第三章『藍の河原と星図鑑』②




アルバイトを始めて一ヶ月以上経った為、仕事内容もほぼ覚えていた。
しかし、このスーパーは激安を売りにしていることからも、言ったら何だが、客層もそれ相応のレベルの人がたくさん来る。
いわば、老害って奴だ。

「おい、ねーちゃん。ポリ袋切れてんだけど、どこあんだよ」

「えっと、少々お待ちを……」

「時間ねーんだ、さっさとしてくれ」

客は嫌悪感丸出しにして怒鳴る。私はそのたびに呼び鈴を鳴らして先輩に対応をお願いし、新人というレッテルを最大限に活用した。

他にもゴミ箱を置いていないにも関わらず、精肉のパックを何食わぬ顔で置いていくおばあちゃんや、まだ陳列されてない箱の商品を勝手に開ける主婦などもいる。
社会は汚いところなんだと実感した。

「おつかれ風嶺ちゃん。大丈夫?」

閉店作業中に、タニさんは労いの言葉をかけてくれた。

「はい……。ここで働くと、メンタルが鍛わる気がします…」

「確かにな。俺もここで四年近く働いてるけど、だいぶ鍛えられたからな」
タニさんは苦笑しながら、喫煙所まで歩いていく。

タニさんは、国公立の教育大学に現役で通っており、受験について相談するようになってから、気軽に話せる先輩の一人になっていた。
細身でラフにカットされたさっぱりとした外見で、佇まいからも成人した大人は違うんだなぁと実感していた。

「いちいち感情を持っていたらダメっすよ。特にここは、商品を安く売るためにコストを削減してんすから、自分はロボットだ、と言い聞かせれば、不思議と怒りも湧かなくなりますね」

私たちの会話が聞こえていたのか、ガクトバラくんは台車を押しながら、諦めたように言う。確かに、いちいち感情を抱いていたら、その分疲労も増えるのは目に見えていた。

そこでふと、ジョウジマくんも作業のように淡々とゲームをこなしていたんだな、と思い返す。
二ヶ月で二十人なんて簡単なものじゃない。しかしジョウジマくんは、感情さえ持たなければ簡単だと言っていた。
どのような基準でクリアラインが定められるのかは不明だが、人数が多いからこそ、ゲームの真意に早期に気づけたんだ。

キスをした際に、今まで感じたことのない身体が高揚する感覚を抱いた。それはとても歯がゆくて温かくて、愛しいものだった。
そんな感情をジョウジマくんは抑えていたんだ。

「カザミネさんって、実家に住んでるんすよね?」

ガクトバラくんの突き抜ける声が耳に届き、はっと我に返る。

「そ、そうだよ」

「お金とか大丈夫なんすか?」

直球で尋ねられて、私は言葉に詰まる。

「あ、すんません、素朴に感じた疑問で。オレも実家出て思ったんすけど、一人だと結構お金かかるじゃないっすか。でも今も、実家に住まれてるって聞いたんで」
ガクトバラくんは素朴に感じた疑問、といった軽い調子で口にする。

私が言葉を選んでいると、タニさんが勢いよく戻ってきて、ガクトバラくんの頭をこづく。

「おまえ!人様の家事情に、無神経に踏み込むんじゃねぇよ」

「あだっ、タニさんもぽかぽか人の頭殴るのやめた方が良いっすよ!脳の細胞死んでいくんすから」

「おまえの頭は元から単細胞だろうが」

「あ~それは暴言っすよ!明日、クレーマーが来る呪いかけてやる」

ガクトバラくんは、暗示をかけるように手をひらひらさせた。

私は唖然としたまま、目前で繰り広げられる茶番を見ていた。
タニさんによって話題が逸れたものの、私はしばし思案に暮れた。

帰宅し、食事とシャワーを済ませて二階に上がる。
姉の部屋を一瞥するが、反応がない結果が見えているので、私は溜息を吐いて自室に入る。

姉の話が中々できないので、確かに両親がいないのに、親戚家でなく実家に住んでいる現状に疑問を抱かれるのは普通だ。

この家や保険、学費などの金銭管理は、全て祖父が代わってくれていた。
祖父は元脳神経外科院長で、今もその頭脳は健在だ。まだ社会についてほとんど知識がなかったので、私から祖父に管理をお願いしていた。
私はわけられた遺産を少しずつ取り崩しながら毎日生活している。だからいつか尽きてしまわないかに恐れて節制に努めるようになっていた。

