第二章『赤い虚構を想う空』⑤




帰宅して教本を捲っていると、メッセージアプリの通知が鳴った。ハヤミくんからだ。

『今日はおつかれ!なんか人数多くなってしまってごめんね』

確かにB組の人まで来るとは思わなかったが、特に気にしていない。ハヤミくんらしい気の遣ったメッセージに、小さく口角を上げた。

『ううん。楽しかったし』

『それならよかった。でさ、今、少しだけ電話できる?』

私は首を傾げながら『できるよ』と返信すると、電話が鳴った。

「あ、ごめんねいきなり。少し気になることがあってさ」

「気になること?」

「うん。アスカのことなんだけど、もしかしてアスカって、ジョウジマくんのこと気になってるのかな」

私も抱いていた疑問だ。さすが幼馴染というべきか、彼女の変化にはすぐに気づいたようだ。

「私も同じこと思ってた」

「やっぱり、オレの勘違いじゃなかったか。ジョウジマくん、オレまだあんまりわからないんだけど、どう思う?」
ハヤミくんは、純粋に幼馴染を気にかけているようだ。

以前、街でジョウジマくんを見かけてから、正直良い印象を抱いていない。しかし、モモヤマさんに呼び出されて以来は、休日も休むことなく練習に参加しているので、彼がいまだに掴めずにいた。

「うーん、正直少し軽い気はするけど、でも最近は、練習も真面目に参加してるしね」

「うん。彼、何かやってたのか、細かいところまで指摘くれるんだよな」

確かに、男子側から鋭い指摘が飛んでいるところを耳にした。たびたび感じる彼の気品からも根は真面目なのかな、とふと思う。

ハヤミくんは、「それなら応援するしかないな」と自分に言い聞かせるように呟いた。

「でもまさか、アスカに好きな人が現れるなんて思わなくて、結構驚いた」

「今までは、そういった話は聞かなかったの?」

「うん、全く。それにアスカ、少し誤解されやすいところもあるしね」

ハヤミくんは苦笑しながら言う。それが彼女だと認めているからこそ、隠すことなく発言できるのだろう。

「いつもオレの話ばかり聞いてもらってるから……」とハヤミくんは、ここまで言って口籠る。電話越しでも、失言したという空気が感じられた。私も同じく赤面した。

「あ、あのハヤミくん」

「……何?」ハヤミくんは、少し無愛想な声で答える。

「えっと、私たちって、夏祭りに行ったよね?」

「行ったよ」ハヤミくんは苦笑する。

「いや……あまりにもハヤミくんが自然だから……私の都合のいい夢だったのかなって……」

夏休み明けから少しだけ不安になっていた。彼があまりにも普通に接してくれるので、あの日の出来事は本当だったのかと。姉に「ただ時間を奪われるだけ。自分が感じてる気持ちが相手も同じだとは限らない」と言われたせいでもある。
恋愛初心者なので、その辺りの態度の変化が掴めないでいた。

「……風嶺」少し間があって名前が呼ばれた。

「はい!」

「意識してたらオレがもたないです」

ハヤミくんは、よそよそしく言う。

「夢じゃなので、風嶺も今まで通りに接してほしい」

彼の発言がどこかしおらしく、「ごめんなさい……」と無意識に謝っていた。

「いや、それにしても『都合のいい夢』って言ってくれるんだね」ハヤミくんの満足気な声が聞こえた。

「あっ、それは……!」

「ありがとう。夜遅くまでごめんね。じゃあ」

そう言って電話が切られた。私は呆然とスマホ画面を見る。

「大人だなぁ……」

火照る頬に手を当てて、ベッドに寝転がった。

 

***

 

