第二部⑤




ショッピングモールまで足を運んだ際、街を歩いて思った。注意深く観察すると、住民の存在は確認できる。建物内からこちらを訝し気に観察する人、道端にしゃがみ込んでいる人、メガネをつけていないと気づかないわけだ。
裏街道では、仕事はもちろんだが、それ以外にも住民を縛る事柄はない。だからこそ街を出歩く人間が少ないのは、よく考えれば納得できた。

だが、構ってもらう為に連れてきたにしては、その人たちを一度も見ていない。メイに紹介された人物も、メイと一緒にいる人物も、今のところガラクだけだ。

もしかして、その人たちが何らかの理由でメイの元を離れたから、私が連れて来られたのではないのか。今、周りにメイと一緒にいる人物が確認できないだけ、その理由が一番納得できた。

少し前を歩くメイの背中に目を向ける。
この件に触れても大丈夫だろうか。
不信感を抱かれないように、できるだけ先ほどまでの調子と変えずに尋ねてみよう。

「ここに来た人たちは、今どこにいるの?」

途端、空気が張り詰めた。
逡巡した結果、私は判断を見誤ったようだった。

こちらからはメイの表情は窺えないが、周囲をまとう空気は、先ほどまでとは全く種類の違うピリピリした質のものに変化していた。
メイは何も言わずに歩き続ける。長い沈黙だ。背中から感じるのは殺気。思わず身体が震え、手を引いてる彼にも伝わっているのではないかと不安になる。

「メ……メイ…………?」堪えきれなくなり、口を開いた。

「もちろん、今も裏街道にいるに決まってるじゃん」

メイはくるりと振り向き、普段の明るい声で言った。しかしその目には、いつもの輝きは見られなかった。
この空間は、裏街道以上に暗い。一メートルも離れていないメイとの距離でさえ翳むほどだから、私の目の錯覚だと思いたかった。
だが以前にも、今と同じ空気をまとったメイを目撃した。私が少女に襲われた後だ。そのことからも、気のせいだと処理できなかった。

メイは前方に向き直り、再び歩き出す。先ほど言葉を発してからメイは何も言わなくなった。私もこちらから質問しておきながら、続ける言葉が見つからなかった。

その人たちは紹介してくれないの? 裏街道にいるならどうして今は一緒にいないの? 私もいづれ、その人たちみたいにメイと会わなくなるの?

口にすることはできない。しかし沈黙にも絶えられなくなってきた。丁寧に言葉を選ばなければ板を踏み外しそうだ。
私が頭を悩ませていると、メイが呟いた。

「ボク、裏街道が本当に大好きなんだ。だって、嫌なことって何ひとつないもん」

同意を求めている様子でもなさそうだが、私は無意識に「そうだね」と波長を合わせていた。

肩にかけているカバンがとても重い。まだ出口に着かないのだろうか。

いまだ先の見えない暗い空間の中、手を引かれるまま黙って歩いていた。
メイは何も言わない。私も黙ったままだった。

メイの背中に目を向ける。普段の彼からは想像できない一面を垣間見る気がする。こんなに小さな身体なのに、何故あそこまで暗くて重い空気をまとえるのか。それだけ辛い過去を背負っているようにも感じられた。
何よりもそんなメイに対して、身の危険を案ずるほどの恐怖すら抱いてしまっていた。

メイは何者なんだろうか。気にはなるが、知りたくはない。私が普段見ている無邪気な笑顔を絶やさないメイを知っているだけで十分だった。少なくともその瞬間のメイは幸せそうに見えている。

