序章『永遠の終わり』②




「え、ユイ。何その指輪!」

突如、教室内に声が響き、反射的に身を屈める。クラスメイトの視線がチクチク刺さった。
しかし、口にした本人は全く気づく様子もなく、目を輝かせて私の席まで近寄ってくる。
元凶に顔を向ける。彼女は友人の海堂 菜々美(カイドウ ナナミ)だ。

「嘘でしょ!いつの間に!?」

「あのっナナミ、声……」

私は指を立ててシーッと合図をした。そのおかげで彼女は、ようやく周囲の目に気づいたようだ。

「ごめんごめん。だってびっくりしたからさ」

ナナミは頭を掻いて舌を出した。これが彼女なので慣れてはいる。

緩いウェーブのかかった栗色の髪が揺れるのに合わせて甘い香りが舞う。第二ボタンまで外された胸元からは、季節に合わせたカラフルなフルーツモチーフのネックレスが覗く。彼女はひと目でカースト上位生、と見て取れる人物だ。

今は授業合間の十五分休憩中。ナナミは躊躇いもなく私の前の座席に腰を下ろし、身を屈めて顔を寄せた。

「でも、どうして指輪?」

「えっと、実はまた呼び出しされてさ……」

「あのメガネちゃん、まだ諦めてなかったの!?」ナナミは目を丸くして叫んだ。

一瞬で声のボリュームが戻ったことに苦笑する。彼女に内蔵されている声量レバーは壊れているようだ。

「リョウヘイが言うには、恋人がいないからワンチャンあるんだと思われてるんじゃないかって。だから、むしろ彼氏がいることにすればいいって協力してくれたんだ」

「それで、その指輪?」

「ぐ、偶然懸賞で当たってさ」

心配をかけたくなくて、ポストに入ってたことはあえて伏せた。ちなみにリョウヘイにもこのように伝えていた。

ナナミは一瞬、ポカンと口を開けるが、ブレスレットの音をじゃらじゃら鳴らしながら左手を私に向ける。
薬指を見ると、私と同じデザインの指輪がつけられていた。

「ナナミもつけてるんだ」

「そーだよ。でもこの指輪って結構高いらしいじゃん」

調べてないからわからないけど、と肩を竦めるナナミ。社会人の彼氏だからこそ、高価な指輪でもつけられるのだろう。

「『永遠印』、確かに優待目当てで恋人同士じゃなくてもつける人はいるよ。でもね、これはなるほどな~って思った仕組みなんだけどさ」

ナナミは、胸ポケットからスマホを取り出すと、電源を入れて優待アプリを起動した。私も昨日、ワックで使用したものだ。
アプリホームに描かれているキューピッドをタップすると、優待一覧が表示される。私のスマホにインストールされている優待よりも、はるかに数が多い。

「優待を使うほど種類が増えていくの。それに利用するには二人一緒でないとダメ。つまり、恋人同士でなくても、優待を使えば使うほど仲が深まり、『永遠』を感じられる存在になる、そんな指輪なのよ」

「はぁ……」私は生返事をする。

ナナミは、ニヤニヤした顔で私を見る。

「リョウヘイくん。案外、満更でもなかったりして」

「そんなこと……!」

「だって、いくら協力の為とはいえ、薬指に指輪なんて中々つけられないよ。それって勘違いされてもいいってことでしょ?」ナナミは顎に手を添える。

「それは、私とリョウヘイは幼馴染だからで……」

「しかも普通の指輪じゃなくて『永遠印』だからね!?外しちゃだめだなんて条件もあってさ、普通、少しでも嫌だったらつけないよ」

「いや、そこは確かに突っ込まれたけど……」

ナナミの勢いに気圧されていた。彼女は「こうに違いない」と考えると、その思考しか見えなくなる猪突猛進なところがある。それに普段、私が恋愛絡みの話をしないだけに、ここ最近で一番輝いて見えた。

