3【清水 夏帆】②




「ミーティングでは、定演の楽曲を決めます」

部長が今日の練習メニューを発表する。普段とは違う内容であることに、後輩たちから心なし安堵の息が漏れる。

昨日、無事に金賞を受賞してコンクールを終えたことで、ナツの言っていたように、今日からは九月に行われる定期演奏会に向けての練習が始まった。

楽曲を決めると言われても、積極的に提案する勇気もなければ意見を言わないことで先輩から真剣に考えてない、と思われるのかのどちらかだろう、とまた悲観的に物事を考え始めていたが、そこで「じゃ、まずは学年ごとにそれぞれ話し合おうか」との声が響く。

部長は教壇から降りると、こちらに近づき「一年生は隣の部屋で、話し合いしてきてもらってもいいかな?」と私に紙を差し出す。
流れで紙を受け取ったものの、私は思考が停止する。

じゃ、十五分ほどで楽曲いくつか出し合ったら後から多数決ね、と部長が締めたことで各々動き始める。一年生たちは即座に立ち上がり、隣の部屋へと向かう。

ナツに「かっちゃん。行こう」と肩を叩かれたことで、ようやく腰を上げることができた。

「すごいね。部長、直々にご指名じゃん」ナツは笑顔で言う。

「いや……偶然だって……」

実際、部長の立つ位置から一番近い席に座っていた。偶然とはいえ、その席を選んだ一時間前の私を呪う。

少し遅れて教室に入ると、すでにみんな着席していた。

詳細の書かれている紙を所持しているのは私だけで、時間も限られていることから、流れで私が進行役をやらざるを得なくなる。

私は恐る恐る教壇に立つ。同期とはいえ、話す機会もないことから、いまだ名前と顔が一致しないものだ。
同期だけの空間に気が緩んでいるのか、普段は背筋を伸ばして率先して挨拶をするカースト上位の人たちも、肘をついて私が何者か品定めするような目つきだ。

私が怖気ついていると、ナツが私の元により「じゃ、サクッと決めちゃおうか」と笑顔で切り出した。

「ナツ……?」

「こんなに人数多いのに、一人はつらいでしょ。二人で進めた方が早いよ」

ナツは、はきはきと言う。その天使のような笑顔に、私はまたもや救われた。
カースト上位生も、ナツの登場に黙って受け入れるような態度になる。

ナツは、幼少期から音楽教室に通っていることから、元々フルートの演奏技術がある。
そのことは、同期や先輩にもすでに周知されている事実で、みんな彼女には一目置いていた。

圧倒的な才能を前にすると、嫉妬を通り越して尊敬せざるを得ないのだな、と常に彼女の隣にいる私には伝わった。

教室内をざっと見ただけでも四十人近くいる。確かに一人で進めるには時間がかかるとは目に見えていた。

目立たないように淡々と事務作業に取り組もうと、話し合いを開始した。

先輩がいない空間だからか、同期たちも躊躇うことなく意見を出す。
二十ほど上がったところで、多数決を取った。

「四十四人…この曲で決定で……」

私が細々と言うと、みんなから少しどよめきの声が上がった。
私が首を捻ると、「かっちゃん、あの……」とナツが顔を寄せる。

「一年生、全員で四十二人しかいないよ……」

私は凍り付く。恐る恐る顔を上げると、みんな怪訝な顔で私を見ていた。

表情に表さないように、もう一度、目で数を数える。
だが、私含めても四十四人いる。

「か、数え間違えちゃったね……ごめんね」

私は頭を掻きながら、黒板の文字を書き直す。
背中に刺さる視線が痛いが、必死に平静を保つ。

もちろん、この中に霊が紛れ込んでいることは、見逃せない事実だ。

だが、私はそれ以上に、入部して四ヶ月目であるにも関わらず、同期の顔を覚えていないこと、何よりもこんな凡ミスにより、春から積み上げてきた努力が失われることが不安だった。

楽曲が決まったことでみんな颯爽と立ち上がり、動揺する私をよそに、教室を後にする。

「かっちゃん、戻ろ」とナツに肩を叩かれたことで、私は正気に戻る。

もう今では、すっかりナツの存在が、正気を取り戻すきっかけとなっていた。

 

***

 

「かっちゃん節、炸裂だったね」
帰宅道を歩きながら、ナツは笑った。
無事、定演の演奏曲を決め終えて、本日の活動は終了していた。

「笑いごとやないよ……」私は引き攣った顔で答える。

まだ部の人たちと打ち解けていない。あんな失態を犯したせいで、気味悪がられるのは目に見えていた。

「でも私はかっちゃんの体質、ちょっと羨ましいな」

「え?」

「だって、いなくなった人が見えてるってことでしょ?私ももう一度、会いたいもん……」ナツは寂しそうに呟く。

誰に会いたいかは、具体的に口にされなくても私には伝わった。

ナツの両親は、小学校二年生の頃に交通事故で亡くなった。まだ幼いナツは、この街に住む祖母に引き取られることになり、転校することになったのだ。

「ナツ……」

私は彼女を見る。そして、そのまま視線をずらして彼女の背後を見る。
普段は気づかないふりしていたものの、話題が出たことで無意識に目がいった。

ナツの傍には、常に二人の人物がついていた。その姿が、幼少期に彼女の家に遊びにいった時に見た両親の姿だとは私にはわかる。

霊は、大抵決まった場所か人物の背後に憑いていることが多い。みんなどこか辛そうな顔をしていることから、憑いている場所や人物に未練が残っているのかもしれない。
彼女の両親も、子どもが幼いころに亡くなったことで我が子が不安で見守っているのだろうな、とは見当がついた。

