2【春川 桃吾】②




三時間目が開始する。
国語の授業なのか、先生は音読しながら縦文字で黒板に板書し、生徒はそれを黙々と書き写している。
対象には姿を認識されるため、下手に教室内に入ることができずに、リンは教室の外から春川をジッと観察していた。

春川は退屈そうに頬杖をつきながらも板書している。
以前、彼がこの学校は授業の進行速度が速いといっていたことからも、授業は真面目に受けているようだった。

特に目立った成果も得られないまま、授業終了のベルが鳴り響く。
四時間目は体育なのか、生徒たちは、鞄を手に取り教室を後にする。

だが、春川だけは鞄も持たずに、皆とは別の方向へと歩き始める。

リンは首を傾げながら後をつけると、彼に声をかける生徒が目に入り、壁に隠れて様子を窺う。

「今日も春川くんはお休み?」クラスメイトが不安気に尋ねる。

「うん。こればかりは仕方ないよ」春川は苦笑して肩を竦める。

「僕だって、本当はみんなと一緒に体育したいんだけどさ。発作が出たら困るしね」
そう言うと、春川は軽く手を振りながら足を進めた。

そんな彼の言葉を耳にしたリンはこれか、と内心思う。

持病は、雑草の芽生える原因に成りうる可能性が高い。
以前のピアニストの時も、『もう一度ピアノが弾きたい』という未練が芽生えたのは、腕を負傷したからだ。
だったら簡単なことだ。持病を治せばいい。

所詮、神の手の上なんだから、とリンは春川を一瞥すると、その場を離れて校門へと向かった。

 

***

 

校門前の大木の上に、ゼンゼの姿があった。
意外と人間に気づかれないことからも、木の上は絶好の観察場所だった。いかに人間が、下を見て生活しているかが窺える。

ゼンゼは胡坐をかいて、何やら本を読んでいた。

「あなたが本を読むなんて」
リンは脈絡のないトーンで声をかける。

「本っつーか『漫画』って言う地球のカルチャーだ」
ゼンゼは、所持している漫画本をひらひら振りながら答える。

タイトルは『REBELS』で著者名は『宇蘭』。表紙には、青髪のひ弱そうな恐らく主人公にあたる青年と、いかにもトリックスター枠と感じ取れる白衣を着た怪しい科学者が描かれ、近未来的な作品だと感じ取れる。

「ここ日本は、漫画文化が発達しているって聞いてたからな。暇つぶしになるかなって読んでみたら結構おもしろくてよ。普通に続き、気になんだよな」

こいつはきっとこれから来んぞ、とゼンゼは嬉々として語る。彼女は険しい顔で彼を見る。

「それ以前に、その本はどこで手に入れたの」

「さっき、ここを通ったガキが」

「ここの生徒が」

「持ってた」

リンは溜息を吐く。

「対象以外には姿が見られないことを自覚しているのかしら」

「逆に誰の仕業かもバレることはねぇ」ゼンゼは悪戯っ子のように嗤う。

「それにこの小学校には漫画を持ってきちゃならねぇって規則もあんだ。いわばこれは天罰だ」

神だけに、とゼンゼは胸を張る。リンは再び溜息を吐く。

「とにかく雑草を生む原因を作るのはやめて」

「『なくした漫画を見つけたい』だなんて未練だったら、手入れも簡単だろうよ」と肩を竦めながらゼンゼは身体を起こす。

「それよりも、下調べが終わったわ」

「お、早いな」

「対象には持病がある。だから恐らく、それが関係している」

「だったら今回は、持病を治すってわけだ」

「異常があったら取り除く。病気の快方ほど簡単な手入れはないわ」

「厳密には幻覚だけどな」

雑草の生えた原因を見つければ、あとは単純だった。
亡くなった人物に会いたいと所望するならば、種のデータから虚像を生み出せばいいし、過去をやり直したいと願うのならば、時間が巻き戻ったように錯覚させればいい。

全て対象自身のみが見えている幻覚に過ぎないが、目的は負の感情の清算なので問題はなかった。
何より、雑草が取り除かれた瞬間が一番種の質が良く、絶好の開花時期だ。対象は、幻覚を見せた後すぐに死ぬことになるのだから、周囲がどう反応しようと質には影響しない。

例えるならば、医者と患者の関係だ。体調が優れずに病院にかけこみ、診察を受けて薬を処方される。
診察が観察にあたり、処方箋がリンたちに与えられた力にあたる。

リンはどこからか取り出した紫色の花を手に持つと、ついてきて、とゼンゼに目で合図する。

「これ終わったら、書店行こうぜ」

そわそわしながら漫画をめくるゼンゼをリンは無視して先に進んだ。

 

***

 