確かに、リョウヘイから恋人の話は聞かないと感じていたが、幼馴染が困ってるから助けた以上の感情があるとは思えない。

「そもそもリョウヘイも、恋人がほしいと思ってるようには見えないんだけど……」

昨日の会話を思い出していた。彼女について尋ねた際の彼の返答は、アッサリしたものだった。
しかし、なおもナナミの瞳に宿る光は消えない。

「恋愛に興味がないのはユイだけだよ。健全な男子高校生が、異性に全く興味ないとでも思ってるの?」

「リョウヘイはだいぶ捻くれている」

「でもあたしは、彼に好意を抱いている人は何人か知ってる」

ナナミは勝ち誇ったような顔を私に向ける。さすが彼女は、その辺りの情報は把握しているようだ。

「彼、外見良いのにさ、今まで一度も彼女らしき人といるところ見たことないし。それって彼女を作らなかったってことでしょ。ううん。作れなかった、が正しいのかもね。彼氏作らないって言ってるユイをずっと近くで見ていたから何も言えなかったんだよ」

「それは……わからないけどさ……」

ナナミの言葉自体は理解できなくはないが、それでも私は納得できなかった。

「リョウヘイくんが嫌いなわけじゃないんでしょ?これを機に、本当に付き合っちゃいなよ」

私の思考を砕く、とんでもない言葉が飛んできて思わず顔を上げる。

「私は彼氏は作らないって……」

「わかってるわかってる、もう聞き飽きた。でもさ、本当に一生、独り身で生きてくつもり?」

ナナミに問われて口籠る。そんな私に、彼女は間髪入れずに言葉を投げかける。

「そりゃあたしは高校卒業してもユイと遊びたいって思ってるけどさ、でもいずれ彼と一緒になって家庭ができたら、中々会えなくなるかもでしょ?そうなった時、ユイは一人で耐えられるの?それにユイ自身が恋愛で嫌なことがあった訳じゃないじゃん。一度くらいは経験してみるのもいいんじゃない?」

ナナミはずばずば口にするが、突き放しているようには捉えられない。
圧倒されたのもある。私はしばし黙り込んだ。

そのタイミングでベルが鳴り、ナナミの座る座席の人物が怯えた様子でこちらに近寄る。
ナナミは軽やかに「あはっごめんね~」と謝り、席を立った。

「でも……お姉ちゃんのこともあるし……やっぱり怖いよ」

私の言葉を聞いたナナミは、振り返って肩を竦めた。

「高校生でいられるのは今だけだから、一応言っただけ。ま、ユイが恋愛どころじゃないってのは、重々理解してるからさ」
だからこそ驚いたんだよ、と笑いながら自身の席へ戻る。

彼女の背中からは、全て吐き切ってスッキリとした爽やかさが漂っていた。
その反面、私の中には、もやもやした感情が溜まった。

***

「ごめんね……。実はそういうことで……」

人気のない廊下に、私の声が静かに響いた。
目前にいる彼は、私の言葉を聞くとわかりやすく肩を落とす。元々線が細いだけにさらに小さく見える。

「そ、そっか。キミたち普段からよく話してたもんね……。でも、やっぱり信じられないな……あれだけ恋人作らないって言ってたのに」

私の顔は強張った。
やはり突っ込まれてしまった。今まで恋人作らないと断っていただけに、信用されない懸念は生じていた。

「でも、その指輪……今、話題のやつだもんね、信じるしかないんだよね……」

彼は、私の指につけられた指輪を一瞥して呟くと、背を向けてこの場を去った。

左手に目をやる。私は知らなかったが、ナナミもつけてたくらいだ。結構話題の品なんだと実感した。あの様子だと、彼が指輪の送り主という訳ではなさそうだ。

嘘を吐いて罪悪感は募ったが、この指輪のおかげで誤魔化せた。
初めは疑っていたが、優待も本物だった為、指輪を手に入れられてよかったとすら思い始めていた。

そこで警鐘が鳴る。

禍福は糾える縄の如しの言う通り、私が波を求めず平穏を望んでいるのは、良いことがあれば悪いことが起こると考えているからだ。
今までの人生振り返ってもそうだ。例え私自身が気をつけていたとしても、偶然幸運が訪れると、必ず不運がやってきた。

だからこそ、指輪を手に入れた反動は何か来ないのか、少しだけ不安にもなった。

とはいえ、少なくとも条件通りに使用していれば何事もないはずだ。信じてないとはいえ、道に逸れるのは私の道理でない。
リョウヘイにも迷惑をかけている点は気がかりだが、夏休み入るまでの期間だけだ。せめてつけている間は、生活に必要な優待は利用したい気持ちもある。