次の日の放課後。練習場とは違うクーラーのある教室で衣装合わせをした。

衣装が机に並べられる。制服や体操服とは違う衣装に、みんなソワソワしていた。

モモヤマさんが辺りをキョロキョロ見回している。

「あれ?どうかした?」

私の声で我に返ったのか、モモヤマさんは「何でもない」と言ってそっぽを向いた。

「やはり、もう少し目立たせたいですね」

生徒会長の声が届き、私たちは振り向く。

「じゃあ、アスカの言うように刺繍入れてみる?」

ハヤミくんは、さっそくスマホで検索した。「あ、でも今からだと、体育祭ギリギリになりそう」

「当日に間に合いそうなら、やってみるのもいいな」アカイくんは賛同する。

「女子はどうする?さすがに刺繍は難しいと思うけど」

「うん。だから衣装は、このままでもいいかと」

「あ、それならさ、化粧を派手にしようよ」
B組のオクノさんが提案する。

「それいいね~!」
同じくB組のクリタさんも同調した。

「化粧か……」

私はあまり化粧をしないので、少し不安だった。それはモモヤマさんも同じく感じているようで、茫然と宙を見ていた。

「うちらに任せて。唯一の得意分野だし」

オクノさんが私たちに振り返って、親指を立てる。

「あ、ありがとう!」

「それにしても、二人とも全然いじってないんだね~。うらやましいな」
クリタさんは私たちの顔を観察するように見る。

「知識がないというか……」
私は頭を掻く。実際は、化粧代を節約していた。

私たちのやりとりを見たハヤミくんは、「大丈夫そうだね」と小さく息を吐いた。

「へぇ~衣装こんなんだ」

気の抜ける声につられて振り向くと、スクールバッグを持って衣装を見るジョウジマくんがいた。今、来たばかりといったように見える。

隣にいるモモヤマさんを一瞥すると、静かにジョウジマくんを睨んでいた。
彼は、彼女の視線に気づくと、「遅くなってごめん」と申し訳なさそうに手を上げた。

二人のやりとりにソワソワする。それはハヤミくんも同じく感じているようだった。

この衣装は、明日の全体練習の日に初めて着用する予定だ。緊張と高揚感でいっぱいのまま帰路につく。

 

***

 

応援合戦は、選抜された人たちを筆頭に、団全体で競い合うものだ。その為、応援団以外の人たちと、合同で練習する日が授業の中で数回設けられていた。
今日は、その初めての全体練習の日だ。

応援団の人たちは、クラスのみんなよりも早くに更衣室に向かう。初めて衣装を着用して練習する。

「な、なんか恥ずかしい……」

女子更衣室内に設置されている姿鏡を見て、私は身を縮める。
トップスはノースリーブで、スカート丈も想像以上に短い。クラスの女子が否定するのも、今理解できた。

モモヤマさんもちょうど着替えが終わったようで、鏡の前に来る。サイドにくくられた黒い髪が、惜しげもなくさらけ出された白い肌にとても映えている。女の私でもドキドキするほどに、チア姿が似合っていた。

「これ、短い……」

モモヤマさんは俯き、スカートを伸ばすような仕草をした。

「ね、中履いてるとはいえ、ちょっと恥ずかしいよね……」

今からこの姿で練習なのか。覚悟はしていたはずだが、それでもいざ、その時が来ると緊張した。

トロフィーケースの並ぶロビーを抜けて、体育館の裏口へと向かう。サビたドアノブを捻り、重たいドアを開けた。
舞台裏には、すでに着替えの済んだ応援団の人たちが集まっていた。

男子は真っ黒い長ランを羽織り、長いハチマキを巻いている。手には白い手袋がはめられていた。正しく応援団のイメージそのままだ。私たちと対照的に肌の露出は全くないが、逆に暑くないのか心配になった。
初めて見る彼らの姿が、とても新鮮に映った。

「シュン、やっぱり目立つね」
モモヤマさんは、輪の中心にいるハヤミくんに目を向けて言う。

確かに、団長は他の人と少し衣装が違い、装飾が目立った。袖を紐でたくし上げ、周りの人よりも長いハチマキを巻いている。元々身体が大きいこともあり、風格漂っていた。
今の時点でも目立つが、当日はさらに刺繍が加わり、赤で統一されるので、かなりいかつくなりそうだ。

「いいじゃん。二人とも似合ってるよ」

ハヤミくんは私たちに気づくと、少しはにかんだ顔で言った。隣にいるアカイくんも「チアだチア~」と無邪気にはしゃいだ。

「シュン、鼻の下伸びてる」モモヤマさんは淡々と言う。

「嘘だろ」

「嘘」

モモヤマさんの真顔で発せられる冗談も、今ではそれと受け取れるようになった。ハヤミくんも困惑した顔で頭を掻く。

「チアいいね~。二人とも似合ってる」

陽気な声が聞こえて振り返ると、ジョウジマくんが立っていた。

彼も黒の長ランを着ており、ブリーチされた明るい髪と真っ赤なハチマキがとても映えていた。怪我で巻かれている包帯すらも、衣装の一部になっていた。全体的にゆるさを感じた着こなしだ。
チャラい。本能から湧き出た感想だ。ハヤミくんと同じ言葉が発せられたにも関わらず、人が違うだけで印象がこれだけ変わるものなのか。

「ジョウジマさん。話の途中ですよ!」
彼の背後では、生徒会長が息巻いて怒っていた。

「女子ウケするハチマキの巻き方なんて、オレ知らないもん」

「語弊ですよ!今流行りの巻き方と聞いたのです!」

「そうだっけ?」ジョウジマくんはあっけらかんと答える。

言われてみれば、確かに生徒会長は、初めて着るであろう応援服に浮き立ってるように見える。彼に対する扱いが、一周回って可哀想になった。

隣のモモヤマさんを窺うと、茫然とジョウジマくんに見惚れていた。彼は軽そうに見えるが、ルックスが良いので着こなしはさすがだった。生徒会長が頼るほどでもある。

モモヤマさんは私の視線に気づくと、眉間にシワを寄せて怪訝な顔をしたので、「何でもない」と軽く微笑んだ。

 



