二○一の部屋の中。私はふとんの上で大の字になっていた。天井の片隅にシミみたいなものがあるな、とぼんやり眺めていた。
先日、衝撃的な事実を多々知ったことで、脳内がキャパオーバーを起こし、情報処理速度が低下してショート寸前だった。
そばに置いていたスマホを手に取る。電源を入れると「二○一九年八月十七日八時四十分」と表示されていた。
「もう、こんなに経ってるの……」
体感なんて所詮あてにならない。結局は物差しがなければ、何も測ることができないんだ。
スマホをふとんの外に放り投げて、再び茫然とする。深呼吸して気を落ち着かせてから、脳内で先日得た情報を整理した。
ひとつ目は、探索で得た事実。
ショッピングモール内の家電製品売り場で見たものは、どれも現在ではあまり使用されてない品だった。それらから、二○○○年辺りに普及していた品だとわかった。
裏街道は変化が起こらない。その為、店内の品が時代に沿って進化することもないので、裏街道が誕生した時期もおのずとその辺りだと見当がついた。
ふたつ目は、裏街道が誕生した時期から導き出された事実。
メイは家電製品売り場に売っていたゲーム機が、表にいる時にも普及していたと取れる発言をした。そのことから、裏街道が誕生した時期にメイは表に誕生していたとわかる。私が生まれたのは二○○一年。裏街道が誕生したよりも後に生まれている。
つまり、メイはあの幼い容姿でありながらも、実際は私よりも年上だった、ということになる。
みっつ目は、裏街道の住民の事実。
変化のない裏街道では、老いて死ぬことはない。だが、体力回復に必要な睡眠量は次第に増し、いずれ目覚めることはなくなる。その為、裏街道の住民にも「寿命」というものが存在する。
メイの身体は、もう半日ほどしか稼働できない寿命のようだ。裏街道が誕生した時期を考えても、表の平均寿命より遥かに早く感じられる。もしかしたら、表と裏では寿命の長さが違うのかもしれない。
ふとんの上で寝返りをうつ。
やはり考えてしまうことがある。事実がわからないからこそ悩んでいるのもある。ガラクも私に尋ねるまではこんな気持ちだったのか、と何だか仕返しかとすら思えてきた。
ガラクは死ぬことを考えていたと言っていた。彼の様子からもその言葉が嘘だとは到底思えない。本気で考えていたからこそ、私に対してもあそこまで真正面から向かい合ってくれたんだ。
元々裏街道の住民だから過去に何かがあったことはわかっていたはずだ。それでも直接耳にすると動揺が隠せなかった。普段のガラクを見ているだけになおさらだ。
「でも、名前で呼んでくれたのは嬉しかったなぁ……」
初めて呼ばれたのに、あまりにも自然だったのでそれだけ彼が真剣だったと伝わった。
それにガラクの笑顔も初めて見た。普段の態度からは想像もできない温かみを含んだものだった。いまだに私が脳内で都合よく作り出した幻覚じゃないのかと疑ってしまう。
「だからこそ気になるんだよね」
さっきから気を抜けば、この無限ループにはまっていた。
目を閉じてため息を吐く。改めて実感する。
こんなに現実を知ってしまったのも、きっかけは裏街道がいつできたのか好奇心で探索を始めたことだった。
やはり何でも深く関わり過ぎるのはよくない。こうして感情に振り回されることになる。今まで私がしてきた選択は正しかったんだ、と再確認した。
そこで、ふと思う。
メイは以前、ガラクをテレビで見ていたと言っていた。裏街道にはテレビ放送はないので、少なくともメイが表世界にいる時にガラクがテレビに出ていたことになる。そしてメイが表にいた頃と裏街道ができた時期はほぼ同じ。
裏街道ではネットが使えないので検索はできないが、もしかしたらそういった類の本が本屋に置いてあるかもしれない。それにプレーヤーを使えば映画も観られると言っていた。
ショッピングモールにCDショップのある大型書店があったことを思い出した。コンビニには週刊誌はなかったが、芸能雑誌くらいは置いてあるかもしれない。
前にも一度感じた罪悪感が襲ってきた。それに自ら行動したことで、また今みたいに困惑することになるのではないか。
でも、元々裏街道にきた時点でその覚悟はしていたはずだ。帰ったらどうせいなくなるんだから、面倒があったところで関係ない。それに知人が元芸能人だったら、少しくらいはどんな人だったのか知りたくはなるでしょう、と誰に言うでもなく心の中で言い訳した。
私は制服に着替えて外に出た。
