第一試合 部活動vs自分②


入部から二ヶ月経ったことで、部活動の練習メニューにも変化が訪れた。

「今日から一年生も楽曲の練習に入ります。まずは一ヶ月後に始まる野球部の応援楽曲からです。まだメンバーは発表されていませんが、基本的な曲は例年と変わりないので」

部長からそう指示された瞬間、一年生のいる場から感嘆の息が漏れた。

「やった……やっと本格的に練習…………!」

今までは体力作り中心に、マウスピースで音を鳴らす基礎的な練習しか行っていない。
本格的に練習できること、さらに野球部の応援という最も私が望んでいたイベントであるだけ高まっていた。

だが、ここでも現実に打ちのめされる。

「全然、鳴らない…………」

久し振りに所持するトランペットが全然鳴らなかった。
音を出すことに必死で、楽器を支える腕は痙攣し、構えの姿勢もだらしない。
あの時テレビで見たように、空に向かってまっすぐ吹くなんてことは持ってのほかだった。
マウスピースで音を出す練習はしていたはずなのに、こうも変わるものなのか。

「橘さん、そんな恰好だと楽器がかわいそうだよ」

同じトランペットパートのリーダー、一ノ瀬(イチノセ)先輩が呆れたように言う。
清潔感のあるストレートの黒髪に、切長の目元からも、言葉以上の気迫が感じられた。

「す、すみません……」

「この二ヶ月何やっていたの。そんな音じゃ、応援される方が恥ずかしいものよ。諦めたほうがいいかもね」

先輩の言葉が胸に刺さる。同じパートの同期たちも、軽蔑するような目で私を見る。
同期は元吹部ばかりであることから、当然だがこんな初歩的な場所で躓く人なんてほぼいない。

あまりにも稚拙な自身のレベルに、目前が真っ暗になった。

部活動終了後、同期と解散すると、私は駅とは反対方向に歩いていた。
普段はすぐに帰宅していたものの、今日は少しだけ外で一人になりたかった。

初夏に入ったものの、午後八時を過ぎると日は沈み、周囲は暗くなっている。駅とは反対方向であることから人気は少なく、街灯がポツリポツリと道を照らしていた。
並木道の近くにある公園を目指し、学生の下宿するアパートの密集する地を抜ける。

「辞めようかな……」
思わず口から漏れていた。

本気で部活動に取り組む人ばかりの学校だとは受験前からわかっていたことであり、それでも挑戦したいと思ったから入部したんだ。

やる気さえあればチャレンジできると思っていた。そんな強い根性があると勘違いしていた。
結局私は、現実が見えていなかっただけなんだ。

目にじわりと涙が浮かび、慌てて手で拭う。
先輩の厳しい言葉も、同期たちの軽蔑する目も、全部自分の実力不足から来るものだと理解しているからこそ痛かった。
覚悟はしていたし、情けないともわかるが、それでも身体は素直だった。

理屈では、感情を処理しきれないものだ。

並木道にある公園内に人影が見える。
先客がいたことに気を落とすが、そこで目を見開く。

「翔吏?」

公園内で翔吏がバットを振っていた。
ラフなTシャツにジャージ姿で、真剣な顔で何度もフォームを確認している。
まだ部活動が終了して三十分も経っていないにも関わらず、休むことなく個人練習をしているのだろうか。

「橘?」

私に気づいた翔吏は、Tシャツで汗を拭いながらこちらを見る。

「あ、ごめん、ちょっとびっくりして……部活終わった後なのに、早いね」

「そこ、俺の家」
そう言って翔吏はバットで近くの家を指す。

「というかおまえ、電車だろ。何でこんなところに」

「や、ちょっと、散歩というか……」

「へっ、呑気なもんじゃねーか」

吐き捨てられた彼の言葉にムッとする。

「…………少しくらい良いじゃない。休憩することも大事でしょ」

「そんな余裕、欲しいもんだね」翔吏は皮肉めいて口にする。

余裕なんてあるわけない。だが、そうともとれる言葉を言ったことは事実だ。

「やっぱり、野球部も厳しいものなの?」私は恐る恐る問いかける。

「当然だろ」
翔吏はバットを確認すると、再び構える。

「ただでさえ俺にはブランクがあるんだ。休む暇なんて、あるわけない」

ブンッと空を切る音が鳴る。遅れてまとまった風と青い新緑の香りが届いた。

ひたむきに上を目指す彼の向上心に、私は圧倒されていた。

「た、大変だったんだ」

そう呟くと、翔吏は吊り上がった目でこちらを睨む。

「他人事じゃねぇだろ。てめぇも部活やってんなら、さっさと家帰って練習しろ」

「すっ、素直に同情してあげたのに!」
予想外の反応にムッとなる。

「んな生ぬるい言葉なんていらねーよ」
翔吏は眉間に皺を寄せたまま、再びバットを構える。

「少しでも時間あんなら、てめぇの為に時間を使え。俺の応援の時、下手な音出したらただじゃ済ませねぇぞ」

「試合、出る気満々じゃん」

「当然だろ。一年からベンチ入りして初めてスタートラインに立てんだから」

翔吏は眉間に皺を寄せて宣言する。
あまりにも強気な言葉に、呆気にとられる。

「た、楽しみにしてるから!」

感情的にそう叫ぶと、足早にその場を去った。

「何なのよ、あいつ…………」

球児とひとくくりにしてみるのは良くない。やっぱり一人ひとり違うものだ。普通、あそこまで傲慢になれるものだろうか。

だが、そんな態度に比例して彼の努力が空気から感じられた。
真っ直ぐに上を目指す彼の姿に、どこか尊敬してしまっただけ悔しく感じる。

「このまま辞めたら、笑われるだけだわ」

私は頬を叩いて気合を注入すると、足早に駅へと向かった。

 

***

 

「おかえり~今日遅かったね」
帰宅すると、母が心配そうに言う。

「うん。ちょっと部活関係で」

そう言うと、母は少し目を丸くして私を見る。

「何か良いことでもあった?」

「え?」素朴に振り返る。

「良い顔してるから」

「うそ」私は自身の頬に手を当てる。

「少し不安だったのよ。陽葵、最近ずっと疲れている感じだったから。でも、何かちょっと安心したわ」

母は満足気にそう言うと、「今日のごはんは肉じゃがよ~」とキッチンへと向かった。
私は荷物を置く為、自室へと上がった。

「良い顔、なのかな」

室内の壁に掲示されている新聞を見る。そこには「紫野学園、惜しくも敗退!」との見出しと共に、紫野学園の選手が甲子園の土をシューズケースに入れる写真が掲載されている。もう穴が開くほど閲覧したものだ。

二年前の中学二年生の夏、偶然テレビで見た甲子園に出場していた紫野学園高校を見たことで、紫野学園への進学および吹奏楽部への入部を決めた。
私も紫野学園高校の一員として甲子園に立ち、熱い熱を放つ球児を応援したいと心から思ったのだ。

ただでさえ私立の学校に、世間的にも厳しいと有名の吹奏楽部への入部に、身内にも心配をかけていた。

それでも挑戦しようと思えるほどに、この写真の彼らから感銘を受けたんだ。

やっとスタートラインに立てたところなのに、簡単に心が折れるなんて情けない。

私は依都みたいに現実的でもなければ、翔吏のように強気なメンタルも所持していない。
だが、夢に向かう根性だけは、人一倍持っている。

試合はまだ始まったばかり。これからが本番なんだ。

「ごはん準備できたよ~」との声が届いたことで、「はい!」と威勢よく返事をした。

 

第一試合 部活動vs自分 完