 

授業を知らせるチャイムが鳴る。
館内が騒がしいな、と舞台袖から様子を窺うと、すでに同じ赤組の人たちが大勢入っていた。

倉庫からバスケットボールを取り出して遊んでいる生徒が目に入る。その光景を女子数人のグループが煩わしそうな目で見ていた。壁にもたれかかり、スマホを弄っている生徒もいる。全く緊張感が感じられない。

練習は、舞台上に私たち応援団、舞台下にクラスメイト、といった対面形式で、応援団のメンバーが主体で引っ張っていく形だ。
私たちは三年生なので、特に気を引き締めて挑まなければならない。

「はい!始めるよ。みんな整列して」
ハヤミくんは登壇して、通る声で叫ぶ。

すると、先ほどまで騒いでいた生徒たちは、興味深そうに彼に視線を向けながら整列を始めた。今日のハヤミくんはいつも以上に貫禄を感じるので、みんな瞬時に気が引き締まったようだ。

私たちも遅れて登壇する。大量の視線を浴びて少し怯む。
しかし一人、普段と変わらぬ調子で舞台上から手を振る人物がいた。もちろんジョウジマくんだ。そのたびに、女子から小さく黄色い歓声が上がった。

私の隣に立つモモヤマさんを一瞥する。彼女の顔にも、特に緊張が見られずに感心していたが、ふと違和感を抱く。

「あの、モモヤマさん。もう少し、位置離れてると思う……」

私の隣にびったりとくっついたままのモモヤマさんに耳打ちする。すると彼女は、俯いてそそくさと定位置に向かった。
表に表れないものの、内心緊張しているのかもしれない。私は無意識に口元が緩んだ。

団長の力強いかけ声により、全体練習が開始した。

「まずは、リズム拍子からいこうか」

団長の掛け声が響くと、団長以外の三年生男子が笛を吹いて拳を前方へ突き出す。それに合わせて私たちも腕を振る。クラスメイトは後に続いて拍子、声を重ねる。

館内全体がピリピリとした。先ほどまでの緩んだ空気が嘘のようだ。全員お腹から発声し、館内に声が響くたびに士気が高まった。ハヤミくんのカリスマ性が顕著に表れていた。

クラスメイトの視線が、モモヤマさんに注がれる。普段の彼女は言葉数も少なく、感情の起伏も見られない。身体が小柄であるだけ、さらに彼女の感情は伝わり辛く感じる。
だが今は、身体全体を使って真剣な面持ちで底から発声し、存在が大きく感じられた。初めて見る彼女の姿に、みんな心奪われていた。

一年生男子の掲げる応援旗のはためく音が心地いい。
初めての全体練習でありながらも、全員がひとつになったと感じられた。

「今回の全体練習は終わり!ありがとうございました!」

ハヤミくんの声に続いて、私たちも叫んだ。

辺りで感嘆の声が上がる。体育館内にはクーラーがないので、かなり体力を消耗した。しかし、それらの疲労や汗が心地良いと思えるほどに達成感を感じた。それは館内にいる人たちみんなが、同じ気持ちであろうことは空気で伝わる。全員笑顔だった。

「シュン!かっこよかったぞ」

さっそく輪の中心にいるハヤミくんが目に入る。周囲は元野球部の人たちなのか、身体が大きい同性の人ばかりだ。彼の着ている長ランを引っ張ってじゃれ合っている。

「みんながちゃんと、合わせてくれたおかげだよ」
相変わらずハヤミくんは、賞賛の声にも謙虚に対応していた。

「レオくんが真剣に練習してるとは思わなかった」

反対方向から、対照的な声が聞こえて振り返ると、クラスメイトの女の子に囲まれているジョウジマくんの姿が目に入る。

「ひどいな~オレやるときはやるタイプだよ」

「でも、この服かっこいいね」

女の子の一人が、ジョウジマくんの長ランをつまむ。心なしか距離が近い。

隣のモモヤマさんを一瞥するが、彼女は彼に気づかず、どこか無気力だった。

「モ、モモヤマさん?」

全体練習は、肉体的にも精神的にも消耗する。彼女もかなり疲弊したのだろう。
労いの言葉をかけようと口を開いた瞬間、彼女は顔を上げた。

「楽しかった……」

私は目を丸くする。彼女は表情は変わらないものの、目が輝いていた。初めて見る顔だ。
私は胸が熱くなり、勢いで彼女をハグした。暑苦しそうだったが、嫌そうには見えない。私たちをチラチラ見る視線を感じたが、今は全く気にならなかった。

