「前にも似たようなこと聞いたよね。一体何を根拠にそんなこと言ってるの?」
春川は軽く首を傾げる。
リンは再び黙り込み、目を逸らす。
「あなたには、この世に未練なくきれいに終えて欲しいの。その為に私は、あなたの力になれる」
その言葉を聞いた春川の表情には、初めて動揺が生まれた。
「え、終えて欲しいって何?どういうこと?」
春川の問いかけにリンは数秒黙ると、まっすぐ彼を見る。
「あなた、明日死ぬのよ」
直球の言葉に、さすがに春川の身体も強張る。
ゼンゼは額を抑えて頭を振るも、彼女の思考を理解したようで何も言わない。
開花予定日は明日だ。わかっているのは日付だけで、時間や場所など詳細なことは、当日が来るまでわからない。
人間に死期を宣告してはいけないという決まりはない。宣告したことで新たに雑草が芽生える可能性は高いものの、時間がないことから正直に打ち明け未練を解明することにリンは賭けたのだ。
春川は圧倒されたように数秒黙るも、「へぇ、明日死んじゃうのかぁ」と間延びした声を上げる。
「怖くないの?」
「怖くないわけないよ。もう、震えるほど怖い。夜も眠れないし、外にも歩けない」
そう言って春川は、自身の身体を両腕で覆い、怖がってるアピールをする。
「嘘は、いい」
「ばれちゃった?」春川はケロッとした顔をリンに向けると、教室内に戻り、自身の鞄を手に取る。
「ま、万が一、僕が明日死ぬとして、ひとつ気がかりなことと言えば」
春川は教室外に出ると、足を止める。
「明日の給食は、僕の大好きなハンバーグなんだ。それは食べたいなって」
そう呟くと、軽く手を振りながらこの場を去った。
そんな彼の背をリンとゼンゼは呆然と眺めていた。
「完敗だな」
ゼンゼは嗤いながら呟く。
リンは険しい顔のまま、春川の背中を見ていた。
開花予定日当日までに雑草が取り除けなかったことは初めてだった。
今までは、除去してすぐに花を咲かせてきたので、このような荒れた状態で開花予定日を迎えることは、むしろ新鮮でもある。
だが、当の本人、リンにとったら屈辱でしかなかった。
「今回はどうやって咲くかな?」
ゼンゼは木の上から春川を観察しながら呟く。「轢死が一番無難か」
珍しく徒歩で登校していることからも、リンにも粗方開花要因はそれだと踏んでいた。
花の咲き方は、開花時期が来るまでわからないものだ。
命を取ることだけが使命の死神たちにとったら、どのように花が咲くかにしか楽しみは見出せずに、開花要因を巡って賭けをする者もいるほどだ。
リンはいまだ険しい顔で春川を見る。そんな彼女に気づいたゼンゼは苦笑する。
「こういう時もあんだって。適度に力抜いて仕事しねーと後々辛いぞ」
「でも、まだ開花してない」
開花予定日は今日だが、今、彼は元気に登校している。まだ時間はあるはずだ。
だが、運命というものは、思いがけないタイミングで訪れる。
赤信号で静止している春川の斜め前方から、ブォンとエンジン音を鳴らして猛突進でこちらに向かってくる車が目に入る。老人がアクセルとブレーキを踏み間違えたような速度だった。
リンは目を見開く。ゼンゼも「ホラ、やっぱり」と呟きながら事の顛末を見届ける姿勢になる。
だが間一髪、春川は若さゆえの反射神経で衝突を回避した。
老人の運転する車は歩道に乗り上げ、電柱にぶつかり静止する。
他の死神が周囲に確認できないことから、死人はともかく、怪我人すらも出ていないようだった。
「あっぶな……」思わず春川は声を漏らす。
その瞬間、パパーッとクラクションが鳴る。
はっとして春川は正気に戻る。突進してきた車にばかり気を取られており、道路に飛び出していた。
春川は音の鳴った方へと顔を向ける。それと同時に前方の木にリンとゼンゼの姿があることに気づき、不意に目が合う。
大型トラックがハンドルを切るも、勢いがあり間に合わない。
「あ、あれ……」
