奏多も朝起きるの苦手だろ。よく同意したな」祐介は言う。

「そんなの朝引き摺ってきたに決まってんじゃん。哀たちの血族は、鍵をかけ忘れることが多いようで」

「不用心故に」祐介は奏多に同情する。

いきなり早朝に室内に訪れられたら奏多も驚くだろう。
いやしかし彼も一応男だ。朝起きて、仮にもモデルである渚が目の前にいた状況を思えば、むしろ目覚めの良い朝だったのかもしれない。
何だかお土産をたくさん購入してやったことが虚しくなった。

「それにエイくんもいたからね~」
美子は、中央の机に置かれているエイのぬいぐるみを撫でる。

「今回は召喚はできたのか?」祐介はニヤニヤしながら問う。

「今回はできなかったよ〜」

「だからさ、一体その召喚って何なのさ!」
渚は悔しそうに両手を振りかざした。

「あんたら、まだ運動やってたんや!」
隠すことない関西弁の通る声が響く。

「あっ萌ちゃん!」
渚は対象を見ると、跳ねるようにソファから立ち上がった。

べっ甲色の艶やかな髪をサイドに括り、吊り上がった目元にバッチリ決まったアイメイクが施されている。
彼女は、松尾 萌(マツオ モエ)。最年長の三年生であり、寮長であり、そして直樹の実の姉だった。

「今回は本人じゃなく、あいつの想い人か」

祐介は苦笑しながらそう呟くと、「相変わらず元気っすね、萌さん」と気さくに話しかける。
直樹は敵視しているものの、姉は姉だと割り切っているところがさすが彼とも言える。

「というかまだって、あたしたちが運動してるの知ってたの?」

「そうそう前に一回見てな。なんか瑛一郎燃えてたけど、あれなんなん?」
うちらまで巻き込まれそうになったんやけど、と萌は言う。

「前に一回、瑛くんが参加したんだけど、あたしのプログラムについていけなくて、リベンジに燃えているとか」

「リベンジとかさすがあいつやな~」

「萌ちゃん、今日は早いね~?」美子は尋ねる。

「今から寮長の集まりがあんねん。授業の前に集まりたい言われたけど、こんな朝早くからせんでもいいやろほんま」
そうぼやきながら萌はあくびをする。「来週から夏休み入るし、色々と大変で」

「寮長は大変なんだ」私は呟く。

「ま、ゆうてもう半年もないし、そろそろ交代になるけどな」と萌は笑う。

松尾家には活気盛んな血が流れているようで、直樹と同じく姉の萌も例外でない。
地毛であるべっ甲色の髪色だけでも、いかつさは目でわかる。

だが彼女はどちらかというと姉御肌で、意外と面倒見が良い。だからこそ寮長としても活躍していた。
最年長であり、私たちから見ても信頼できる姉御的存在だった。

「って何、そのマヌケなぬいぐるみ」
そう言って萌は、中央の机に置いてあるぬいぐるみをひょいとつまむ。

「マヌケなぬいぐるみ……」
蓮は意味深に呟く。眠っていると思っていたが、意外と意識はあったようだ。

「あいつが聞いたら泣くな」祐介は軽く笑う。

「あ、でも、意外と可愛いかも」

「かわいい?」
私たちは耳を疑い、一斉に萌を見る。

「なんかゆる~い顔してるやん。うちこんなん好きやで」
そう言って萌は、ぬいぐるみを抱きかかえて目をキラキラさせた。

そんな光景を私たちは含み笑いで見守る。

「あいつって、本当タイミング悪いよなぁ……」
残念な奴だ、と祐介は笑った。

***

テスト週間が始まった。
私は特別頭が良いわけでもないが、一応真面目に授業は聞いているので、テスト前だからと特に焦ることは無い。それは二年生の皆、同じだった。

要領の良い祐介はともかく、基本的に授業中は寝ている蓮までテストは毎回、平均点以上取っている。二人とも地頭が良いのだ。
問題なのは、一年生の二人だった。

「やばいやばいやばいやばい。公式覚えらんないよ」
渚は、頭を抱えながら教科書をめくる。

テスト週間に入り、部活動も停止中。それに合わせて朝の習慣の時間には、運動に代わってテスト勉強をすることとなった。
勉強会場に選ばれたのは、もちろん私の部屋だ。

「展開されたものをわざわざ括弧に戻す必要ある?意味わかんない」

「もう因数分解はそういうものだ、と思うしかねぇな」

祐介は頬杖をつきながら笑う。テスト前でも余裕な態度はさすがというべきか。