side 人間【完結】 -「〇〇からのオクリモノ」番外編②-


こちらは、「人間からのオクリモノ」の本編物語の人間視点から見たおまけ小説です。

本編を補足する内容となっておりますので、本編読後に楽しんでいただけましたら嬉しいです。

 

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【シーズン春】

「なんか、自分の足で歩くのって久しぶりだなぁ」

僕は、硬いアスファルトを踏み締めながら思う。

普段は、どこに行くにも送迎がついていた。僕の意向とは裏腹に、両親が勝手に準備するのだった。

うちは父が会社経営者であることから、他人よりも豊かな資金がある。身の回りのこともほぼ世話役が行い、僕はただ、『小学生』という職業を全うするだけでよかった。

部屋も広く、欲しいゲームや漫画もすぐに手に入る。整頓された清潔な空間で、毎日質の良い食事が提供される。何不自由ない生活だった。

だが、時には誰もいない環境で一人になりたい。そんな贅沢な我儘が生まれた。

隣に流れる川のせせらぎが心を洗う。時たま吹くひやりとした風も、そばに生い茂る雑草の青い香りも、車内だと中々感じられない新鮮なものだ。

当てもなく外を歩いていたが、足が自然とあの場所へと向かっていることに気づく。

「だめだよ。例え休日でも、大学は人がいるものなんだから」

僕は自分に言い聞かせるように呟く。

「そもそも、僕があの場所へ向かう権利なんて、ないでしょ」

実際、僕の言葉が関与しているかなんてものはわからない。
だが、彼女が飛び降りたのは、僕があの話をして次の日だったんだ。

僕は川辺付近まで下りると、その場に座り、川を茫然と眺める。

昔から、息をするように嘘や冗談が口から飛び出すものだった。
自分を知られたくないからなのかはわからないが、とにかく本心を口にする時がほぼない。

そのせいで、今までどれだけの人を困らせてきたのかもわかってはいるものの、反応がおもしろいと思ってしまうところがあった。

天性の嘘吐きなんだから、仕方がないだろう。

だが、ここまで胸に棘を残すできごとは初めてだった。

当然だ。人が死んでいるのだから。

あんたは僕の言葉通りに、次の人生を歩み始めているのかもしれないが、僕はまだ、この時間に生きているんだ。

だからこそ、なんてものを遺していったんだと今では怒りの感情すら湧いていた。

僕の言葉が、彼女の自殺を後押ししたかはわからない。だけど、ハッキリと結論を出すこともできない状況なんだ。

僕はふと、とある彼のことを思い出す。
『四樹』と珍しい苗字であったことからも、僕にしては名前もはっきりと覚えていた。

外見は至って真面目で誠実そうな青年にしか見えないが、彼と初めて対面で会った瞬間、何故か鳥肌が立った。
会社経営者の大人が相手でさえ緊張しないのにも関わらず、身体が勝手に強張っていたのだ。
それほど彼からは異様な空気が放たれていた。

あれ以降、連絡も途絶え、姿も見せなくなっていた。

一人である空間だからか、繕うことも隠すこともなく思考が巡る。

日も落ちてきたから帰るか、と立ち上がった瞬間、ワウッと険しい鳴き声と共に、バサバサと雑草を踏み鳴らす音が届く。
まだ子どもなのか、小型の犬がこちらに向かって一直線に走ってきた。

身を構えるも束の間、こちらに向かってきた野犬が、僕の脚にがぶりと噛み付いた。

突然の痛みに顔が歪む。すぐには思考が追いつかないものの、自宅でも犬を飼っている僕からすると、あぁ、恐らく僕を獲物と何かと間違えるほど飢えているんだな、とぼんやり思った。

同情はしても、噛まれた脚の痛みが大脳に伝わる。
僕はポケットに入れていた、まだ食べていなかった今日のおやつの饅頭を取り出すと、それを見せるように掲げる。
犬の意識が饅頭に向いたところで、僕はそれを高架下まで投げた。
犬も、釣られるように高架下まで走り、地面に落ちた饅頭に無我夢中で食らいついた。

僕はふくらはぎを窺う。
飼っている犬にも何度か噛まれたことはあるものの、野犬となると衛生面で不安になるものだ。

それと同時に、昨日見た野犬のニュースを思い出した。

「害悪な芽は、摘んだほうがいいもんなんだよ」

自分を正当化する為に出た言葉なのかはわからない。

僕は、落ちている大ぶりな石を手に持つと、いまだ背を向けて饅頭を食べている犬の元まで近づいた。

 

***

 

