2【春川 桃吾】③




開花時期まであと一日。
休日に入り、街は忙しなく車が走行する。
そんな光景を春川は茫然と眺めながら、川辺を歩いていた。
普段は登校も車の送迎であるにも関わらず、今日は珍しく一人で徒歩だ。

「あんなに元気なのに、明日には死ぬんだよなぁ」

隣で歩くゼンゼは、川辺の花を弄る春川を見ながら呟く。「こればかりは本当、何度見てもわかんねーもんだな」

「それが彼の運命なのよ」

昨日までピンピンしていた人間が、次の日死んでいることは、ごく普通のことだ。
特にリンは、成績優秀のエリート出身であることから、高難易度の寿命以外の人間専門の為、突然の死には慣れたものだった。

開花する基準なんてものはわからない。神が賽を振って決めているだなんてふざけたことも噂されているが、確実に言えることは、そこに一切差がないことだ。

種に質が存在する以上、以前春川の言っていた通りに、生まれながらに個体差は生じる。
だが、どんな上質な種であろうとも、唯一『死』が訪れる可能性は等しく与えられている。

そうでなければ、Sランクの花を十二年で刈ることにはならないはずだ。

「何してんだあいつ」

ゼンゼの突拍子もない声が届いて、リンは我に返る。
川辺の高架下で、春川が手に石のようなものを持ち、何かに向かって何度も振りかざしている姿が目に入る。その場は、遠目でもわかるほどに赤く染まっていた。

リンは足早に彼に近づき、「何してるの」と声をかけた。

突然の来訪者に、春川は振りかざしていた手を止め、こちらに振り返る。

「あぁ、君か」彼は澄んだ瞳で柔和に笑う。

「何って、わからない? この世界で生きることを諦めてもらったんだ」

「それを普通は、殺してるっていうんだけど」

「まぁ、周りから見たら、そうなるのか」

ケラケラと笑いながら、彼は血の付いた石を川に投げ捨てた。ドボンと鈍い音を立てて、石は川底へと沈んでいく。

春川の足元には、頭部から血を流しながらぐったりとした犬が横たわってる。
もう息を吹き返すことはないだろうな、と死神のリンじゃなくても一目でわかる凄惨な状態だった。

実際、近くに死神が見られないことからも、すでに犬の花は開花済みだと示している。

「こういう趣味を持ってるの?」

「勘違いしないでほしい。僕はこんな狂気的なことに関心を抱くほど暇でもないよ。ほら、見て」

そう言うと、彼は自身のふくらはぎを指差す。そこには、くっきりと歯型がついていた。
血は出ていないが、恐らく数分前に着けられたものだとわかるほどに、生々しい赤色に浮かび上がっている。

「そこの茂みからいきなり飛びかかってきてさ。恐くて急いで逃げようとしたんだけど、最近野犬の被害が出てるってニュースを見ていたから、もしかしてこの犬かも、って思ったんだ」

そう言って、今はぐったりしている犬を一瞥する。

「このまま放っておいたら、また人を傷つけてたと思うよ。癖なんて、無意識のうちに表れるものだし。それに、矯正するのも難しいんじゃないかな。ほら、押したらダメって言われたら押したくなるボタンや、立ち入り禁止されてるところに踏み入れたくなるカリギュラ効果っていうやつ。強制されるほど反対の行動を取りたくなるでしょ。つまり、どっちに転んだところで、悪の循環だよ。そう思うと、あぁ、この世界では、人を傷つける生き方しかできないんだな、ってこの犬に同情しちゃってさ。それならいっそ、若いうちに芽を摘んであげて、来世に期待させてあげたほうがいいんじゃないかって」

「だから殺したの?」

「その言葉は物騒だから、怖いよ」

そう言いながら、大げさに怖がってるふりをする。犬の息の根を止めた張本人だというのに、よく言うものだ。

春川は、腕をまくりながら近くの草むらまで歩くと、腰を下ろして土を掘り始める。
雑草がブチブチ千切られる音が鳴る。

そんな光景をリンは汚いな、と侮蔑的な目で眺めていた。

「よく物語の世界でさ、小さい子が『どうして生き物を殺してはいけないの』と無邪気に尋ねる場面があるでしょ。そして大人は『法律で決められてるから』『可哀そうだから』『どんな生き物にも生きる権利はあるから』って答える。僕だってそう思うよ。でもね、この世界で生きていても、無駄に時間を浪費するだけなら、いっそ次の人生を歩ませてあげたほうがいいんじゃないか、とも思うんだ。僕は、生まれ変わりっていうのを信じているからさ」