春川は顔面が真っ青になる。目前に迫る恐怖に足がすくんで動けないようだった。
この顔は何の仮面もかぶっていない素の感情だと、四日間観察してきたリンには瞬時に伝わった。
途端、リンは木から飛び降りて走り出す。
「おい!」ゼンゼは叫ぶ。
だがリンは、足を止めずに春川の元へと駆けていく。
彼女自身も何故このような行動に出たのか理解できていなかった。無意識に、反射的に動かされた行動だった。
だめ。こんな状態で咲かせたくない。
だが、圧倒的な速度の差に間に合うわけがない。
そう判断した瞬間、リンはポケットから時計を取り出して、目前のトラックの運転手に向けた。
「あいつ……!」
彼女が何をしようか瞬時に察知したゼンゼは、泡を食って飛び出す。
春川が腕を覆って顔を伏せる。
その場に甲高いブレーキ音が響いた。
トラックのドライバーは、大慌てで運転席から降りて、車両前方を確認する。
だが、誰の姿も確認できなかった。
「あ、あれ……?」
運転手は辺りを見回して困惑する。周囲の人たちも、同じく目を見開いて静止していた。
この場にいる全員、確かに少年が飛び出た場面を目撃したんだ、といった意思が感じられる。
老人の暴走車に大型トラックの急停止と現場が騒然とする中、少し離れた公園に問題児の姿があった。
「……フ―――」
公園にそびえ立つ大木の上で、ゼンゼが冷や汗を流しながら呼吸を整えていた。
右腕ではリンを抱え、左手では春川の首元の服を掴んでいる。
間一髪、春川がトラックと接触する前に、ゼンゼが二人を庇っていたようだ。
「なっ……なんだ……!?」
はっと正気に戻った春川は、一瞬こちらに振り向くも、表情を変えずに視線を戻す。ふと足元を確認したところで彼は目を見開いた。
途端、ゼンゼは左手を放す。
「わああああ」と情けない声と共に、春川は地面に落下した。
「ちょっと……!」
リンは、焦燥気味にゼンゼに振り向く。
「死なねーよ。例えここがビルの屋上だとしても、開花時期は過ぎてんだからな」
ゼンゼは呆れたように説明すると、脇からリンを離し、木に座らせる。
俯いて目を合わせようとしない彼女に、ゼンゼは厳しい視線を向ける。
「おまえ、今、何しようとした」
リンは黙ったまま答えない。その反応を見たゼンゼは、再び長い息を吐いて言葉を続ける。
「リストに記載されてねぇ種名の花を咲かせんのは、規則違反だ」
先ほどリンが、時計をトラックの運転手に向けていたことから、並レベルの運転手の種よりも、春川のSランクの種を守ろうとしているのだとは、ゼンゼにはすぐにわかった。
リンはいまだ口を結んで下を向いている。
「手入れして質の良い花を咲かせることに拘んのは立派だと思うぜ。だがな、決められた規則を破ってまで突き通すのはただの我儘だ。そんなんだとおまえ、いつか死ぬことになんぞ」
ゼンゼは冷静に現実を突きつける。
「あのままだと汚い花が咲いていた。どうしても咲かせたくなかったから」
リンは、顔を背けて無愛想に呟く。
ゼンゼはリンを一瞥すると、「これだからガキはよ」と両手を広げて頭を振る。
「ま、その感情がてめぇのエゴからきてるうちはまだいいさ。だがな」
そう言うと、ゼンゼはリンの頭を掴んで、無理矢理自分と視線を合わさせる。
リンは、相変わらず無機質な顔をしていた。
「人間に呑まれんな。俺たちの使命は、咲いた花を回収することだ。間違っても『生かしたい』とは思うんじゃねぇぞ」
ゼンゼは、一切の笑みが消えた顔で忠告する。
彼の気迫にリンは一瞬息を呑むも、普段の澄ました表情で「うん」と頷いた。
「それなら、よし」
ゼンゼは尖った歯を見せて満足気に嗤うと、リンの頭をポンッと叩いて手を離す。
リンは自分の頭を軽く擦ると、ふと思い出したようにゼンゼに振り向く。
「でも、平気?」
「平気、とは?」ゼンゼはキョトンとした顔で聞き返す。
「だって、開花を阻止した」リンは淡々と状況を述べる。
