屋台の食べ物を適当に購入し、広場前のベンチに座った。
「すごい、たくさん買ったね」
私はハヤミくんの両手に抱えられたものを見て呟く。いか焼き、たこ焼き、お好み焼き、串カツ、から揚げ、屋台に出されてるものあらかた購入したのではと疑うほどだ。
「普段からこれだけ食べてるからね～。むしろ風嶺はそれだけで足りるの？」とハヤミくんは私の手に持たれたきゅうりに視線を向けた。
「きゅうりって、冷たいし、ボリュームもあるし、安いでしょ」
「それは否定しない」
ハヤミくんは笑って答える。そこで我に返る。
昔、リョウヘイに「きゅうりには、栄養素がほぼないから邪道だ」と言われたことを思い出した。今日は一応デートという形なだけに、りんご飴とかの方が可愛げもあったはずだ。
私は赤面する。リョウヘイ以外の異性と二人で遊ぶ経験がなかった為、どのような振る舞いが適切かが全然わからない。
「でも、また後で店回りたいかも……」挽回するように尋ねた。
「全然！九時くらいまでは屋台出てるからな～ゆっくりすればいいよ」
ハヤミくんは特に気にせず、購入したものに手をつけていた。
目前の広場では、力強い和太鼓の演奏が始まる。演奏に合わせて広場は人で溢れた。いつの間にか周囲は暗く、日も落ちていた。
「ここの祭り、すごいたくさん店あるよね。屋台でお化け屋敷とか初めて見た」
私はずらっと並ぶ屋台を見ながら感心する。
「神社内が広いからね。それでも前より人は増えた気がするな」
「昔からやってるんだ？」
「うん。アスカも結構祭りとか好きで、昔はよく来てたんだ」
唐突にモモヤマさんの名前が飛び出して言葉につっかえる。
「モ、モモヤマさんが……意外っていうか……」
「アスカは表情が変わり辛いからな。静かだなって思ったら、真剣な顔で水あめ練ってたりするし」
ハヤミくんは笑いながら話す。私の顔は強張った。
「最近は来ないの？」
ハヤミくんの顔色を窺いながら、おそるおそる尋ねる。
「そうだな。オレが野球始めてからは、毎年この時期に練習あったから、中々」
「また、誘ってあげたらいいんじゃないかな」
気づけばそう言っていた。
ハヤミくんは、一瞬キョトンとするも「そうだね」と言って笑った。
少しだけ罪悪感から解放されたことで、小さく息を吐く。
視線を落とすと、ハヤミくんの手元が目に入った。
「ハヤミくん……ほんと食べるの早いね」
彼が持っていた食べ物はすでに半分以上平らげられていた。
「まぁ、昔っからのクセというか」とハヤミくんは言った。「早食いのクセ」
「何で、クセ？」
「早く食うと、その分野球ができるから」
「本当に野球が好きなんだね」
私は感心した目でハヤミくんを見る。
「うん。でも、結果は出せなかったけど」
ハヤミくんは少し寂しそうな表情を浮かべた。
私はかける言葉が見つからずに、首を横に振って否定した。
決勝戦、静かに涙を流していたハヤミくんの顔を思い出す。昔から野球一筋だったに違いない。だからこそ、高校最後の今年の夏は何よりも野球に賭けていたんだ。
「それだけ好きなものに打ち込めるのは、本当にすごいよ」本心から答えていた。
結果を得るには勝敗も大事だ。だが凡人にとったら、熱中できるものを所持していることに羨ましく感じた。
貪欲にさらに上へと目指すハヤミくんの姿が、私にとったら目を覆うほどに眩しかった。
「ありがとうね」
ハヤミくんは笑って答える。しかしその笑顔は、普段見るものよりも痛々しいものだった。
気づけば私は、ハヤミくんの頭を撫でていた。
無意識の行動に、私も彼も目を丸くした。
「や、ごめん！つい……」
「っはは。何だそれ」
ハヤミくんは少年のように笑った。
「ごめんな。切り替えたつもりだったんだけど、オレ気抜くとすぐこうなってしまうところあって。でも、今はそれでよかったかも」
ハヤミくんは前方を向いてはにかむ。私は恥ずかしくなって顔を下に向けた。
陽気な盆踊りの曲が流れてくる。和太鼓も曲に合わせてリズムを刻む。熟年の振付師が率先して、辺りの人々も見様見真似で踊っていた。
