こちらは、「人間裏街道」の本編その後のおまけ小説です。
本編を補足する内容となっておりますので、本編読後に楽しんでいただけましたら嬉しいです。
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「ガラク、ごはん持ってきたよ」
私の呼びかけに、ガラクは頭を掻きながらドアを開ける。虹色メガネによって目元は隠れているものの、今まで寝ていたのか軽く髪が跳ね、無愛想な顔をしている。だが、そんな姿すら彼だと絵になっていた。
ドアを支えてくれてる腕の隙間をくぐって、部屋の中に入った。
電気のついていない暗い室内。注意深く足元を確認したところで、私の顔面は引き攣る。
足の踏み場がないほどに、服や本で散乱していた。
「……二日前に掃除したよね。むしろ一種の才能だよ」皮肉を隠すことなく口にする。
「オレの家なんだから、別にいいじゃないか」ガラクは開き直ったように答える。
「だったら、せめて電気つけてくれない?躓きそうなんだけど」
「郷に入っては郷に従え、って言葉、知らないのか」
何食わぬ顔で言う。ドアを閉めて明かりがなくなったことから、すでにメガネは外しているようだ。
私はしぶしぶ、ポケットから裏街道で使用していたメガネを取り出した。
二〇二〇年、五月初旬の昼下がり、大学生活が始まって一ヶ月経った今日この頃。ゴールデンウィーク真っ只中だが、今年はいつもと少し違っていた。
新型の感染症が流行したせいで緊急事態宣言が発令され、自粛期間中。迂闊に外出することもできない。
私たちの通う大学も、もちろん休校。まともに登校もできずに、教授の不慣れなライブ配信でリモート講義を受ける日々だった。
少しばかり心待ちにしていた大学生活も、出鼻を挫かれてしまった。
散乱する服を跨いでリビングに辿り着く。幸い机上は空いていたので、そこに持参したタッパーを置いた。
「今日は照り焼き作ってみたの。まだたくさんあるから、足りなかったら言ってね」
そう言いながらタッパーの蓋を開ける。ガラクは料理を注視する。
「少しは上達したんじゃないか」
「おかげさまでね」私は投げやりに呟く。
今では、この生活がすっかり板についていた。
***
二〇二〇年、二月下旬。無事、私もガラクも志望大学に合格し、卒業まで以前と変わらぬ日々をただ流れるように過ごしていた。
「部屋を借りるつもりなんだ」
中央図書館に訪れた帰りにファミレスで昼食をとっている時のことだ。
正面に座るガラクは、唐突に切り出した。
「え、というか、むしろ今はどこに住んでいるの?」
私はハンバーグに添えてあるポテトを口に運びながら尋ねる。ポテトは肉汁を擦って少しふやけていた。
「昔住んでた家だ。家賃は払い終わってたのか、十一年経っても変わらずに残ってたが、オレ一人が住むには広すぎる」
ガラクは、ミートソースグラタンをスプーンですくいながら答える。出来立てで湯気が立ち、彼のかけているメガネが蒸気で微かに曇った。
「あの家売ったら、しばらく金に困らんし、それにいい機会かと思ってな」
「考えることは同じみたいだね」
実際私も、来月から一人暮らしの予定で、不動産屋を回っているところだった。
実家から通うのも可能な距離ではあるが、高校卒業を機に、環境も心機一転しようと家を出る決意を固めた。確実に裏街道でのアパート暮らしがきっかけになっていた。両親も特に反対することなく、物件探しに手を貸してくれていた。
「まだ家は決めてないのか?」
「うん。候補はいくつかあるけど」
私の返答を聞いたガラクは、宙を見て何やら思案する顔つきになる。私は黙々とハンバーグを口へ運ぶ。
さすが「人気ナンバーワン」との謳い文句の通り、文句のつけようのない味だ。溢れ出る肉汁を噛み締めながら、じっくりと堪能する。
「だったら、同じアパートに住まないか?」
ガラクは淡々と提案する。私は目を見開く。
身体の各機能が無意識に停止した。ひとまず口の中のハンバーグを胃に送ってから、ガラクに向き直る。
「えっと……?」
「おまえが知らない間に、首でも吊っていたらシャレにならんからな」
ガラクは冗談か判別のつかないトーンでシャレにならないことを口にする。あまりにも軽快に言うものだから、いっそ爽やかとすら感じる。
