6日目:公民館

 


六日目、すっかり日の落ちた午後八時半。
僕と庵次は、公民館前に立っていた。

「すげ~自然っすね」
庵次は助手席から降りながら感嘆の声を漏らす。

「だね。やっぱり山の方だからすごいや」
僕も運転席から降りながら、空を見上げる。

久し振りの運転であったが、何とか事故も無く目的地まで辿り着いていた。
公民館の周囲は木々に囲まれ、日も暮れていることから、ひっそりとした空間に感じられる。
だがテレビ放送の効果もあるのか、僕ら以外にも数台の車が確認できた。

「今日すげぇ空晴れてんで、すでにきれいに見えてますね」

上を見る庵次につられて顔を上げると、暗い空にすでにたくさんの光が輝いていた。

「本当だ……!」

「これは期待できますね、じゃ、早速行きますか!」

庵次は、後部座席から大きな荷物を下ろすと、そのまま歩き始める。

「それ、何なの?」

「望遠鏡っすよ! 安いやつなんでそこまで性能は良くないんすけど、でもある程度は見られるかと」

「すごい、本格的だ」

「星のおもしろさを教えるって言ったんで」
庵次は得意気に胸を張った。

中に入ると、白を基調とした壁紙に、ベンチが数個並んでいるシンプルな玄関が広がっていた。
正面のガラス張りの窓の奥には、コテージが二棟確認でき、芝生の上ではBBQを楽しむ家族連れが確認できる。

「言えばBBQセットもこっちで用意してもらえたみたいっす。今回はギリギリで予約したんで無理だったんすけど」

庵次は受付ドアをコンコンとノックする。
管理人であろうおばちゃんが顔を覗かせ、「いらっしゃい」と笑顔で答えた。

「こんばんは! 一晩、世話んなります」
庵次はハキハキと挨拶をして頭を下げる。

「雲も少ないからよく見られるかもね。でも今日は小さい子も来てるから、完全に消灯できるのが二十二時頃になるけど、それまではお風呂に入ったりゆっくりしててね。あ、お風呂場もこの鍵で開けられるからシャワーだったらいつでも使ってね」

そう言っておばちゃんは、手に持つ鍵を庵次に渡す。
僕と庵次は軽く会釈をすると、そのままコテージへと向かった。

コテージのドアを開けた瞬間、ふわりと木造の香りが舞った。
ベッドも机などの家具が全て木で作られ、窓の外には青い葉が確認できる。室内からでも自然を感じられるものだ。
荷物を下ろして椅子に腰掛ける。

「ここ良いっすね〜虹ノ宮が都会なんで、自然と触れられる場所があるとは思ってなかったっす」

庵次は室内をキョロキョロと見回している。まるで修学旅行に来た小学生のような浮つきようだ。

「藍河区は自然が多いからね。駅近くには大きな川もあるし」

「川もあるんすか」
庵次は驚いたようにこちらを見る。

「うん。すごく広いよ。川の近くには神社もあって……」とそこまで口にしてふと思う。

「あれ、庵次くん、地元はここじゃないの?」

「あ、そうなんすよ。今年の春にここ来たばっかで、それまでは北海道にいました」

「北海道」衝撃でオウム返ししていた。「そんな遠いところからここまで」

「まぁ隠居先が北海道ってだけで、基本的には本州をウロウロしてた感じっすけど。でも一応育ったのは北海道っすね」

庵次は過去を思い出すように目を細める。
これもまた、触れられるものではないなと判断すると、僕は鞄から着替えを取り出す。

「お風呂の時間あるよね。そろそろ行く?」

「アッ俺、シャワーだけで全然平気なんで、夜寝る前に入るっす。なんでササキさんごゆっくり入って来てください!」
庵次はテレビを付けながら威勢よく言う。

「じゃ、お言葉に甘えさせてもらうね」

慣れない運転から実は結構汗を掻いていた。
僕はそのまま風呂場へと向かった。

***

風呂から上がり、夜二十一時頃に外に出る。
山の近くで周囲には自然が多く、元々街灯が届かない場所であっただけに、さらに隠れ家的な空間に変わる。
明かりがないだけ星の輝きが際立っていた。

中央の芝生で行われていたBBQはすでに終了され、家族連れが各々空を見上げている。夜にテンションが上がっているのか、小さな子どもがキャッキャとはしゃいでいた。

「すげぇ晴れてますね。月の明かりも邪魔しませんし、絶好の観測日和じゃないっすか」

適当な位置に着くと、庵次は望遠鏡をせっせと組み立て始める。
その光景を、少し離れたところから子どもが物珍しそうに見ていた。

顔を空に向ける。
まるでプラネタリウムに訪れたかのようだ。視界いっぱいに満点の星空が広がり、宇宙を旅しているかのような錯覚に陥る。

「本当……星ってこんなにたくさんあるんだね」

地元は街灯が多く、眩しい星がポツリとしか確認できないほどだ。
何より意識的に顔を上げて空を見ることがほぼなかった。

「この時期はまだ冬の星も見えますし、一等星が多くて楽しい空なんすよ」

そう言うと、庵次は空を指差して「まずはあれっすね」と続ける。

「あの星を七つ繋げたものが、有名な北斗七星です。おおぐま座の尻尾に位置する星の並びっすね。春の空に見られる星座っす」

そう言って庵次は星を繋ぐように指差す。
北斗七星が尻尾に位置するとのことだが、そこで素朴な疑問が浮かび上がる。

「くまなのにしっぽ長くない?」

そう尋ねると、「そこなんすよ。そこがおもしろいところっす」と庵次は、待ってましたと言うように指を鳴らす。

「北斗七星の先端を伸ばしていくと、北極星が見つかるんですが、北極星はこぐま座の星座を構成する一部の星なんすよね。北斗七星のあるおおぐま座と、北極星のあるこぐま座は親子の星なんです」