【シーズン夏】

眩しいライトが私を照らす。
すっかり慣れたとはいえ、観客席がはっきりと見えないのは不公平だな、と時に思うことがある。

こちらの姿は隅々まで観察されるにも関わらず、相手は姿すら見せない。
まるでネットの世界のようだ、と思うもそれが仕事なのだから当然でもある。

私は、おもむろにマイクを掲げると、喉を開く。
すでに末期である喉のポリープから思うように声が操れないものの、それでも他の歌手と足並みが揃っただけだ、としか思わないほどに、自分の歌唱力には誇りを持っていた。

静かなホールに私の声だけが響く。そんな自分色に染まる会場内の空気に、居心地の良さを感じていた。

『伝説の歌姫』と呼ばれたうちの母ですら上がれなかったステージの切符を手にしたものの、それでも母は私のことを『娘』として扱ってくる。
実の親なのだから仕方ないにしても、今までもひとりの『歌手』として見られたことがなかった。

どんな歌賞を受賞したところで、自分の若い時を見ているかのような目で私を見る。
世間からも、私の家には歌唱力のある血筋が流れているんだ、と言われるだけだ。

私は、常に母の栄光の影に隠れていたのだ。

ステージの上だからこそ感情を出すヘマはしないものの、それでも私は悔しくてたまらなかった。

どうせ、音楽祭まで身体が持たないとはわかってる。

今まで散々医師の注意を無視してきたんだ。実際、喉の引っかかりや、それを補う体力の低下からも、それは物語っている。

何よりも先ほど、自らを「死神」と名乗る奴まで現れたのだから。

途端、思わぬ喉の引っかかりで激しく咳き込む。自身の身体を支えることすらできずに、思わずその場で膝をついた。

暗くてもわかる、私を心配する観客の視線が痛い。ポリープのことは、身内にすら隠してきたのだから、当然の反応だろう。

それと同時に、私の喉のことを知っていた彼女はやはり死神に違いないんだな、と妙に納得してしまった。

でも、まだ『私』として見てもらえていない。認められていない。

私は、病気と闘いながら、伝説と呼ばれた母ですら立てなかった音楽祭に出ることが決まったんだ。
そんなちっぽけな未練すら達成できていないまま、『私』を終わらせられるわけがない。

私は、歯を食いしばって立ち上がる。すでに体力が限界とはいえ、幼少期から鍛えてきた体幹のお陰で、踏ん張ることができていた。

私は大きく息を吸うと、感情を声に乗せた。

私の思いが、観客に、母に届くように。
お腹の底から全てを吐き出した。

ポリープが発覚してからは、喉を労り、無意識に声を制御しているところがあった。

こうして、何のしがらみもなく声を出すことはやはり楽しいなぁ、と無意識に口角が上がった。

私の感情が届いてくれたのか、曲が止んだ時には、観客は立ち上がって拍手をする。

初めは暗くて見えなかった観客席も、視界が慣れたのか次第に見えるようになっていた。

 

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【シーズン秋】

自暴自棄になる、とは正しく今の俺のことを指しているのだろうとは、自分でも思う。
しかし、今まで人が自然と寄ってきただけに、わかりやすく外見や態度で威嚇する必要があった。

当然だ。「殺人犯」なんかと、知り合いになるべきではない。

冷たい秋風が鼻先を掠める。
この場から確認できる葉の落ちて丸裸となった木々からも、もうすぐ秋が終わると物語っていた。

だが、冬が訪れる時には、俺はもうこの世にはいない。

無意識に目を閉じる。だが、視界が暗くなっても、昨日の光景が脳裏に映し出される。

元々、武道を習っていたことから、人が気を失う瞬間は何度も間近で見てきた。
とはいうものの、永遠意識が戻らないわけではないから、罪悪感は募らなかった。

だが、黒橋の奴らはもう息を吹き返すことはないのだと、はっきりと伝わった。

「そうなりゃ、あいつは『死神』とも呼べるのか」

黒橋の奴らが動かなくなる直前、突如としてゴシックな衣装を見に纏った青髪の青年と、全身黒服に身を包んだ金髪で小柄な少女が現れた。

彼らが黒橋の連中に触れた瞬間、黒橋の連中はぴくりとも動かなくなり、青髪たちは役目を終えたといったばかりにその場を後にした。
その背中が、まるで黒橋の連中の魂を取ったように見えたのだ。

