第四セメスター:十月➂



「今日のイベント、お疲れ様〜! 乾杯!」
 
 部長の火野さんが、そう声を上げると、乾杯とそこらでグラスのあたる音が鳴る。

 私は、天文部の飲み会に参加していた。
 結局あれ以来、土屋さんに会わないまま、イベント後の飲み会に来ていた。
 連絡はしているが、正直、会いたくない。また会ったら、次は何されるかわからない。

 天文部でのイベント後、飲み会に参加する。月夜も部活動に復帰している。天文部の皆といる今だけは現実を忘れたかった。

 今までに二次会に行ったことがない。彼氏を気遣ってのことだが、今回は気晴らしも込めて参加予定だ。

 通知が鳴った。相手はわかっていたのであえて見ないふりしてた。
 だが、思わず目に入った。

『今、飲み屋の前にいるよ』

 背筋が凍った。スマホを見て静止している私に、月夜も覗き込むと、「すごいね」と真顔で言った。

「お迎えしてくれるなんて」

「いや、お迎えじゃない」

 私は、露骨に顔を歪める。「というか、今日どこの飲み屋に行くかも伝えてないんだけど」

 表情が強張ったままだった。そんな私に、近くにいた天草や金城も気づく。

「おい倉木、どうしたんだ?」

「い、いや、なんでもないよ……」
 できるだけ笑顔で返すが、顔が引き攣っているとわかる。隠せてるわけないが、この楽しい飲み会の雰囲気を壊したくなかった。

 明らかに様子がおかしいはずだったが、気を遣ったのか、二人はそれ以上言及しなかった。

 しばらくメッセージに気付かないふりをして飲み直す。だが、頭はずっとメッセージのことばかり考えていた。
 どこからか「あっ、土屋さんじゃないっすか!」と声が聞こえたことで、現実に引き戻された。

 人の集まる方へ顔を向ける。輪の中心に、スーツ姿の土屋さんがいた。彼は元部長でカリスマ性があった。実際私も彼がいたからこの大学に入った。その為、先輩や同期たちからは、かなり慕われ、この飲み会にも歓迎されていた。

 久しぶりのOB登場に皆が騒ぐ中、自分だけは顔面が強張っていた。
 私の視線に気づいた土屋さんは、こちらを見て目を細める。

 途端、私は立ち上がり、土屋さんの元まで行った。そのまま腕を引っ張り、店の外に出た。

「何、しにきたの?」
 声を低くして問う。

「偶然、近くを通ったからさ。後輩たちの顔を久しぶりに見ようと思って。後輩に聞いたら飲み屋教えてくれたからさ」
 土屋さんは、さらりと説明する。明らかに私目当てであるはずなのに、平然と言ってのける神経がわからない。

「飲み会ももう終わりでしょ? 一緒に帰ろう」

 土屋さんは言う。口元に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。
 せっかくの空間なのに、邪魔された感覚だ。
 私も人間だ。少なからず、怒りはあった。

「……帰らない」

「え?」

「今日は、二次会も参加するから」

 そう言うと、土屋さんの空気が変わった。後輩の前の顔ではなく、私と一緒にいる時のモードに入った感覚だ。

「どういう意味……? 二次会なんて、今まで参加してなかったじゃん」

「だからだよ。今回は参加する」

「わざわざ来てあげたのに、俺より部活優先するんだ」

 プツン、と何かが切れた。
 私は、顔を上げると、顔をくしゃくしゃにして土屋さんを睨む。

「来て、なんて言ってない……!」

 声を上げて怒鳴る。そんな私を冷ややかな目で土屋さんは見ていた。

「何で来たの!? 私の時間全部を昴に捧げられないよ。ずっと昴のことばかり考えてられないから!」

「あの〜、どうかされました?」

 ハッと目が覚める。振り返ると、アルバイト店員さんが、様子を伺うようにこちらを見ていた。店の入口には、天文部員が数人、こちらを伺っている。

 気づけば頬には涙が伝っている。無意識に泣きながら声を張り上げていたようだ。

「す、すみません……すぐに戻ります」
 私は、顔を隠すようにして涙を拭う。

 最悪だ。こんな醜態、皆の前で晒して。

 私が泣いてもなお、土屋さんは自分を優先する。もう耐えられない。今は冷静に話ができる気がしなかった。

「とにかく、今日は帰らないから……」

 深呼吸した後、そう言うと、私は店内に戻った。スマホが鳴っているが、今は見る気にもならない。

 席に戻ってきた私に、話していた天草や金城たちは、驚いたようにこちらを見る。
 先ほどと変わらない席に一人、月夜だけは静かにワインを飲んでいた。いつもと変わらない彼女にどこか冷静になった。

 月夜は、私を見ると、近くにあったお冷を手に取り、私に差し出した。

「これ、さっき入れたばかりだから、冷たいよ」

 月夜は、淡々と言う。
 冷静な彼女の瞳に、スッと熱が冷める感覚になった。

「あ、ありがとう……」

 私は、差し出されたお冷を口にする。体内に冷水が駆け巡り、脳の血管が冷やされる感覚になった。

「ごめんなさい。皆の前でこんな……」

「別に。男女の揉め事なんて、よくあることだわ」

「よくあることなのかな」

「よくあることだよ」

 月夜は、二度言った。
 いつでもどんなときでも彼女の周りだけは同じ時間が流れている感覚だ。彼女は騒がしい場所は苦手だと言っていたが、仕事上、騒がしい場は慣れてはいるのかもしれない。

 騒動に気づいた火野さんが、グラスを持ちながら私の元まで来た。

「空ちゃん。大丈夫?」

「は、はい……すみません、飲み会中に、こんな……」
 私は、歯切れ悪く返事をする。まさか部長の火野さんにまで心配されるとは思わなかった。

 火野さんは、美味しそうにビールをグビッと飲み、はーっと息を吐くと口を尖らせる。

「昴も、さすがに飲み会まで来るのはないね。空ちゃん、執着されてるんじゃない?」

 火野さんは言う。そこで、ふと、火野さんが土屋さんの元彼女であったことを思い出す。

「火野さんが付き合ってた時も、こんなことあったんですか?」

 気づけば尋ねていた。今までは嫉妬から聞く勇気がなかったが、今はもはや嫉妬という感情すら失っている。

 予想外の質問だったのか、元彼女であることが知られていると思わなかったのか、火野さんは数秒目をパチパチさせると、「そうだね〜」と天井を見上げた。

「実はあたしも一度、飲み会の時に昴が店まで来たことがあったの」

「そうなんですか?」

「うんうん。空ちゃんみたいに言い合いになったよ。ほら、あたし思ったこと何でも言っちゃうからさ」
 あ、部活じゃなくて研究室の飲み会ね、と火野さんは付け足す。

「でも、昴ってあんな見た目でかなり一途じゃん。まっすぐだったし、それが嬉しかってさ」

「火野さんは追われるより、追うタイプかと思ってました」

「本来はそうだけどね」

 火野さんは無邪気に笑う。「やっぱり、愛されるのは嬉しいの」

 私と同じだと思った。自分の感情を、想いを、恥ずかしがることなくまっすぐに伝えてくれる人なんて中々いない。

 そこでふと、ある疑問が浮かんだ。

「でも、ちゃんと別れられたんですね」

「ちゃんとって」火野さんは苦笑する。

「そうだね。まぁ、簡単に言えば、あたしが別の人を好きになっちゃったからなんだよね」

 火野さんは、やり辛そうに顔を逸らす。

「少し周りを見れば、私のことを大事に想ってくれてる人は他にもいたんだって気づいたからさ」

***