第二部②




机の準備を終えたタイミングでガラクが風呂から上がってきた。おかえり~とメイが声をかけたので、私もつられて視線を向けると、怪訝な顔で私を見るガラクの顔があった。

「何で、こいつがいる」

ガラクは今まさに風呂から上がったという風貌だ。いや、正しくその通りなのだが、いつも着ている学ランのような服も着ておらず、ラフな黒っぽいアンダーシャツを着ていた。腕をまくっているのが新鮮だなと思ったが、凝視するのも悪く感じて目を逸らす。
このタイミングで思い出すと変な風に勘違いされそうだが、メガネを上に忘れたことに気づいた。むしろハッキリ見えてないことで罪悪感はあまり襲ってこなかったからよかったのだが。
私の視線に気づいたのか、ガラクは舌を鳴らしながら服の袖を下ろすと、近くのソファに腰かけた。

「だって、人数多い方がトランプはおもしろいじゃん」メイはあっけらかんと答える。

「それにしても、一言声をかけろ」

「風呂入ってたからさ」

何だか肩身が狭い。しかしガラクは、ただ小言を言いたいだけなのか、私を追い返すようなことは言ってこなかったので、立ち去ることはしなかった。

メイが棚の中を探り、あれ~?と言いながら首を傾げる。

「トランプどこいったんだろう~」

メイは困惑した表情を浮かべながら、棚の中を忙しなく手でまさぐった。トランプをしようと言いながら、肝心の品がないことに苦笑した。

「ま、いっか。そこのコンビニから取ってくるね」

取りに行った方が早いと判断したのだろう。私たちの返事を待たずに玄関から飛び出ていった。
芝生を跳ねる野ウサギのように元気よく跳ねていく。そんなメイの背中を見ると、早くトランプがしたいのだろうなと感じられて、自然と頬が緩んだ。

だが、部屋に向き直って気づく。メイがいなくなったことで、今室内には私とガラクしかいない。ガラクは無言で荒々しく髪を拭いている。
物凄く気まずい。幸いメガネをしていないので視界は暗く、ハッキリと認識しないことだけが救いだった。

ガラクを一瞥する。誰が見ても美形と呼べるほどの容姿に加えて、いつもよりラフな格好なことから、変な意味でも少し緊張してしまった。それはあくまで容姿の美しさからくる感情だったので、異性だからといった意味では断じてない。だが、それにしても表にいた頃は、とてもモテたのではないだろうか。

視線を向けたのは一瞬にも関わらず、ガラクは「何だ」と顔をしかめて私に問う。
相変わらず鋭い。素直に話せるはずもないので、「別に」と言ってお茶を濁す。

「髪も乾かさないって、本当に女かよ」

前言撤回。少しでもいいと思った私が馬鹿だった。外見は良くても結局は中身の問題なのだ。

「……メイが突然来たから、乾かす時間がなかったんです。そんなこと言うならガラクだって」

「オレは女じゃない」

ピシャリと言い切る。そんなことはわかってる。
指摘されたことにより、不本意ながらもタオルで髪の水分を抑えるようにした。

ちょうどそのタイミングで、メイが元気よく扉を開け「何から始める~?三人いるから何でもできるね」と爛々と言ってきたので、縋るような思いでその言葉に反応した。

さすがにメガネなしではトランプの絵柄が見え辛いので、二人に一言声をかけて自室にメガネを取りに戻る。

そして五分後、トランプ大会が始まった。

 

***

 

結果を言えば、何をしてもガラクの圧勝だった。大富豪も、ババ抜きも、七並べも、ポーカーも。

最初は、数年ぶりに触るトランプに懐かしみながら純粋に楽しんでいた。しかし、おもしろくないほどガラクに勝ててないことに気づいてからは次第に気負い立つ。
最終的にはメイと二人で協力して、いかにガラクを一位の座から引き摺り落ろすかに力が入るが、私たちの対抗は虚しいものだった。

「イカサマしてるんじゃないの?」
痺れを切らしたメイが、地団太を踏みながらそう叫ぶ。

ガラクは自身の頭を指差し、「頭を使えばわかることだ」と火に油を注ぐので、私たちはさらにムキになった。
それでも結局この日は、一度もガラクに勝てることはなかった。

大富豪では、都落ちルールを取り入れたところ、むしろガラクの首位死守を後押しする形にしかならなかった。
ババ抜きでは、座席の順番から毎回メイがババを引かされることになり、その度にメイは叫ぶことになった。
七並べでは、意図的にカードを止められたことによって、私たちがパスを繰り返す中、平然と手札の枚数を減らしていた。
ポーカーも、何故かガラクの手札は毎回高い役が揃うことになった。賭けごとの場でもないのにロイヤルストレートフラッシュを決める人なんて初めて見た。