「あのさ、風嶺」
ハヤミくんは空を見上げた。私は顔を向けて応える。
「薄々気づいてたかもしれないんだけどさ。オレ、風嶺のことが好きなんだ」
唐突に発せられたことにより、私は静止した。
あまりにもさらりと口にするので、私はその言葉が一瞬、告白だと思えなかった。
「風嶺が恋人を作らないことは前から聞いていたし、付き合ってとかじゃない。でもただ、ちゃんと言っときたいなって思ってさ」
そう言うとハヤミくんは私に顔を向ける。その目は、いつになく優しい目をしていた。
私は言葉に詰まった。
「えっと……何で？」
「何で、とは？」ハヤミくんは苦笑する。
「だって、何で私なんかを？」
裏表のないハヤミくんは、みんなから慕われ、常に周囲に誰かがいる。それに自分よりも他人を気にかけられる人だ。そんな彼が、何で私なんかを好きになったのか。純粋に「好き」という感情を知りたかった。
ハヤミくんは、顎に手を当てて「何でかぁ」と呟く。
「去年風嶺、いろいろ大変だっただろ」
私は少し顔が強張った。高校二年からクラス替えがないので、ハヤミくんとは、去年も同じクラスだ。
「海堂とよく、スーパーのセール情報とかの会話してるのが聞こえてさ」
あ、聞き耳立ててた訳じゃなくて、海堂って声が通るから、と弁解する。
「大変なのに、現状から目を逸らさずに頑張ってるところがいいな、って思ったのがきっかけかなぁ」
ハヤミくんは隠すことなく答える。聞いた本人であるのに、私は照れ臭くなって下を向いた。
「でも」とハヤミくんは笑って続ける。「結局、オレにもわからないな」
「もしかして、去年から？」
恥ずかしさから余計なことを口走る。
「そこまで素直にならなくていいよ」
案の定、ハヤミくんは困惑した表情で答えた。
「ごめんなさい……。でも、ありがとう」
心から伝えると、ハヤミくんは満足気に前方を向いた。
広場では相変わらず盆踊りで賑わっている。客も屋台の店員も、みんな広場にくぎ付けだった。
静かな夜も、和太鼓の音と陽気な曲、高揚した人々の声で騒がしい。だが、朝を迎えると消えてしまうのだなと思うと寂しく感じた。
ひと夏の儚い夜。だからこそ、深く心に刻まれた。
私はいまだに恋愛という感情がわからない。だが、ハヤミくんも言葉にできないだけに、正解というものはないのだろう。
どうしても、モモヤマさんの存在がよぎる。
ただ、素直で純粋なハヤミくんの前だからこそ、今抱いたこの感情には、素直でありたかった。
私はハヤミくんの服を引っ張って、彼の唇に自分の唇をつけた。
軽く触れあうだけのフレンチキスだった。
先ほどまで聞こえていた激しい和太鼓の音も、周囲のざわめきも、この一瞬はふっと消えたように静止した。
それだけに、私は彼との時間を噛みしめた。
視界の端で、指輪が赤に光った気がした。だが、今は考える余裕がなかった。
おずおずと顔を離してハヤミくんを見ると、目を丸くして静止していた。
我に返り、私は顔面が爆発しそうになる。
「えっと……これで許してほしい」
何の許しを請いてるのかもわからないが、そう口走っていた。
「あの、風嶺」
「は、はい」
「これで許してって、ずるくない？」
ハヤミくんは口に手を当て、本気で困惑していた。
「ご、ごめん……」
「や、謝らないで。でもごめん、もうちょっとだけ待って……」
ハヤミくんにしては珍しく、ぎこちなく口にすると、顔を逸らして額を抑えるような体勢になった。私は赤面した顔を下に向けた。
キスなんて、どのタイミングですればいいなんてわからない。
だが今、ハヤミくんに触れたいと本能的に感じた。
もちろん、ゲームのカウント条件だからという理由もある。今まではそれを盾にするつもりだった。
しかし振り回された感覚はなく、自分に素直にあれたことに対して少しだけ誇らしく感じた。
とはいえ行為が行為なだけに、いまだ動悸を感じ、顔面が熱を帯びていた。周囲が暗いことが幸いした。
しばらくしてからハヤミくんが振り返り、「駅まで送るよ」と私に手を差し出したので、その手を取って歩き始めた。
