冬森はコンビニ内でコーヒーを購入すると、外で嗜む。
リンは店員が見ていない隙に、勝手にコーヒーをカップに注ぐと、同じくコンビニ外に出て彼女に近づいた。
彼女の人当たりの良い性格からも、多少強引に接近しても受け入れられると踏んでの行動だった。
リンが声をかけようとした瞬間、「吉かぁ」と冬森は残念そうに呟く。
「吉?」
「あ、このコーヒー、おみくじがついてるんですよ」
リンに気づいた冬森は、上機嫌にカップの側面を指差す。
リンも釣られるように手元のカップを見ると、確かにコードらしき番号の羅列したシールが貼られていた。
「大吉だったら、宝くじや系列の喫茶店の食事券がもらえたりするんですよ。おもしろいですよね」
「さすが、喫茶店で働いているだけ、その辺りの情報は得られているんですね」
「偵察だと思われたら、何も言えませんが」
冬森は苦笑しながら頭を掻く。
日も落ちたことで、ひゅうっと冷やされた風が吹く。
冬森は、カップを両手で持ち、暖を取る。死神は人間より外気の寒暖を感知する感覚が鈍いものの、リンも同じく身を縮めて彼女に倣う。
「今日は、遊びにでも行かれていたのですか?」
リンは、冬森の手に持たれた大量の手土産を見ながら尋ねる。
冬森は、下を向いて「実は、列車の事故で遅れて、今から彼氏の家に」と告白する。
だが、冬森の顔は、普段見るものよりも、僅かに曇っていた。
「あまり、元気がないようですが」
リンは間髪入れずに言葉を発する。
冬森は、やりずらそうに口を曲げると「実は」と切り出す。
「別れるつもりでして……」
「それは、まぁ」
予想外の告白に、リンは目が丸くなる。
「さっきまで一緒にいたんですけどね。ちょっと自信がなくなってきたから、少し活を入れようと、ここで休憩を……」
冬森は、へへっと力なく笑いながら頭を掻く。
見ず知らずの人間にほど悩みを打ち明けやすいとはどこかの作品で手に入れた知識だが、確かにその通りだな、とリンは内心思う。
それと同時に、今までのSランクの難易度の高さを改めて感じていた。
「私、嫌われるのが怖いんですよ」
「八方美人、というやつですか」
「そうかもしれません」冬森は苦笑する。
「別れるのも、これから仕事に集中したいからなので、相手が嫌いになったわけじゃないんですよ。だからこそ、相手を傷つけないような言い方ができないかな、ってずっと考えてて。罪悪感から、たくさんお菓子買ったりして」
そう言って、やりずらそうに、手に持っている紙袋を見せるように掲げる。
「でも八方美人って、ずるい生き方だなって思うので、自分でも嫌なんです。ほら、あのコウモリみたいで」
「コウモリ?」
「争いごとをしている獣と鳥の両方に『私はあなたたちの仲間です』と良い顔をする、イソップ童話のコウモリ」
冬森は両手をパタパタと振って、コウモリの真似をする。
そんな姿でさえ愛らしいな、とリンも思えるほどに、彼女には嫌味がなかった。
「でも最後は、『どっちの味方なんだ』と言われたことで、双方から嫌われるんです。だから、コウモリは夜にしか行動できなくなったとか」
「コウモリの翼は黒く、日光に弱いからだと思っていたわ」
「これは童話ですよ」
冬森は苦笑する。リンはふむ、と腕を組む。
「やっぱり、ジャパニーズカルチャーは侮れない」
真面目な顔で頷くリンを、冬森は微笑ましい顔で眺めていた。
「すみません、いきなりこんな話。でも、あなたに話したことで、ちょっと勇気が持てました」
冬森は力強い声で言う。
そんな彼女をリンは一瞥すると、僅かに口角を上げた。
「あなたなら、このままでもきれいな花が咲きそうね」
「咲く?……って、あれ?」
冬森は辺りをキョロキョロする。今まで話していた少女が、突如姿を消したのだから、当然の反応だ。
コンビニの屋根に上がったリンは、通信機のボタンを押す。
すっかり忘れていた手に持ったカップに口をつけると、険しい顔をする。
ジジッとの音と共に「リン?」とゼンゼの声が響く。
「私、このコーヒーというものだけは、嗜めそうにない」
「いきなり、何の報告だ」ゼンゼは苦笑する。
リンは、おみくじのシールを剥がすと、コーヒーの入ったカップを屋根に置いた。
「対象の未練がわかったの」
リンは単刀直入に言う。
だが、ゼンゼから反応がない。
「ゼンゼ?」
リンは訝し気に問う。
「あなた、今どこにいるの?」
「……あの彼氏の部屋にいるんだけどよ」
ゼンゼは少し動揺の混じる声で答える。「想像以上に、やばい奴だわ」
ゼンゼに導かれ、リンは冬森より先に、椿の住むマンションまで来ていた。
リンたちは、ベランダ窓から中に侵入する。