余計なものは見る必要ない。私がこの目で実際に見えたものだけを信じていればいい。都合の悪いことは、考えてもわからないことは見なければいい。

幸い私は、裏街道ではメガネをつけなければ、暗くてハッキリと認識することができない。だからメガネを外していれば見なくて済む。とても簡単なことだった。

「アリス?」

沈思黙考を貫いていたからか、メイが不安そうに私の顔を覗き込んだ。その瞳はいつもの輝きを取り戻しており、純粋に私のことを心配している様子だった。

「……ちょっと張り切りすぎちゃったな。肩が痛くて」

力なく笑い、肩にかけているカバンを見せるようにしながら言った。その言葉を聞いたメイは、繋いでいた手を放し、代わりに私の持っているカバンの底を支えるようにした。

「ちょっとは楽?」

「う、うん。でも、メイ重くないの?」

「平気だよ! ボク、これでも男の子だよ」

えへんと胸を張りながらそう言った。少し肩の負担が軽減された。
申し訳なく感じながらも、張り切って手伝うメイを見て、せっかくだから甘えようと思った。

「あとちょっとだからね!」

「あと少し?」

その言葉に驚いて前方に向き直ると、いつの間にか出口のようなものが見えた。先ほどまでは何も見えなかったはずなのに。

「い……いつの間に…………」

「いっきに走っちゃおっか」

「え?ちょっ……ちょっと!」

私の返事を待たずしてメイがカバンの底を支えたまま走り出したので、私も走らざるを得なくなった。

長い道のりだった。外に出ると、この場から眺めるのが三度目となる景色が、目前に広がっていた。

カバンを地面に下ろす。かなり短い距離ではあったが、久しぶりに走ったので肩で息をしていた。オマケに重荷からも肩が悲鳴を上げていたので体力が切れかかっていた。しかし、この場所からまだ街までカバンを運ばなければならない。

「少しだけ休憩してもいい?」

情けないと思いながら隣に座るメイを見ると、私以上に体力を消耗しているようで、身体全体で息をしていた。私は彼の勢いに押される形だったので、私以上に全力疾走していたのだろう。
唐突に眠り始めるメイを思い出す。エンジン全開、フルパワーを出し切ることは中々できないことだ。パワフルで怖いもの知らずの子どもは最強だな。

「ボクも……ちょっと休憩…………」

「ごめん、もう少しだけ頑張って起きてて……」

今ここで眠られても、メイを抱えられる体力がない。

メイは「眠るわけないよ~アリスがどんな絵本持ってきてくれたのか、楽しみにしてるんだから」と笑顔で言うが、目は閉じかかっている。
内心不安になっていると、メイは勢いよく身体を起こした。自分でもこんな場所で眠ってはいけないとわかっているのだろう。眠気に負けない為にもあえて立ち上がり、身体を動かしている様子だ。
メイは私が持ってきたカバンの近くに寄った。

「本当にすごい数持ってきたね~」

カバンの持ち手を握り、ふんっと言いながら持ち上げようとするが、びくともしない。カバンは旅行用なので、サイズが大きく縦にするとメイの身長と同程度の長さはあるだろう。身の丈となるサイズに、中身も詰まっているのだから相当重たいはずだ。

「さすがにボクには持てないかぁ」

観念した様子で、カバンの上にへたり込んだ。さらに体力を消耗することをしてどうするんだ。

前方に目をやる。先ほどまで表にいたこともあり、やはり比べてしまう。本当にこの世界は暗くて音がないが、今は不気味だとは思わず、むしろ居心地がいいとさえ感じていた。

私はポケットに入れたままにしていたメガネをかけた。ガラクはいつも通り図書館にいるだろう。この量をアパートへ持ち帰ることを考えたら、そのまま渡しに行く方が負担も少ない。
もうしばらくこの場で休憩した後、図書館へと足を進めた。



図書館に来るのは、この世界に来た時以来だった。中に入るが、前回来た時と全く変わった様子はない。
館内はあまりにも静かだが、以前と変わらずに大量に積まれた蔵書の中央、椅子に座って本を読んでいるガラクの姿があった。

確実にこちらの存在は気づいているだろうが、微動だにしないので人形じゃないのかと勘違いするほどだ。しばらく観察していると、本のページをめくる為に手が動いたので紛れもなく本物だ。
少しはこちらに目を向けたらどうなのか。よほど本がおもしろいのか、私たちに構うのが面倒くさいのか。恐らく後者だろうことはわかってる。

「ガラクー。アリスがおみやげだって」

そんなことはお構いなく、メイはガラクに声をかける。
メイの言葉が気になったのか、先ほどまでこちらに全く目を向ける様子もなかったが、顔を上げてこちらを見た。

「おみやげ?」

まるで旅行でも言ってきたかのような言葉に、頭に疑問符を浮かべながらガラクは言った。事情を説明する為に私は口を開く。

「えっと、さっき表に行ってたんだけど」

そう前置きをして、カバンをその場に下ろした。持参したものを説明する為にカバンのチャックに手をかける。しかしガラクは、待て、と言うように私の行動を制した。

「表に行ってた?」

そこで気づいた。ガラクには私が裏街道にいるのは期限つきだとは言っていなかった。
メイも同じタイミングで気づいたようだ。「あっ」と声を上げて、補足するように言葉をつけ足す。