＊＊＊
虫の音が夏の夜空に響く。森林から吹くひやりとした風により、顔面の火照りが冷まされる。
少し離れた場所から聞こえる花火のパチパチと焼ける音と火薬の香りが心地いい。神社から離れ、静まり返った夜道に下駄の音が響いた。
「あのさ、風嶺」声が響き、顔を上げる。
「さっきはさ、あんなこと言ったけど、やっぱり欲が出てしまったんだよね」
「欲？」
ハヤミくんは前方に顔を向けたまま、「本当にその気なんてなかったんだけど」と前置きする。
「いますぐ付き合って、とかじゃないから。受験もあるし、風嶺の置かれている環境もわかってるから。でも、もし風嶺が恋人作る気になってその気になったら、またちゃんと言わせてほしい」
ストレートな言葉が胸に刺さった。あまりにも直球だったので、私はしばらく圧倒されていた。
「こ、告白の予告？」
照れを誤魔化すように変化球を投げてしまう。悪い癖だ。
「風嶺」
先ほどよりも低い声で名前を呼ばれる。
「は、はい」
「オレ死にそうだから、これ以上揶揄わないで」
「ごめんなさい……」
ハヤミくんは「これは完全に風嶺のせいだから」と無愛想に言う。心なしか先ほどよりもきつく手が握られた。
＊＊＊
受験講座の為に学校に向かっていた。
今日からレベルによって講座変更が行われた為、教室もメンバーも先生も新しくなる。やはり新しい環境というものが、いまだに苦手だった。
おそるおそるドアを開けて中を見回すと、あっと声を上げた。
隅の席に、モモヤマさんの姿があった。
同じタイミングで、彼女も私の存在に気づき、不意に目が合った。
私は無意識に視線を逸らす。夏祭りのことを思い出した。
彼女の想いを知った上で、私は最低なことをしたので、合わせる顔がなかった。
だが、まだ開始十五分前にも関わらず、みんなクラス変更に浮き立っていたのかすでに席は埋まっており、彼女の隣の席しか空いていなかった。私はおそるおそる腰を下ろす。
「風嶺さん」
スッと研ぎ澄まされた声が耳に届き、反射的に「はい」と背筋を伸ばした。
隣を向くと、まっすぐに私を見るモモヤマさんがいた。
「シュンから聞いたよ」
彼女は表情を変えることなく口にする。
「ご、ごめん……そんなつもりでは……。私は二人の仲を邪魔するつもりはないから……」
そこだけは伝えたかったので、俯きながらもはっきりと口にした。
しかし、予想外の言葉がモモヤマさんの口から飛び出る。
「やっと、風嶺さんに言ったんだね」
「え？」
目を丸くして顔を上げた。
再度見たモモヤマさんの顔は、僅かだが口角が上がっているように見えた。
「前から相談を受けてたから。風嶺さん、最近少し話しやすいって言ってて、それなら気持ちだけでも伝えなよって言ったの」
「えっと……」
話が見えない。モモヤマさんは、ハヤミくんのことが好きだったんじゃないのか？
「モモヤマさんは、ハヤミくんのことが好きなんだよね？」
そのまま口にした。だが彼女は少し目を丸くして、首を傾げた。
「幼馴染だからもちろん好き。でも恋愛対象とは見てないけど」
「へ？」
素っ頓狂な声が出る。私を邪険にしているものだと思っていたのだが、むしろ後押ししていたのだろうか。
あれだけ私の顔色を窺っていたのは、最近の私の態度の変化を観察していたのか。
「勘違いさせてたならごめん」
ポツリと呟く声が聞こえて、我に返る。
「私、あまり表情が変わらないってよく言われて、それに話すのも得意じゃないから」
真顔のままだが、身を縮めた態度でモモヤマさんは呟く。
そんな彼女を見て、私は笑みが溢れた。
講座開始のベルが鳴る。
今日はリスニング。このクラスの先生は、毎回二人ペアで会話の練習をする形式をとっていた。通常運行ならば、今日もその形式をとるはずだ。
私は隣のモモヤマさんに「今日、ペア組まない？」と声をかけた。
＊＊＊
踏み出した一歩が快調だっただけに、どこか気分が舞い上がっていたのだろう。
私はこの『恋愛ゲーム』が、『罰ゲーム』だということをすっかり忘れていた。
第一章『青天に映える白』 完