自分たちの話題が出るとは思わなかったのか、ナツに憑いている両親は心なし顔色が温かくなる。

「大丈夫、見守ってくれているから」

私は頬を緩めて返答した。
その言葉を聞いたナツは、歯痒そうに顔を歪めた。

「あ~でも、やっぱり不安やわ。来週の合宿大丈夫かな」

「大丈夫。きっと楽しいよ」

いつものわかれ道が来たことで、私たちはそれぞれ帰路についた。

 

***

 

我が赤森中学校吹奏楽部の夏戦中に行われる大きな行事はふたつ。
ひとつ目はコンクール。これは先日、例年通りに金賞を受賞して無事終えていた。
そしてふたつ目。それは定期演奏会に向けての二泊三日の合宿だ。

合宿は、虹ノ宮市の隣に位置する尾泉市内の郊外で行われる。
うちの部活は、部員が百人以上いることから、大型のバス二台で宿舎に向かった。
練習内容は過酷だろうとはわかりつつも、初めは普段とは違う外泊に皆浮き立っていた。そう、初めは。

バスの後部座席でトランプをして騒ぐ先輩の声が聞こえる。
後輩の私たちは、その声をBGMに黙ってバスに揺られていた。

一度目のサービスエリア休憩時に、「うるさい」と先輩に警告を受けて以降、誰も口を開こうとしない。合宿先についてからも地獄だとは目に見えているものの、この場の空気を耐えることも苦痛だった。
そんな沈黙にも絶えられなくなり、私はあえて見ないように避けていた窓の景色に顔を向ける。

高層ビルや人で溢れる都心の虹ノ宮市とは違い、周囲が山で囲われ、田園が広がっている。平屋の住宅が並び、平穏な空気が漂っていた。

そんな土地が有り余っている田舎であるからこそ、墓石の並ぶ墓地もたくさんあるものだ。

私は無意識に視線を逸らす。

墓地は死んだ人が眠る場所だ。つまり、必然的にそういった存在が多くなる。
現に今、視界の端で複数ちらちら映っている。

霊が怖い、だなんて感情はとうに消えている。
だが、霊たちみんな未練がましい表情をしていることから、彼らを見るのが普通に辛かった。

何気なく視線を戻すと、年季の入った住宅街に、青髪で黒いベストを着用したゴシックパンクな長身の男性と、全身黒服に右目に包帯が巻かれた金髪の少女が立っていた。
田園の広がるこの風景には異色な格好をした彼らに、どこかデジャウを感じて目を凝らす。

突如、青髪の男性がこちらに勢いよく振り向く。思わず目が合うと、彼は不敵に笑った。私は反射的に顔を逸らす。

突然、勢いよく首を捻った奇怪な行動をとった私に、隣に座るナツは首を傾げる。私は慌てて手を振って誤魔化した。

バスの中から視線がばれるとは思わなかった。
それに、青髪の男性が笑った瞬間、何故か悪寒が走った。身の危険を感じるほどの動物的な本能から来た反応だった。

話すこともできなければ、窓の外の光景を楽しむこともできなくなった私は、目を閉じて寝ているふりをした。

 

***

 

宿舎の周囲は木々で囲まれていた。長距離を移動したこともあり、バスから降車したものは、みんな無意識に伸びをして深呼吸する。
どこを見ても、緑、緑、緑。こんなに山奥まで来たことは初めてであるので、新鮮だった。

合宿でよく利用されている場所なのか、他の団体の姿も目に入る。
茫然と眺めていたが、近くの同期が「わ、紫野学園高校の人たちだ」と声を上げた。

釣られて振り向くと、そこには街中でよく見かける制服姿の団体が目に入った。
彼女たちも同じく吹奏楽部のようで、楽器をバスからおろして運搬していた。

「合宿場所が同じなんてすごい……」
「今年の応援もすごかったよね」

同期たちは、各々に感嘆の声を漏らす。
先輩たちも気になるのか、ちらちら彼女たちを見ていた。

紫野学園高校は、虹ノ宮市内にある私立高校で、全体的に部活動に力の入っている高校だと存在は知っていた。
外観からもたくさんの横断幕や垂れ幕が確認でき、メディアにもよく名前が挙げられている。今月行われた甲子園もこの高校が出場していたはずだ。その為、必然的にブラスバンドも注目される機会が多い。
私たちの中でも、甲子園で応援したいがために進学を目指す者もいるほどだ。

