第二部⑦




壁にかけている制服のポケットの膨らみに違和感を覚えて弄る。中にはスマホが入っていた。
本のことばかり頭にあり、持参したことを失念していた。裏街道では使用できるのだろうか。電源ボタンを押すと難なく画面の明かりが点灯した。

ロック画面には「二○一九年八月十一日十七時二十八分」と表示される。表で確認した時は九日だった。あれからすでに二日経過している。つまり裏街道にいながらも表世界の時間がわかるようだ。これなら時間を確認する為に表に戻る必要もない。

試しに通話アプリを開くが、電波が経っていないので、データ取得が不可能だった。インターネット通信はできないようだ。検索アプリも開いてみるが、こちらも読み込みマークが回転するだけで、ページが更新されることはなかった。
本当に時間の確認のみに使用用途が限られるが、元々そのつもりで持参したので特に困ることはない。「日付も確認可能な電子時計」となったスマホをふとんに放り投げた。

ベランダに出て外気に当たる。心地いい風が吹いていた。大きく深呼吸して手すりに寄りかかる。

時間のない裏街道に来てまで、時間に縛られている自分に苦笑した。
表にいる時は、何かと時間に縛られていた。宿題の提出期限、授業の時間、起床時間、行動全てに目安時間が設けられ、時を気にしながら毎日生活を送る。時間というものはほぼ拘束に近い。そして私たちは、その拘束が与えられることに何の違和感もなく受け入れて従っている。
裏街道には時間がない。なので拘束されることが一切ない。時は金なりといった言葉はこの世界には通用しない。

「本当に自由な世界だな……」

誰もいないベランダで一人呟く。だが私はそんな世界にいながらも時間に縛られていた。仕方ないじゃないか。元々タイムリミットがくるまでの暇つぶしでしかないのだから。

現在表は八月十一日。お盆真っ只中だ。社会人も夏期休暇に入り、海や山に出かけているころだろう。毎年帰省している田舎でも、この期間には親戚が訪れにくる。
田舎に帰省するのは年に一度。なので必然的に親戚に会うのも年に一度となっていた。

「もう、会うこともないんだな……」

最後に顔を見せられなかったことに名残惜しく感じたが、今さらどうにもできないので悔やんでも仕方ない。そして、あっさりと割り切れる自分自身に対しても、もはや呆れていた。

こうしてる間も、表では刻々と時を刻んでいる。
そこでまた少し、裏街道について得た情報を脳内に書き出した。

・裏街道が誕生したのは『科学の時間』が発行される二○○一年以前
・大階段を上った先にあるトンネルのような場所は表と裏を繋ぐ場所
・トンネルの中は裏街道以上に暗い
・暗い空間は表のさまざまな場所に通じている

意外と数が少なくて愕然とした。しかし疑問点は日に日に増える。
だがそこであることに気づき、最初に書き出した項目について思索した。

裏街道には、時計やテレビ放送や週刊誌といったタイムリーに時を知る術はない。しかし、裏街道にある品は全て表に存在している。それは私も知っていたシリーズ作品や、大手ショッピングモールが存在することでもわかっている。
裏街道は変化が起こらない。だからガラクもシリーズ作品の続編を読むことができなかった。

それならば、裏街道が誕生した時期はわかる気がした。

時代が進むにつれて、日用品にも変化が表れるものだ。例えば今私が所持しているスマホも、私が誕生して以降に普及した品だ。書籍も奥付を確認すれば発行日がわかるので、いつの時期まで発行されていたかも根気よく調べればわかる気がした。

裏街道がいつ誕生したかを知ってどうするというわけではないが、今ある手がかりから答えを導き出すなんて、まるでミステリー小説に登場する探偵のようで胸が高鳴った。
幼少期に森を探検するような高揚感が湧いてくる。私自身に、今でもこんな感情が存在していたことに驚きだ。未知の異世界であるから、さすがの私も関心を持たざるを得なかったのか。
もう一度街に出て探索してみよう。