***
ショッピングモールへと足を進める。何度か通ったことによりすっかり見慣れた光景となっていた。地面を踏みしめながら辺りを見回す。今日はいつもより人が外に出ているな。
コンビニへ入店する人、ベンチで雑誌を読んでいる人、屋根で寝転んでいる人。少し注意を向けるだけで、これだけの人が目に入る。
文字通り「自由」。他人に干渉せず、独自の時間を堪能しているようだ。
「今日はいい天気だねぇ」
花の手入れをしている四十代くらいの主婦っぽい人に声をかけられた。花壇にはカラフルな花がたくさん咲いている。ひとつも雑草が生えてないので、真心込めて手入れしているのだなと感じられた。
その言葉があまりにも日常的で警戒するのを忘れてしまったが、優しい笑顔で花を弄る彼女からは特に敵意を感じられなかった。
主婦は花壇から花を一輪摘み、私に差し出した。
「きれいに咲いたでしょ。あなたみたいな若い子には特に映えるわね」
頬に手を当てて、うっとりとした様子で私を見る。ご満悦のようだ。
受け取った花を見る。透き通った鮮やかなすみれ色で、小さな花がたくさんついて、とてもかわいらしい花だ。何という花だろうか。
頭を捻っている私の様子に気づいた主婦は、「あ、その花はね」と説明する。
「リナリアって言うの。別名、姫金魚草とも呼ばれているわ。とても丈夫な花なのよ。切り花や押し花にして楽しむことができるの」
確かに花は小さい金魚の尾ひれのようにひらひらした形をしている。
再び主婦の方へ顔を向けると、すでに花壇の手入れを再開していた。あっさりしたものだ。私に花を渡したのも彼女の自己満足からきた行動なんだな、と感じられた。
私はペコッと頭を下げて、受け取った花を片手にその場を去った。
ショッピングモールの書店に辿り着く。雑誌売り場はすぐに発見した。
しかし、そこで私はまたひとつ現実を知る。
「普通に雑誌が置いてあるじゃん……」
大型書店には、芸能雑誌だけでなく週刊誌などの雑誌も陳列されていた。
コンビニには雑誌や新聞といったものが一切置いてなかった。その代わりに文芸書が並んでいた。時を知る術はないものだと思っていたが、時代を知る術はあったようだ。
そこで、はっと気づく。
「もしかして、ガラクが雑誌類を除けたのかな?」
コンビニは図書館の真向かいといった位置だ。そしてその場に並んでいた本は、全て図書館の蔵書を示すラベルがついたものだった。
図書館はいわばガラクの居住地だ。なので出入りする人もほとんどいないだろう。だから図書館の本を手に取るのも自ずとガラクだけになるはずだ。
だったら何故、雑誌を除けたのか。
行動に移す理由なんて、大抵決まってる。
自分に関係するからだろう。
つまり、自分に関する記事が載っていたからではないのか。
しかし、どうしてその考えに至ったのか。
私は、雑誌を手に取るか迷った。芸能人だったならメディアに登場することは日常的だったはずだ。それなのに、ガラクが雑誌を除けた理由。
そんなの、それほど思い出したくないからではないのか。
伸ばした手を引いた。ガラクが逃避したかった事実が、ここに書かれているのかもしれない。また自ら首を突っ込んだことにより、辛い現実を目撃することになるのではないか。
でも、それでもガラクがどんな人間だったのかが知りたい。人気の芸能人には比例して負荷がかかっていたと想像はつくものの、やはり一般人からすると輝かしい人生のように見える。そんな眩しい舞台に立っていた人物が、何故光の差さない暗い舞台袖に引っ込むことになったのか。
私には一生立つことのない舞台。だからこそ最後に知ることができるのであれば知りたかった。
私はおそるおそる雑誌を手に取り、ページをめくった。見開きで大きく写真が載っているページが目に入り、手を止めた。ドラマの特集ページのようで、『W主演 インタビュー』と見出しがついていた。
「これって……」
屈託のない笑顔で写真に写る少年と少女がいた。そのうちの少年の方に目がいった。
幼い容姿だが、そこに映っている笑顔が、どことなく先日見たガラクの笑顔と重なった。
名前を見た。
そこには、『城陽 我楽(ショウヨウ ガラク)』と記載されていた。
「何を見ているんだ」
突如、背中から声が飛んできて「ひいいっ」と肩を震わせた。
雑誌を胸に隠すように身を縮めて振り返る。そこには写真の面影を残したまま成長したであろう本人の姿があった。
「ガラク……何でここに?」
「本の調達に来ていた」
ガラクの手には数冊の本があった。見覚えのある作品だ。私がガラクに渡した本の中に同作者の類似シリーズがあったはずだ。