私は険しい顔で彼を見る。
「……家事ができないから困るんでしょ」
私は、裏街道で彼が住居にしていた隠し部屋を思い出しながら口にする。
「まぁ、それだ」
ガラクは肩を竦める。清々しい開き直りっぷりだ。
私は何食わぬ顔でグラタンを口に運ぶ彼を注視する。
思考が読めない。ただ、本当に私を生きるのに必要としているとは感じられる。
とはいえ、正直断る理由もないのと、初めての一人暮らしに少し不安を感じていたこともあり、その提案を受け入れることにした。
それからは一緒に物件を回り、偶然二部屋隣同士で空いているところを見つけたので、卒業式の次の日からそこに入居した。
「それにしても、虹ノ宮は本当に寒いな。三月上旬だというのに、まだ上着が外せん」
ガラクは段ボール箱を足元に下ろすと、マフラーに顔をうずめる。確かにいまだ白い息が出るほどに冷えていた。
「盆地だから仕方ないよ。夏は夏で大変だから覚悟しておいてね」
そんなこんなで、一人暮らし生活がスタートした。
***
あれから二ヶ月。料理はほぼしたことがなかった私でも、自賛できるほどには成長していた。一人暮らしであるのだから私に代わる者ももちろんおらず、自然と家事も自分でやらざるを得なくなった。
環境を変える目的で家を出たものの、必然的に一人でも生き抜けられる術を身につける羽目になった。
大学は始まっているが、毎日家で講義を受けているので、正直大学生活という感じはしない。それなのに、課題は恐ろしい量が出る。
ガラクは、辺りに散乱したプリントの山から数枚選別して私に差し出す。それを私はありがたく受け取った。
「本当……次からは、この先生の講義は絶対取らない」
「ただ、参考書読んでまとめるだけじゃないか」
ガラクは器によそった白米を片手に、照り焼きに手をつけ始める。
「毎回、ぶ厚い参考書一冊要約は厳しいよ。他にも課題あるのにさ」
私は溜息を吐きながら答える。横目で反応を窺うが、彼は黙々と口に運んでいた。
特に文句のつけようもないほどに食べやすいのだろう、と勝手に解釈する。反応がないのはいつものことなので、もう気にしていない。
「オレは苦にならんが」
「まぁ、ガラクはそうでしょうね」
癖になっているのか、純粋に本が好きなのか、表に帰ってきてからも、ガラクはほぼ毎日本を読んでいた。そんな彼にとったら、参考書の要約課題は、むしろご褒美でもあるだろう。私も本は読むものの興味のない参考書を一冊読むのは苦に感じていた。
私が家事を手伝う代わりに、課題を助けてもらう。これぞ、大学生活を生き抜くライフハック、といったところだ。
「ガラクはさ、サークルとか何か考えていたの?」
私は地面に散乱する衣服を拾いながら尋ねる。ここまで散らかっていても汚いと感じないのが不思議だ。
以前使用していたものなのか、まだ貯金があったのかは不明だが、とにかく彼が身に着けている品は質の良いものばかりだった。彼の部屋にある柔軟剤も、そこらのドラッグストアでは見かけないような高そうなパッケージの品だった。
「一応、考えてはいたがな」
ガラクは本のページを捲りながら答える。
「考えてたんだ。どこ?」
「天文」
私は、目を見開いてガラクに顔を向ける。彼は澄ました顔で何だ?と首を傾げた。
「いや、意外だなって……そもそもサークルに入るとも思ってなかったから」
思ったことを素直に口にした。
「せっかくならひとつくらいはと思ってな。天文なら基本、活動は夜だろうし」
「確かに、夜ならメガネいらないもんね」
「あぁ。表は明るい場所ばかりだから、結構辛いもんだ」
生きるのは大変だな、と自嘲気味に笑う。
「それに、みんなで山行くのは、普通に楽しそうだ」
ガラクは眩しそうに目を細める。そんな彼が眩しくて私は目を細めた。
以前、普通の学生として学校に通いたかったと言っていたことを思い出す。だが、それがきっかけで、裏街道に行くことにもなってしまった。薄着でも過ごせる気候になった今でも、肌の見えない服を着ていることから痛切に感じることだった。
時間は経ってしまったが、それでも、もう一度やり直そうと思える強い感情がひしひしと伝わる。私はそんな彼を素直に応援したいなと思っていた。
「まぁ、でも、この情勢だから、いつサークルが始まるかもわからんがな」
ガラクは肩を竦める。
