8【冬森 柚葉】②




次の日の夕方。二人の姿は虹ノ宮市の駅内にあった。
休日ということで、駅周辺は家族や友人グループの姿で溢れ、列車が到着するたびに改札は人で流れる。

駅改札前の窓枠に腰掛けているリンは、縦横無尽に人がうごめく足元を見下ろして顔をしかめる。

「人がゴミのようね」

リンは某映画の有名セリフを彷彿とさせる言葉を呟く。彼女がいかに、この世界のカルチャーを勉強し始めているかが窺える。

「たかが手土産に、時間かかりすぎだろ」

ゼンゼは額に手をかざして、冬森の入っていった売店を見る。
そんな彼をリンは一瞥する。

「初めて恋人の家に訪れるようだから、時間はかかって当然だわ」

「自販機の缶ジュースとかで充分だ」
ゼンゼは唇を突き出して投げやりに言った。

突如、「パパ、あれって人形?」との声が聞こえる。つられるように顔を向けると、少女が不思議そうな顔でこちらを指差していた。

パパらしき人物はこちらに顔を向けるも、「何言ってるんだい」と少女を抱え上げて、改札をくぐる。その間も少女は、こちらをじっと見ていた。

ゼンゼは目を細めて手を振る。すると少女は、満面の笑みで大きく手を振り返す。
父親に抱えられたまま、ホーム下へと消えていった。

「開花期間中ね」

即座にリストを確認していたリンは、淡々と告げる。「でも、私の担当じゃないわ」

「運命ばかりは、仕方ない」
ゼンゼも肩を竦めて同情した。

手土産の購入を終えた冬森は、そのまま改札をくぐる。
グレーのロングコートを羽織り、ふわふわのハンチング帽を着用している。ボブヘアの毛先は軽く巻かれ、先日見た彼女よりも可憐な外見をしている。
周囲の人も、無意識に彼女を一瞥していた。

「目移りしてるのは、俺だけじゃねぇ」

さすがSランク、とゼンゼは周囲を見回しながら言う。
リンは厳しい目つきになる。

「でも、彼女は少しきれいすぎる気がするの」

「ま、それは俺も思うな」
ゼンゼは素直に同意する。

冬森は、人と接する中で負の感情を見せていない。
昨日のゼミの討論でもそうだ。彼女は自分に非難が飛ばないような選択を無意識に行っていた。
言い換えれば、人に嫌われないよう努めているようにも映る。

「そういう人を、この世界では『八方美人』と呼ぶらしい」

リンは言う。ゼンゼは口角を上げて彼女を見る。

「おまえも何だかんだ、この世界の知識がついてきたんだな」

「百戦、勝つためにもね」

ホームに電車が到着したことで、冬森は乗車する。
リンたちも隣の車両に乗って、対象の観察を始めた。

「また、尾泉」

リンは車両案内を見ながら顔を歪める。「もう、この庭には行きたくないのだけれど」

「虹ノ宮が都会であるだけ、緑を欲しがるんだろ」
ゼンゼは同情の混じる声で適当なことを言う。

「あの死神と出会わないことだけを祈っておくわ」

電車に揺られること数十分。次の到着駅が目的地であろう冬森は、マフラーを着用したりと下車の準備を始める。
リンたちも立ち上がると、出口側ドアへと向かう。

だがその瞬間、キキーッとブレーキ音が響く。続いてドオンと何かと衝突する衝撃で車両が大きく揺れた。リンたちも慌てて近くの柱につかまった。
電車は、ホームに辿り着く前に力なく停止した。

「あっぶな」
「何だ?」
「事故?」

車内が騒然とする中、「お客様と接触しました。運転再開に大きく時間がかかるかと思われます。お急ぎの中、大変申し訳ございません」とのアナウンスが響いた。

リンは、即座に窓の外を確認する。

「死神は?」
ゼンゼも窓から顔を覗かせる。

「ここからじゃ見えないわね」

「上、行くか」

ゼンゼは窓を大きく開けると、リンを抱えて電車外に出る。
周囲の人にとっては突然、窓が開かれたように映るはずだが、みんな意識が事故に向いていることで誰も気を留めない。

