3【清水 夏帆】①




夏。部活動をしている者にとったら、まさに戦の季節、とも呼べる時期だ。
冬季から春にかけて蓄えてきた成果の発揮の場であるコンクールや大会が開催されることが多く、それこそ気候も暑けりゃ闘志も熱い季節となる。

一ヶ月に渡る『夏休み』という期間に入ると、合宿や長距離の遠征も可能であり、大きな大会に向けて備える時間も十分に与えられている。もはや休む暇などないものだ。

それらの観点から見ても、『夏休み』は『夏戦』と呼ばれてもおかしくなかった。

もちろん私が所属している部活動、吹奏楽部も例外ではなく、七月末から八月上旬にかけてコンクールが開かれる。

私の通う赤森中学校は、全国大会には出場したことがないものの、毎年金賞を受賞していることから、先輩たちの気合の入りも違う。
課題曲と自由曲の二曲で挑み、部内の選抜会以降は毎日コンクールに向けてシフトが調整される。夏戦期間に入ると、普段以上に練習量が増えるだろうとは目に見えていたことだ。

だが、コンクールに参加しない私たち一年生にとったら、ただひたすら基礎練習を繰り返す苦痛の日々となる。

「吹奏楽部って、運動部やっけ……」

部活動終了時刻の午後六時を迎え、まだ日の落ちていない空を見上げながら溜息を吐く。
一年生だからとはいえ、毎日ほとんどの時間を運動に費やしていることで、文化系部活動の定義を忘れそうになる。

「吹奏楽部は、ある意味運動部だよ」

隣に歩く、部活動仲間であり、幼馴染でもある友人、ナツが笑いながら同意する。

アッシュ色の毛や白い肌、色素の薄さから『お嬢様』という雰囲気を醸し出す彼女であるが、フルートを奏でる姿は魅力が更に三割増しになるものだ。

「騙されたわ」
私はナツを一瞥して投げやりに言う。

「意外と周知されていることだけど」

上下関係が厳しいこともね、とナツはさらりとつけたす。私は反射的に周囲を見回す。
天然である彼女だからこそ、TPOに配慮できていない時があるのだ。

日で熱されたアスファルト上を重い足取りで歩く。ただでさえ運動で汗まみれであるのに、追い討ちをかけるように湿気が身体を襲う。

だが、隣に歩くナツは、汗ひとつかかずに暑さなんてものともしていない。肌が白いことで、より一層爽やかに見える。

「でも、私、かっちゃんが吹部入ってくれて嬉しかった」

「何、いきなり」
直球の言葉に恥ずかしくなり、無愛想な対応になる。

「いや、しみじみ思うな〜って。まさか入ってくれるとは思わなかったから」

ナツは空を見上げながら語る。恐らく幼少期の頃の私と比べているのだろうとは感じられた。私は視線を逸らす。

だが、そこで予想外のものが目に入り、思わず「わっ」と反射的に足が止まった。

私の声に釣られてナツもこちらに振り向く。
だが、すぐに不思議そうに「どうしたの?」と首を傾げる。

私はハッと正気に戻ると「何でもないよ」と慌てて手を振り、足早に歩みを進める。

そんな私を、ナツはじっと見る。

「かっちゃん、もしかして今も見えるの?」

「え?」

「幽霊」

ナツは、にこっと微笑んで言う。私の顔は引き攣る。

「いやいや、まさか……」

私は軽く手を振り、「あ、そういえば昨日の『REBELS』見た?」と無理やり話題を逸らす。

「ねぇ、どうして無視するの」

その声は寂しそうに、恨めしそうに響く。
思わず反応してしまったとはいえ、私は聞こえないふりしてその場を去る。

電柱の傍にひっそり佇む女性。白い肌に、青々とした黒髪が生えている。
だが、ナツとは違い、彼女の肌は生気が通っていないとひと目でわかる。

恐らくナツには彼女の姿が見えていないし、声も聞こえていない。
私の目には、はっきり映っているとはいえ、間違っても反応してはいけない。

どこかでセミ爆弾が誤爆したのか、ジジジッと羽の擦れる耳障りな音が響く。投下されるにはまだ時期が早いものだ。
空に立ち込める分厚い入道雲や、アスファルトから感じる熱気からも、そういえばもうそんな時期なんだな、とぼんやり思う。

