「ついに、アニメ化だってよ」
とある午後の昼下がり。ゼンゼは漫画雑誌片手に愉快気に嗤う。
「とんだ上級に化けたもんだ。こいつ自身も、めげない根性はあったんだな」
「あのときに延期にしたのは、正解だったようね」
隣に座るリンは、手の平を天に翳して、花弁の雨を堪能する。
二人の座る大木は時期を迎え、今は満開の桜が咲いていた。
一切の濁りのない淡いピンク色が視界を覆っている。時たま吹く風により、心地良い枝の擦れる囁きと惜しげもなく地に降り注ぐ花弁が、春爛漫だと告げていた。
一ヶ月も持たずに花弁は散り、芽が生えて汚くなる、とは何度も春を経験したリンにはすでにわかっていた。
「最近ネットでの評判もよかったからなぁ」
待ちに待っていたアニメ化であるにも関わらず、どこか寂し気に言うゼンゼにリンは「どうかした？」と尋ねる。
ゼンゼは顎に手を当てながら「何つーか、自分が発見した原石を他人に勝手に宣伝されたような、複雑な気分」と答える。
「『REBELS』の時もそうだ。一巻の時点でこれは来る、と俺は思ってたんだ。だが、アニメ化した途端にこぞってみんな読み始めただろ。原石を見つけたのは俺だって言うのに、研磨する労力に感謝することなく、宝石を手に取る。人間は汚い生き物だ」
「あなた一人が読んでいただけでは、アニメ化になっていない」
「でも、原石を発見したのは俺だ」
頑なに意地を張るゼンゼに「嫉妬しているの？」とリンは尋ねる。
「少なくとも、俺らは文句を言っても許される権利はあるはずだろ」
「私たちは神だから？」
「いんや、この作品のキャラクター原作だからだ」
そう言ってゼンゼは雑誌の表紙を指差す。
大きく『テレビアニメ化決定！』の文字と共に、男女キャラクターが大々的に描かれている。
一人は、赤髪に小柄でクールな女の子。もう一人は、尖った歯で笑う眼帯を着用した銀髪の青年だ。
この場にいる二人が元になったのだろう、とは比較することでよくわかるものだ。
「こいつらは、あの学校告知ポスターがきっかけで漫画になったと作者本人が言っている。つまり、確実に俺らがモチーフだ。作者は俺らに許可なく勝手に話のネタとして扱っている。使用料を巡って、裁判を起こすことだって可能だ」
「ずいぶん、人間らしい思考ね」
「そりゃ、こうも人間に関わる機会が増えたもんだから、仕方ねぇだろ」
副作用だ、とゼンゼはリンを指差す。
「仕方ないことだわ。死神は、この世界で幻想として扱われるのだから、幻想を生み出す世界で扱われるのが定石。何よりも」
リンは空を見上げながら言う。「開花時期が未定なのだから、文句を伝える術を所持していない」
陽気な子どもの声に釣られて二人は視線を向ける。
いつの間にか、リンたちのいる木の下では、お母さんに手を引かれて歩く子どもがたくさんいた。
黄色い帽子を被り、胸元に花をつけていることから、卒園式だったのだろうとはわかる。
子どもたちは母親に促されるまま、リンたちのいる桜の木の下に立ち、各々ませたポーズをとる。
そんな彼らを見たゼンゼは、彼らに倣ってピースをして尖った歯を見せる。
「何してるの」リンは呆れた顔でゼンゼを見る。
「写真撮ってんだろ。笑顔で映らなきゃ、もったいねーよ」
「私たちは映らない」
「もしかしたら、見える奴がいるかもしれない」
何度かシャッターを切る音が鳴ると、時間が動き出したように子どもも母親の元に戻る。リンたちも木から飛び降りて、その場を後にする。
背後から「え、この人たち何？」との声が上がるものの、春一番が吹いたことで、リンたちにその声は届かなかった。
＊＊＊
リンたちは、桜の木から徒歩十分圏内にある墓地に来ていた。
開花時期の迫った対象ではないものの、今日の日付からも、とある彼が現れるかもしれない、とふと思ったことで足を運んでいた。
「墓地もずいぶんきれいになったもんだ」
ゼンゼは周囲を見回しながら言う。「これは、おまえの業績だな」
囃すゼンゼをリンは無視して、墓地内に入る。
赤い夕日に照らされて輝く、刈られたばかりの青い芝生の上には、彫刻が施された灰色の大理石がずらりと並んでいた。
都心から少し離れたところに位置するこの墓地。周囲に人気はなく、かぁかぁとカラスの鳴く声が響くほどに静まり返っていた。
周囲を見回していたリンは、あっと足を止める。遅れてゼンゼもおっと声を漏らした。
一番奥にある『鈴村家』と刻まれた墓石の前に、一人の青年が佇んでいた。
皺のないブレザーを着用し、気品漂う薄茶色の髪が風でなびく。花束を所持する左手には、高価そうな時計が付けられていた。
後ろ姿だけでも気品が感じられることからも、Ｓランクの種が与えられていただけある。
「ずいぶん成長したもんだ」
ゼンゼは青年を見ながら囃す。
「もう、成長期は迎えているはずだからね」
青年は手に持つ花を墓石に添えると、その場で手を合わせた。
しばらくしてから顔を上げ、くるりとこちらに振り向く。
目鼻筋が通り、百七十後半ほどの身長。全体的に洗練され、好感の持てる外見だ、と内心思う。
