第一セメスター:五月➀



 天文部に入部して一ヶ月経った五月。新歓ムードは抜け、本格的に活動が始まっていた。
 天文部の活動は、火曜日と金曜日。イベントが近いと土日もあるみたいだ。 
 今年の新入部員は約三十人。全体で百人未満の部員数。部活動にしては多い方ではないのか。言い換えれば、それだけロマンチストが多いとも言える。
 男女割合は、七対三と比較的男性が多い。一年生も女は私合わせて五人だけだった。

「連絡は終わり。じゃ、班活動開始ね」

 ミーティング後、教壇に立つ土屋さんは言った。その声を合図に、皆席を立って活動教室へと向かい始める。

「展示班の一年生、材料運ぶの手伝ってくれるかな」

 展示班長がそう声をかけると、展示班の一年生たちは彼の元へと集まる。

「じゃ」

 隣の月夜も、軽く手を掲げながら、展示班長への元へと向かった。

 灰葉大学の天文部では、基本的に解説班、展示班と二つの班に分かれて活動する。
 解説班は、プラネタリウムやスライドショーの解説を行う表立って活動する班。対して展示班は、イベントで使うスライドショーや掲示物など展示物を作成する裏方の班。

 私は、解説班を希望した。正直人前で話すのは得意ではないが、プラネタリウム解説は昔から少しだけ憧れていた。

 そう、だから決して、土屋さんがいるからという理由では、ない。

「空ちゃん。聞いてる?」

 ふっ、とラベンダーの香りで意識が戻る。
 気づけば目の前に、土屋さんの顔があった。

「ヒッ、土屋さん!」

 脊髄反射でのけぞると、土屋さんはフフッと頬を緩める。

「え〜ひどくない? その反応」

「せっ、先輩がいきなり覗き込むから!」

「空ちゃんが、ぼーっとしてるからだよ」

 土屋さんは、くすくす笑ってる。私はハッとして周囲を見回す。

 皆、すでに活動教室へと向かっているようで、この教室には、私と土屋さん、副部長しかいなくなっていた。

 私は、慌ててカバンを持ち、立ち上がる。

「す、すみません……」

「ふふっ、今日もよろしくね」

 土屋さんは、軽く手を振りながら教壇へと戻る。私は、無意識に彼の薬指を見ていた。

 やっぱり、ない。指輪をつけてない。
 昨年、初めて土屋さんに会った時は、確実につけていた。

 薬指に指輪なんて、中々気軽につけれないものだ。
 今はつけていないってことは、やはり……そういうことだろうか。

 頭をブンブンと振る。だから一体どうした、という話だ。土屋さんが彼女と別れたからと、私には関係ない。
 私は、土屋さんに憧れているが、好きなわけじゃない。
 そう言い聞かすも、無意識に口元が緩む。心の中に引っかかっていたとっかかりが消えたような感覚だった。

「私って、こんなによこしまな女だったのかな……」

 パーカーに顔をうずめながら、活動教室へと向かった。



***

「空、聞いてる?」

 ふっ、とシャボンの香りで意識が戻る。
 気づけば目の前に、月夜の顔があった。彼女の片側に流された柔らかい髪が揺れる。

 デジャヴかと思った。相変わらず、月夜の表情から感情は感じられない。

「……えっと、何?」

「昼食で食べた定食の唐揚げ、少なかったよねって話」

「いや、どうでもいい」

 思わず口に出た。道理で、耳に引っかからないわけだ。

「真面目な話。きっと時間遅くて揚げるの面倒だったから、量を調節してたのよ」

「はいはい。これからは早めに食堂行こうね」

 今日の活動を終えて、バス待ち中。大学は山付近にあり、駅まで向かう手段はこれ一本の為、バス停には活動終わりの人たちが五十人近く並んでいた。

 時刻は、午後八時。すっかり日も落ちていた。

「今日の展示班は、何してたの?」私は問う。

「月末の観望会に向けての、スライド作成とか。まぁ、私たちは、雑用だけど」

「やっぱ、そうだよねぇ」

 解説班も、月末の神社での観望会に向けてシナリオを作成していたが、一年生は、当日の案内係などの雑用のみ任される予定だ。

「それなのに、来週までにシナリオ提出だって」

「課題は出されるわけだ」

「展示班は、課題ないの?」

「一人で作るものでもないし」月夜は肩をすくめる。

「でも、楽しそうじゃん。やっぱ土屋さん?」

 はたと静止する。恐る恐る月夜を見ると、案の定無表情だ。

「何……? いきなり……」

「だって空、土屋さんのこと、好きでしょ」

「別に、好きとかじゃないよ」

 一瞬で汗が噴き出した。月夜は、無防備な状態でピンポイントで急所を突くところがある。あまりにも不意打ちだ。

「た、確かに、土屋さんがいたからこの大学に来たけど……でもそれは、私の夢を叶えたかっただけで、恋愛とかそういう感情じゃ、ないよ……」

 自分に言い聞かせるように弁解すると、月夜はふと、空を見上げる。

「でも、土屋さんは、多分空のこと気に入ってるよ。空にだけすごく話しかけてるし」

「いや……、多分それは、違う」

 私は苦笑しながら首を振る。「揶揄われてるだけだよ」

 土屋さんは、私がこの大学を志望したきっかけを知っている。少なくとも私が土屋さんを意識しているとは、彼は自覚しているはずだ。

「俺も大好きだよ、空」

 ぼっと赤面する。あの時のいたずら少年のような顔を忘れない。思えば、あの日から土屋さんによく話しかけられるようになった。

「私の反応が面白いから、遊ばれてるだけ」

 土屋さんはオシャレで振る舞い全てに余裕が感じられる、私とは次元が違う大人だ。まだ幼い子どもをつついて反応を楽しんでいるだけだ。

「まぁ、ぶっちゃけ、女慣れはしてそう」

 月夜は、冷静に頷く。無意識に頬が痙攣した。
 名前呼びや、距離感がおかしいところから、悔しくも同意してしまった。

 そう、私は揶揄われてるだけだ。
 彼に弱みを握られているから、利用されてるだけだ。
 例えるなら、バレンタインデーでチョコを貰った男の子のような優越感があるのかもしれない。こっちに好意があるから、すでにわかりやすい優劣関係が出来上がっている。

 自分で言ってて悲しくなってきた。でも、現実って大抵、そんなものだ。

 だが、土屋さんに話しかけられることが嬉しくもあった。
 今までまともに恋愛経験がないので、変な勘違いする人もいるはずだ。

 少なくとも、彼の言葉でこの大学に来た人間が、ここにいるのだから。

***