・外観は表の世界と変わらない
・裏街道の住民の白目部分は黒い
・表の人間を見ると嫌悪感を抱くものもいる
・変化は起きないが動くと眠たくはなる
・住民は暗い場所を好み太陽は昇らない
・時間の流れを感じるようなものが存在しない
こんなところか。表世界では現在も刻々と時を刻んでいるのだろうが、裏街道では止まったままだ。明かりも音も時間もない。現実を避けた者が静かに待機することができる。
確かに、日の目を見ない舞台袖のような世界、という例えがしっくりきた。
私は、袋からおにぎりを取り出して外袋を破る。その様子を見ていたメイが目を丸くした。
「あれ、お腹減ったの?」
「ううん。でも何だか食事を行わないことに違和感がして」
そう言うと、メイはあははっと笑ってふとんに包まった。
「何それ。なんていうか、アリスはすごく真面目だけどそこがおもしろいよね」
ふとんに包まったまま、しきぶとんの上をコロコロと転がった。無邪気なメイを見ているだけで心が和んだ。
おにぎりを口に運ぶ。消費期限が書かれていなくて不安になったが、パリッと歯切れのいい海苔の音が鳴り、口の中でふわふわのごはんが崩れた。咀嚼する度に梅の酸味がごはんと混ざり合う。文句のつけようのない、絶品のおにぎりだ。
「アリスが裏街道に来てくれて嬉しいよ。ここの住民は、他人と関わることを嫌うからさ」
ガラクも同じようなことを言っていた。裏街道の存在意義を考えたら、納得はする。
「といってもさ、本当に他に住民はいるの?全然、人の気配がしないんだけど」
ずっと気になっていたことを尋ねた。
「うーん、みんな建物内に引っ込んでるからね。でもちゃんといるよ」
その瞬間、メイからスッと笑顔が消えた。先ほどまでのメイから一変して、真剣で強い眼差しだ。その眼には力強い意志が込められているように捉えられた。
おにぎりを咀嚼する口が不意に止まる。初めて見る顔に少したじろいでしまった。
「だからこそ、ここの住民は何を考えてるかわからないよ。裏の住民にだって容赦なく手を出そうとする。基本的に建物内にいれば安全だけど、外に出る時は注意してね。また襲われたくないでしょ」
今までのメイからは、想像もできないような重みを含んだ低い声でそう言った。もしかしたら先ほど少女に襲われた場面を目撃していたのかもしれない。再び思い出して軽く身震いする。
「うん、気をつけるよ……」
私もつられて真面目な顔になって答えた。その返答を聞いたメイは、コロッと笑顔に戻った。
「ま、アリスにはボクがいるから大丈夫だよ!」
胸を張ってそう言った。そんなメイが頼もしく見えてふふっと笑みが零れる。
「ありがとう」
裏街道の住民が他人と関わらないことは、人の気配がしないことからも薄々感じてはいた。
「でもさ、そう考えると、ガラクの存在は貴重だね」
本当に他人と関わることを嫌うなら、例え行動基準が自分であれ、自ら他人に関わる行動はとらない。増してや口を開こうとも思わないはずだ。
だけどガラクは、小言は言いながらも相手を避けるような扱いはしない。そういった行動を移すようにも見えなかった。
「そうだよ。ガラクはぶっきらぼうな口調だけど、なんだかんだ構ってくれるんだ」
本心からそう思っているのだろう。メイは即答する。フードのウサギの耳もピョコッと元気よく反応したように見えた。
「文句を言いながらも、やってくれるタイプなんだ」
「うんうん。本人は言ってくれないけど、いつも本しか読んでないから、多分ガラクにとっても、気分転換になってるんじゃないかな」
メイは勝手にガラクを都合よく解釈した。
「素直じゃない」
「ツンデレってやつかな」
「誰がツンデレだ」
途端、この場にあるはずのない声が聞こえた気がして、二人して目を白黒させる。今のはタイミングの良すぎる幻聴だろうか。
玄関の方を向くと、そこには呆れた顔をしたガラクが立っていた。どうやら幻聴ではなかったらしい。
「ガラク!? ど、どうしたの?」
母親が留守時に、こっそり明日のお菓子を食べた子どものような反応になった。子どもは必死に取り繕うが、母親にとったらバレバレだ。
ガラクとはまだ出会って浅いが、彼が鋭いということには違いない。私が必死で平然を装っているのもあっさり見抜いているだろう。しかし、彼はそんな様子には触れようとしない。