今日はスーパーでたまごが特売だったと思い出し、急いで別館を出た。

 

***

 

「ただいまー……」

しんとした家の中に反響する。返答がないのはいつものことだ。
下駄箱上の写真立てを一瞥して、リビングに向かう。

ソファにスクールバッグを置き、スーパーで手に入れた品を机に並べる。テレビをつけると、夕方のニュースが流れた。
「若者に相次ぐ意識障害」といった文字が目に飛び込む。確かに最近よく目にするな、と思いながら夕食の準備を進めた。

帰宅すると、ニュースを見ながら、夕食の準備を行うのが習慣だった。

無事、特売のたまごを手に入れたので、今日はオムライスを作った。ふたつ完成し、ひとつはラップをかけて冷蔵庫に入れた。ソファに座り、ニュースを見ながら口にする。
自炊をはじめてまだ一年経っていないものの、少しずつ自賛できるほどにはなった。

無心で食事をしている時、リョウヘイから着信がくる。口に含んだごはんを胃に押し込んだ後、スマホを耳に当てた。

「あ、ユイ。今日どうだったよ?」

「何とか誤魔化せたみたい。でも、彼の様子だと、明日あたりリョウヘイの元に確認に行くかもしれない……」

「そりゃ、四回も告白した相手に彼氏ができたら信じたくはないわな。オレだって狙ってた限定モデル売り切れた時は世界を疑ったもんだ。まー適当にやっとくから安心しろって」リョウヘイはあっさりと言う。

彼の心遣いにお礼を言って、電話を切った。
私は食事を済ますと、食器を片づけて階段を上がった。

二階には二つ部屋があり、ひとつは私の部屋、もうひとつは姉の部屋となっている。
私は姉の部屋のドアに顔を近づけ、軽くノックをして声をかけた。

「お姉ちゃん……今日はオムライスを作ったから、お腹が減ったら食べてね。夏場だし、冷蔵庫に入れてあるから」

ドアの隙間から明かりが漏れているので、中にいるのは確実だが返答はない。これもいつものことだ。私はそのまま隣の自室に入った。

室内は湿気が充満していた。リモコンを手に取り、エアコンの電源を入れると、心地良い風が流れてきたので、しばらく身体の熱を冷ました。

七つ上の姉は、ここ六年近くはあの調子だ。原因は、恋愛関係からきたものだった。
姉は美人で頭も良く、大学も特待生で通っていた。心理学を中心に学び、将来はカウンセラーという明確な目標も掲げ、実の姉ながらとても尊敬できる憧れの存在だった。

しかし、突然豹変したように、姉は私に恋愛を否定する話をするようになった。
私に「現実」を教える為に、と言いながらも、扱いは恋人への鬱憤を晴らすサンドバックのようなものだった。
全て吐き出した後は、そのまま部屋に閉じ籠り、大学も辞めてしまった。

当時小学生だった私には衝撃が重く、そのせいで無意識に恋愛というものから避けるようになった。
男の人が怖い訳じゃない。ただ、「恋人」という関係になった時に生じる変化に怯えていた。

――――ユイ自身が恋愛で嫌なことがあったわけじゃないじゃん。一度くらいは経験してみるのもいいんじゃない?

確かに私自身、恋愛で嫌な経験をした訳じゃない。ただ身近に、恋愛で人生が崩れた人物がいる。

ただでさえ去年からは、身の回りのことは全て自分で行わなければならない環境下だ。高校生の私には、現状維持に努めるだけでも精いっぱいだった。

それに今年は受験もある。私は姉のように賢くなく、特筆する特技もない。
恋愛をしてる場合ではない、という焦りもあった。
スマホが鳴った。ナナミからメッセージが来たようだ。

「え?」

しかし、そこに書かれている文字に思考が停止した。

急いでナナミに電話をするが繋がらない。
漠然とした不安が襲う。ナナミの家は、ここから十五分ほどの距離なので、直接会いに行った方が早い。

その考えに至った時には、家を飛び出していた。

 

***