以前からかなり成長が見られるものの、面影やブレザーの胸元にある扇型の校章からも、彼だと示していた。
「やっぱり、彼だわ」
リンはこちらに向かって歩く青年を見ながら呟く。
「こう見えて内心捻くれているから、外見じゃわからねぇもんだ」
ゼンゼはニヤニヤしながら言う。
青年は、凛と背筋を伸ばして二人の傍を通り過ぎる。
「次こそは、必ずきれいに咲かせてあげるから」
リンがそう呟いた瞬間、青年ははっと反応するようにこちらに振り返る。リンとゼンゼは青年に顔を向ける。
青年は数秒静止し、「気のせいか」と首を捻ると、ポケットからスマホを取り出し、「あ、お父さん。今、用事終わったんだけど、車お願いできる？」と言った。
寄り道の済んだリンたちは、次の対象の元へと向かっていた。
開花は年中無休で行われる。花の管理をすることが使命のリンたちに、休みなどは存在しない。
虹ノ宮駅から少し逸れた道にある土下座像周辺には飲み屋が広がる。
新しい出会いの多い春では、飲み会が盛んに行われることもあり、普段よりもより一層騒がしく感じられた。
「浮かれた奴が多いもんだ」
ゼンゼは周囲を見回しながら嗤う。
「感情が一番高まることで種が最も成長する季節。だからこそ、雑草も芽生える可能性も上がるもの」
リンはリストに目を落としながら、悔しそうに目を細める。
「雑草の除去も間に合わない。手が回らずに遺恨が発生してしまう件も出てきてしまった」
飲み屋街を抜けた先にある公園内、リンたちが通り過ぎた瞬間、音もなくその存在が現れる。
二人はつられるように視線を向ける。
「あなたは先週、咲いた人ね」
リンは真顔のまま遺恨に尋ねる。
「ねぇ、苦しいよ……助けて……」
遺恨は恨めしそうに声をかける。
「私の力不足だわ。ごめんなさい。遺恨専門が来たときにでも頼んでくれるかしら」
リンは悔しそうに土を踏む。そんな彼女をゼンゼは一瞥する。
公園内は、遠くから陽気な騒ぎ声が届くほどにしんと静まり返っていた。
二人がやりずらそうに顔を背けたところで突如、リンッと心地良い鈴の音が鳴った。
「ここにも、一人」
背後から声が響くと同時に、何かがリンの頬を掠める。遅れて風を切る音が耳に届いた。
「あ……あぁ…………」
目前の遺恨は、掠れた悲鳴を上げる。その身体は熱で燃やされたように消え始め、ジュワッと蒸発するような音が鳴る。
「今までお疲れ様。あちらでも頑張ってね」
「あ……」
身体が消えて顔だけとなった遺恨は、こちらに視線を向けると、安心したような顔つきになる。
遺恨が言葉を発するよりも先に、姿が消えた。
リンとゼンゼは、唖然としていた。
「あなたが人間専門ならば、私は霊専門というところかしら」
声の主は、ハツラツとそう言うと、リンたちの元へと歩く。
姿を見たリンたちは、あっと声を上げた。
「久しぶり」
目前には、大学生ほどの若さの和服を着用した女性が立っていた。メガネを外したコンタクト姿で、長かった髪も短く切り揃えられているものの、彼女だと示す面影は感じられた。
対象の未練に彼女が関係していたこと、何より開花時期の未定の者に姿を認識されることがほぼなかっただけに、リンたちも彼女のことは覚えていた。
「これが今のあなたの職業なのかしら」
リンは、当時の彼女を思い出しながら問う。
「まだ学生ですけどね」
和服の女性は、照れ臭そうに頭を掻いて答える。
「以前からうちの大学には霊が出ると噂されてまして、ここの霊を祓うのが私の初の仕事でした」
以前接触した時から数年経っていることで外見から幼さは抜け、凛と背筋を伸ばし、記憶よりも前向きで明るい性格に変わったと感じられる。
「霊を認識しないようにしていたあなたが、自ら霊に関わっているなんてね」
「能力を活かせと言ったのは、あなただわ」
和服の女性は肩を竦める。リンは僅かに口角を上げる。
「あなたは今、周囲から一人で話しているように見えている」
「それも、もう慣れました」
和服の女性は空を見上げて笑う。
「会えて嬉しいのです。あなたのおかげで、自分らしい生き方を見つけられました。ずっと、お礼を言いたいと思っていたんです。それこそ、死ぬ瞬間にしか会えないと思っていたんですから」
「死神に花を持たせても、見返りは期待できないわよ」
「いずれ死ぬことは、誰しもが経験することですし」
「そうね。もしあなたがこの先、この街に住み続けるのならば、いずれ私があなたの花を刈ることになる」
リンは、意地悪そうに口角を上げながら告げる。
和服の女性は、しばし考え込むと、フフッと笑みをもらす。
「それだったら、私はこの街から離れない」
そう言うと、和服の女性は、凛と背筋を伸ばして公園を後にした。
後方から「あれ？あなた、霊媒師の香帆さんですか？」との声が上がるも、リンたちの耳には届いていなかった。
「人間って、面白いもんだな」
ゼンゼは目を細めて、和服の女性の背中を見送る。
「そうね」
リンは、観念したように柔らかく笑った。
『凛からのオクリモノ』完。