日の暑さや過酷な練習、加えて霊の帰還する時期でもある『夏』。

唯一、隣にいる彼女だけが、癒しの『ナツ』だった。

シーズン2【清水 夏帆】

 

「ペース落ちてるよ」

ストップウォッチを手に持つ先輩が叫ぶ。
私は「す、すみません……!」と呟くと、気持ち急いで走る。

廊下の角で先輩の姿が見えなくなり、周囲にも人気がないとわかると、膝をついて呼吸を整えた。

外は正式に『運動部』と定義されている部活動が利用していることから、三十分間走は校舎内の廊下を利用する機会が多い。
廊下を走るのは禁止、と校則で決められているにも関わらず、何故かわからないが練習で走ることは許されていた。

廊下は外と違い、床が固くて足から伝わる振動が痛いものだ。二階から三階を周回することから、階段の上り下りがさらに身体へ負担をかける。

そして、時間の節約なのかわからないが、何故か制服のまま体力作りを行う。女子部員しかいないとはいえ、走るたびに捲れるスカートは普通に煩わしく、変に気を遣わされるものだ。

「私、パーカッションやのにな……」

パーカッションは、スネアやティンパニ、鍵盤など打楽器を主として扱うパートだ。もちろん、肺活量なんてものは必要ない。

だが、パーカスは学校が所持する楽器を利用し、主な楽器もコンクールの練習で先輩が利用して、できることもほぼないことから、他のパートの人たちと一緒に走らされていた。

午後六時を迎え、帰りのミーティングが終了する。
私たちは脊髄反射で立ち上がり、「お疲れ様でした」と挨拶を繰り返して先輩の帰りを見届ける。
姿が見えなくなると、即座に鞄を手に取り、ドア前で待機する部長に挨拶してそそくさとその場を去る。

うちの部には、先輩が先に部室を出るが、部屋の鍵を閉めるのは部長、と決められていることから、後輩はその中間をいかに素早く行動できるかにかかっていた。先輩より先には教室に出られないものの、部長を遅くまで待たせるわけにはいかない。

後輩の分際で校門前で立ち止まって話していると、先輩に目をつけられる。
部活動中はもちろん、学校から離れるまでは同期の仲間と自由に話すこともできないことから、部活動に入部して三ヶ月以上経っているにも関わらず、方角の違う別パートの同期とは、いまだ会話すらできていないでいた。

「一足早くに、社会の洗礼を受けている感じだわ……」私は呟く。

ただでさえ夏期は、冬期に比べて日没が遅いことから拘束時間が長い。
悲しいことに、吹奏楽部は屋内で冷房も与えられていることから、毎日朝八時から夕方六時、と活動時間限界まで練習を行えてしまえるものだ。

「でも、今日で体力作りも終わりかなぁ」
隣で歩くナツが上機嫌に呟く。

「本当に終わるんかな」

「だって、明日のコンクールが終わったら、次は定期演奏会でしょ?私たちもやっと楽器に触らせてもらえるよ!」

ぐっと親指を立てて笑う。そんな彼女を見て、私は無意識に口角が上がる。

「ナツは本当、昔から変わってないね」

「かっちゃんもだよ!もっとポジティブシンキング」

私は今年の三月にこの街、虹ノ宮市に引っ越してきた。

高層ビルや標準語、地元の京都とは違う環境に戸惑うものの、幼少期からの幼馴染と出会ったことで何とか生活が送れていた。
ナツは小学校二年生の頃にこの街に引っ越していた。
学校訪問の際に出会った時は「運命なんだね」なんて笑い合ったものだ。