「あぁ、というか阻止したんじゃなくて時期をずらしただけだ」
ゼンゼの至極当然の返答に、さすがのリンも「えっ」と驚きを漏らす。
「開花に適さねぇ環境下なら当然の判断だろ。あのままだったらおまえは規則を破ってたから俺が勝手に報告したんだ。そもそも俺らが現場に出向くのはその判断をするためだぞ。まさかおまえ、知らなかったのか?」
ゼンゼは嘘だろ、という目でリンを見る。
「だって、聞いてなかったから」
リンは心なしムッとした顔で答える。
だからあんな行動とったのか、とゼンゼは溜息を吐く。
「まぁ、延期にすりゃ、その分仕事が先延ばしになるだけだかんな。他の連中見りゃ、いちいち言わなくてもいいって思ったんかも」
ゼンゼは同情の混じる声で解釈する。リンは僅かに頬を膨らませる。
「みんな、適当すぎない?」
「それは、今に始まったことじゃねぇ」
リンは、木から飛び降りると、いまだ地面で伸びている春川を一瞥する。
先ほどの彼の様子からも、もうリンたちの姿は彼には見えていないのだろう。開花時期が延びたのだから当然だ。
リンは、再度彼に視線を送ると、凛と背筋を伸ばして公園を後にする。遅れてゼンゼも彼女の隣に並ぶ。
「本当、人間って面倒臭い」
「それも、今に始まったことじゃねぇ」
ゼンゼは愉快気に指摘した。
昼休みに入り、給食の準備で教室内はざわざわしていた。
途端、教室内のドアがガラリと開いてクラスメイトの視線は一点に集まる。
頬にはガーゼを、腕には包帯を巻いた春川が立っていた。
そんな彼の痛々しい姿に、クラスメイトは息を呑む。
「と、桃吾くん……!」
雷治は目を見開いて立ち上がり、息まいて彼に近づく。
「大丈夫!?朝に先生が言っててびっくりしたんだ」
「ちょ、ちょっとまだ混乱してるけどさ。軽い怪我だけで済んだよ」
運が良かったよ、と春川は肩を竦める。クラスメイトも、不安気に春川に近づいて様子を窺う。
「今日は送迎じゃなかったの?」クラスメイトの一人が尋ねる。
「たまたま今日は都合が悪くてさ。でもやっぱり徒歩は怖いね。これからは無理を言ってもお願いするよ」
「桃吾くん、たくさん食べるとケガも治るよ」
雷治は、自身の給食を春川に差し出しながら言う。お皿の上にはメインディッシュのハンバーグが乗っている。「ほら、桃吾くん、ハンバーグ好きでしょ」
「おまえの風邪と一緒にするなよ」クラスメイトは揶揄う。
「まぁ、雷治がそこまでいうなら、食べてあげるよ」
春川は、差し出されたお皿を受け取りながら答える。
そんな様子を、リンとゼンゼは木の上から静かに眺めていた。
「満更でもなさそうな顔」ゼンゼは尖った歯を光らせながら嗤う。
「きっと、これが彼にとっての贖罪なのよ」リンはぶっきらぼうに呟く。
「ただ都合の良いように扱ってるようにも見えるけどな」
二人はしばらくその場で春川を見守った後、白扇小学校を後にする。
リンとゼンゼの二人は、小学校から少し離れた先にある私立大学に向かっていた。
ギリギリ、リンの管轄である虹ノ宮市内に位置し、隣は郊外であることからも、周囲は緑で囲まれている。
新学期が始まって一ヶ月経ったことで、学園生活に慣れてきたのか、明日から始まるゴールデンウィークを前に浮き立っているのか、校門をくぐる人の顔は皆、心なし余裕が感じられる。
校門横には『花埼大学』との看板が掲げられていた。
縦横無尽に人が移動する中、ひっそりと北側にそびえ立つ校舎近辺だけは、人気が感じられない。カラーコーンやロープが張り巡らされ、今は立入禁止だとわかりやすく警告されている。
「匂うな」ゼンゼは鼻をすんすん鳴らしながら言う。
「ここで間違いないでしょう」リンは周囲を見回す。
北校舎の玄関片隅に、複数の花束が添えられていた。
「この世界では、花が咲いて種の亡くなった器に対して贈る『手向けの花』という風習があるらしい」
リンは添えられている花束に軽く触れながら言う。
