5時間目:歴史3



環は圧倒された。

春明のことは、全て調べ上げた。その上で、少し内に入り込めば、簡単に崩れると思った。

だが、人間の人を想う感情というものは、これほどにまで強いものなのか。

羨ましい。妬ましい。ずるい。卑怯だ。

そんな感情が、環の表情に歪に生み出される。

「感情というものは簡単に崩れるんじゃよ……」

環は、怒りを抑えきれないのか、歩くたびに尻尾が木々をなぎ倒す。

「人間がどれだけ脆い存在か……妾が知らせてやる」

★★★

あれから音葉は、自身のことを全て打ち明けた。

元々、妖狐との間に子どもがいたこと、相手は既に事故で死んでいること。

さらに音葉は、野狐ではなく、藍河稲荷神社に仕える眷属の天狐だった、ということだった。

物の怪を相手にしている春明だからこそ、打ち明けるのが恐かったのだと説明する。

妖狐は、人型を保つことに莫大な妖力を使用するが、それでも音葉は人間として生きる道を選んだ。

全ては、春明と燐音と生活する為だった。

「そういえば……よく森ってわかったね」

音葉に言われて春明は思い出す。

「そういえば……燐音が言ったんだ」

「燐音が?」

「あぁ、何故かわからないが……でも、そのおかげで見つけられてよかったよ」

口ではそう言いながらも、春明は首を傾げた。同じく音葉も腕を組んだ。

★★★



春明は、音葉の話を聞いた後、すぐに現職から身を引いた。

元々、誕生日で引退を決めていたが、音葉のことを思うと一分でも長く一緒にいる時間を作りたかった。

人型を保つ為に莫大な妖力を使用していることから、恐らく人間ほど長寿でもない。

それに春明は、物の怪を扱う浄化隊の頭首だ。妻に妖狐を迎えたと知られて浄化隊の名声を落とすわけにはいかない。

「本当に、私で良いのか」

日向は、軽く驚きながら問う。普段その顔に感情は浮かばないだけに新鮮でもあった。

「あぁ。むしろ日向しかあいつらを引率できるものはいない」春明は、何度も頷きながら同意する。

「でも悔しいな~。結局、剣で勝てないまま終わってしまった」松風は、頭の後ろで手を組みながらぼやく。

「俺がいなくても、日向や乱丸がいるだろ」

「二人は加減を知らないから恐いんだって」

「ま、引退とはいえ、たまには顔覗かせるから」

「あぁ。待ってるぞ」

日向と松風は、爽やかに手を振った。

春明は、名残惜しく感じながらも帰宅路を歩く。

仕事で使用した紙札に、石のお守りは記念に持ち帰った。この五芒星がそばにあるだけで心強くもあった。

「パパ! おかえり」

帰宅すると、燐音が笑顔で出迎える。春明は、燐音を抱えると、体温を感じるように頬擦りした。

「ただいま。今日からいっぱい遊ぼうな」

「うん!」

平穏な日々を送っていた。

今までは、ほぼ家を留守にしていたことから、音葉の手料理もたくさん味わえれば、燐音ともたくさん会話できるようになった。

「ねぇパパ。あの川にはホタルがたくさんいるんだよ」

公園で遊んだ夕方、音葉と燐音の三人で川辺を歩いている時、燐音は指差しながら得意気に説明した。

差された先は、藍河稲荷神社横の小川だった。

「へぇ、そうなのか?」春明は、音葉に振り向く。

「そうね。あの川は、上流の水が流れていて綺麗だし、夜は明かりも少ないから」音葉は目を細めて頷く。

「私ね、紫翠くんと毎年一緒にここで見るって決めたんだよ!」

「シスイ、くん」春明は静止する。

「神社の宮司の息子さんよ。ふふっ、燐音と仲が良いらしいの」

「うん! 私、紫翠くん大好きなんだ」

燐音は屈託のない笑みで笑う。春明は応えるべく笑顔を作るが、その頬はピクピク痙攣していた。

そんな春明の肩を、音葉は慰めるように軽く叩く。

「俺はまだ認めていないからな。まだ紫翠くんとやらに会ってもいないんだから」

「あなた、気が早いわ」音葉は楽しそうに笑った。

理想の毎日だった。

元々、十年は暮らせる資産はあれば、最低限、家族を養えるほどの職にも就いている。

何不自由ない毎日だった、はずなんだ。

★★★



時刻は、丑三つ時。

莫大な妖力を察知したことで、春明は布団から飛び起きる。

「何だ……この妖力…………!」

手が見るからに震えていた。尋常じゃないほどの汗が湧き出る。今まで対峙したこともないほどの数の妖力だ。こんなの敵うわけがない。

居ても立っても居られなくなり、春明は、隣で寝ている音葉を起こさぬよう部屋を抜け出す。

寝具の上から羽織を纏うと、神札を片手に玄関へ向かった。

「パパ……」

ポツリと声が聞こえ、振り向く。燐音が、目を擦りながらこちらまで歩く。

「り、燐音、トイレか?」

「パパ、いかないで……」

燐音は、懇願するような目でこちらを見る。ビー玉のように澄んだ瞳が健気に訴えていた。

春明は、唾を呑んだ。

もう、物の怪に関わらないと決めたはずだ。家族を優先する為に今の生活を選んだんだ。浄化隊頭首であった自分は、もういない。

だがこんなに強い妖力、きっとあいつらでも手こずるに違いない。責任感の強い日向のことだ。他に迷惑をかけまいと、例え敵う訳ないと知りつつも、無茶してまで自分たちだけで抑えようと考えるはず。