春川は、穴を掘り進めながら滔々と語る。

「可哀そうだよね、本当。同情しちゃう。特に野良犬なんて誰かにものを教わることもないんだしさ、改善なんて望めないよ」

十分な深さまで掘り終えると、春川はぐったりした犬をそこに投げ入れて、掘った土を上にかけ始める。
犬の姿が見えなくなると、近くの野花を摘んで土の上に差す。

「次は、もっと利口な犬になれるといいね」

簡易的な墓を目前に、春川は手を合わせて目を瞑る。

彼の言う通りに、生まれ変わりは存在する。それを行うものこそがリンたち死神だ。

「あなたの言う通り、魂は循環する。でもね、ひとつ勘違いしているわ」

「おや?」

春川は不意打ちを食らったような顔で彼女を見る。リンは春川の辺りに散乱している雑草に手を伸ばす。

乱暴に引き抜かれたことで根は千切れ、生えていた土にも醜い根の残骸が絡んだままだった。

「親が子に遺伝するように、魂の質も遺伝する。つまり、循環される魂の質が悪いと、次生まれる生命も質が悪くなってしまう。だからきれいな状態で終わらせないとダメ」

根が絡んだままの土に目を落とす。細くて細かい根はしぶとく土にまとわりつき、雑草を抜く前以上に手入れに時間がかかるとは歴然だった。
根本から丁寧に抜けば、こんなことにはならなかったはずだ。

人間も同様だ。具体的な未練や後悔の原因を突き止めないまま乱暴に雑草を引き抜けば、抜く以前よりも荒れた状態になる。

だからこそ、リンたちは春川の未練が具体的に何か突き止める必要があった。

彼女にとっては当然の原理を話したまでだが、春川はキョトンと目を見開く。

「冗談のつもりだったけど、逆に納得しちゃった」

「冗談なの?」

「あはは、でも、嘘とは言ってない」

春川は満足気に頭で手を組む。「嘘と、冗談は違うよ」

何となく、彼の手の上で転がされてるような気分になり、リンはむくれる。

「あちゃ~。じゃ、この犬は、来世でも同じことを繰り返すのかな?」

「少なくともこうする前に、あなたがこの犬の願望を叶えていなければ、質は最悪だったんじゃないかな」

「犬の願望なんて知らないよ」春川は肩を竦める。「もっと良いドッグフードが食べたかった、とかかな」

ケラケラ笑う春川をリンはじっと見つめる。

「あなた、小学生よね」

「もちろん。れっきとした小学六年生だよ。あはは、よく言われるんだ。おまえは人生を一度経験しているだろうって。でも、この『春川桃吾』としての人生は初めてでも、累計すると数えきれないほどあるんだから、あながち間違っちゃいないかもね。ね、僕たち気が合いそうだね」

彼はそう言って、年相応に無邪気に笑う。

「でも、こんなことしたら、いつか自分に返ってくるっていうでしょ」

「僕は別に報復なんて怖くない。死ぬことさえ受け入れてるよ。だって、この春川桃吾としての人生が終わるだけで、また別の形で生きられるはずだから」
春川は地面の砂を蹴りながら語る。

「だったらさ」リンは視線を逸らせて口を開く。「明日死ぬって言われたら、あなたはそれを受け入れるわけ?」

突然の質問に、春川はキョトンとして「冗談を言うときは、もっと陽気に言ってくれない?」と肩を竦める。

「そうだね。もし明日死ぬんだって言われたら、それはそれで仕方ないんじゃないかな。それが僕の運命なんだからさ」

春川はしゃがみこんで、リンと同じく辺りに散乱する雑草を弄り始める。その手は土と血で汚れており、汚いな、とリンは眉をしかめる。

「なんて、言うと思った?」

突如として響いた低い声に、リンは背筋が伸びる。

彼に振り向くと、雑草を弄っていた手は止まり、目の輝きは失われていた。

「くーだらない。生まれ変わりなんて、あるわけないじゃん。死んでしまったら何もかも終わりなんだよ。それを真っ向に受ける奴なんて、ほんと、バカだよね」

春川は手に持つ雑草を両手でぎゅっと握り締めながらぼやく。

先ほどとはまるっきり正反対の言葉を吐く彼に、さすがにリンの顔にも困惑の色が現れる。

春川は握りしめた雑草を力任せに川へと投げる。ぱしゃんと音と共に圧縮された雑草は、川の水によってばらばらに解けていった。
乱暴に引き千切られてオモチャのように扱われていることに、雑草であれ同情するものだ。