彼らの纏う異質な空気からも、先日出会った人間でないあの存在と同類だろうと、すぐにわかった。

「つまり、あの赤髪たちは、俺に憑いている死神ってことか……」

そうだとしたら、彼らの異質な存在も妙に納得できた。

全て終えたら、俺すらも終わらせることは、初めから決めていたことだ。

人を寄せ付けない為に散々周囲に迷惑をかけてきた。
何より両親には、突如豹変した俺に心配すらかけていたんだと思う。

だが、俺は知っていた。林檎が本当は事故で亡くなったのではなく、殺されたことを両親も知っていることを。そして、そんな犯人が今ものうのうと生活していることに対して怒りを抱いていることを。

すでに五十を超えた年齢から、両親が復讐なんてものは体力的に難しい。俺も同じ感情だったことから、躊躇うことなく行動に起こしただけだ。

机には、倉庫の地図を置いてきたし、大会で得た賞金もまだそのまま貯金されている。
何より俺がいなくなることで、もうこの先問題は起きない。

面倒はかけたが、手間はかけさせない。

突如、背後に何者かの気配がする。武道で鍛わった反射神経は備わっているものの、振り返るまでもなく、何者か判断できた。

屋上は立ち入り禁止で、かつ外に出るには校舎と通じるドアひとつしかない。
普段開けられないことで、ドアを開く時には年季の入った軋みが響くものだ。
音はしていないにも関わらず、何故、背後から気配がするのか。

単純なことだ。入り口を使わずに、この場まで辿り着いたからだろう。

益々現実を疑うものの、今まで見てきた光景からも受け入れるしかない。
そして、いよいよその時なんだな、と腹を括った。

「おまえら、死神か?」

俺は振り返ることもなく、その存在に尋ねた。

 

***

 

【シーズン冬】

疲労を感じた時は、いつも珈琲に頼っていた。

カップに顔を寄せれば、煎られた豆の香りが鼻腔を擽り、脳に快感をもたらす。口に含むと、濃厚なカフェインが口いっぱいに広がる。そして、後からくる軽い酸味が、喉ごしを爽やかにさせた。

カフェイン中毒なんて言葉もあるが、正しく私はそうなんだろうな、と我ながら思う。
じゃなければ、老舗の珈琲店でアルバイトなんて始めていない。

私はカップを手に持ったまま空を見上げる。
すでに日は落ちて、キラキラと星が輝いていた。
この街は、都会である虹ノ宮とは違い、自然が多く、空がとても澄んでいるな、と今さらながら思う。

先ほど乗っていた列車が事故にあったこと、そして今から起こることを考えていたことで、冷静に周囲を見られていなかった。

私は小さくため息を吐く。

幼少期に特番で警察官の勇姿を目にしてから、警察官になるのが夢だった。
そして、ついに今年、その夢が叶ったのだった。

昔から警察官の道を決めていたことから、小学生の頃から専門書を読んでいたし、勉学に集中する為にあえて女子大学を志望した。

人に嫌われるのが怖くて、中々誘いを断れない性格であることから、環境を変えるしか方法がなかった。

だけど、恋愛がしたくないわけではない。
偶然、誘われたコンパで椿くんと出会ってから、恋人としての交際が始まった。
勉学に支障が出るか不安だったものの、大学が違うこと、またお互い住む場所も離れていることから、私にとっては良い距離感だったんだ。

とはいえ、来年からはずっと夢見てた警察官としての生活が始まる。
仕事に慣れることに必死で、今のような関係が続けられるとは思わないし、私のことだからデートに誘われたら断るなんてことはできない。

二年一緒にいた彼だからこそ、今回私が別れたい、という考えも、椿くんはわかってくれるとは頭ではわかっていた。

だけど、垣間見える彼の読めない感情からも、今まで口にできないでいた。

もし、嫌だと断られたら。

押されると負けるとは目に見えていた。
椿くんが悪いわけじゃない。でも、もし彼に少しでも嫌な思いをさせてしまったら、私が余計なことを口走ってしまうかもしれない。

再びカップに口をつける。
そこで、普段はすぐに確認していたおみくじの存在にも今さら気づく。
どれだけ悩んでいるんだ、と苦笑した。

私はカップからシールを剥がすと、裏面を確認する。

吉。一番無難であり、そしておもしろくもない結果だ。

「吉かぁ」
思わず声にも漏れていた。

「吉?」

突如、私の呟きに反応が返ってくる。
はっとして顔を下げると、目前には赤髪の少女が立っていた。
彼女も小休憩なのか、手には珈琲を携えている。

私は照れを隠すように、「あ、このコーヒー、おみくじがついてるんですよ」といつもの愛想笑いで答えた。

 

(初出:2021/05/11)