そう言って庵次は星を繋ぐように指を動かす。
僕は彼の示す星を目で追っていた。

「おおぐま座はカリストという美人なニンフだったことからゼウスに気に入られ、子どもを身篭ってしまうんすよね。で、それに気付いたゼウスの妻ヘラが怒り、カリストを熊の姿に変えるんです。身籠った子どもアルカスは狩人に成長するんですが、ある時森でクマに変身した母に出会います。母カリストは再会に喜び息子に近づきますが、息子アルカスはクマが襲ってきたと勘違いし、弓で射ようとします。それに気付いたゼウスが、慌てて二人を空に投げたと言われてるんです。その時にゼウスが掴んでいたのが二人の尻尾で、引っ張ったことから伸びたとか」

「すごい話だね」僕は苦笑する。

「神話って神様の話って書きますけど、意外と親しみやすいんすよね。とにかくゼウスは女性にだらしないです」

まるで源氏物語の源氏だな、と内心思う。

「見え辛いですが、かに座の話なんてひどいものっすよ」

そう言って庵次は、かに座が位置されている場所を指差す。

「ヘラクレスがヒドラを退治している時に、ヒドラの加勢として登場したんですが、ヘラクレスにあっさり踏みつぶされてしまうんす。同情したゼウスが空に上げてあげたとか」

「星になる基準がガバガバだ」

「おもしろいっすよね。ただ空見るのも楽しいんすけど、神話を知ると物語が空に広がっているようでさらにおもしろくなるっす」

庵次は子どものように無邪気に笑いながら説明する。
その顔を見ていると、本当に星が好きなんだと感じられて胸がジワリと温かくなった。

好きなものを話す人を見るのは、意外と楽しいものだ。

「お兄ちゃん、それ何?」

突如、声が届いて顔を下げると、小さな男の子が庵次の組み立てている望遠鏡を見ていた。先ほど遠くからこちらを見ていた子どもだ。
奥からは、男の子の両親が頭を下げながらこちらを見ている。

「望遠鏡ってやつっすね。見てみるか?」

庵次は無邪気に笑いながら尋ねると、男の子は目を輝かせて「うん!」と言った。

他の家族連れの子どもも気になっていたのか、「ボクもボクも」「マナも観たい」と次々に傍に寄ってきた。
一瞬で僕らの周囲には、数人の子どもで溢れた。

「す、すごいね……」

中々子どもを相手にしないだけに戸惑った。

「星に興味持ってもらえるのは普通に嬉しいっす。出会えた奇跡に感謝、ってことで、ちょっとだけ構わないっすか?」

「うん。全然」

そう答えると、庵次は八重歯を見せて子どもに向き直る。

庵次の特徴的な声や、子どもの好奇心旺盛な声が空に響く。
時折「おぉ~」や「まじで」との声が上がり、そのたびに子どもたちの保護者が楽しそうに笑う。

そんな空間が楽しくて、無意識に口角が上がっていた。

***

観測会が終了し、室内に戻っていた。

木造の香りが自宅に戻ったかのような安心感に包まれる。むしろ自宅よりもくつろげる場所かもしれない。

「子どもたち、喜んでくれてよかったね」

「ハイ。予想外に楽しんでくれましたし、子どもって素直に反応してくれるんで、わかりやすくって良いっすね」

庵次は無邪気に笑うと、ベッドに倒れ込む。
大の字に手足を広げ、大きく伸びをした。
僕も釣られて手を天に伸ばした。

「でも、どっちかというと俺の方が楽しませてもらえたのかもしれません」

「君が?」

「俺、こうして誰かと空を観たことが今までなかったんすよ」

意外だった。
彼は「カブトムシ座はあるの?」や「イケメンの神様は誰?」だとか子どもの無垢で無茶な質問にも簡単に答えていた。

その姿がまるでプラネタリウムの解説者のように感じたので、そう言った活動でもしているのだと思っていた。

しかし庵次は、やり辛そうに頭を掻く。

「なんて言うか……俺が星観るようになったのも、よく夜に外放り出された時にやることなかったからなんすよね。一晩見上げてると結構おもしろいなって。そこから神話とか調べるようになって……」

「待って」

僕は引き攣った顔を向ける。「北海道で一晩、外に投げ出されるって、中々じゃない?」

「うちはちと特殊なんすよ。まぁ元々寒さには強いんすけどね」

庵次は肩を竦める。さすがに寒さに強いという問題でも無い気がするが。

「でもそん時思ったんすよ。こんなにおもしろくてきれいなのに、感動を共有できる人いないなって。それ気付いた時はすげぇ寂しかったっすね。なんで一度でいいから人と星観てみたかった」

庵次は天井を見上げたまま滔々と語る。
僕はただ彼の言葉に耳を澄ましていた。

ここに来ようと言い出した時の彼を思い出す。
正直初めは乗り気じゃなかったが、今になって断らなくて良かったとしみじみ思う。
純粋に好きなことを求める人の力になれたというだけで、この瞬間の自分の存在意義が感じられた。

「とはいえ俺、人との付き合い方がよくわからなくて。どこまで近寄って良いのかまだわからないんすよね。なんで正直戸惑っていたところもありました」

「意外というか……君、子どもと楽しそうに話してたし」

「ササキさんから見て、普通に見えていたならよかったっす」

庵次は満足気に笑った。
彼の無邪気な笑顔は、何もかもがどうでもよくなるほどに純粋なものだ。

慣れない運転に、久しぶりに人と接したから気が張っていたのかもしれない。

気づけば僕は眠りに落ちていた。