「あ、でも、死ぬ間際にはさ、お迎えがくるっていうじゃん。もし美女がお迎えに来てくれるとかだったら、僕、喜んでついていくかもね」

春川は表情を一変させて、嬉々として口にする。
今まさに、そのお迎えにきてる人が隣にいるんだけどね、と喉まで出かかった。

「あ、時間だ。じゃあね」

春川は、川で手を洗うとポケットから取り出したハンカチで手を拭いながらその場を後にする。その背中には、全て吐いてスッキリしたといった爽快感が漂っていた。

取り残されたリンのそばに、黒い影が寄る。

「おもしろい奴だな」

「人間って、あんなに捻くれてるものなの?」

「あいつは、ちょっと異常かもな」

ゼンゼは頭を掻きながら苦笑した。

 

***

 

午後四時半。六時間目を終えて、部活や塾やで、皆各々教室を後にする。
春川は以前のように、窓から空を見上げながら教室内で送迎車を待機していた。
そんな彼を、教室ドア外からリンとゼンゼは眺めていた。

「おまえ、この世界にある『探偵』って職業を知ってるか?」
ゼンゼは唐突に口を開く。

「知らないけど」リンは興味もなさそうに答える。

「俺らみたいに、決められた人間を観察することが仕事、らしい」
探偵は相手を殺さないけど、と肩を竦める。

「探偵はそういう奴だって認識されているからこそ、依頼した人間はそいつから言われた結果が真実だと受け取っちまう。もしかしたらその結果が、虚偽かもしれねぇのに」

「そうかもしれない」

「つまり、作りあげられた信頼は中々崩れねぇ」

「崩れないかもしれない」

「だから、今回は諦めようぜ」

リンは無言で彼に振り向く。

「昨日対象を見て思ったが、あいつは特に面倒くさい。さっさと次行った方が効率が良いもんだろ」

「Sランクだからこそ、見逃せないのよ」

ここ数日、つきっきりで観察したものの、彼の家庭内に何か問題があったとは考えられなかった。円満家庭と呼べるほどであるから、むしろ良い環境だ。

だが、初対面時や川辺での、『人生』そのものや『死』に対する彼のスタンスには、経験を踏まえた重みを含んでいた。
それこそ初めは小学六年生という年齢からも背伸びしているのだと考えていたが、どこか悟っているところがあった。

「もしかして、彼の身の回りで咲いた種に何か原因があった、とか」

『死』を扱う仕事である以上、これはただの勘で済ますことはできなかった。

リンは即座にハードカバー本を開けて輪廻図を調べ直す。
リストには、どのように種が回されているかの情報も記載されていた。そして、種それぞれが【成長中】か【開花期間中】か【開花済】のステータスも確認できる。

彼の家系は代々上質の種が与えられている。両親はともかく、両祖父母ともまだ花は咲いておらず、絶賛成長中だ。以前確認した時から変化もない。つまり、ここ数年で身内に花が咲いたことが原因になったとは考えられない。

「あれ……?」

しかしリンは、そこであることに気づく。

「おい」
突如、ゼンゼが声をかける。

「ちょっと待って」

「いや、違うって」

ゼンゼの歯切れの悪い返答に、焦燥気味に顔を上げたところであっと顔が強張る。

「前から一体何なのかな、転校生ちゃん」

リンの目前には、春川が立っていた。

ゼンゼは「探偵、今回は失敗だ」と呟いた。

「僕のことをずっとつけてるでしょ?気づかれてないとでも思った?」

春川はにこにこしながら問う。
そんな彼の笑顔が狂気的に見えて、リンは僅かに身体が強張る。

「お兄さんは、彼女の保護者?」
春川は笑顔のままゼンゼに尋ねる。

「そうだな」
ゼンゼは嗤いながら答える。

「そ。彼女、この学校についていけてないのかもしれないよ。うち、レベル高いからさ。友達も中々できないんだろうし、ちょっと考え直した方がいいんじゃない?」
春川は余計なお世話を働く。

ゼンゼは数秒考え込むと、「人見知りなやつなんだ。こんなんだけど仲良くしてやってくれよ」とリンの肩をポンッと叩く。

普段はここでキッと彼を睨むリンだが、今回は何か考え込んでいるのか反応がない。

「リン?」ゼンゼは様子を伺う。

リンは数秒黙ると、「ねぇ」と春川に顔を向ける。

「あなた、一体何を悩んでいるの?」

予想だにしていなかった質問が飛び出たことにより、春川はキョトンとした顔になる。
ゼンゼはおい、と険しい顔でリンを見るが、彼女は表情を変えない。

「隠したって無駄。あなたはずっと前から忘れられないつらい過去がある。それを思い出さないようにあえて気丈に振舞ってる。そうじゃない?」

リンは春川を諭すように語り始める。
春川は目をぱちぱちさせながら、彼女を見ていた。