「こいつが本を読みたいって言うから持ってきただけだ」
ガラクは顎でメイを指す。そういえばそうだったーと、メイは頭を掻きながら舌をペロッと出した。
少女の時といいタイミングが良すぎる。いや、今回は悪い方に入るのだが。それにしても、ガラクの登場タイミングには毎回驚かされる。
「一階の部屋にはいないし、そしたら上から声が聞こえた」
溜息を吐きながら数冊の本を机に置いた。どれもたくさん絵が描かれた絵本だった。
「ありがとう」
メイはふとんからピョンッと跳ねて机に近づき、絵本を手に取る。
「じゃ」
ガラクが玄関のドアノブに手をかけたところで、メイが「えっ」と声を上げる。
「読んでくれないの?」
「そいつがいるだろ」そう言って、私を一瞥する。
「私?」
「本を読むくらいできるだろ」
「で、できないことはないけど……」
いつもはガラクがメイに読み聞かせているのだろうか。その場面を想像すると微笑ましくて、自然と口角が上がった。
そんな私の表情の変化に気づいたガラクは、怪訝な顔をした。
「何で、笑ってる」
「いや、普段はガラクが読み聞かせてるのかなと思ったら、二人が兄弟みたいに見えて」
隠すことなくそう告げると、ガラクが口を開くより先にメイがキラキラした顔を向けた。
「ガラクはね、読むのが上手いんだよ」
「上手いとかないだろ……」
「あるよ!ガラクは何というか……感情が入ってるというか……」
「え、そんな読み方するの?」
出会った時からわかりやすく感情の変化が見られないガラクだ。だからこそメイの言葉に驚いて、反射的に反応していた。
私が食いついたことにより、ガラクが先ほどよりも険しい顔になりメイを睨む。
「おい、誤解を招く言い方をするな」
「でも、本当のことじゃん」
睨まれても全く怯む様子はなく、あっけらかんとそう答える。
「本の内容を理解してるだけだ」
「でも内容を理解したところであんなに上手く読めないよ。さすがガラクっていうか。だからガラクは読み聞かせの名人だよ」
よっと言って、メイが囃し立てる。それに比例してガラクの表情はどんどん険しくなった。メイが言っていることは紛れもなく本心なのだろうが、明らかに揶揄っていた。
さすが、の背景が何かは見当がつかなかったが、メイかここまで言うにはそれだけの素質があるのだろう。
「私も、聞いてみたいな……」
そう呟くと、ガラクは物凄い剣幕で私を睨んできた。少し怖気ついたが負けじと対抗する。
「私も、ガラクの読み聞かせが、聞きたいな」
「言い直さなくても聞こえてる」
「アリスもこう言ってるから読んでよ」
便乗するようにメイも言う。しかしガラクは、頑なに表情を変える様子がない。
こうなれば意地の張り合いだ。
「帰る」
分が悪いと察したのか、ガラクはその場を立ち去ろうと玄関のドアノブを掴む。
「帰さないぞ!」
そう言って、メイはガラクの腕を引っ張った。
物凄い力だったのか、不意打ちをくらったガラクはバランスを崩してその場で転んだ。引っ張った当の本人もそれにつられて同じく転んだ。
「えっと……大丈夫?」
私は苦笑しながら二人のそばまで寄った。メイはあいたた、と言いながら身体を起こす。ガラクも無言で立ち上がり、服についた汚れを手で払っていた。
「全く。ガラクは細いし軽すぎるよ。縦にはデカいくせにさ」
メイの言う通りガラクは身長が高い。百八十センチ近くあるだろう。図書館で会った時は座っていたし、少女に襲われた時にはそこまで気が回らなかった。
「知らない。そういう体質なんだ」
「だからさ、本読んでよね」
「だからの意味がわからない」
不意にガラクと目が合った。こいつをどうにかしろ、という懇願の目に捉えられる。
しかし私は、ガラクが読み聞かせるところが見てみたいという気持ちが高まっていた。私も意地になっていたのだろう。だから失礼だと思いながらも、トドメを差すように口を開く。
「ガラクが今読んでる本、実は私も読んだことがあるの。あの話って実は―———」
「やめろ」
ドスの利いた低い声で私の声を遮った。内心怯えつつも、それを表に出さぬよう堪える。
しかし、こんなのはもはや脅しだ。
「…………一冊だけだからな」
長い沈黙の末、諦めたようにガラクはそう言った。メイはわーいと言ってガラクのそばまで寄る。
