金曜日。今週は雨が続いていたが、幸いこの日は曇りだった。
今日は放課後から、暁とホタルを見に行くと約束した日だった。私は、普段の学校準備に加えて、財布や身だしなみのポーチなどを準備した。
メッセージでのやりとりの中、暗くなってからなので放課後からだと少し時間がある。だから一度帰宅するかどうかと話した結果、近くのワックによることになった。私が言ったことだった。制服で放課後、ワックによることに少し憧れがあったからだ。
だが、暁は朝から普段と変わらない。学校では真宵にバレない為にも、話題を避けていたこともあるのかもしれないが、それにしては自然なので、逆に今日が約束の日なのか次第に不安になった。
誰かと放課後を過ごすのは、初めてだ。だからこそ緊張が空回りしていたのかもしれない。
――――放課後、一段だけでも短くすんとテンションあがんぜ
ふと、以前真宵が言っていた言葉を思い出した。私は数秒躊躇うが、おずおずとスカートを内に一段折った。
***
ホームルームが終わり、放課後時間となる。
黙々と帰宅準備をしていたが、暁が振り返り「じゃ、行くか」と自然に言ってくれたことで実感した。あまりにも自然だ。
「お前ら、どこか行くんかよ」
ラケットを所持して教室を出ようとした真宵は、私たちに声をかける。
「うん。デート」
「やっ、ちがう」
思わず否定していた。暁の無責任な発言で勘違いされてはこちらが困る。
だが真宵は「ずりぃぞ、璃空!」と何故か暁に対して嫉妬を見せた。そんな彼女をあしらうように暁は手を振ると、教室を出た。
「自転車取ってくるわ」
校舎を出てすぐ暁はそう言うと、小走りで自転車置き場へ向かった。私は肩の力を抜いた。
校舎を出るまでに、暁は三回も声をかけられていた。どれも放課後の誘いだった。そのたびに暁は爽やかに断るが、その後に毎度こちらに視線を向けられた。その視線が痛かった。
皆から人気のある暁の隣を歩くのは、正直かなり気を使う。朝時間や夜メッセージとは違い、皆の前で堂々と二人になるのは、まだ私には早かったようだ。
「ごめん、お待たせ……」
数分後、自転車を押してきた暁は面食らったような顔になる。その反応の意味がわからず首を傾げると「い、いや何でもない」とやり辛そうに顔をそらした。
「もう先生見えないな。後ろ乗る?」
校門を抜けた後、暁はさらりと尋ねる。
私は全力で否定した。先生は見えなくなっても、周囲には、下校する学生がたくさんいる。
必死に否定する私がおかしかったのか、暁は苦笑する。
「そんな、必死になんなくても」
「さすがに恥ずかしい」
暁は、了承したように、自転車を押す。そんな彼の半歩後ろを歩く。
そんな私に気づいた暁は、振り返ると、笑いながら首を傾げた。
「さっきから気になってたんだけどさ、なんで後ろ歩くの?」
「だ、だって……、刺されたらこわい」
「刺される?」暁は面食らう。
「暁くん、人気だから……。一緒にいたら、調子乗ってるって思う人は絶対いるよ……」
「考えすぎだって」
暁は肩をすくめる。だが、少し困った様子も感じられたので、私はおずおず彼の隣に並ぶ。
「お、女はこわいんだよ……。話してるだけで嫉妬したりさ」
隣を歩きながら、弁解するように吐露する。
「彼女でもないのに、そんなこと思うもの?」
暁は、顔を引き攣らせる。
「思う人もいるよ。むしろ、人気がある人ほど敬遠されるというか」
正直に言う。「なんというか多分、みんなの暁くんって感じだから、独り占めしてると妬まれるというか」
「なんなのそれ。さすがに迷惑だから」
暁は苦笑する。そんな彼を見て、やっぱりそうだよね、と内心答えた。
***
入店し、レジで注文を済ます。私はチョコサンデー、暁はビーフバーガーセットを注文して席へと向かう。ガッツリ食べているところからも、もしかしたら夕食代わりにするのかもしれない。
