第三セメスター:四月➀



「天文部でーす」

桜舞うキャンパス内は、浮ついた空気で溢れていた。そこら中で笑い声が聞こえ、歩道は緊張した面持ちで歩く新入生、脇にはチラシを携えた上級生で溢れている。たまに「新入生と間違えられちゃった〜」と満更でもない高い声が上がる。
私は、そんな花道を歩く人たちに声をかけながらチラシを配っていた。

二年生になり、新入生歓迎イベントが始まっていた。
手元にあるチラシは、昨年は天文部だけのチラシを受け取り、一昨年はバイト先の先輩から譲り受けたものだ。そんな過去が、遠い昔のようにも感じる。
憧れていた天文部の一員として、チラシを配る側になっていることに、妙な歯がゆさを感じた。

「どうぞ」
月夜は、無表情でチラシを差し出す。最低限の言葉しか発さない愛想のない彼女だが、艶のある髪に雪のように白い肌と生まれ持った美貌から、男性を中心にチラシがはけている。

「天文部です。一緒に星を観ませんか」
月夜の隣に立つ金城は、爽やかにチラシを渡す。普段通りのシワのないシャツにプリーツパンツ。革靴も磨かれている。出来過ぎた営業スマイルだ。ある意味、月夜とバランスが取れているのかもしれない。

チラシ配りなどの雑用は基本、二年生の仕事だ。三年生は、ブースでお菓子を食べながら談笑している。お気楽なものだ。
だが、部長だけは違った。

「天文部です! 夜に山にいって星を見たりするよ! 青春したい人はぜひ!」
火野さんは、通る声でハキハキとチラシを配る。
雪解けたとはいえ、まだ寒気の残る気候だが、火野さんは薄着のカーディガンにショートパンツと活発なスタイルだ。彼女のハツラツとした笑顔に、新入生は眩しそうに目を細めてチラシを受け取る。
そんな彼女を横目に見る。

最初こそ、土屋さんの元彼女ということで嫉妬してしまったが、今では純粋に彼女を尊敬していた。
火野さんは、理系であるだけ、思考がハッキリしている。サバサバしたさっぱりした性格が寧ろかっこいいとすら思うようになった。純粋に、彼女は良い人だ。
それと同時に、当時の私の小ささにいたたまれなくなる。

「天文部でーす。新入生はなんと、飲み会タダだぜ~」
天草が特徴のある声でチラシを配る。壁を感じさせない大らかな雰囲気のある彼と、宣伝文句につられた新入生が続々とブースまで訪れた。

「おい天草、俺らはタダじゃねぇんだぞ」
続々とブースに訪れる新入生に驚いた三年生たちが、引き攣った顔で天草に釘を刺す。

「まーまー、先輩らには、すげぇ世話になったからさ」
人多い方が楽しいじゃん、と天草は笑った。そんな太っ腹な彼に、三年生たちは何も言えなくなっていた。

天草の気持ちには少し共感した。不思議なもので、人に与えられると返したくなる気持ちが少なからず生まれるようだ。高校生までは、誰かにおごられる、といった交流がなかったので、大学に来てから気付いたことだ。
これこそ、日本人特有の「マジメ」な部分なんだろうな、と苦笑した。

――――空ちゃんが先輩になった時に、後輩にしてあげて。

ふと、過去に言われた言葉を思い出した。
だが、彼のことを思い出すと、少しだけ顔が曇ってしまった。

***

天文部の活動を終え、茫然と空を眺めながら帰宅路につく。
今夜は雲もなく透き通った晴れ空。頭上には、北斗七星から牛飼い座のアルクトゥールスにおとめ座のスピカと春の大曲線が伸び、右に位置するしし座のデネボラで春の大三角が形成されている。これらの並びを見ると、春が来たなと実感できるものだ。

今夜もベランダから見るぞ、と予定を立てると、帰宅してすぐ浴室へと向かった。
だが、服を脱いで目に入ったその跡に、楽しい気分が一瞬で崩れた。

クリスマスの時に、土屋さんにタバコでつけられた火傷の跡。今もくっきりと残り、消える様子もない。この先消えることなく、一生残るのだろう。

浴槽に足を入れると、いまだにじんわりと痛みが伴い、肌が引きつる感覚がある。無意識に顔が歪む。もう慣れた痛みとはいえ、やはり肌の焼けた跡は痛々しかった。

土屋さんは、太ももにできた跡を見るたび、満足した。
たくさん好きと伝えてくれるし、たくさん私を求めてくれる。ストレートに好意を伝えてくれる土屋さんからは、素直に愛されていると実感できた。
だが、それと同じくらい、土屋さんが怖くなった。この跡も、愛ゆえの行動だと伝わったからだ。

浴槽の湯に深くつかりながら、思い返す。クリスマス以来、土屋さんの愛情表現が少し過激になった気がした。
一度、バイト終わりに会った際、指輪を付け忘れてすごく怒られた。バイト中は外さないとダメだと伝えたところで拗ねたままだった。こんなことなら消えない跡をもっと見えるところにつけるべきだ、と口にされた時には、流石に必死に謝り、拒絶した。

これが通常なのだろうか。私は誰かと付き合った経験がないので、どこまでが一般的なのかがわからない。
だが、恐いと思いながらも今でも一緒にいるのは、土屋さんに愛されてることが嬉しいからだ。

この先、これほど愛してくれる人と出会える気がしない。
この先、これほど大切にしてくれる人と出会える気がしない。
私を求められることが嬉しくて、今も一緒にいるんだ。

***