呑気に思い返していたが、ガラクの視線が、私の胸の中にある雑誌に向けられていることに気づいて我に返る。
相変わらず、出会いたくない場面で出会ってしまう。
おずおずと抱えている雑誌に目を向けた。表紙はほとんど腕で隠れているものの、芸能雑誌であること、私がガラクに対して過剰な反応を示したことから、何を見ていたのか察しがついたのだろう。
「別に、隠すこともない」ガラクは肩を竦める。
口調からも、意外にも気を悪くした様子は見られなかった。どこか吹っ切れているようにも見える。
そのことに少し安堵し、私は今見たものを顔色を窺いながら尋ねた。
「城陽我楽って……ガラクの名前?」
「あぁ」
やっぱり雑誌に笑顔で映っていた少年はガラクだったんだ。ガラクという名前は本名だったのか。いや、本名かはわからないが、この名前で活動していたことには違いない。
ただ、これ以上口を開こうとしない本人を目の前にして、再び雑誌を開くほど空気の読めない人間ではなかった。彼が背中を向けたタイミングで、雑誌を元の場所に置く。
すでに目的を達成していたガラクと、目的のなくなった私。帰る方向も同じで、変にずらすのも妙に感じられたので、同じ方向に足を進めた。ガラクも私がここに来た目的は察していただろうが、何も言わずにそのまま歩き出した。
街は行きに通った時と変わらない人出だった。だが、周りの様子が目に入らないほどに私は思考していた。無言で手に持っている花の茎を弄る。
私とガラクの間には、長い沈黙が流れていた。
尋ねたいことはいろいろあるが、さすがに出会ったタイミングが悪すぎたので、それに関しては口を開くことができなかった。ただこの沈黙にも耐えられなくなってきた。
私はガラクの脇に抱えられている本に目をやり、何気ない調子で言った。
「その本、もしかして再読の為?」
質問されると思ってなかったからか、ガラクは一瞬不意打ちを食らったような顔をして答える。
「そうだな。図書館には置いてないんだ」
「その作品はクロスオーバーがおもしろいからね。私も新作読むたびに読み返してたな」
私の持参した本を読んでくれていることに歯がゆく感じた。照れ隠しで再び花を弄ると、それに気づいたガラクはこちらに顔を向けた。
「あ、この花、店に行く途中で住民に貰ったの。きれいな色だよね」
その言葉を聞いたガラクは、少し驚くような顔で私を見た。反応の真意がわからずに首を傾げると、「何でもない」とそっぽを向いた。
「せっかくだから押し花にしようって思うんだけど、図書館から辞書か図鑑、借りてもいい?」様子を窺いながら尋ねる。
「別に、図書館にある本はオレの所有物じゃない」ガラクは肩を竦めて答える。
ちょうど図書館に着いたのでそのまま中に入った。
図書館に来るのは三度目になる。
中に入ると、ガラクはすぐに定位置に戻り、私の行動に一切関心を示さずに調達した本を開いた。相変わらず周囲は本で散乱している。
私は、押し花に使用できそうな、重くてぶ厚い辞書か図鑑を手に入れる為に館内を歩き、適当な本を見繕う。重し用にも四冊ほど手に持った。
このまま挟むと汚れてしまうので、間に挟める紙かティッシュが必要だ。だけどここには本しかない。ガラクの座っている場所に目を向けるが、本以外は何もなさそうだ。
眉をしかめる。本当にこの場所で生活しているのだろうか。寝床すらないように思える。居住するのに必要なものがあまりにもなさすぎるので、疑問を抱かずにはいられなかった。
裏街道の住民に、睡眠が必要ということは以前聞いたことだ。ガラクは、大半の時間を図書館で過ごしていて動くことが少ないからか、裏街道に来たのが最近だからか、睡眠がそれほど必要でない身体なのかもしれない。
思案しても解答が出るわけじゃない。手に持った本も重いので自室に戻ることにする。
外に出たと同時に、人の気配を察知した。
少し離れた先にメイが歩いていた。が、こちらに気づく様子がない。それどころか、どこか虚ろな様子で遠くを眺め、おぼつかない足取りだった。
悪寒が走った。普段の明るいメイではなく、時折見せるもう一面、闇のあるメイのように感じられたからだ。
メイはそのままアパートの中へと入った。その間もこちらには一切気づく様子はなかった。
ガラクについてもだが、それ以上に一緒にいるはずのメイの方が何も知らない。それに一緒にいればいるほど、彼の一個人という存在が掴めなくなってきていた。
書店に向かう際にも浮上した罪悪感。でも今さら後に引くこともできなくなっていた。
私は気配を殺してアパートへと足を進めた。