よほどネタバレが嫌なのだろう。実はガラクの読んでた本は未読だったのだが、こちらに軍配が上がったようで胸を撫で下ろした。
ガラクは適当に本を一冊手に取り、ソファに腰かける。メイはガラクの懐に飛び込み、すっぽり収まった。
いつも読み聞かせる時はその体勢なのかなと笑みが零れ、私もガラクのそばまで寄った。
絵本が開かれるが、電気がついていないので詳細な文字や絵が見えなかった。
そこで、メガネには暗視スコープのような機能があったと思い出す。試しにかけると、予想通りはっきりと文字や絵が見えるようになった。
ガラクが手に持っている本は『しあわせのかたち』というタイトルの本だった。表紙には二匹の猫の絵が描かれている。
タイトルを読み上げて、さっそく読み聞かせが始まった。途端、先ほどまで騒いでいたメイはピタリと大人しくなる。
ガラクの声は感情の起伏が見られない普段の対応からは、想像できないほどに温かみを含んでいた。特に絵本のキャラクターが発するセリフを読み上げる際には、セリフの重さ、感情、背景といったものを踏まえ、個人的に解釈した上で、丁寧に発言しているように聴こえる。演技をしながら読み聞かせているわけではないが、メイが感情がこもってる、と言っていたのは納得した。
何よりガラクが、ひとつの作品を大切にしているのだなという気持ちが伝わった。
絵本の世界が目前に広がっている感覚に陥る。そして気づけばどっぷりと浸かっていた。
内容は、野良猫として生きる猫と飼い猫として生きる猫のそれぞれの幸せの形、というものだった。
野良として生きる猫は、知らない世界を見ることができるが、最期は孤独に死ぬ可能性が高い。逆に飼い猫は、箱の中しか見られないが、飼い主に見守られながら眠ることができる。
どちらが幸せと呼べるのか。しかし、その幸せの形は各個人によって違うんだよ、というメッセージが込められているように私は受け取った。
私は二人に目を向けた。メイは絵本の世界を堪能しているようだ。読み聞かせてるガラクも思うところがあるのか、言葉を丁寧に咀嚼していた。
そんな二人を見て、本当に兄弟みたいだな、と心が温かくなる。
「アリスはさ、幸せって何だと思う?」
メイは私を見上げながらそう言った。いつの間にか読み聞かせは終わっていた。本も閉じられており、メイもひと通り余韻を堪能し終えたようだ。
いまだ世界に浸っていたことに恥ずかしくなった。軽く頭を振って、現実世界に帰ってくる。
「幸せかぁ……」
思案しながら言葉を探す。メガネというものに縁のない人生だったので、ずっとかけていることに慣れずに無意識にメガネを外した。
「漠然としているけど、結局は、個人がいいと思えるようなことじゃないのかな」
「まぁそうだよね。それに頑張ったことが報われたり、満足できるような経験が幸せなんだとボクも思うよ」
そう言ってガラクの膝からピョンッと飛び降りる。
「ありがとうガラク。とてもおもしろかったよ」
私もメイに続いてお礼を言った。
「一冊は読んだからな、後はそいつに読んでもらえ」
いつの間にか普段のガラクに戻っていた。今度こそ帰るというように玄関に向かった。メイもガラクを見送る為に外に出た。
一人になって気が抜けたのか、疲労を感じたのか。私は小さく息を吐き、ふとんに大の字になった。軽く目を閉じて思案する。
二人は裏街道に来て幸せだったのだろうか。彼らがどんな過去を経て裏街道に来ることになったのかはわからない。
しかし少なくとも、先ほど本を読んでいる時の二人は幸せそうに見えた。あれが錯覚でなかったらいいなと心からそう願った。
「今はまだ、死にたくないかも……」
まだ裏街道で知りたいことはたくさんある。つまりそれほどこの世界と住民に対して興味が湧いていた。知りたいことがある内は死んでも死にきれない気がした。
前回は偶然ガラクが助けてくれたが、今後はどうなるかわからない。だからこそ簡単に死ぬことがあってはならないな、と気を引き締める思いになった。
この探求心がいつまで続くのか。少なくとも三十日までは持ってくれたらいいな、と願うばかりだった。
不意に人気を感じて身体を起こすが誰もいない。気のせいかなと首を傾げていると、玄関から音がして、「アリス、こっちに来て」とメイが元気よく言った。
私はそれに応える為に立ち上がり、制服の皺を伸ばした。
第一部 完