見知らぬ街に見知らぬ顔ばかりの学校生活に不安を抱いていたことから、彼女に誘われるまま吹奏楽部に入部していたのだった。

「定演は演奏する曲数も多いだろうし、第二部はダンスとか仮装とかもするみたいだからさ、きっと楽しいよ」

「本当に楽しめるのかな」私は即座に否定する。

「でしゃばりすぎると、先輩に目をつけられるもん。やから、ほどほどにしないとさ……」とここまで口にしてはっと気づく。

恐る恐る隣を見ると、ナツがムッとした顔で私を見ていた。

「かっちゃん。本当に心配症だね」

「でも、実際そうやん……」

実際、些細なことですぐに呼び出されるものだった。
スカートを折っている、態度が悪い、さらには先輩が気づいているのにこちらが気づいていなくて挨拶ができなかった、だなんて理不尽な理由でも呼び出されて説教されていた。

そんな彼女たちの態度からは、「練習時間を割いてまで説教している先輩としての立場の自分が誇らしい」と感じるものの口にできるわけもない。

昔から何事も楽しむナツには、私のような性格が鬱陶しいと思うだろうとは自分でもわかる。

だが、物事を悪化させない為に一番良い方法は、抜きんでることなく他と足並みを揃えて、ただ必死に堪えることだ、と身をもって知っているんだ。

ナツが口を閉ざしたことで、私たちの間には気まずい空気が流れる。

すでに今日の活動は終了しているのか日中は騒がしいセミの音も聞こえず、西の空に低く沈んだ日の光で伸びた自身の影を笑う小学生の声が遠くから聞こえる。

薄暗くなった家路につく中、どこからかリンッと心地良い鈴の音が鳴った。
透き通ったその音に引き寄せられるように顔を上げると、目先の壁に二人の人物の姿があった。

一人は、真っ赤な髪にゴシックな服を着用した少女、もう一人は、全身黒服に銀髪で眼帯をした痩身の青年だ。

私が普段読んでいる漫画やアニメから飛び出てきたような容姿の二人に目を奪われる。

はっとして隣のナツを窺うも、彼女も少し目を丸くしていた。

彼らの傍を通り過ぎると、ナツが顔を寄せて「すごいね」と口を開く。

「コスプレってやつかな。なんか、童話の中から出てきたような服……」

「た、確かに……」

彼女たちから妙な違和感を感じたものの、ナツも見えていると気づいて安堵する。

彼らの存在により少し緩んだ空気のまま、いつもの曲がり角が来て私たちはそれぞれ帰路についた。

 

***

 

風呂や家族との夕食を済ませた後、いつものように自室のテレビで深夜アニメを再生していた。

化学変異により特化した感覚器を所持した若者たちが活躍する近未来科学アクション作品、『REBELS』。
何度も観ているとはいえ、何となく指が再生ボタンを押していた。

この作品の主人公は、他人よりも特化した視力を所持していることで、日常生活に不具合が起きないように、周囲を見ないように努めて『普通の人間』と振舞う場面から始まる。

まさに彼と似たような境遇であることからも、この作品は、今私の中で最もホットな作品となっていた。

「いっそ私も、何かに活かせたらな……」

私は昔から、恐らく他人には見えていないであろう存在が見える。いわゆる「霊感がある」ってやつだ。
あまりにもその存在がはっきり捉えられることから、人間かの判別がすぐにできない。

特に夏は、死者が帰還する『お盆』という風習があることから、通常よりも三倍ほど人が増えて見える。人間より霊の方が多いだなんてこともザラだった。

私にとったら当然のように目に映るその存在。人だと話しかけたものが霊だった、だなんてことも起こるわけだ。
他人からはその姿が認識されないことで、私が突如、一人で話しているように映るのだろう。
幼い頃からこの体質のせいで、周囲から不気味がられるのは当然だ。

私の見える現実が、本当なのかがわからない。

最終的に私は、現実逃避に走ったのだった。

「結局、信じられるのは、画面の向こうだけ……」

私は、画面の中で活躍する科学者を見ながら呟いた。