「花は俺らが刈っちまうからな」ゼンゼは肩を竦める。
しばらくその場に留まっていると、音もなく遺恨が姿を見せる。
器を失っていることで身体は透けて不安定な存在ではあるものの、若い女性と顔まではっきりわかるほどにはくっきりと現れていた。
リンたちはその遺恨を茫然と眺める。
「あなた……私が見えるのね……」遺恨が囁く。
「弟の雷治くんにそっくりね」リンは感情のこもらない声で遺恨に語りかける。
その言葉を聞いた遺恨は一瞬目を見開くも、悲しそうな表情を浮かべる。
「ねぇ……あなたたち、人間じゃないでしょう?私を祓ってくれるの……?」遺恨が尋ねる。
「悪いけど私は生きた人間専門。だから、そっち専門が来た時にでも頼んでもらえるかしら」
相変わらずリンは淡々と答えるものの「でも」と言葉を続ける。
「もう少し私がこの街の管轄になるのが早ければ、あなたはここに留まり続けることはなかった。私の仲間は手を抜く人が多いから、ごめんなさい」
リンは頭を下げる。そんな彼女を見た遺恨は寂しそうな顔をして下を向く。
「これは私の選んだ道だっただけ。あなたは何も悪くない」
遺恨はそう言うと、スッと姿を消した。
二人は立ち上がると、そのまま大学を後にした。
昼過ぎのビジネス街。縦横無尽に人が渡る歩道をリンたちも堂々と歩いていた。
「春川の幼馴染である雷治には、七つ離れた姉がいた」
リンはリストを確認しながら言う。「でも、三月二十三日に、あの場所で自ら花を咲かせている」
リストには、花のステータスや咲いた日時などのデータのみが記載され、どのように花が咲いたかの情報を知ることはできない。
とはいうものの、数週間前のできごとであることから、当時のニュースは簡単に調べることができていた。
大学内の図書館にある新聞記事から得た事実に、今までの春川の発言。加えて、昨日、春川が送迎もなく一人で向かっていた先。
リンたちは行方を捜すことに手間取り、結局彼が帰宅するまで消息が掴めなかったものの、花の咲いた日程と照らし合わせれば想像はつく。
「だけど結局、雷治の姉の自殺と、春川の未練との関連性はわからないわ」
「おまえがこの街の管轄になるのがもう少し早けりゃ、雑草は生えてなかったんかもな」
リンがこの街、虹ノ宮市の管轄になったのは日本時間で四月一日。
少し早ければ、雷治の姉は未練なく花が咲くことができていたかもしれないし、春川には雑草が生えていなかったかもしれない。
だが、今ではその真偽を確かめる術はない。
「次の奴のことを考えて始末することが常識。この世界ではそういうのを『立つ鳥跡を濁さず』って言うらしい」
「あなたは、一体どこからそんな知識を仕入れているのよ」
リンは怪訝な顔をゼンゼに向ける。彼はこれだ、と以前とは違う漫画本を掲げながら答える。
「ジャパニーズカルチャーは、案外勉強になるもんだぜ」
「興味がないわ」
土下座をしている銅像を曲がると、飲食店の並ぶ細い道に入る。昼営業で盛んだったのか、香ばしい香りがその場の空間を充満していた。
「なぁ、少し立ち寄っていこうぜ」
ゼンゼは興味深々に店を指差す。店前の看板には複数のラーメンの写真が掲載されている。
リンは呆れた顔で彼を見る。
「あなた、対象以外には認識されないって理解してるのかしら」
「だから、金もいらねぇじゃん」
「どうやって注文するつもり?」
しかしそこでリンは足を止める。看板を確認すると、今開いているリストに記載されている情報と一致していた。
それと同時に、少し開かれたドアの隙間から、「そこの若い二人組、もうすぐでランチ終わるから、サービスするよ」と笑顔で声をかける店主が目に入る。昼休みが終了しているのか、店内には食事するサラリーマンの姿は見られない。
「ほら」ゼンゼは嗤いながらリンに振り向く。
リンは腑に落ちない顔をしながらも、「これも、観察の一種ね」と呟きながら入店した。
シーズン1【春川 桃吾】完了