そうなったらあいつらは――――。

暫く悩むが、燐音を安心させるように無理やり笑みを作った。

「……大丈夫だ。すぐに帰るから。ママには内緒な」

そう言って人差し指を口元にあてる。燐音は、純粋な目で春明を見つめた。

春明は、そっと扉を開くと、走って街まで向かった。

近づくにつれ、辺りが騒がしくなる。

カンカン鳴り響く消防車の音や、轟々何かの燃えたぎる音。さらに人々の悲鳴まで聞こえた。

街を俯瞰できる場所に辿り着く。すぐに異変に気が付いた。あちこちの建物が崩壊し、火の気が上がる。

街をはびこるのは、大量の物の怪だった。縦横無尽に徘徊しながら建物を襲えば住民を玩具のように弄ぶ。

藍河区の街が、地獄絵図と成り果てていた。

現実を疑う光景に驚愕する。

「な、何だ……何だこれは……!」

街の中心にいる存在に目がいく。と同時に、その存在と目が合った。

「やっと見てくれたか。春明」

黒漆の長い髪に絢爛豪華な着物を着用した絶世の美女、環。以前、音葉を捉えた女性だった。

その頭部には耳が、腰には九本の尻尾が生えていた。

野狐の中でも、九本の尻尾のある妖狐は危険だと、浄化隊の時からマークしていた存在だ。

彼女が、それだったと言うのか。

「てンめぇ!」

気性の荒い声が聞こえ、正気に戻る。乱丸の声だ。

「待て、迂闊に飛び出すべきではない!」日向の厳しい声も続く。

「くっそ、どんどん出てくる。キリがないぜ」

松風は、顔を引き攣らせながら言う。

「もしかして、誰か物の怪を生み出しているんじゃ」

髪をサイドに束ねてる女性、八角は答える。

「あり得るな。だとすれば……」日向は、宙に佇む九尾の狐に目を向ける。

慌てて麓に降りると、浄化隊の皆が、総動員で物の怪を浄化していた。

浄化隊を示す羽織も普段以上に汚れ、事の重大さを目で実感した。

春明は日向の姿を捉えると、足をもつれさせながら走り寄った。

「日向!」

「春明、おまえどうして……」

日向は、春明を見るなり目を丸くする。

「何なんだこれは……何が起こったんだ?」

春明は焦燥気味に問う。日向は息を整えながら頬の汚れを拭う。

「我々にもわからない……。だが、妖力を感じた時にはこうだった」

日向は、険しい顔をする。「おまえは、早く帰れ」

「え?」

「おまえはもう浄化隊でない。市民の安全を守るのが、我らの任務だ」

日向の責任感の強さからこの言葉が帰ってくるのは想定通りだった。だがここにきて春明も引けない。

「いや、でも」

「家族を守るのが、おまえの役目だろう!」

怒気の孕んだ強い声に、春明の身体は強張る。食い下がることもできなかった。

感情的になったことにやりずらくなったのか、日向は顔を歪めて頬を掻く。

「……心配するな。おまえがいなくとも何とかしてみせる。私はおまえとの勝率は五分五分だっただからな」

日向は気丈に笑うと、再び浄化に戻った。

春明は、立ち尽くす。だが日向の決意に水を差すことはできなかった。ついぞ観念し、つばを飲み込んで自宅へと戻る。

そんな春明の姿を、環が捉える。

「ふん……それでも家族を優先するか」

刹那、カッと閃光が走った。

思わず振り返ると、目を瞑りたくなるほどの光景が広がっていた。

「おい、日向……松風…………」

先ほどまでいた場所に、浄化隊の姿が消えていた。

その場に残されているのは、浄化隊を示す羽織と神札の痕跡だけ。地面には引き摺られたような赤がびしゃりと張り付いている。環は尻尾を一振り、一瞬の内に浄化隊十二人を消した。

あまりにも一瞬のできごとに、春明の理解は追いついていなかった。

「街の自警団もあっけないものだ」

環は、自身の尻尾についた血を恍惚とした笑みで舐める。その言葉から、春明の体内から次第に熱い感情が溢れ出す。

「やめろ……やめろ……!」

環に向かおうとするが、春明の身体はつんのめる。

――――家族を守るのが、おまえの役目だろう

日向の言葉を無視できるわけがない。

春明は感情を殺すように顔を歪め、拳を握りしめて自宅へと戻った。

地元に辿り着くが、そこら中に物の怪がはびこっていた。改装したばかりの自宅も、物の怪の襲撃により崩れていた。

春明は顔面蒼白になりながら、自宅に入る。

「母さん……父さん……!」

自宅の瓦礫の下に、両親の姿を見つける。だが、意識がない。肌も尋常じゃないほどに冷たくなっていた。

「音葉、燐音……――――!」

瓦礫の奥に、蹲る音葉の姿が目に入る。春明は、慌てて駆け寄った。

泣き喚く燐音の上に覆いかぶさるように、音葉が蹲っていた。彼女の周囲には結界が張られ、瓦礫から燐音を守っていたとは伝わる。

だが、音葉はすでに意識がなかった。自分の妖力全てを注いで燐音を守った。ただでさえ人型で妖力を消費していたことから、すでに彼女の妖力が尽きたのだ。

自分が家を抜け出さなければ、

もっと早くに家に帰っていれば、

自分は家族を守ると誓ったはずなのに。

「音葉ぁああ――――!」

春明は、大声で泣き叫んだ。

★★★