「アリスがここにいるのは八月三十日までって決まってるんだ。だから時間を確認しに戻っていたんだよ」

「何故だ」

普段と声のトーンはあまり変わらないが、明らかに訝し気な表情を浮かべている。
裏街道の存在意義を考えればわかる。元々裏街道に来る人間は表から逃避したくて来る人ばかりだ。それなのに期限を設けて来るなど裏の住民にとったら、観光目的か冷やかし目的か、どちらかに捉えられるのも当然だった。

「それは」

変に疑われても困る。私は裏街道を否定するつもりは全くないのだから。だから特に隠すことなく私は答えた。

「死ぬためだよ」

途端、物音が館内に響いた。
ガラクが所持していた本を落としたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

私は驚きながらガラクを見た。彼の顔には見るからに動揺が浮かんでいた。
今まではわかりやすく感情を露わにすることはなかった。元役者という肩書からも、自身の感情をいかに表現するかは、調整ができたのかもしれない。

だが今見ているガラクは、調整機能が狂ったのか、目が見開かれ、口も軽く開き、困惑、動揺、といった感情が浮き彫りになっていた。誰から見ても彼は驚いているのだと捉えることができた。
たった一言でガラクの新たな一面を見られて、少し優越感すら感じた。

しかし、すぐに元の表情に戻り、「そうか」とだけ呟いた。そのまま先ほど手から滑り落ちた本を拾う。理由を尋ねられるものだと構えていたので少し拍子抜けした。

裏街道の住民には、一人ひとり裏の世界に逃避することになった過去がある。それらは他人に共有するものではなく、理解されるものでもない、といった暗黙のルールがあるように思えた。どんな過去を背負っていようが関係ない。ただ表の世界から逃避願望が生まれ、裏街道に辿り着いた結果だけは、みんな同じなのだ。
特に隠しているわけでもなかったが、自分から話す必要性も感じられない。先ほどの言葉を最後に、私は話題を元に戻した。

「まぁ、そういうわけで、時間を確認する為にも表の世界に戻っていたんだけど、そのついでにガラクが読むかなと思って、たくさん本を持ってきたの。私は全部読んだやつだし、もう必要ないから、あげる」

カバンから本を取り出して、ガラクの前に並べ始める。その様子をガラクは黙って見ていた。
隣にいるメイですら何も話さないので、沈黙が気まずくなり、本を取り出すスピードが無意識に早くなる。

全て出し終えると、ペタンコになった旅行カバンを畳みながら持参した本を見る。
メイの背丈ほどあるサイズの旅行バッグにパンパンに詰めていたので最初からわかっていたことだが、かなりの量がそこにあった。そら肩も外れそうになるわけだ。むしろよくここまで運んだものだ。
二人も本の量に目を丸くしていだ。

「こんなに入ってたんだね~。そりゃ重たいわけだ」メイは感心した様子で言う。

「ガラク、『科学の時間』読んでないって言ってたから、その作品が発行されて以降の本は裏街道にはないのかなって思って、最近出た作品中心に持ってきたよ。カバンに入るだけだから文庫ばかりだけど」

カバンを畳んで脇に置いた後、二人に向かってどうぞっという風に両手を広げた。
その動作を皮切りに、二人は興味深そうに本を手に取り、吟味し始める。

「凄いね。タイトルにこの文字がついてる本ばっかりだ」

そういって、表紙に書かれた『殺人』といった文字を指差す。確かに物騒なタイトルの本ばかりだ。また侮蔑される気がしたが、ガラクには聞こえていなかった様子で、無言で本を吟味していた。

「メイ用は、これだね」
そう言って数冊の絵本を手渡す。

「わーい」

絵本を受け取ったメイは、近くの児童向け書籍コーナーのマットの敷かれた床に寝転がる。そして楽しそうに本を開いて絵を眺めた。さっきの様子からも、もしかしたらメイは字が読めないのかもしれない。
裏街道に来た際、メイの喋り方に違和感を覚えたが、それはガラクの読み聞かせによって得たものだったのかな、と思った。文字が読めないのでガラクから聞いた言葉をそのまま覚えている、と考えたら納得できる。

身体を元に戻し、目の前で本を漁るガラクの様子を窺った。先ほどから黙ったままだ。これだけの数があったら選別も大変だろうと声をかけようとするが、彼は本の選別ではなく、手当たり次第に奥付を確認している様子だった。
その行動に違和感を抱きながら首を捻っていると、ガラクが顔を上げて私に質問を投げかけてきた。