「はい、終わり!みんな今日までお疲れ様」
ハヤミくんがパンッと手を叩いて叫んだ瞬間に、一斉に脱力する声が漏れた。
明日は体育祭。今日が最後の練習日だった。
「ハヤミさん。衣装はどうなりましたか?」
生徒会長は鼻息を荒くして尋ねる。
「届くのが明日の朝らしくてさ。だから明日の昼休み入ったら、すぐに集合で」
ハヤミくんは全体に聞こえるように言うと、さっそく後輩たちに労いの声をかけ始める。彼が一番体力を消耗してるはずなのに、本当に面倒見が良い。
モモヤマさんは、自分のカバンを漁って帰宅の準備をしている。あっさりした振る舞いに少し寂しく感じた。
「あの、風嶺さん……これ」
モモヤマさんの声が聞こえて振り向く。手のひらに乗せられている品を見て、私は目を丸くした。
「……え?」
ミサンガだった。
彼女に視線を戻すと、俯きながら唇を結んでいた。
「もしかして、手作り?」
モモヤマさんに尋ねると、無言でこくりと頷いた。彼女の緊張が感じられて、私は口元が緩む。
「すごいね。ありがとう!」
ミサンガは、赤と白の糸で縞模様に編み込まれたものだ。網目も細かく均等で、彼女の器用さがひしひしと感じられた。
モモヤマさんは、隅で帰宅の準備をするオクノさんとクリタさんに身体を向けると、一瞬躊躇うものの、意を決して声をかけた。ミサンガを見た彼女らは素直に喜んだ。
「明日、化粧に時間かかるかもだし、昼休み入ったら早く来てね」とオクノさんはウインクする。
「モモヤマさん。元がいいからね~。弄りがいあるなぁ」とクリタさんは興味深気にモモヤマさんを眺める。
オクノさんとクリタさんは、普段から二人で行動しており、中々接し辛かったものの、モモヤマさんのおかげで距離が縮まった気がした。
「え、いいなぁ〜オレの分は?」
ハヤミくんが私たちを覗き込む。隣のアカイくんも、何だ何だと興味津々にこちらに顔を向ける。
「もちろん、ある」
モモヤマさんはそう言うと、手に持っていたミサンガを彼らに差し出す。衣装に合わせているのか、彼らのミサンガは赤と黒だった。
「すげー器用だなぁ」アカイくんは感嘆の声を漏らす。
「アスカは昔からこういった細かいこと得意だもんな。すごいよ」
ハヤミくんもストレートにモモヤマさんを褒めながら、さっそく手首にミサンガをつけ始める。それを見たアカイくんが、「ハヤミ〜オレもつけてくれ」と声をかけた。
チラチラ刺さる視線を辿ると、生徒会長だった。澄ました顔をしているものの、彼もミサンガが気になっているのだろう。
モモヤマさんが「あの」と声をかけると、生徒会長は「仕方ないですね。アクセサリーは普段使用しないのですが」と彼女が用件を口にする前に答えた。
モモヤマさんは、キョロキョロと辺りを見回す。誰を探してるのかは、聞かなくてもわかった。無意識に口角が上がる。
彼女は対象を発見すると、小走りでこの場を離れた。
モモヤマさんの目線は、教室隅で天井を見上げるジョウジマくんを捉えていた。普段は後輩の女の子と話しているものの、最近は一人でいることが多い。
モモヤマさんは、ジョウジマくんにもミサンガを渡した。彼女の表情はこちらから確認できないが、ジョウジマくんが少し面食らった顔をした。
「アスカ、やるなぁ」
用具の確認をしていたハヤミくんが呟いた。その顔はどこか寂しそうだった。
「ハヤミくん?」
「いや、なんつーか、娘が彼氏を連れてきたような複雑な心境だわ」
「何それ」私は笑う。
「風嶺もさ、幼馴染にそんな存在が現れたらわかるって」
ハヤミくんは肩を竦めて言った。
遠くで「団長ーこれどこに片づけたらいいですか~?」と声に呼ばれて、彼は対応に向かう。
リョウヘイに、もし彼女ができたら同じ気持ちになるのだろうか。心がこそばゆく感じた。
帰り道にモモヤマさん、ハヤミくん、アカイくんの四人で帰路につく。
「こうして放課後、帰るのも最後か〜」アカイくんが嘆く。
「応援団の練習が終わるだけだって。学園祭もあるし、高校生活もまだ終わってないからな」
ハヤミくんが苦笑する。それでもよ〜とアカイくんは口を尖らせた。
高校生活が終わる訳ではないと知りつつも、アカイくんの言う通りに、私も少し寂しく感じた。隣で歩くモモヤマさんも、この場の空気を噛み締めているようだ。
空が夕日でピンク色に染まっている。近くの木には雀の大群が騒ぎ、遠くではカラスが鳴いていた。みんなの手につけられているミサンガが心を擽った。
何度も歩き慣れた道なのに、今日は特別なもののように感じた。
***
三年間愛用して、少しくたびれたジャージに腕を通す。今日は堅苦しい制服を着て登校する必要もなかったので気が楽だった。