「発作は嘘だよ」

保健室のベッドで横になる春川は、あっけらかんとした表情で答えた。

「え?」リンは心底驚いた顔で答える。

「いや、僕、体育嫌いなんだよね。だから昔からそう言ってるだけ。というか、同じクラスでもないのに、何で僕が発作だなんて知ってるの?」
春川は怪訝な顔でリンを見る。

「偶然、聞こえてきたから」
リンは僅かに動揺の滲む顔で答える。

確かに彼の周囲には、漫画雑誌やお菓子といった類が確認できる。それらの品からも、常習犯だということは歴然だった。

「ふーん。お人好しもいいところだね。ま、こんなところで油売ってないで、ちゃんと授業出たほうがいいんじゃないの、転校生ちゃん」

春川は挑発するように笑う。弄ばれているようで内心不愉快になる。

だが、確かに異常を取り除いたはずなのに、雑草は抜けていない。
彼が嘘と言った言葉は、本当のようだ。

「でも私に嘘ってばらしてもいいの?」
リンは腑に落ちない表情で尋ねる。

「別にいいよ。だってこんな場面見られちゃったし、それに転校生ちゃんの言葉よりも、僕の方が信じる人多いだろうしね」

春川は口角を上げて得意気な顔をする。

リンは、やるせない感情のまま、しぶしぶその場を後にした。

「ありゃ」

ゼンゼは離れた木の上から、素っ頓狂な声を上げる。
原因が判明すれば片付けるのは早い。いつ合図が来てもいいように、そばで待機していた。

「雑草、抜けてねーじゃん」

ゼンゼは手に持つ漫画本を置いて、興味深気に頬杖をつく。

保健室から出てきたリンはこちらに振り返る。その顔はいつになく不満気だ。
そんな彼女の反応に嗤い、木を蹴って即座にリンの元に寄る。

「雑草はどうしたんだ?」

「原因が違った」

リンはぶっきらぼうに答える。どこか不貞腐れてる彼女に、ゼンゼの口角は無意識に上がる。

「持病は大抵、原因に絡んでんじゃねーの?」

「そもそも持病がなかった」

「つまりおまえは、騙されたってわけだ」

愉快げに嗤う彼をリンは訝し気な目で睨む。

「そんなにおもしろいの?」

「そりゃ、エリートくんが苦戦してるところを傍から見てんのはおもしろいもんだぜ」
ゼンゼはあっけらかんと答える。

「誰のおかげで、あなたはお腹いっぱい食事ができているのかしら」

「えぇ、リン様のおかげですね」ゼンゼは手を握ってにっこり嗤う。

彼の掴めない飄々とした態度にリンは小さく息を吐くと、くるりと踵を返して歩き始める。

「そこまで拘る必要ねーだろ。そんな時もあるもんだって」

「妥協はしない。絶対にきれいに咲かせるんだから」
リンは眉間にしわを寄せて宣言する。

ゼンゼは彼女を一瞥して、首を捻った。

 

***

 

開花期間が迫る中、リンは積極的に対象との接触を試みる。

昼間は転校生として振舞い、学校が終了すると彼の後を付けて行動を見張る。

さすがSランクの種、というべきか。彼の家はそこらに立つ家の三倍ほどの敷地はあり、セキュリティも万全だと言える。
死神のリンにとって安全装置など無いに等しいものの、対象には姿を認識される為、気付かれぬよう外の木から家内を観察する。
窓から観察する限り、円満家庭と感じられた。

だからこそ、彼の未練が何か掴めなくて、リンは悩んでいた。

「やっぱり、こいつが黒幕だった」
隣のゼンゼは漫画本をめくりながら目を見開く。

「あなたも少しは協力してくれないかしら」
リンは怪訝な顔で彼を見る。

「俺は喰えたら何だっていいんだよ」

基本的に仕事は、死神と鎌でタッグを組み、鎌は死神の手足として雑草や花を刈る役目となっている。花を転送する時も、鎌が花を飲み込むことで行われ、雑草も鎌に処分される。

死神や鎌には、食事や睡眠といったものは基本的に必要ない。
花を刈ることが彼らの使命。それ以外の余計な要素は、基本的に備わっていない。
だがゼンゼは珍しく大喰らいであることから、彼には花と雑草を喰らう「食事」という行為がご褒美だった。

「エリート出身の名を維持する為かしんねーけどよ、質の良い花を咲かせたいっていうのはおまえのエゴだ。俺はむしろ、付き合わされてる身だ」

ゼンゼから「エリート」との単語が飛び出た瞬間に、リンの顔が曇る。

「その呼ばれ方は、あまり好きじゃない」

「そう認知されてんだから、仕方ねぇ」

ゼンゼは軽い調子で反応する。リンは溜息を吐きながら顔を戻す。

一晩中、対象を観察することも体力的には可能だ。

だが、精神的には別だった。

 