姉の件がなければこの家を出ていたのか、と言われると、恐らく出ていない。
元々、唯一の親戚である祖父宅は、祖母が要介護である関係で遠慮していたし、一人暮らしなんて怖くてできない。何よりも昔から馴染みのこの地域から出たくなかった。

私はベッドにうな垂れて、左手を上に掲げる。

姉は何故、私にこの指輪を渡したんだろう。それも、わざわざ郵送で送られたように梱包してポストに入れて。まさか、リョウヘイに調査されることまで見越していなかったはずだ。
そこまでして、この指輪を渡したかった意味。「永遠」がキーワードなのはわかってる。

「永遠って、何なんだろう……」

何気なくひとり言を呟いた、つもりだった。

「それは、あなた自身が掴むものです」

「えっ」

どこからか声が聞こえた。
はっとして指輪を見ると、カラーストーンが光り出し、宙に例の子どもが映し出される。

「あなた……!ずっとここにいたの?」

「当然です。それでないと、監視の意味がありませんから」

子どもは淡々と告げる。

「今まで黙って見ていたの?」

カウントされた時には、指輪が光るくらいで、子どもは姿を現さなかった。

「以前お伝えしたはずです。私たちは『永遠』という概念です、と。背中を押すものの姿が見えないのは当然でしょう。影子のようなものです」子どもは澄ました顔で答える。

「でも、その割には、今は簡単に出てきたね……」

「姿を現さない、とは言っておりません」

あっさりした返答にムッとするが、子どもはにっこり笑う。

しかし、予想だにしない幸運だ。これならば指輪について、直接質問ができる。

「ねぇ、『永遠』って何なの……?」

単刀直入に尋ねた。
子どもは表情を変えずに人差し指を立てる。

「先ほども言いましたが、それはあなた自身が掴むものです。それでなければ、この『罰ゲーム』の意味がありません」

「罰ゲームの、意味……」私は黙り込む。

『恋愛ゲーム』の目的は、ゲーム過程に生まれた感情や経験を奪うことに目的がある。それこそが『罰ゲーム』。
そこと、『永遠』に何か関係するのだろうか。

「お姉さんは、そこをあなたに教えようとしているのではないでしょうか」

「え?」

唐突な問いかけに、顔を上げる。

「あなた自身が掴めたならば、お姉さんも向き合ってくれるかもしれませんね」

子どもはそう言い残すと、姿を消した。

「『永遠』の意味……」

私は呆然と指輪を眺めた。

 

***

 

学校では、学園祭の演劇の準備が進められていた。
私の配役は照明に決まったので、舞台練習まで特に準備が必要ではない。

モモヤマさんは、ミサンガの件がクラス内に広まったようで、手先の器用さから、衣装係のリーダーに抜擢された。本人は歯痒そうな顔をしていたものの、特に嫌という様子には見られない。
ハヤミくんは大道具係、アカイくんは音響に決まった。