椿は開花期間中でもなければ、霊感も感じられず、リンたちの姿が認識されない。その為、窓を開く瞬間さえ見られなければ、堂々と部屋内にいたところで問題はなかった。
だが、彼の部屋の中が、問題だらけだった。
「この匂い……」
リンは、椿のリビングに入った途端に、顔を引き攣らせる。
「馴染みの匂い、とも言うか」
ゼンゼは肩を竦める。
一見、机とテレビのみが備わったシンプルで整頓されたリビングに見える。
だが、拭え切れぬ異臭が立ち込めていた。
仕事でよく嗅ぐことから、何の匂いかはリンたちには考えるまでもなく判断できた。
あの部屋だな、とリンは戸の開かれた寝室を見る。
人気を感じることからも、恐らくあの中に椿本人もいるのだろう。
「匂いもだが、それ以上にやばいのがあれだ」
ゼンゼは、寝室前まで歩くと、中を顎で指した。
リンも恐る恐る寝室に顔を向けると、目を見張った。
寝室の壁一面には、おびただしい数の写真と付箋が貼られていた。
そんな壁を、椿は恍惚とした表情で眺めている。
「こういう趣味を持ってるのかしら」
「久しぶりに、ネジの飛んでる人間を見たもんだ」
二人はおもむろに寝室に入る。リビングで匂った異臭もより一層強く感じられた。整頓されたリビングとは一変して、ところどころ確認できる汚れが原因だろうとは想像がつく。
リンは、壁に近寄って写真や付箋を観察した。
その写真の中の女性はみんなぐったりとして、すでに開花した後のものだとわかる。
茫然と眺めていたが、そこではたと目を丸くする。
「この顔……」
リンの見ている写真には、以前、花埼大学内で見た遺恨の女性の写真が貼られていた。北校舎玄関が映っていることからも、遺恨の表れた大学内で撮影されたものだと示している。
写真内の女性も、開花して直後のものだと感じられる凄惨な状態だった。
写真のそばにある付箋を確認すると、彼女の名前だと示す『鈴村 蜜柑』と書かれた上からバツ印が付けられている。
さらにそばに見知った名前が書かれていたことで、リンは驚愕する。
「あの、Sランクの名前……?」
リンは『春川 桃吾(白扇)』と書かれた文字をまじまじと見る。
春川の未練は、幼馴染である『鈴村 雷智』の姉の自殺が関係しているのだとは、以前の観察時に見当はついていた。
だが、どのように関わっていたかの詳細までは掴めていなかった。
「ど、どういう意味……?」
「秋月 林檎」
隣に立つゼンゼは、壁をじっと見ながら言う。「これ、前回のSランクの妹の名前だよな」
「えぇ。確か、黒橋中学校の人に拉致されて」
「そいつらの名前まではわからねぇが、確かに『黒橋』だとは書かれてる」
ゼンゼは文字の書かれた付箋を指差す。
そこには、春川と同様に彼らの名前らしき文字の隣に(黒橋)と書かれている。あの時、青髪の死神が「五人の花を刈った」と言っていた通り、五人の名前が書かれていることからも、恐らく彼らであろうと判断できる。
春川と違う点といえば、彼らの名前の上には、バツ印が追加されていることだ。
「つまり、ここに書かれた人間が、この写真の人間に手を出したってことだろうな。そんで、黒橋の連中はすでに開花済みであることから、バツ印がつけられている」
「でも、春川のときは、未練に絡んでいた彼女は自殺だったはず……」
そこでふとリンは、川原での春川との会話を思い出す。
――――くーだらない。生まれ変わりなんて、あるはずないじゃん。死んでしまったら何もかも終わりなんだよ。それを真っ向に受ける奴なんて、ほんと、バカだよね。
「……春川が、彼女の自殺を幇助した?」
リンは動揺する。「でも、どうして……」
「春川が誰かから教唆扇動されていたなら、納得できるがな」
ゼンゼは、いまだ室内の壁を眺める椿を一瞥する。
「小学六年生のくせに胡散臭い奴だとは思っていたんだ。誰かからものを教わらなければ、あんなに捻くれはしねぇだろうよ。それに、黒橋の連中の方でも気になることがある」
「以前、青髪の死神が、言っていた言葉かしら」
「あぁ、そうだ」ゼンゼは即答する。
「黒橋の人間の花を刈る際、『俺らじゃない』と言っていた、とあの死神は言っていたわ。ずっと意味がわからなかったけれど、もしかしたら、本当にその通りなのかもしれない」
「ま、どんな理由があったとか、詳細までは全くわからんが、今はそれは関係ねぇ」
そこで二人は、椿に顔を向ける。
「ここに貼られている人間の開花には、全てこいつが関わっているだろう、ってことだ」
「今日またひとつ、新たな作品が生まれるぞ……」
椿は、壁に掲示された写真に触れながら、うっとりとした声で呟く。
「今日は、入念に手入れしてきた大物なんだ。興奮して手が震えるよ……。彼女の死に顔は、確実にきれいなはずさ」
