第四章『真理ゲーム』①




テーブルとソファ、テレビにキッチンの備わった馴染みのリビング。帰宅した際、最初に訪れる安堵の空間だ。
しかし、今日は普段と違い、ピリピリとした空気が張り詰めていた。

「リョウヘイくん。久しぶりだね」

姉は、リビング奥の椅子に座るリョウヘイに気づくと声をかける。その目は笑っていない。
リョウヘイは、無言で姉を睨んでいる。

今日は平日で、もちろん学校がある。しかし、もしもの為にと、リョウヘイまで学校を休んでくれていた。
私が姉に怖気づいた時の代弁者として、私の背中を支える者として、そして私に勇気を与える者として。
リョウヘイがそばにいてくれるおかげで、平静を保って姉に向き合うことができていた。

姉は、彼の視線には全く気にも留めずに、ソファに腰を下ろす。私は姉の正面に立った。
長い沈黙。私も姉も、何から口にすべきか悩んでいた。

「よく、わかったね」

静寂を切り裂くように姉が言う。同情の色が混じる、冷ややかな声だった。

私は重い口を開く。

「まずは、指輪がポストに入っていたこと。指輪の入っていた梱包材の購入履歴や伝票の偽装、あと防犯カメラやドライブレコーダーの映像から、ポストに指輪を入れたのは、お姉ちゃんだってわかった」

体育祭の日に、リョウヘイから受けた調査報告だ。

「それから、恋人優待対象店舗……それらの裏で関わっていたのが、全部、おじいちゃんだった」

これは昨日、リョウヘイから受けた新たな情報だ。
恋人優待対象店舗は、ホテルやテーマパーク中心に、様々な場所が対象だった。その裏全てに絡んでいた投資家が祖父だった。

「私は全然、お金とか投資に詳しくないけど、それでも、優待対象店舗全てに絡むなんて普通は難しいでしょ。でも、おじいちゃんは元医者だし、うちの金銭管理も任せてた。それに指輪自体が高額だから」

祖父は元々医者であり、退職した今もお金に困っていない様子だった。それに加えて、うちの金銭管理も任せていた。
『永遠印』という指輪は、高額でありながら最近では話題の物として取り上げられるほどだ。資金源がそれらだとは想像できる。むしろ話題の品に、企業側から業務提携を依頼した可能性も考えられる。

「恋愛ゲームのペナルティは、外傷がなく、記憶を消すものと意識障害に陥らせるもの。おじいちゃんは元脳神経外科医。……ここまでわかったら、何となく想像できるよ」

ニュース記事で「催眠」という言葉を目にしてから気づいたことだ。
あの子どもは、指輪から映像のように映し出される為、AIのデジタル管理システムを取ってるとわかる。「物理的に傷つけることはできない」という言葉から、ペナルティは、音や光など目には見えない方法で、脳に催眠をかけているものだと見当がついた。
そして、祖父は脳のスペシャリストだ。

具体的な方法はわからない。だけど、重要なのは方法じゃない。

「それなら、祖父を疑うべきでしょ。私が創設者且つゲームマスターだという根拠にならない」

姉が突き放すように言う。一瞬怯むも、表情を崩さないように堪える。

「今、話したのは、お姉ちゃんとおじいちゃんが『永遠印』に関わっているという、具体的且つ現実的な根拠だよ」

今までは、リョウヘイの調査報告や、ニュースなどから得た情報から導き出した結果だ。

私は大きく息を吸い、できるだけ冷静に努める。

「おじいちゃんには、『永遠印』を生み出す理由がない」

金銭面やシステム面で深く関わっているのは、祖父には違いない。

しかし祖父は、今でも祖母と円満に暮らしている現状からも、『永遠印』を生み出す明確な意図が感じられない。本来の目的を知らされずに、ただ作業として行っていた可能性だってある。

