秋を知らせる冷たい風が吹く。頭上で掠める音が鳴り、風と共に色づいた葉が舞った。
いつの間にか全ての種目が終了したようで、閉会式の為に、生徒を招集するアナウンスが流れる。
ジョウジマくんはグラウンドの方へと視線を送る。私は彼の横顔をじっと見た。
いまだに本心が読めない。ただ感じるのは、本当の彼は、人の心を弄ぶ軽い人ではないということだった。
ジョウジマくんは名残惜しそうにグラウンドを見た後、「さて、じゃあそろそろ消えるとするかな」と壁から身体を起こす。
「まだ時間あるでしょ?せめて閉会式くらい」
「どのように記憶が消えるのかわからないし、人がいるところで意識を失っても困るしね」ジョウジマくんは笑って答える。
「本当に、この学校での出来事は消えてしまうの……?」
想像ができなくて、気づけば尋ねていた。
ジョウジマくんは私を一瞥すると「それは確実だね」と答える。
「記憶が消えるか……。正直、忘れてしまえば関係ないって思ってたけど、死ぬのが怖いと感じるのは生きてる時だけだもんね。それと同じものなのかな。むしろ生きてる分、虚しくなるのかもしんないね。どうだろ、わかんないや」
「ジョウジマくん……」
「ゲームによって作り上げられたオレという存在が、どこまで残るのか楽しみだね。あ、でもキミは、クリアするまではオレのこと覚えてるはずだよ」ラッキーだね、とピースする。
「それよりも、キミは大丈夫なの?」
「私?」
「キミもクリア後には記憶が消えるんだ。胸に穴が開く痛みに、耐えられるのかな?」
ジョウジマくんは、意地悪そうに口角を上げて尋ねる。
私は目を閉じて逡巡した後「私、今、このゲームについて探ってるの」と告白する。
「ゲームについて?」ジョウジマくんは目を丸くする。
「親友がペナルティを受けて、元に戻る方法がないか探ってる。だからもしかしたら、記憶が戻る方法もわかるかもしれない」
「根拠は?」
「具体的なものはない。だけど私一度、記憶を消されてるの。でも、突然蘇った」
その言葉を聞いたジョウジマくんは、一瞬黙るも「不明瞭だね」と両手を広げる。
「でも、それならなおさら、オレとキスできてよかったんじゃない?また一歩、前進したでしょ」彼はニヤニヤした顔で問う。
「情報が知れたことには感謝してる」
「つれないね~」
ジョウジマくんは肩を竦めると、私に向き直る。
「記憶が消えるまでの大サービスだよ。他に何か聞きたいことは?」
その瞬間、「そこに誰かいるのか~?早く並べ」と声が届いて我に返る。
「時間切れだって。じゃ、健闘を祈るよ」
踵を返してこの場から去ろうとするジョウジマくんの背中に、慌てて「ねぇ、指輪ってジョウジマくんが買ったの?」と声をかけた。
ジョウジマくんは振り向くと一瞬思案し、「この指輪って、ほんと高いよね」と左手を振った。
***
グラウンドに戻った時には、ほぼ整列されていた。私は慌てて、自分のクラスの女子列最後尾に並ぶ。
「遅かったな」隣のアカイくんが言う。
「うん、ちょっと」
前方に顔を向けると、モモヤマさんの小さな背中があった。顔が見られず、彼女がどんな表情を浮かべているかわからない。
「あのさ、風嶺」とアカイくんに声をかけられて我に返る。
彼に振り向くと、呑気にスマホを弄っていた。いまだ閉会式が始まらないとはいえ、彼の能天気な行為に苦笑した。
だが、思わぬことが起きる。
「これって、あいつだよな」
アカイくんはスマホを私に向ける。つられて画面に顔を向けたところで驚愕した。
スマホ画面には、ヴァイオリンを弾く一人の青年が映っていた。
髪色や制服が違うものの、その顔はジョウジマくんそのものだった。
「ど、どうしたの、これ……」
スマホを手に取り、画面を凝視した。
「ずっと、どこかで見たと思ってたんだけど、やっと思い出してさ。苗字も見た目も全然ちげーし、そら気づかねーわけよ」とアカイくんは頭で手を組む。
「オレ、中学ん時弦バスやっててさ。多分、学外のコンサートで何回か見てるんだ」
顔はジョウジマくんだが、先ほどまでの彼とは、印象が反転していた。
髪は黒くてストレート。着用している白ブレザーや校章から気品が溢れ、レベルの高い私立の制服だと窺える。知力と財力に富んだ好青年という印象を抱いた。
何よりも真剣な顔でヴァイオリンを弾く姿に目が離せなかった。
写真ばかりに気を取られていたが、視線を落として記載されていた文面に、またもや目を見開いた。
「天才高校生ヴァイオリニスト!?」
「やべーよな。こんなすげーやつが、なんでこんなところに転校してきたんだろな。失恋でもして気がふれたのか?」
アカイくんは笛を吹くような軽い調子で言う。