窓の外に出ると、そのまま電車上に飛び乗る。
前方車両に辿り着き、下を見下ろした瞬間、リンの顔は険しくなった。

車両前には、すでに複数の人が忙しなく作業していた。
白衣を着用した医者や看護師は、慌てて担架を運び、警察官は周囲を包囲したり、踏切前で交通の整備をしている。近くに大型の病院と交番が見られることから、すぐに駆けつけてきたようだ。
遠くからサイレンの音が聞こえ、すでに応援の要請もされているとわかる。

忙しなく人が作業する中、一際異質な空気を放っている人物がいた。
黒いベストを着用し、全体的にゴシックパンクな衣装を身に纏った青髪の青年。その隣には、右眼に包帯の巻かれた金髪の少女が立っている。

彼らは、警察や医療関係者の波に逆らうようにおもむろに歩く。
花が見当たらないことからも、すでに仕事は終えられてるようだ。

「これも、運命なのかしら」
リンは険しい顔で彼らを睨む。

「花が咲く時期は運命だ」
ゼンゼも同情の混じる声で答える。

リンたちの視線に気づいた青髪の青年、ベロウは、薄ら笑いを浮かべると、地を蹴って飛び上がる。
トンッと電車上まで上がると、柄の悪い猫背の姿勢でリンたちに近づく。

「こう何度も、僕の庭に来るんだ」

ベロウは、ニヤニヤした顔で問う。「赤髪、僕のことが好きでしょ」

「ありえないわ」
リンは大げさに頭を振って、突き放すように答える。

「偶然、私の管轄とあなたの管轄が隣なだけ。成績の悪いものほど、人の少ない郊外に割り当てられるということくらいは、あなたもわかっているでしょう」

死神の割り振られる庭は、研修中の成績によって左右される。
リンは根っからのエリートであったことから、難易度の高い都心である虹ノ宮を任されていた。

「あなたは本来、私とは対等に話せない立ち位置にいる低俗なのよ。格の違いをわきまえてもらえるかしら」

「傲慢だねぇ。むしろ隣ものなんだから仲良くしてほしいよ」

ベロウは肩を竦めて言う。リンの顔は一層険しくなった。

遅れて金髪の少女も電車上まで上がる。相変わらず感情の欠落したその顔に、ゼンゼは苦笑する。

「ロコ。花を咲かせるなら、せめて俺らが乗車していないタイミングにしてくれ」

「死神が電車に乗るとは、聞いたことがない」

「ま、それもそうなんだけどさ」

ゼンゼは頭を掻く。「これで対象に雑草が生えたら、また面倒なことになる」

「別に雑草が生えたところで、私たちに問題はない」

「あいつにとったら致命的なんだ」

ゼンゼは投げやりに言う。ロコは無表情のまま、小首を傾げる。

「あなたたちは、どうして手入れするの?」

「え?」
唐突な質問に、ゼンゼは素っ頓狂な声が出る。

「手入れは面倒。時間もかかる。何よりも感情が生まれて使命を放棄する可能性が上がる。それなのに」

ロコは言葉を羅列する。
ゼンゼは顎に手を当て、しばらく思案する。

「俺も初めは面倒だからって反対してたんだぜ。でも、何でだろうな」

ゼンゼは、隣でいまだベロウと言い合うリンを一瞥する。

「雑草の生えてない、環境の整った地で咲いた花を刈るのは、とても気持ちが良いもんだぜ。それに、遺恨が発生しないから後味も良い。多分、おまえは手入れされた花を刈ったことがねぇから、わからねぇんだ」

その言葉を聞いたロコはムッとする。

「ま、これもテメェの運命ってもんだろうな」

そこであっと目を見開く。
警察や医療関係者に囲まれて、膝をついて泣き叫ぶ男性が目に入る。
虹ノ宮駅で少女を抱えてた父親だ、と判断するのにそう時間はかからなかった。