「『永遠印』にある『恋人優待』の目的は、恋人同士の永遠を後押しする為のもの。そして条件を破った時の罰である『恋愛ゲーム』の目的は、裏切られた人間の感情の痛みを裏切者に教える為のもの。そこには、『永遠印』を生み出した人の「願望」と「復讐」が入っているんだよ。つまり、指輪を生み出した人物は、「永遠を誓ったのに、裏切られた経験のある人」になる」

そこまで言うと、姉に顔を向ける。姉は窓の方に顔を向けて視線を合わせようとしない。

「お姉ちゃんが……そうだったでしょ……?」

姉が引きこもった原因だ。
大学卒業したら結婚することを前提に、恋人と交際をしていたにも関わらず、相手は浮気をしていた。姉が将来の為にと恋人に渡したお金も、全て浮気相手に回されていた。姉が感じた幸せな時間は、相手にとったらただの金銭を得る為の作業でしかなかった。

姉は、時間もお金も感情も、全て奪われたと散々口にしていたし、私は散々聞かされていた。

「何よりも、お姉ちゃんがゲームマスターでなければ、私は今頃、ペナルティを受けてるはずだよ」

声の震えを押さえて、強く告げる。

姉は、私の言葉を聞くと、「正解」とあっさり告白した。

「『永遠印』は私が考えたもの。祖父は、お金と知識を貸してくれただけ」

姉は淡々と説明する。私とリョウヘイの目が、険しいものに変わる。

「言葉は目に見えないものなのに、心を一番深く傷つける鋭利な存在なのよ。それなのに、根拠もないくせに誰もが簡単に口にする」

同感なので黙って耳を傾ける。姉は、窓の方を見ながら滔々と語る。

「『永遠印』は恋人同士の仲を後押しする為の、目に見える『永遠』の象徴。『永遠』を確実なものとする為に使用条件を掲げていた。条件を破ったら、天罰が下るのは至極当然でしょう?私は、この世のあるべき形を作り出しただけよ」

私は目を瞑り、小さく息を吸って気を落ち着かせる。

「うん。私は『永遠印』が『永遠』を後押しする存在意義なだけに、条件や罰を含めて存在を否定するつもりはないよ。むしろ軽い気持ちで手を出す人の方が悪いとも思う。ただ」

私は、目の色を変えて姉を見る。依然として姉は視線を合わせようとしない。

「それなら何で、私に渡したの?」

「私が恋愛をしないとは、お姉ちゃんが一番わかっていたはずでしょ?それに指輪を利用したとしても、条件を破るとは思っていなかったはずだよ」

私は冷静に告白する。

「だって、お姉ちゃんの話を聞いて恋愛をしないと決めていたし、条件を破って死んだお父さんとお母さんを見てるんだから」

実際私は小学生の頃、姉から散々恋愛を否定されて、異性と恋人関係になることに怯えるようになった。それに、条件を破ると痛い目を見るとは、両親の死で身に染みて感じていたんだ。

「でも実際、あんたは指輪を利用して、条件を破って恋愛ゲームに参加してる」姉は淡々と現状を述べる。

「だって、ナナミがペナルティを受けたから……」と、ここまで口にして異変に気づく。

姉が、うっすらと笑みを浮かべていた。

「何……その顔……」私の顔が強張る。

「あんたは優しい人だって知ってるよ。引きこもりの姉の為に、毎日ごはんも作ってくれるほどなんだからさ」

姉は立ち上がると、含み笑いのまま私を見る。

「『永遠印』はネット通販のみでしか手に入らない。そして優待を利用するにはアプリが必要。それらから『永遠印』利用者の情報が手に入る仕組みになってるの。恋愛ゲームのクリアラインも、それらから算出されたものだね。もちろん、ナナミちゃんが指輪を利用していることも、私は知っていた」

私の心臓はドクドクとなり、嫌な汗が流れる。

姉がナナミを知っていたから、何なんだ。

しかし、よく考えれば違和感はあった。
私が指輪をつけて、すぐにナナミは条件を破ることになった。
言い方を代えれば、タイミングが良すぎる。

「感情を弄るのなんて簡単なんだよ。言ったでしょ。言葉は鋭利な存在で、心を一番簡単に傷つけるもの。軽い言葉でも深く切ることができる。その辺りは私の専門だとは、あんたも知ってるでしょ」姉は淡々と述べる。