「昔トランプ選手でもやってたの?」

とにかく感情を発散させたいのだろう。メイはもはや投げやりに言葉をぶつける。実際今まで使用していたトランプもガラクめがけて投げつけていた。

「何だそれ」
ガラクは飛んでくるトランプを手で払いながらそう答える。

「どうしてそんなに強いの?」

「頭を使ってるからだ」

「ムキ―ッ」

反撃の手を封じ込まれたことにより、やり場のなくなった悔しさをフードの耳をギューッと握りしめることで緩和していた。それにより、フードのウサギの顔が引き攣られているように見えた。ウサギが気の毒に思えたので、まぁまぁ、と言ってメイを宥める。

図書館でガラクがいた場所を思い出す。あそこには、私が一生かかっても読みきれないほどの本が山積みになっていた。あれだけの知識が頭の中に備わっているならば、トランプで勝ち続けるのもたやすいのかもしれないな、と素直に思った。
頭で納得はできるものの私も人間なので、悔しいことには変わりなかった。

「あれだけの本を読んでいたら、頭も賢くなるよね」

どこか刺さるような言い方になってしまった。ガラクが見逃すはずもなく、何が言いたい、といった表情で私を見た。
もちろん彼の努力を否定するつもりはないので、内心焦りながら弁明の言葉を探した。

少し話題を逸らす為に、逆に質問を投げかけてみる。

「ガラクは昔から本が好きだったの?」

裏街道に来てからでもあれだけの量の本を読むほどだ。表にいた時に触れることにはなるが、素朴に感じた疑問だったので特に繕うことなく軽い調子で尋ねた。

「そうでもない。むしろあまり読む機会がなかった」ガラクは目を逸らして答える。

驚いた。本を読んでいなかった事実に対してではなく、簡単に自分のことを語ったガラクに対してだ。

「読む機会がなかった?」

その言い方に引っかかって聞き返す。まるで時間が取れなかったというように捉えられる。
しかし、この問いに対しては答えようとせずに、無言で周りに散らばったトランプを集めた。

「えっと……」と呟くも、続ける言葉が見つからない。困惑していると、代わりにメイが「まーそうだよね」とガラクの言葉に賛同するように口を開く。

メイは先ほどまで暴れていたにも関わらず態度が一変して、今はどこか感心したような顔でガラクを見ていた。その目には、尊敬といった意味も含まれているように思えた。

「そうだよねって、どういう意味……?」

私だけ事実を知らないことで、取り残されているような気持ちになったので、メイに尋ねる。するとメイはとても驚いた顔になり、私に向き直る。

「えっ、気づいてなかったの?」

その顔はむしろ何で知らないの、といったようにも見える。意味がわからず首を傾げると、メイが解答となる言葉を続けた。

「ガラク、あんなに毎日テレビに出てたじゃん」



耳を疑った。

「…………え?」

あまりにも信じ難い言葉が唐突に飛び出たことにより、私の思考回路が停止した。

ガラクがテレビに出ていた?

「…………」

隠したかったのか、軽率に他人の過去を話す行為に呆れたのか、ガラクは無言で険しい顔をメイに向けた。

「えっ、というか、逆に何で気づかなかったの、って感じなんだけど…………」

その視線に気づいたメイは少し委縮しながら、言い訳しているでもなく、ただ単純に疑問に思ったように口にする。

「ガラク、連続ドラマに引っ張りだこで、すっごい人気だったじゃん」

ガラクが、芸能人だった。

申し訳ないが、私はテレビをほとんど見ていなかったので、芸能人には詳しくなかったが、そう言われると、ここまで整ったきれいな容姿をしていることにも納得がいく。
元々素材がよかったこともあるだろうが、大勢の人から見られていたことにより、垢抜けてもいたのだろう。

「いや……まさか…………そんな世界の人だとは思わなくって……」

事実を受け入れる為に必死に脳を回転させていて、口から出る言葉まで気が払えず、知能指数の低い返答になった。
そこで、もうひとつ納得できることがあった。

だからなのか。読み聞かせの時にガラクの声から生まれる世界に浸ることができたのは。特にキャラクターのセリフを読む時に言葉の重みを感じたが、彼が元々物語の世界を生み出す仕事、演技をやっていたというならば納得がいく。

「でも、内容を理解したところで、あんなに上手く読めないよ。さすがガラクっていうか。だからガラクは読み聞かせの名人だよ」

そう言ったメイの言葉を思い出す。当時は「さすが」の意味がわからなかったのだが、今事実を知って、言葉の意味が理解できた。
最初は耳を疑ったが、確かに彼の振る舞いからも納得できる点ばかりだった。