思い立ったが吉日。私は壁にかけている制服に着替えた。調達した服はたくさんあり、特に意識をしているわけではないものの、外を出歩く時は、いつも制服に着替えていた。

準備を終えて部屋を出ると、ちょうどメイが上の階段から降りてきた。

「あれ?アリス。どこ行くの?」私が声をかけるよりも先にメイが口を開く。

「えっと、少し街を歩いてみようかなって思って。裏街道のことをもっと知りたいから、探索」

「探索? 楽しそうだね! ボクも行く」

そう言って勢いよく階段を下り、私のそばに来た。一人で彷徨うよりは長年裏街道にいる住民と一緒の方が安心だろう。二人で裏街道の探索を開始した。

ひとまず以前訪れたショッピングモールへ向かう。
表にある某ショッピングモールには、大抵何でも揃っている。だからこそ時代が掴めるような品も何かあるはずだ。
隣で鼻歌を歌うメイに行先を告げた。

ショッピングモールへと続く道のりをメイと歩く。前回服の調達で歩いた時よりも注意深く見回した。
今日は以前よりは住民の姿が見られないが、確かにこの街で人が生活をしているのだと感じることができた。

右手側、店らしき前にある机の上で、何やら作業をしている子どもがいた。メイと同じくらいか。裏街道には案外子どもが多いなと感じると同時に、胸が締めつけられた。
子どもは机を睨みながら真剣に思案しているようだ。何をしているのか気になり窺うと、手元にはジグソーパズルがあった。それもミルクパズルというもので、絵が全く描かれていないものだ。これは頭を使うわけだ。私は心の中で完成を祈り、視線を戻した。

左手側、に顔を向けた時に思わず目を見張った。頭を勢いよく振っている人がいた。長い髪が上下に揺れる。ヘドバンというものだろうか。振り向いた瞬間この様子が目に入ったので驚いたが、頭を振っているだけで特に誰かに危害を加える様子はない。このような行動を取っている理由は全く不明だが、特に関わる機会もないはずなので、知らない振りしてそばを通り過ぎた。

曲がり角には花壇らしきものがある。雑草も生えておらず、隅々まで手入れが施されていた。天に向かって真っ直ぐに咲く花も、毎日誰かにキチンと水を与えられている結果だろう。
隣に歩くメイも上機嫌のようで、散歩を楽しむように鼻歌を歌っている。どんな人が街で行動していても、それが裏街道の日常なのだろう。特に気に留める様子もない。

しばらく裏街道で生活して、住民を観察して感じたことがある。

メイは、私が本気で死のうとしていたから裏街道に適すると判断した。表世界から消えたい、という願望を抱いていることには違いない。
しかし、消えたい原因がここに来る人たちと少しずれている気がした。

だから、きっと誰よりも裏街道に住むにはふさわしくない存在だと感じていた。

裏街道に興味を抱いている今は、まだ死なない。ただ、三十日以降も裏街道に留まっているとは思えなかった。

周りを見回していると、あっと思わず声をあげた。

目前に広がる大通りの中央で、酒を飲んでいる男性がいた。彼の顔に見覚えがあった。
以前裸で寝転んでいた人だ。念の為伝えておけば、今回も裸だった。あぐらをかいていることで見えてはいけない大事な部分はきちんと隠されている。

彼は地面につまみを広げ、缶ビールを飲んでいる。視線が定まっていない。相当酔っているようだ。すでに飲み干されたであろう缶が六本もそばに転がっていた。まだ私は飲酒できない年齢なのでどの程度の量が平均なのかは知らないが、さすがに六本は危ないのではないか。表だったらすでに別の意味でアウトなのだが。
周囲には誰もいないのだが、彼は何か見えているのか、隣に誰かがいるかの如く話しかけていた。予想通り、危ない領域に入っているようだ。
どうでもいいとは思いつつも、やはり浮上する疑問がある。
何故、裸なのだろうか。

私が反応を示したからか、メイも彼に視線を向けた。そして不快感を露わにした。まるで汚いゴミでも見たような顔だ。子どもが目撃するには、刺激が強くて教育にかなり悪い。
話題を逸らせる為にも、私は先ほど見た住民について口にしようとした。