「学園祭か~、うち模擬店出ないから地味だよなぁ」
アカイくんは、モモヤマさん家のパンを齧りながらぼやく。

体育祭は終わったものの、今でも何となく四人で昼食を取っていた。モモヤマさん家の廃棄のパンも、今ではハヤミくん、アカイくん、私の三人が平らげている。

「でも、アカイはライブするんだろ?」
ハヤミくんは、コロッケパンをほおばりながら尋ねる。

「おう!ぜひ来てくれよ」
アカイくんは意気揚々と誘う。私たちは笑顔で頷く。

「でも、演劇部の人がやる気だから楽しみだね」モモヤマさんは真顔で言う。

確かに応援合戦の時とは違い、今回はアッサリ役職が決められた。演劇部の人が、ここぞとばかりに率先してくれたおかげでもある。

「だな。まぁオレらは体育祭がんばったから、少しくらい気が抜けてても大丈夫よな~」
アカイくんは何度も「体育祭は頑張った」と噛み締める。

「あ、体育祭で思い出した。おまえらに聞きたいことがあったんだけどよ」

唐突にアカイくんは切り出すと、スマホを弄って机に置いた。私たちはスマホを覗き込む。
画面には、応援合戦前に応援団で撮った写真が表示されていた。

「こいつ、誰だ?」

アカイくんは、後ろの方に映っている人を指差す。私はあっと声を上げる。

ジョウジマくんだ。
彼は首を捻り、腕で顔を隠すような素振りをしているが、ゆるくパーマの当たった明るい茶髪から彼だと証明していた。

「顔が見えないのもあるけど、わからないなぁ……。オレ、同じ学年なら大抵の人はわかるんだけど」ハヤミくんは興味深げに写真を見る。

「だよな。オレも昨日からずっと考えてんだけど、こんな目立つ髪色の奴いたっけ。まぁ体育祭だから浮かれてたんかな」アカイくんは適当に辻褄を合わせる。

あからさまに顔を隠してる体勢からもわかる。この時、ジョウジマくんが写真を躊躇ったのは、今このような状況になる未来を懸念していたのではないのか。罰が重くならない為にも、思い出を残さないように努めていたんだ。

「この人……どこかであったことがある気がする……」

モモヤマさんの呟きが耳に届き、顔を上げる。

「アスカ?」ハヤミくんもモモヤマさんを見る。

「でも……どうして思い出せないんだろう」

モモヤマさんは、真剣な顔で写真を凝視し、必死に思い出そうとしている。
その顔が痛々しくて辛くて、私は目を落としてしまった。

いっそ私も記憶を消してほしかった。自分だけが知っている現実がこんなに辛いものだなんて思いもしなかった。

そこで昼休み終了のベルが鳴り響き、各々思案を終了して席に着く。

 

***

 

「カザミネさん!カザミネさんの歓迎会なんすけど、この近くでいい施設があるんすけど、そこで星空観測会とかどうっすか!?」

バイト先に着いて開口一番、ガクトバラくんが意気揚々と私に提案した。
私は店に十五分前には着くように家を出ているのだが、彼は常に先に到着している。

「施設?」
私は作業エプロンをつけながら尋ねる。

「少し山の方にはなるんすけど、ここから一時間もかからない場所に公民館があるんすよ。風呂もふとんもバッチリっすね。予約すると貸し切りにできるみたいで。あ、もちろん歓迎会なんで、カザミネさんはその辺り気にしないでください!そこでBBQしながらとかよくねーっすか?」

ガクトバラくんは目を輝かせて説明するが、表情を一変させると、勢いよくひざをついて土下座の体勢になった。

「ちょっ……!?」

「すんません!オレ、風嶺さんが本気で山ダメだなんて知らずに、無神経なことを口走ってしまいました!」

このまま切腹しそうな勢いで謝るガクトバラくんに、私は慌てて手を振る。今は周囲に誰もいなくて幸いした。

「いや、全然気にしてないから……ひとまず顔を上げて……?」

そう言うと、ガクトバラくんは肩を窄めて身体を起こした。中々、彼の扱いも難しいものだ。
バイト先の人には、両親が山で亡くなったという話はしていないのだが、表情に表れていたのだろうか。とはいえ、山ではないと内心安堵した。

「みんなに聞いてるけど、今のところ一番人集まるのは、十月入ってすぐの土日かなー」

タニさんが、スマホを弄りながら私たちの元まで近寄る。それと共に、たばこの灰の香りが舞った。

「風嶺ちゃんは、予定どう?」タニさんが尋ねる。

「多分、大丈夫です」

「よし、それならタニさん、予約取っちまいましょうよ。こじんまりしたところなんで、多分空いてると思うんすけど、念の為」ガクトバラくんはタニさんに嬉々として言う。

「仕事終わってからな」とタニさんはロッカーに向かった。

「でも、本当にいいの……?」

私はおずおずとガクトバラくんに尋ねる。まさか歓迎会をしてもらえるとは思っていなかったので恐縮した。

「全然、気にしねーでください!むしろ、中々バイトの人らとゆっくり話す機会ないんでオレも楽しみなんすよ。せっかく同じハコの中に入ったんすから、出会えた奇跡に感謝ってやつっす」

ガクトバラくんは笑顔で言う。彼は、友人やグループという繋がりを大切にする人なんだな、と実感した。

「ありがとうね」

「いえいえ! 当日は楽しみましょうね」

そう言うと、ガクトバラくんは、疾風の如く品出しに向かった。

若くて元気だなぁ、と彼の背中を眺めていると、捲られた袖から覗く彼の足に目がいった。

僅かしか覗いていないが、刺青のようなものが見える。
錯覚かな、と目を擦るが、そのタイミングで社員の人に呼ばれたので、事務所に向かった。

 

***