「あの、風嶺さん」

その声に振り返ると、目を丸くした。
例のメガネの人だ。彼はB組なので同じ赤組だった。隣にいるモモヤマさんも存在に気づいたようで、彼に顔を向けた。

「かっこよかったです。惚れ直しそうです」

直球で伝えられたので、少したじろいだ。
しかし、人を想う気持ちは歯痒くて切なくて温かいものだと思い始めていたので、今は彼の好意が素直に嬉しかった。

「ありがとう」私は笑ってお礼を伝えた。

私の返事が想定外だったのか、メガネの彼は少し面食らった顔をして、そそくさとその場を去った。

「モテるね」モモヤマさんが言う。

「彼は例外だよ。でも、モモヤマさんも、今日からは変わるかもね」私は意味深に呟く。

「何のこと?」

案の定、モモヤマさんは首を傾げるが、私は口元を緩めて顔を逸らした。

「あっ、タオル忘れた。ごめん、先に行ってて」

浮かれていて更衣室に向かう途中に忘れ物に気づく。
モモヤマさんに声をかけると、私は小走りで体育館に戻った。

 

体育館前まで戻ると、あっと声を上げた。

体育館出入口横のベンチにジョウジマくんが座っていた。周囲には誰もおらず、長ランのまま茫然と空を見上げている。
そんな彼の様子に違和感を覚えたが、私の視線に気づいた彼は、普段の笑顔に戻る。

「なあに?もしかして、見惚れてた?」

「そ、そんなんじゃない」

私は顔を背けて、体育館のドアを開ける。

「あ、もしかしてこれかな?」

その声に振り向くと、ジョウジマくんの手には、正しく目的のタオルがあった。

「後で届けようかなって思ってたんだけどね」

ジョウジマくんは笑顔で立ち上がり、私の元まで歩く。

「あ、ありがとう……」

少したじろぎながら手を伸ばす。

だが、ジョウジマくんは腕を上げ、私の手を避けた。

「え?」

「お礼は?」
ジョウジマくんは、にこにこした顔で問う。

「えっと、さっきありがとうって……」

「そんなんじゃなくて、もっとちゃんとした」

私は眉をひそめた。ジョウジマくんは笑顔を崩さずに言葉を続ける。

「もしオレが声かけなければ、今頃、このタオルはキミの元に返ってなかったんじゃないかな~。気になる子のタオルなら持ち帰りたいって変態もいるもんだね」

鳥肌が立った。確かにそんな気持ち悪い行為されたら最悪だ。

とはいえ、ジョウジマくんが何を考えているのか読めない。

「お礼って、例えば……?」

そう尋ねると、彼は少し思案するような顔つきになり、口元で人差し指を立てた。

「ちゅーでいいよ」

「は!?」

「お金もかからないしさ、手軽でしょ?」
ジョウジマくんは笑みを崩さぬまま首を捻る。あまりにも軽すぎる。

背をそらしてジョウジマくんから距離を取る。キョトンとした彼の顔の前に、指輪を見せるように左手を突き出した。

「私は……そんな軽い女じゃないので」

私は漫画みたいなセリフを吐くと、背を向けて歩き始める。

「ユイちゃん!」

「何……わっ!」

振り向くと同時に、顔面に何かが被さる。手に取ると、私のタオルだった。

「冗談だよ。ほら忘れ物」

ジョウジマくんは軽く笑いながら手を振る。私は悶々としたまま、足早に更衣室へ戻った。

更衣室に戻ると、すでに着替えの済んだモモヤマさんが椅子に座っていた。先ほどまで運動していたのか疑うほどにさっぱりとしている。

「ご、ごめん、待ってくれてたんだ」

「平気。でもあと五分しかないよ」

「大丈夫、すぐに着替えるから」

私は慌ててカバンをひっくり返す。
モモヤマさんは、椅子に腰かけたまま天井を見上げた。

彼女はジョウジマくんに好意を抱いてる。ハヤミくんの時は勘違いだったものの、今回はほぼ確実だ。幼馴染のハヤミくんのお墨付きでもある。
先ほど一瞬、ゲームのことが頭をよぎった。だが今回は、相手に好意を抱いてる訳じゃない。だからこそ、モモヤマさんを素直に応援したいし、少しでも後ろめたいことをしたくなかった。

恋愛ゲームが終了するまで、まだ時間がある。日々ゲームについて考えているからこそ、応援合戦には持ち込みたくなかった。

三分ほどで着替え終わり、制汗スプレーの充満する更衣室を後にした。

 

***