学校に向かうにつれて、ジャージ姿の人たちが増える。校門には大きく『体育祭』と、看板が掲げられていた。
校門前には生徒指導長のマルセンが立っていた。生徒に鋭い視線を向けるが、今日は制服の乱れにいちゃもんつけられずに、おもしろくなさそうな顔をしている。
教室に辿り着く。みんな体操服を着用しており、手には赤いハチマキが握られていた。
教壇に顔を向けると、赤いハチマキが大量に入ったカゴが目に入る。ひとつ手にとり、自身の席についた。
斜め前に顔を向けると、モモヤマさんもハチマキをどのようにつけるか頭を悩ませていた。
「モモヤマさん、応援合戦がんばってね」と声をかけるクラスメイトの声が聞こえる。
彼女は一瞬キョトンとするも、歯痒そうな表情を浮かべて「ありがとう」と言った。クラスメイトは、少し頬を赤らめてその場を後にした。
全体練習を通じて、彼女に対する印象が変わったのかなと内心嬉しくなった。
「二人ともおはよう」
いつもの爽やかな声に顔を上げると、ジャージ姿で額にハチマキをつけたハヤミくんがいた。
「おはよ〜」
ハヤミくんの大きな身体の後ろからひょこっとアカイくんが顔を覗かせた。
「あっ、おまえら、何そのミサンガ」
近くにいたクラスメイトが、私たちの腕につけてるミサンガに気づく。
「いいだろ。アスカの手作りだよ」
ハヤミくんは、自慢するように見せた。
クラスメイトはへぇ、とモモヤマさんに感心の目を向ける。彼女はしれっと顔を逸らす。
「でも、応援合戦があんなに楽しいとは思ったことなかった。やっぱりハヤミおまえすげーな」
クラスメイトが口々に言う。私も面倒な種目と思っていただけに、素直に同意した。
「ありがとう。今日は楽しもうな」
ハヤミくんは爽やかに答える。
召集の放送が流れたことで、グラウンドへ向かった。
テントが並び、頭上には紙の装飾品が吊られている。丁寧にならされた土に、真っ白な白線が映えていた。
今日は快晴だ。体育祭日和とも言える。今までは適当に流していた行事であるが、今年はこの日を心待ちにしていた自分がいた。
高校の体育祭となると、観覧に来る保護者の姿もほぼ見られない。
だが、彼女は例外のようだ。
「リョウヘイのお母さん、健在だね」
私はニヤニヤした顔で、リョウヘイに声をかける。
保護者観覧席の前方に、奇抜な総柄Tシャツにサングラスをかけて、ビデオを弄るリョウヘイ母がいた。リョウヘイは青組だからか、全身青系統で固めてきたようだ。
母に気づいたリョウヘイは「さすがに鬱陶しいわ」と眉間に皺を寄せる。
「やっとメインディッシュが食べられるから、興奮してるんだよ」私は彼女をフォローする。
「オレは高いんだ」リョウヘイはぶっきらぼうに答える。
意味のわからない返答からも、また始まったと息を吐いた。
「離乳食は赤子だけ、ホテルディナーはドレスコードした奴だけ、ドッグフードは犬だけが食べていいだろ。食事ができるのは、金を払って、基準を満たした奴だけだ。無銭飲食は犯罪だ」
「私お金ないけど」と唇を突き出すと「おまえは招待客だ」と堂々と胸を張った。
「でも、今日は期待してる」
実際、毎年気合を入れて応援合戦に取り組む彼の姿は、純粋にかっこいいからだ。
しかしリョウヘイは、「今までのおまえは、とびっこをキャビアと勘違いして食っていた」と失礼なことを言い始めた。
「さすがに三大珍味との区別はつくけど」少しむっとして応える。「だって、キャビアは黒い」
「『井の中の蛙大海を知らず』って言葉を知ってるか?おまえは今まで見てきたものが、応援合戦の全てだと思ってる。今日は世界がひっくり返るぞ」と誇大表現をする。それほど自信があるようだ。
「私たちも負けないから」対抗して頬を膨らませた。
「団長!ユイちゃん!今日は期待しているからね!」
リョウヘイ母の叫ぶ声が耳に飛び込む。振り返ると、彼女は脇目も振らずに、大きく腕を振っていた。
「うるっせえんだよ」
リョウヘイは嫌悪感丸出しにして叫ぶ。
私はそんな二人を見て「蛙の子は蛙」と呟いて、自分の席へと向かった。
午前は個人競技中心に行われた。スターターピストルが鳴るたびに、まだ終わらないのかと期待する。自分の種目を台本通りに済ました後は、応援席で適当に雑談していた。緊張感のない空気のまま、昼休みに入った。
「すげー!」
アカイくんは届いた衣装を見て、目を輝かせた。
真っ黒だった長ランの背中には、赤で「気炎万丈」と大きく書かれ、周囲に炎モチーフがあしらわれたデザインに仕上がっていた。
「かっこいいね」
ハヤミくんも手に取る。団長の服は、さらに金色で豪華に仕上がっていた。
「団長、かなりいかついなぁ~」ジョウジマくんが揶揄う。