「くたびれてんじゃん」

開花時期まであと二日と迫った、放課後の閑散とした教室内。
ゼンゼは、教室の机で突っ伏すリンに嗤いながら声をかける。

外で待機しておけといったはずなのに、平然と小学校内に侵入している彼を咎める元気すら今のリンには持ち合わせていなかった。

「うるさい」

リンは嫌悪感丸出しに答える。「ここまで手がかかるとは思わなかった」

「面倒くさい生き物なんだよ、人間は」ゼンゼは小さく息を吐きながら、彼女の前の座席に腰を掛ける。

リンはしばらく黙り込むと、頭を起こして「人間が『害』と呼ばれるのは、こういう意味なの?」と素朴に尋ねる。
珍しくしおらしい態度に、ゼンゼはおっ、と目を見開く。

「研修の時にそう教わったの。理由がわからなくて、上司に尋ねたわ。そしたら『人間って面倒くさいだろ』って言った」

「あぁ。そして俺も何度も言ってる」ゼンゼは口を曲げて補足する。

「そりゃ、わかりやすい奴もいるだろうけど、思ってることをそのまま出す奴なんていねぇよ。特にここ、日本は陰湿な奴が多いもんだ。そうでなくても、基本、人間は何考えてるかわかんねーよ」

彼のその言葉に、リンは口を曲げる。

「それでも」リンは再び机上にごろりと頭を乗せる。「絶対、きれいに咲かせるもん……」

駄々っ子の子どものようなリンをゼンゼは一瞥すると、「なぁ、おまえ」と、彼女に向き直る。

「何でそんなに維持になんの?前も言ったが、手入れは別にきまりじゃねぇ。花の回収をすることが俺らの使命。ほっといても時期が来れば咲く花を刈りさえすれば良いんだ」

全ての生物の中に宿る『種』。
身体という『器』に与えられてから日々の生活の中で成長して、最期の時には『花』を咲かす。そしてその花から採れた『種』が再び新しい生物を生む。
そうしてこの世は循環している。

リンたちの仕事は、『種』を循環させるために、開花した花を回収すること。
彼の言う通りに、特別死神が手を加えなくても、時期が来れば花は勝手に咲く。

だが稀に、季節外に開花したり、環境が花に適さない場合があることから、開花時期の前後四日間は、現場の者に種の管理を一任され、適したタイミングに花を咲かせることや、開花時期をずらすことができる。

とは言うものの、大抵予定通りの時期に咲くことと、人間との関わりを避けていることから、基本的に死神たちは、開花を待つ種の傍で見守り、花が咲いたら刈って終了、と最低限の仕事のみ行うものが多い。中には、開花のタイミングを自ら調整できることを良いことに、開花時期四日前になるとすぐに花を咲かせて、仕事を終わらせる杜撰なものすらいるほどだ。

だからこそ、ここまで人間に関わって花の手入れをする彼女の姿は、ゼンゼには異様に映っていた。

リンはしばらく黙り込むと、顔だけを彼に向ける。

「小さい頃に転送されてきた花を見て、本当に汚いなって思ったの。醜くて、見ていられなかった」
リンは滔々と語る。

「具体的な理由はわからない。あなたのように意地になっているだけかもしれない。でも、とにかく汚いのは嫌なの」

再びごろりと顔を背け、窓から覗く灰色の空を見上げる。
ゼンゼはそんな彼女をじっと眺める。

「俺、おまえと組んだばっかだし、きっちり仕事をこなすだけのただのエリートちゃんだと思ってたんだけどよ」

ゼンゼは頬杖をついて顔を寄せる。リンは何のことだ?と顔を向ける。

「案外、てめぇのことしか考えてねぇガキなんだな」

「けなしてる?」リンは険しい顔になる。

「いんや、褒めてる」ゼンゼはニヤニヤ嗤いながら答える。

リンは小さく息を吐くと「でも」と再び顔を窓に向ける。「もう、あと一日しかない」

ゼンゼは茫然と窓を眺めて「俺も、そろそろ何か喰いてぇな」とぼやく。

「あの年齢であの雑草ってことは、あいつの育った環境が関係してそうだけどな」
でも質は良いんだもんなぁ、と付け足す。

彼のその言葉に、リンはふと思う。

初めて彼と出会った時の会話を思い出していた。達観した佇まいで話す彼は、ただませていただけかもしれない。だが、彼にそう思わせる何か強い要因があったのかもしれない。

「明日一日、もう一度対象と接してみるわ」

ゼンゼは彼女を一瞥すると、ま、無理すんなよ、と軽く声をかけた。

 

***