「やっぱり制服、可愛いよね」
隣にいるナツも、感心の目で彼女たちを見る。「私も、あの制服着たいな」

さすが私立高校というべきか、私たちの通う公立中学校とはレベルが違い、焦茶色のブレザーにピンクのチェックスカート、と生徒受けの良さそうなデザインだ。制服目当てに高校を選ぶ話もよく耳にする。
駅前のワックでは、紫野学園高校の制服を着た生徒の姿をよく見かけ、彼らの過ごす放課後時間は、まさに青春の一ページのようだな、と内心憧れていた。

正気に戻ったのか、先輩たちが「一年生、楽器運ぶよ」と叫ぶ。その声に私たち一年の身体は一瞬で強張る。楽器を運ぶのは下っ端の仕事だ。
数の多い譜面台や、楽譜。何より我がパート、パーカッションは運搬する楽器が多い。

移動と運搬のみで、午前は終了した。

山奥の田舎に位置するからか、宿舎の敷地はとても広かった。
広い屋内ホール五つを中心に、各パートにわかれて練習可能な個室、大浴場や自販機の備わる休憩所も完備されている。
外にはうちの中学校の三倍ほどの広さのグラウンドが広がり、すでに他学校のサッカー部が練習に励む姿が目に入る。傍には体育館が三つ設置されていた。

周囲は木々で覆われていることからも、活動の可能性は無限に生み出せる。まさに合宿の為の施設、といえるほど立地の良い環境だ。

それだけに、少し不安になった。

「かっちゃん。こっちこっち!」
ナツは、カレーの乗ったトレーを持ちながら空席を指差す。

「人、多……」
私は机にミートパスタの乗ったトレーを置き、席に腰掛けながら周囲を見回す。

宿舎内一階の広い食堂。カチャカチャという食器のぶつかる音やラーメンを啜る音、陽気な笑い声でかなり賑やかだ。
さきほどざっと宿舎内を詮索した際に、いくつかの学校の生徒が来ていることは感じていたが、偶然昼食をとるタイミングが被ったことで、広い食堂ではあるものの、空席が見当たらないほどに人で詰まっていた。

「でも、ここ本当広いよね。多分、私たち以外にも三校くらい来てるでしょ」
あ、紫野学園高校の人もいる、とナツは額に手をかざしながら嬉々として言う。

「広いからこそ、休まらなさそうやなぁ」私はぼやく。

あまりにも整備されていることで、不安になったことだ。
ただでさえ夏戦期間は、朝から晩まで拘束されていたんだ。
それなのに、プライベートの時間まで先輩に気を遣わなければならない。
体力的にも精神的にも擦り減るであろうことは、目に見えている。

「だからこそ、たくさん体力つけないと!」
ナツはそう言うと、モリモリとカレーをほおばった。

 

***

 

昼食を終えて、午後のメニューが発表される。
私たちは、皆体操服に着替えて外に出ていた。

「この宿舎を軸に走ろうか。さっき確認してもらったけど、裏側は少し道が入り組んでるから、迷わないように気を付けてね」
部長が全体を見回しながら叫ぶ。それと共に「はい」との声が上がった。

「やっぱり、体力作りはやるんやな……」私は聞こえないような声で呟く。

「なんか、予定していた大ホールが急遽使えなくなったらしいね」
隣にいるナツは、眉を下げて答える。

普段の制服姿とは違い、体操服にジャージといったラフな格好に、髪はサイドで緩く括られている。白い肌が太陽の日に照らされてより一層映え、さらに無邪気に笑うナツの笑顔が眩しかった。

「なんか、楽しそうやな、ナツ」

「だって、こんな大自然の中走るのって、絶対気持ちいいじゃん」
そう言ってナツは大きく深呼吸する。

「隣の町にこんな場所があるなんて思わなかったな~。空気が美味しい」

確かにナツの言うように、虹ノ宮市が都会なだけに、隣町にこのような場所があるとは思わなかった。

ナツに倣って私も大きく伸びをする。森林から生産されたばかりの澄んだ空気が、肺の中を清掃するかのように流れ込む。それと共に、脳までスッと突き抜けるように洗練されたような感覚に陥った。

「確かに、空気は美味しいよね」

「でしょ?こんな中で運動するのは、きっと楽しいよ」

ナツは眩しい笑顔をこちらに向ける。それと同時に、「じゃ、みんな並んで」との声が届いた。

「ほら、かっちゃん行こう?」

「う、うん……」

ナツの笑顔を見ていると、私まで楽しくなってくるから不思議なものだ。

「本当……すごいなぁ」

「何か言った?」

「ううん。なんでもない」

紫野学園高校の人たちであろう演奏が耳に届く。みんな、無意識に関心が音に向く。
『伝説の歌姫』と呼ばれた歌手の娘であるアンリが作詞作曲した歌。夏に作られた曲であることと、彼女自身が等身大の学生であったことから、今では応援歌の定番曲となったものだ。今年の甲子園でも何度も演奏されていた。

脳に染み付くメロディラインに力強い演奏が合わさったことで、背中を押されたような感覚になり、気づけば鳥肌が立っていた。

私はパンッと頬を叩いて気合いを入れる。
普段辛いと思っていた体力作りも、環境が変わるだけでこんなにやる気になれるものなんだ。

「スタート」と声が聞こえたことで、私たちは走り出した。