そのタイミングで、実行委員会のマイクテストが入り、閉会式宣言がされた。
容姿と頭脳に優れ、ステータスも高く、才能にも恵まれていたジョウジマくんは、それら全て変えてゲームに参加した。
クリアすればゲームに関する記憶がなくなる。だが舞台は現実世界だ。リスクをとるのは確実だ。
ジョウジマくんは二ヶ月もこの街にいた。その間に別の場所で動いた時間を補完することはできない。
今まで築き上げたものを変えるだなんて、それこそ感情があれば簡単にできることじゃない。
私は、彼のゲームに対する覚悟に、言葉が出なくなっていた。
閉会式が済むと、足早にモモヤマさんの元にかけ寄った。
「モ、モモヤマさん……!」
モモヤマさんは私の声に振り向く。いつもと変わらない落ち着いた表情だ。
「えっと、さっきのジョウジマくんのは誤解で……」
慌てて弁解を始める。関係を崩したくないとは、ハヤミくんの時から懸念したことだ。
「ジョウジマ?」
モモヤマさんのキョトンとした表情を見て、私はあっと声に出る。
確認の為に、そばを通ったアカイくんに声をかける。
「ねぇ、さっきの写真さ……」
「写真って何だ?」
「ごめん、何でもない」
適当に誤魔化して顔を下に向けた。
一時間経ったから、ジョウジマくんに関する記憶が消えてしまった。
私はプレイヤーだから、クリアするまではカウント条件に関わる人間の記憶が残る。ゲーム進行過程の記憶を奪うことが罰なら、その理屈も納得できた。
だが、自分だけが覚えている事実に、少し虚しくなった。
モモヤマさんの視線に気づき、正気に戻る。
「ごめん、何でもな……」と言ったところで、彼女の手に持たれているものに気づく。
「それ、どうしたの?」
「わからない。いつの間にか持ってたの」
彼女の手にはCDが握られていた。ラベルも貼られておらず、透明のケースに入れられた殺風景なものだが、私は誰が渡したものか見当がついた。
「それ、聴いてあげてね」
私は目を細めて笑う。モモヤマさんは表情を変えぬまま、首を傾げた。
「なーんか、ずるい人だなぁ……」
忘れられることに怯えていなければ、温もりを残すようなことはしない。
私は空に向かって呟くと、教室へと足を進めた。
***
学校から帰宅した後、リョウヘイから呼び出しがかかり、珍しく金曜日でないが彼の家に向かった。
リョウヘイ母は、息子の活躍にいまだ高揚しているようで、リョウヘイを「団長」と呼んでいた。
「ユイちゃんの団もビデオばっちり撮ったから、また渡すわね」
「ありがとうございます」
青組の映像もください、とは言えない。
口を噤んで、リョウヘイの部屋に上がった。
「調査が終わった」
部屋に入って第一声、リョウヘイは腕を組んで告げる。私はすぐに指輪のことだと気づく。
「指輪の入ってた箱や梱包の鑑識、あと周辺の防犯カメラやドライブレコーダーの映像、全部漁った。だから時間がかかっちまったけど」
「全部!?」
「あぁ。そういうの、調べるの好きな奴がいてな」
リョウヘイは曖昧に濁す。私の顔は引き攣る。
「ちょっと、リョウヘイが怖いんだけど」
「兄貴は人脈だけは広いからな」
リョウヘイは、調査結果が書かれているプリントをファイルから取り出す。
大量に印刷された写真やデータに圧倒された。
「本当にありがとうね」
ただでさえ体育祭で疲れているはずなのに、すぐに連絡をくれることにも恐縮した。
「オレは、考察しただけだがな」
リョウヘイは適当にプリントを床に広げた。
「まぁ見てもわからんだろ。だから結果を言っちまうと、とんでもねぇことが判明した」
私の顔は強張った。リョウヘイはカメラ映像の印刷されたプリントを手に取る。
「おまえが朝ポストを確認してから、夜にポストを確認するまでの間に、おまえん家の前を通った人物を割り出した。家が映る映像がなかったことで決定打に欠けるが、それでも家の前を通ったのは郵便配達とおれも知ってる近所の人間くらいだけだった」
そこでリョウヘイは、指輪の入っていた梱包の写真が印刷されたプリントを手に取る。
「だが、ここに貼られてる伝票は見せかけで、郵送で送られてきたものじゃねぇ。つまり、おまえん家に直接入れに行ったことになる。しかし、この箱を持つところは映っていなかった」
「映っていなかった?」
「あぁ。だからポストに指輪を入れた奴は、おまえの家の前を通ってねぇんだ」
「でも、それならどうやって?」
それこそ次元の飛んだ話になってくる。
だがリョウヘイは、すでに解答がわかっているようで、「一人いるだろ」と険しい顔をする。
「一人?」
「あぁ」
リョウヘイは視線を逸らして、「ポストに指輪を入れたのは、おまえの姉じゃねぇのか」と答えた。
第二章『赤い虚構を想う空』 完