「さっき、おまえらが刈った花ってよ」

ゼンゼは父親を見ながら尋ねる。「五歳くらいの、女の子どもか?」

「そうだった気もする」
ロコは、興味なさそうに答えた。

二時間ほどかかった後、代行バスが到着する。
日の短い冬であることからも、太陽はすでに西の空に沈んでいた。

乗車していた人たちは、車内から降りて線路を歩く。冬森も線路上に足を下ろすと、スマホを耳にあてて慌てて駆けていく。

外周の暗さから見失わない為にも、リンとゼンゼは、即座に彼女の後を追った。

冬森は、息を切らせて駅前に辿り着く。

ベンチでスマホを弄っていた冬森の彼氏の椿は、彼女の姿を見ると、目を細めて立ち上がる。

「待たせてごめんなさい」

「仕方ないよ。事故なんて予測できないんだから」

「でも、こんなに寒いのに」

「うん。だから、早く帰ろっか」

椿は柔和に笑うと、慣れた手つきで冬森の腰に手を当てる。

「胡散臭ぇ」

駅前の屋根からやりとりを眺めていたゼンゼは、唇を突き出して言う。「あの男なら、開花は許す」

「冗談に聞こえないわ」

「俺はいつも本気だ」

その瞬間、椿が勢いよくこちらに振り向いたことで目が合う。リンとゼンゼは思わず身体が強張る。
だが、彼にはリンたちの姿が見えていないようで、何事もなかったように向き直って再び歩き始めた。

リンとゼンゼは数秒静止し、そして目を合わせた。

「これは、対象がタイプだとか、そういった偏見抜きにしての俺の直感だが」

ゼンゼは僅かに顔を引き攣らせて言う。「あいつは危ない」

「それは、私も思ったわ」

表情、言葉、動作、匂い、空気。
五感を飛び越え、第六感で結論を出す。
死と一番近い存在であるリンたちだからこそ、はっきり感じられたのだろう。

冬森の彼氏の椿は、『死』というものに慣れている。

人が死ぬことは、周囲に絶大な負の感情を与える、という事実は、ここ一年近く人間を手入れしてきたリンにはわかっていた。
それほど打撃を与える『死』に慣れている、ということは、それだけ『死』と近い場所で生活していることになる。

警察や救急隊員、葬儀関係の職についてる人からもそういった空気は漂う。
だが今見た彼からは、全うな職から感じられる匂いとは違っていた。漠然とした感覚でしかないものの、人間が死に慣れている事実は基本、嫌な方向の兆候だ。

「開花予定日は明日だっけ」

「えぇ」

「なら今日、咲く可能性も十分にあるな」

あいつに殺されるのだけはやめてくれよ、とゼンゼは言う。

リンも胸中がざわざわしていた。

 

冬森と椿は、仲良さげに歩く。
そんな二人の後を、リンたちは緊張した面持ちで尾行する。

「何なんだろうな、この嫌な感じ」
ゼンゼは首を捻る。

「私も同じ感覚」

「少なくとも、おまえの敵側の人間だろうな」

コンビニ前で二人は静止する。
何やら話し合った後、互いに手を振ると、椿は再び歩き始め、冬森はコンビニの中へと入っていった。

リンは、足早にコンビニ内に入る。

「すみません。これ、落とされましたよ」
リンの手には、ハンカチらしきものが持たれていた。

冬森は、リンの姿を見ると、一瞬驚いたように目を見開くも、「ありがとうございます」とハンカチを受け取った。
冬森の僅かな変化をリンが逃すわけがなく、「どうかされましたか?」と間髪入れずに言葉をかける。

「いえ、以前、私の地元であなたをお見かけしたので、少し驚きました。すごくきれいな赤髪だな、と印象的だったので」

「私も以前、あなたの働く喫茶店に訪れたことがありましたので、偶然ここで出会えて運命かと勝手に感じておりました」

「偶然じゃなくて、必然だ」

遠くから二人のやりとりを眺めていたゼンゼは、即座に突っ込む。「いつの間に、対象のものくすねてたんだ」

リンは、ごく自然にハンカチを差し出したものの、おそらく観察中に声をかけるきっかけを掴む為に、手に入れていたものだ。

「でも今、気になるのは、あいつだな」

ゼンゼは、前方に歩く椿の背中を一瞥する。
通信機があるからいいか、と地を蹴ると、椿の尾行を開始した。