ペナルティを受ける前のナナミは、尋常じゃなく怯えていた。「指輪を外すと殺される」とも言っていた。

思考が止まる。無意識に耳に手を当てていた。

「待って、嫌だ……」

「ナナミちゃんがペナルティを受けたのは、必然だったのよ」

頭が真っ白になり、ひざから崩れ落ちた。
だがその瞬間、肩に温もりを感じる。

リョウヘイが私の元まで寄り、肩を支えてくれていた。

「落ち着け……ユイ」

低くて冷静な声によって、私は思考を取り戻せた。

「ごめん……ありがとう、リョウヘイ……」

そんな私たちを姉は冷ややかな目で見る。

「あんたはいいね。支えてくれる人がいて」

リョウヘイは厳しい視線を姉に向ける。

「ユイを恋愛ゲームに参加させることが目的だったってことだろ。まさかこれも『現実を教える為』か?」

「さすが。相変わらず鋭いね、リョウヘイくんは」

姉は目を細めて笑うと、私に顔を向ける。

「私が昔、話をしたのも現実を教える為って言ってたでしょ?実際に体験できるシステムが整ったのだから、妹に教えるのは姉の役目として普通じゃない?特にあんたは、現状維持にばかり目を向ける臆病者なんだからさ」

「臆病者はあんたの方だろ」

リョウヘイは立ち上がると、先ほどよりも険しい視線で姉を見る。

「だったら、正体を隠さずに堂々とユイに渡せばよかったんだ。そもそも誰のせいでユイが現状維持に努めるようになったと思ってんだ」

「正体がわかったらゲームにならないじゃない」

「結局ゲームになってねぇじゃねぇか」

「リョウヘイくんが、かなり協力してくれたおかげだよね」

姉は目を細めて褒める。あまりにもさらりと告げられたことで、リョウヘイの顔色が一変する。

「……それもわかってたって言うのかよ?」

「リョウヘイくんのお兄さんが人脈広いとは知ってたよ。昔からいろんな人と友達になってたでしょ」

確かに幼少期は私と姉、リョウヘイとリョウヘイ兄の四人でよく遊んだものだった。
私もリョウヘイ兄の顔が広いと知っていたほどだから、姉が把握してたとしてもおかしくはない。

「中断になってもよかったってこと……?」私は震える声で問う。

「何がしてぇんだよ……」リョウヘイも顔を引き攣らせて困惑する。

姉は黙ったままだ。

姉は現実を教える為に、妹の私を『恋愛ゲーム』に参加させることが目的だった。

私に指輪を匿名で贈り、アプリから抜き出した情報によって指輪をつけたと確認をすると、ナナミとナナミの彼氏の間に歪を生む原因を投げかけた。その結果、ナナミは条件を破り、私に相談してペナルティを受けた。
私は、親友のペナルティの原因を探る為に条件を破り、結果『恋愛ゲーム』に参加する羽目になった。

あまりに上手くいきすぎた心理戦ではあるが、姉だから納得できてしまう。
姉は、私の思考は全て理解している。それに、ナナミの性格も把握していたとすれば、行動を操るのは簡単だ。
姉は秀才で、さらに心理学が専門だったのだから。

しかし、リョウヘイに調べられるとわかっていた、という点が妙に引っかかる。
複雑な心理戦を経てもなお、ゲームが中断になっても構わなかった。さらに言えば、自分が創設者且つ恋愛ゲームマスターだとバレることがわかっていた。

まるで、私が姉に辿り着くかの駆け引きをするかのような――――

そこで、はっと気づく。

昔もそうだ。姉は私に、「現実を教える為」と散々恋愛を否定する話をしてきたが、その裏には自分の感情を晴らしたい、という意図が隠れていた。

姉は、私の為という建前で、自分の目的を満たしていた。

「お姉ちゃんはさ……」

私は、おそるおそる姉を見る。
姉は、依然として態度を変えずに腕を組んでいた。