空席を探すため、辺りを見回す。噂に聞いていた通り、放課後時間のワック内は、部活動が強いと有名な紫野学園高校生がたくさん確認できた。私立でもあり、やはり制服がかわいいものだ。自分で言い出したことなのに、この制服でワックに来たことで居づらくなった。
「あえてこの制服で、いすわってやるのがいいじゃん」
暁は、トレーを運びながら言う。ソワソワした私の態度に気づいたのかもしれない。
「あれ、暁さん!」
活発な声が届く。振り向くと、男性集団の中からブンブン手を振る紫野学園の生徒がいた。ツンツンした赤髪が印象的だ。
暁は、おっと軽く手を上げて挨拶する。他校にも知り合いのいる顔の広さはさすがだった。
「俺のバイト先の、後輩」暁が簡単に紹介する。
「暁さんがここに来るなんて珍しいっすね。なにか打ち合わせ……」
そこまで言うと、私の存在に気がつく。露骨すぎる反応に、私はたじろいだ。
「ジャマしないでね」
暁は、含み笑いで言うと、赤髪の青年は察したようにニヤニヤした顔つきになった。
「そうっすか! ならお邪魔しませんね」
また出勤時に、と手を振る。彼も感情が現れやすいタイプのようだ。余計な勘違いをされていそうで不安になる。
そんな彼を、暁は適当にあしらうと奥の席にトレーを置いた。
「小夜ちゃん、コーヒー飲めるんだね」
席についた時、暁は私のトレーを見て言った。
「うん。親が毎朝飲むから飲めるようになった」
「すご、俺カフェオレしか飲めないや。周りも全然……陽は飲んでたか」と、暁はポテトをつまみながら天を見上げる。確かに日中は飲めそうだ。
「自転車置き場から生徒会室見えるんだけど、毎朝飲んでる姿見るし。完全にたそがれる職員」
暁は笑いながら付け加える。安易に想像できたものだ。
「日中くんって、大人だなぁ。だから真宵さんとの相性も良いのかな」
「確かに茜の面倒見いいよね。納得できるけど」
暁は含み笑いで言葉を濁す。首を傾げるが、あいまいに濁されたことからも、これ以上触れるべきではないのかもしれない。私も真宵に惟月の話をされた時は慌てたものだ。同性同士だけができる会話もあるはず。
適当に時間を過ごし、夜六時を回ったころに店を出た。
***
五月下旬で、日が沈む時間が遅くなりつつある。六時では、まだ日が沈んでいなかった。そのため、もう少し暗くなるまでは、藍河稲荷神社に参拝することになった。
「ひ、広いね……」私は呟く。
「来たことない?」暁は問う。
「うん。前はよく通るけど、中まで入ったのは初めてなんだ。お祭りもやってるんだよね」
「うん。規模がデカいよ。オバケ屋敷とかもあるし」暁は言う。
皆で行きたいな、と内心思うも、さすがに口には出せない。ここ最近、どんどん欲が増す自分に驚いていた。
非日常が起こりすぎて、慣れてしまってはいけない。ささいな奇跡の感謝を忘れないようにしなければ、バチが当たりそうだ。
視線がささり、我に返る。黙り込んだ私を暁は不思議そうな目で見ていた。私は「なんでもないよ」と言って手を振る。
「この神社に、伝説あるよね」
「伝説?」暁は素朴に問う。
「本殿の中に、『呪石』というのがあって、そこには妖狐が封印されてるって言われてるんだ」
そう言って私は、本殿に目を向ける。汚れの知らない朱色の本殿が、邪気を追い払うような妙な力を感じた。
「百年以上前、その妖狐が虹ノ宮を荒らしたと言われてて、その時に命を落とした人の数だけ、ホタルが現れるってさ」
毎週借りる本の中で得た知識だった。地元のことは話題になると思い、恐怖心もありつつ伝説についての本を借りたことがあった。
「そうなんだ。この街って、結構色々な都市伝説あるよね」
暁はつられるように本殿を見る。意外と彼は街について詳しくないようだ。
陽が沈む。私たちは目的の川まで訪れると、ふわっと光が舞った。
ホタルだった。