「不愉快だね。消してこようか?」

とても冷たくて刺さるような声が静かに響いたので、私は口を噤んだ。

聞き間違えだろうか。「消す」といったように聞こえた。

今では、力を入れずに軽く消せるライトなタイプも販売している。しかしあれは、細かいケシカスが出ることが難点だな、と常々思う。握力のない私でも軽く消せるのはありがたいが、しかしケシカスは腕にまとわりつきやすく、散乱もしやすい。だがケシカスがまとまるタイプだと、逆に腕力が必要となる。広範囲に使用した時には、腕から悲鳴が上がる。ライトに消せて、かつケシカスがまとまるタイプの品を所望するが、結局物というのはそれぞれに個性があるからそれでいいのだろう。人と同じく十人十色。消しゴムだって十個十色、だ。

……そんなものを指しているのではないとはわかってる。
メイがあまりにもライトに消すと言ったので、私は受け入れられなくなった。

私の反応がないことを同意と捉えたのか、メイが構えるように体勢を低くした。その雰囲気から、垣間見る私の知らない彼に感じられた。私は気を呑まれそうになった。

何よりも、メイの目先で捉えている裸の男性の身を心配した。

「だ、大丈夫だって。別に関係ない人だし。好きにさせてあげよう。それより早く行こ?」

そう言って、肩にポンっと手を乗せる。メイは数秒黙るも、警戒心を解いて普段の調子に戻った。

「ほんと、こんなところで裸とかやめてほしいよね」

わざとなのか、大きめの声で言ったので内心焦るが、彼はお酒で機嫌がいいのだろう。都合の悪いことは全く聞こえていないようだった。

私は心の中で二度目となる祈りを捧げ、その場を去った。

 

***

 

ショッピングモール内を詮索して気づいたことがある。

以前訪れた時は、着替え用の服の調達が目的で、特に私の選択した大衆向け某大手メーカーの品は無地の服が多いので時代を感じることもなかった。
だが、他の店を注意深く観察すると、どこかひと昔前のようなデザインや品ばかりだった。

それが顕著に表れていたのが、電化製品売り場だ。

最初にテレビ売り場。私たちが現在使用している薄型テレビが目玉商品、といった立ち位置に展示されており、一見通常の光景に見えた。
しかし、

「〇がひとつ多い気がする……」

値札を確認すると、今では到底考えられない額だった。テレビの購入経験がないので相場はわからないが、それでもこの値段は高すぎる。
私が物心ついた時には、すでにデジタル放送が開始されていた。友人宅に訪れても大抵の家庭には、薄型テレビが設置されていた。しかし、今ここに提示されている金額は、誰もが気軽に手を出せる価格ではないはずだ。
まるで、この薄型テレビが普及し始めた頃のように感じられた。

「テレビ放送はされないんだ。あ、ただプレーヤーを使えば映画の再生とかはできるけど」

テレビを見ながら首を傾げていた私に、メイは声をかけてきた。そして跳ねるように店内を駆け回っては、物珍しそうに商品を見ている。ここにはあまり来ないのだろうか。

ふと視線を隣に移すと、そこに並べられている品に驚愕した。
録画用のビデオだった。

「売ってるところ、初めて見た」

私も存在は知ってるが、今ではDVDが主流だ。さらに一般と呼べるほどの普及率ではないが、ブルーレイも出回り始めているので、ビデオが使用されることはほぼない。しかしここには、誰もが手に取り易い場所に当然のように置いてある。

「出たばかりの薄型テレビに、ビデオテープか……」

次に、ケータイ電話売り場を訪れた。今ではガラケーと呼ばれる品が多数陳列している。手に取って確認するが、スマホしか使用したことのない私には、画面がとても小さく感じる。

「赤外線って何だろう……」

画面をタッチしても反応しない。代わりにたくさんボタンがついているので、これで操作するのか。幼少期の記憶で、両親が昔このタイプの携帯を使用していたところを思い出す。だが現在利用している人はほぼ見かけない。そして今では、当然のように使用されてるスマホやタブレット端末が一切置いていなかった。

「この時代には、スマホやタブレット端末は普及していなかったんだ」

極めつけは、パソコンだ。