「確かに、威圧感が増しそうだよな」ハヤミくんはさらりといなす。
「やはり心が引き締まりますね」生徒会長の顔は誰よりも緩んでいた。
後輩たちも、いつもとは違う応援団服に浮き立っている様子だった。
「じゃあ、着替える前にサクッと昼食とろうか」
ハヤミくんは、はいっと手を叩いて、みんなの目を覚ます。
「十三時には応援席に集合だから、五十分までには着替えを終えるように」
ハヤミくんが周囲を見回しながら言うと「はーい」という声が上がった。
***
大教室内でモモヤマさん、ハヤミくん、アカイくんの四人で昼食を取り始める。
「これ、風嶺一人で作ったのか!?」
目前に広げられたお弁当を見て、アカイくんが声を上げた。
「うん。簡単なものばかりだけど」
モモヤマさんに感化され、私も何か貢献したいと思い、朝早くに起きて準備していた。大きめのお弁当三つに、大量のおにぎりやウインナー、たまごやきを詰めた簡単なものだ。
「でも、さすがにハヤミくんには足りないかも……」おそるおそる彼を窺う。
「大丈夫。自分の弁当もあるし、アスカのパンも貰うからな」ハヤミくんは笑顔で答える。
モモヤマさんもパンの入った紙袋をみんなの前に置いた。
三人はさっそく手をつけ始める。
気が落ち着かなかった。去年から自炊を始めたものの、リョウヘイやナナミ以外の人に料理を振舞うことがなかったので、少し反応が心配だった。
だが、私の不安とは裏腹に、「うんめー!」とアカイくんの声が耳に飛び込む。「おにぎり塩が効いてて染み渡るな」
「おいしい」
モモヤマさんも私に真顔を向けた。
「料理できるのってすごいな~尊敬するよ」ハヤミくんも満足気におにぎりをほおばった。
「あ、ありがとう……」私は照れ臭くて下を向いた。
「シュン。食べすぎだよ」
モモヤマさんはハヤミくんを制する。お弁当を見ると、すでに三分の一はからっぽになっていた。
「箸が止まらなくてさ」ハヤミくんはあっけらかんと答える。
「気持ちはわかるけど」モモヤマさんは私を一瞥する。
モモヤマさんの反応に苦笑しながら、「本当は、全部ひとりで食べたいよ」とハヤミくんは呟いた。
「確かにおまえなら、全部食べられそうだよな~」アカイくんは軽い調子で同調する。
私は歯痒くなって顔を逸らした。
大教室隅で、ジョウジマくんと後輩の女の子が話す姿が目に入る。女の子が何かを渡しているように見えた。
無意識にハヤミくんに顔を向けると目が合った。恐らくモモヤマさんも存在に気づいてるであろうが、何も言わない。アカイくんだけが状況を察する様子はなく、「ウインナー最後の一個もらうぞ〜」と気の抜けることを言う。
しかし特に気まずい空気にならず、ジョウジマくんと女の子はすぐに別れた。女の子がそそくさと彼から離れると、ジョウジマくんは壁に寄りかかって、ペットボトルを口にした。
その瞬間、モモヤマさんが立ち上がって小走りで彼の元に近づいた。
突然の行動に、私とハヤミくんは目を丸くする。アカイくんも遅れて「モモヤマ、どうしたんだ?」と私たちに尋ねた。
ジョウジマくんは、モモヤマさんに気がつくと少し驚いた表情になるが、すぐに営業スマイルに戻る。何やら会話をした後、二人でこちらに向かってくる。ジョウジマくんは頭を掻いていた。
私たちは状況が掴めずに、ただただ呆然としていた。
モモヤマさんは、私たちの視線に気づくと、表情を変えることなく口を開く。
「彼もいい?」
「え?」
まさかの私、ハヤミくん、アカイくんの三人声が重なった。
「お昼、食べてないみたいだから」モモヤマさんは淡々と告げる。
頭が追いつかない。他の二人も同じく状況が読めてないようだ。
誰より戸惑っていたのは、連れてこられた当の本人だった。
「お昼はいつも、食べないんだけどね」ジョウジマくんは肩を竦める。
「だって、これから本番なのに、倒れられると困る」
「こう言って聞かないの。何か邪魔して悪いね」
「全然。みんなで食べた方が旨いし」
ハヤミくんは歓迎してスペースを開けた。ジョウジマくんはおずおずと輪に入る。
特に困らないものの、モモヤマさんの行動力に、またもや驚かされた。
居心地が悪そうなジョウジマくんの膝の上に、モモヤマさんは次々パンを乗せる。
「さすがに、こんなに食べらんないよ」
「だからそんなに細いの。シュンを見習った方がいい」
「彼は別格でしょ」
さすがのジョウジマくんも困惑していた。しかしモモヤマさんは気にも留めずに、淡々とおかずを彼の前に差し出している。
二人のやりとりを横目に、隣のハヤミくんに耳打ちする。
「彼氏を連れてきた娘を見てる気分?」
「正しくな」
ハヤミくんは力なく笑った。
***