部屋に一人しかいないことから、隠すこともなく椿は本音を漏らす。
自身を両手で抱き、陶酔したような表情を浮かべてる。
傍から見ているリンたちには、ただの変態にしか見えない。
「きれいな死の贈りもの」
ゼンゼはリンを一瞥して呟く。
「こんな人間の思考と、一緒にされたくないわ」
リンは、ここ最近で一番強張った顔をしていた。
「そういや、対象の未練は何だったんだ」
「『彼氏に別れを告げること』」
「そりゃ、まぁ」
ゼンゼは素っ頓狂な声を上げる。
「対象は、来年から始まる仕事に集中する為に、ずっと別れを切り出すつもりだったらしい。だけど、彼女の性格から、中々言い出せなかった。でもさっき接触したことで、決心がついたと言っていた。つまり、この部屋で話をした時点で、雑草は抜けていた」
「開花要因も確定したもんだな。ま、運命ばかりは、仕方ない」
ゼンゼは同情の滲む声で言う。
リンは、眉間に皺を寄せたまま、彼に振り向く。
「あなたのタイプの子が、こんな男に殺されるのよ」
「だから?」ゼンゼは素朴に反応する。
「別れを切り出した時点で雑草が抜けんだろ。むしろ、最適な時期に開花するんだから、良いことじゃねぇか」
「嫌じゃないの?」
「こればかりは、仕方ねぇ」
「害悪な種の芽を摘むことは、許可されているわ」
リンは険しい顔のまま提案する。
「この男は、種に悪影響を与え過ぎている。芽を摘む基準は、十分に満たしているはずだわ」
「ここは、おまえの管轄じゃねぇだろ」
ゼンゼは顔を引き攣らせながら、リンに振り向く。
「何、激昂してんだ。おまえらしくないぞ」
「Sランクの種を二つも台無しにされたのよ。それに、今回のSランクも邪魔されるかもしれない。せめてもの償いをさせないと気が済まないわ」
途端、ピンポーンとインターホンが鳴る。
我に返った椿は、軽快な足取りでインターホンを覗く。
画面に映る人物が冬森だと確認すると、口角を上げながら、マンション玄関のオートロックを解除した。
ガチャンという音がインターホン越しに鳴り、冬森はマンション内に入ったと確認できる。
椿は台所に置かれた調理器具を手に取ると、それを背中に隠して玄関前で待機した。
「俺らの対象は、この男じゃなくて冬森だ」
ゼンゼは、玄関前で佇む椿を見ながら、冷静に告げる。
「開花の未来は、ほぼ確実だ。それを見届けることこそが、俺らの使命なんだよ」
再び玄関のインターホンが鳴る。
椿は、にこにことした顔で玄関の鍵を開けた。
冬森と椿は、リビングで話していた。
すでに冬森の身体からは雑草が取り除かれ、環境は整った状態だ。
「やっぱり、開花予定日通りってわけだ」
寝室でベッドに寝転がるゼンゼは、雑草を口にしながら時計を見る。時計の針は、午後十一時五十分を回っていた。
開花一時間内に入った種は、死神の手で開花のタイミングを弄ることができない。
つまりこの後、椿に殺される運命は決まってしまったと言うわけだ。
リンたちの待機している寝室のドアが開かれる。
「あれ、あなたたち……」
冬森がリンたちに気づいた瞬間、がふっとの声と共に、口から血が溢れる。
「え……?」
冬森は、自身の身体からジワジワ滲む血を見ながら呟く。
後ろを振り向くと、椿が陶酔したような表情を浮かべていた。
「椿……くん……?」
ずるりと身体から包丁が抜かれると、冬森はその場に崩れ落ちる。
それと同時に、冬森の胸からは、茎が伸び始めた。
椿は、足元で息の薄くなる冬森を抱えると、感嘆の息を漏らす。
「きれいだね……あぁ、最高にきれいな顔だよ」
椿は歪んだ顔で彼女に囁く。
「大丈夫。安心して。君は、僕がきれいに送ってあげるから」
「や、嫌だ……」
冬森は助けを求める顔でリンを見る。
リンの中で、何かが切れた。
気づけばリンは、リストを取り出していた。
開花や延期のタイミングを調整するのは、リストに記入するだけで可能だ。
今、リストに『延期』と書けば、冬森の花は開かない。
だが、その瞬間、勢いよく突風が吹き、リンの手からリストが滑り落ちる。
それと同時に、冬森から伸びていた蕾はバッと花開く。
まっすぐに咲いたのも束の間、再び黒い影が俊敏に過ると、すっぱりと花が刈られた。
それと同時に冬森は力尽き、椿の腕の中でうな垂れた。
息のなくなった冬森の顔を、椿は恍惚とした表情で眺める。
「あぁ……やっぱり、君の死に顔は最高だ……」
椿は何度も呟きながら、冬森の顔に触れる。
唖然とするリンの目前に、黒い影が着地する。
「おい」
険しい声に引き寄せられて、リンは顔を上げる。
目前には、花を咥えたゼンゼが立っていた。