「……ずいぶん昔のことだ。それに、今はもう関係ない」
ガラクは普段より低く、そして冷ややかな声で言った。

どんな作品に登場したのか、どんな役を演じたのか、いつから芸能界にいたのか、聞きたいことは数多にあった。

しかし、今の彼の発言には確実に、これ以上聞くなといった意志が含まれていた。それも怒りや呆れから生じた感情ではなく、むしろ懇願しているように捉えられたので、私は口を噤んだ。
メイもガラクの本心を察したのか、元々知っているのかわからないが、それ以上何も言わなかった。

そこで察する。ガラクが芸能人だったという過去が、裏街道に来るきっかけになったのかもしれない。満足に読書できないほどに忙しない生活だったのだろう。関係していないと思うことの方が難しい。それならば、なおさら触れられるわけがなかった。

「じゃあさ、裏街道に来てからたくさん本を読むようになったってことだよね。それにしてもガラクの周りには大量の本があったけど、あれだけ読むのって本当に凄いな」

少々無理のあるテンションではあったものの、話題を変える為にもそう言った。
私の心境を察したのだろう。ガラクは数秒黙ったが、私の発言に便乗して「そうでもない」と応えた。「時間はいくらでもある」

「私は今までミステリーやホラー作品しか読んだことがないからさ、今度おすすめの小説教えてよ」
実際それら以外の小説には馴染みがなかったから、いい機会だとも思った。

ガラクは哀れむような目で私を見た。私の部屋の本棚を見た母やミカにも同じ顔をされたことがあるな、と思い出して複雑な心境になる。

「ガラクは凄いよね~。ボクは字を見ると眠たくなっちゃうからさ」メイは心から感心する。

「そろそろいいだろう。もう疲れた」

ガラクは会話しながら片していたトランプを机の端に置いて立ち上がる。私は余裕綽々と振舞うガラクに視線を向け、宣戦布告の気持ちも込めて言った。

「次は必ず勝つから」

「フラグ立てるのはやめとけ」

ガラクは鼻で笑うように適当にあしらって、部屋から出ていった。

どれだけの時間トランプをしていたのかわからないが、私も少し疲労を感じていた。特に後半は、打倒ガラクのせいでかなり頭を使ったのでそれも影響しているのだろう。結局打倒することは敵わなかったが。
濡れていた髪も、すっかり乾いていた。

脳を休息させよう、とメガネを外して情報を遮断した。

裏街道では食事はしなくても平気だが、動けばその分、眠気は襲ってくる。
例えるならば、使用すればバッテリーは減るが、充電すれば復活するスマホやパソコンといった電子機器のように、睡眠を取れば回復する仕組みなのかもしれない。
まるでロボットのようだな、と苦笑する。

「アリス、そろそろ裏街道の生活に慣れてきた?」

メイも疲弊している様子だ。トランプを棚に片づけながら、どこか間伸びした声で言った。

「まだ慣れるまではいかないけど、少しずつ理解はしてきたよ」

だが、やはり明かりがないのは不便だ。人間が情報を得るのは、八割以上は視覚からだとどこかで聞いたが、確かにその通りだと実感していた。とはいえ、メガネをかけていれば問題ないのだが。

「でも、暗いと落ち着かない?夜とかにテンション上がるタイプではないの?」

「確かに暗いと落ち着きはするかな」それは素直に共感した。

「だよね。ここは誰の目を気にすることもないし、欲しいものだって何でもある。生きていくには不自由しない、最高の世界だよ」

メイがとびきりの笑顔でそう言ってきたので、「うんうんそうだね」と言って波長を合わせた。

途端、メイはプツンと電源が切れたかの如くその場に倒れた。
何が起こったのかわからずに慌ててそばに寄ると、倒れた状態のまま寝息を立てて眠っていた。
あまりに唐突に眠り始めるので、愛しさからも自然と頬が緩んだ。

しきっぱなしだったふとんを整え、その上にメイを寝かせた。抱えている間も一切起きる様子がなかった。こんなに体力ギリギリまで全力を出して遊ぶなんて本当に子どもだなぁ、と少し微笑ましく感じる。

ふとんで寝息を立てて眠るメイを見つめながら、実の弟を思い出していた。
弟のタクマは私と十歳差があり、メイとほぼ変わらない年齢だ。こんなに人懐っこくはないが、それでも歳の近いメイを見て、思い出さざるを得なかった。

タクマは今、田舎で元気にやってるだろうか。今年は私が田舎に行くことができなかったので、代わりに両親のお手伝いを少しでもしていればいいのだが、小学二年生男子というわんぱく盛りな時期でもあるので、あまり期待はできないな、とも思った。

ぼんやりと家族のことを考えていると、無意識にあくびが出る。
私も自室で休もうとメイの部屋を出た。