「仕方ないね」
大学は始まっているが、私たちは入学式以来、登校できていない。仕方ないにしても、新入生歓迎会などが全て中止になったのは、正直惜しかった。
「サークルかぁ……」
洗濯機に洗剤を入れながら呟く。気品漂う香りが鼻孔をくすぐった。
今までは、特に興味のあることもなく、むしろ上下関係などの面倒事を避けていたので、部活動はひとつも入ったことがなかった。授業が終われば、まっすぐ帰宅するだけの日々だった。
でも、今の私は、ひとつくらい何か入ってもいいかな、という気持ちになっていたので、不思議なものだった。
「これも、生きたがりがそばにいる影響なのだろうか」
部屋でレジュメをまとめるガラクを一瞥した。
***
「やっと、表の生活に慣れてきたが、それにしても表はやはり騒がしいな」
信号待ち、ガラクは目先で警察官ともめている若者を見て呟く。
六月中旬。緊急事態宣言も開けたことから、少し足を延ばした先にある大型のショッピングモールに晩御飯を食べにガラクと向かっていた。
一人暮らしを始めて三ヶ月以上経ったものの、外出といえば近所のスーパーに買い出しに出るくらいだったことから、この辺りの地理を把握していなかったので気晴らしにもなるものだ。
「まぁね。一ヶ月しかいなかった私も、帰って来たとき同じこと思ったから、ガラクはなおさらでしょ」
つられて私も彼らに目を向ける。裏街道では、警察のような規則を取り締まる人物すらいなかったんだ。
「裏は本当に住みやすかったんだな」
「それでも、表に帰りたかったんでしょ?」冗談交じりに尋ねる。
「この面倒くささが、人間味がある」ガラクは目を細めて答える。
講義終了後に家を出たので、周囲はすでに薄暗くなっていた。
初めて訪れる道なだけに、地図アプリを頼りに足を進める。
ひっそりとした住宅街を通り過ぎる。街灯が照らすぼんやりとした明かりのみで視界が狭く感じた。
「暗……」
私は無意識に周囲を見回していた。
車も通らずに人気も感じられない細い道。まるで裏街道に訪れたような感覚に陥るが、圧倒的に違うのは、虫の声が響いていることだった。
ガラクはむしろ暗闇の方が視界が良くなるようで、平然とした調子で足を進める。
車が通る交差点に辿り着くと、先ほどまでのひっそりとした空気とはがらりと一変する。
「眩しいな」
ガラクは額に手をあてがって眩しそうに光を遮る。
車のライトや飲食店の照明、飲み屋が並んでいるのか電気の装飾が惜しげもなく飾られ、私でも目がチカチカするほどに煌びやかだった。
「この地図アプリ、どんな道かも関係なく最短ルートを示すからさ……」
私は言い訳のように弁解する。
陽気な声が耳に飛び込む。何気なく声の出所へ顔を向けると、居酒屋の前でスーツを着用してメガネをかけた真面目そうな男の人が、新人らしき男の人の肩に腕を回していた。
「なぁ、もう一軒付き合ってくれよ」
スーツメガネは紅潮した顔で新人に言う。
「でも真堂さん、結構飲んだでしょ。奥さん、大丈夫なんですか」
新人は困惑した声で尋ねる。
「あぁ? あいつは俺のことなんてこれっぽっちも気にしてないよ。むしろ心配かけるくらいがちょうどいいんだ。でも、まぁ、例え俺が朝に帰ろうが平然としているんだろうよ……」
真堂と呼ばれたスーツの彼は、寂しそうに呟く。
「……真堂さん。朝まで付き合いますよ」
新人は小さく息を吐きながら答える。
そんな彼らを横目に、心の中で健闘を祈って足を進める。
大型のショッピングモールへと辿り着いた時に、ふと違和感を感じた。
「あれ……? この、ショッピングモール……」
一人暮らしで初めて訪れた地。地図アプリがないほどに迷う複雑な道のりであるのだから、もちろんこのショッピングモールにも訪れたことはない。
だが、何故なのか。外観やこの場の空気に、どこか親近感を覚えた。
それは、隣にいるガラクも同じく感じているようだった。
「いや、まさかな……」
ガラクは首を捻って呟く。
私たちはお互いに頭を悩ませながら、店内へと足を進める。
私たちの傍を「おかあさん! 今日、ゲーム買ってくれるって言ったよね」とフードを被った男の子が陽気に駆けていった。
『人間裏街道』番外編「普段とは色の違う日常」――――――完。
(初出:2020/12/15)