「小夜ちゃん、どこ行ってたんだよ」
教室もどると、真宵が声をかける。
「ごめん、ちょっと……」
そう言ってカバンを手に取り、教室から出た。
今日は午後からホームルームだけだ。あの担任のことだから適当に挨拶して終わりだろう。だから少し早く学校出ても問題ないはずだ。
学校をサボるなんて初めてだ。先生に怒られないだろうか、だが今は、そんな不安は頭になかった。
早く、惟月に会いたい。
廊下の窓からは、最終日だからか、すでに下校している生徒も確認出来た。これならば注意されることもないはずだ。
だがそこで、思考が閉ざされるように腕を引かれた。
振り返ると、暁だった。
「どこ、行くのさ……」
暁は、息を切らせながら言った。慌てて駆けつけたのか、額には汗がにじんでいた。
「あ、暁くん……?」
予想外の行動に、目を見張った。
「小夜ちゃん、サボるような人じゃないでしょ。何があったの?」
暁は問う。その目には、どこか不安が滲んでいた。
「…………惟月くんと、話さないとだめで……」
そう答えると、暁は一瞬、頬を痙攣させた。
もう時間がない。私は思考するより身体が動くが、暁はつかんだ手を離さない。
「暁くん……?」
懇願の意味で、再度名前を呼ぶ。暁はしばらく思案した後、口を開く。
「………………行かないで」
「え?」
「俺も、小夜ちゃんに話があるから」
暁は、真剣な目つきで言った。私は困惑していた。
「か……帰ってからじゃ、ダメ……?」
「もう帰らないつもりでしょ?」
今まで見たこともないほどに真剣な表情に息をのむ。
「………………どうして…………?」
疑問をそのまま口にした。見たこともないほどに余裕のない暁を見たのは初めてだった。
私の言葉に、暁は頭を掻きむしる。
「ごめん……俺、いま自分でも、訳わかんないくらい余裕がなくて……」
暁は、ひとり言のようにそう呟くと、大きく息を吸って私を見た。
「ちゃんと話すから。……だから、行かないで」
まっすぐ私を見て言った。その顔には、先ほどまでの不安や焦りは消え、覚悟を決めたかのような冷静さが見られた。
まるで、惟月が消えることが不安になっている自分を見ているような感覚だ。
冷静に思案していた。暁は、私がもどらなくなると思っているのだろうか。彼の前からいなくなると思っているのだろうか。
ただ惟月と話をするだけだ。だが、学校をサボるだなんて行動をとる、今の自分ではどのような行動をとるかわからなかった。
もしも惟月に、ついてきてと言われたら――――?
今の私がいるのは、彼のおかげだ。だからもしもそのようなことを言われたら、今の私ならば行動してしまうかもしれない。
私も惟月が消えることに対して恐怖している。それほど、暁からの私に対する好意を感じられた。
――――貴女がこの先、どのような選択をしても幸福になれると保証しましょう。
ルークの言葉を思い出した。私はここでどのように行動をとっても幸せになれるが、私以外の人間は幸福になれる保証はされていない。私の選択で、誰かを傷つけてしまう可能性もあるんだ。
憧れている人に、ここまで止められていけないわけがない。惟月と会えば、傷つく可能性だってある。それに、腕を振り払えば、暁が傷つく可能性だってある。私の行動で相手を傷つけたくないとは、昔から考えていることだ。私の夢にまで見た日常を叶えてくれた暁に、嫌な思いはさせたくない。
私は大きく息を吸うと、できるだけ柔らかな視線を意識し、暁の手に自身の手を添えた。
「うん、わかった。行かないよ」
私の言葉に、暁は肩の荷を下ろした表情になる。
「小夜ちゃん……」
暁は、表情を和らげて腕を掴む手を緩めた。安心してくれたようだ。
私は天使の存在を受け入れられたけど、いきなり話しても多分、信じてもらえない。だが惟月のことは説明しなければ、きっとお互いにわだかまりが残る。
私は、おもむろにマスクを外す。この想いを言葉にするには、惟月の力を借りるわけにはいかない。自分の力で、言葉を伝えなければいけないんだ。
「惟月くんは、ずっと……一人だった私のそばにいてくれた友だちなの。そのおかげで、暁くんたちとも話せるようになって、でも今日で会えなくなっちゃうの」
想像以上に、なだらかに言葉が口から溢れる。暁は、怪しむことなく黙って聞いてくれていた。
「だから最後にお礼を伝えようとしたんだけど……やっぱり会うべきじゃないなって。惟月くんはお礼は望んでいないし、むしろ私が会いにいくことは迷惑になるから」
そこまで言うと、私はまっすぐに暁を見つめる。
「それに……、大好きな人に、ここまで止められて行けるわけないよ」
はっきりと伝えた。暁の表情が変わる。
「………………何で、先に言うんだよ」
「え?」
「いや……自分が情けないだけ、本当に……」
暁は、悔しそうに頭をかきむしると、顔色を変えた。
「それよりも、その人に会いに行って」
「で、でも暁くん……」
「本当にごめん……。いま引き留めないと、何も知らないまま小夜ちゃんがいなくなってしまう気がしたんだ。でも、ちゃんと事情はわかったから。話してくれて本当にありがとう。ただ、ちゃんと帰ってきてほしい。そしてその時は、俺の話も聞いてくれるかな」
暁は、眉を下げて言う。私は彼の気遣いに、心が温かくなった。
「暁くんも、一緒に来てくれないかな? 私、惟月くんに暁くんを紹介したい。あなたのおかげで、憧れだった人と話せるようになったよって、御礼を言いたいの」
私の言葉に、暁は面食らったような顔になるが、「うん、行こう」と表情を引き締めた。
私たちは、そのまま廊下を抜ける。暁が自転車をとってくれたので、周囲の視線を気にすることなく後ろに腰をかけて学校を抜け出した。
***
暁が急いで川へ向かってくれたので、気がつけばすぐに辿り着く。いつものベンチへ顔を向けると、惟月が座って手元を見ていた。
私は自転車から腰を下ろすと、慌てて河川敷へ下りた。
「惟月くん……!」
「……小夜?」
惟月は、振り返ると、驚いた顔つきになる。その表情には、普段の笑顔は一切見られなかった。
私は、彼の元まで走る。無我夢中で走っていたので、足元が不注意になる。危うく転びそうになったが、ふわりと身体が浮いた。
惟月が、私に手を掲げ、特殊な力で身体を支えてくれていた。そのおかげで私は転ばずに済んだものの、惟月が本当に人間ではないと実感できてしまった。
私に向ける惟月の手が、きらりと光った。あの時、私が川へ投げ捨てたはずのトンボ玉だ。
力が解けて、私は地面に着地する。無意識に身体が震えていた。
「…………ルークから聞いた。あなたが、天使だってこと」
そう言うと、惟月は「余計なことを」とばつが悪そうな表情をする。私は大きく息を吸うと、声を絞った。
「人間に接触すると穢れる行為だとも聞いたの。でも、どうしても話したいことがあって。私のそばにいてくれて、話を聞いてくれてありがとう。私、惟月くんがいなかったら……、今でもきっと一人だった。すごく嬉しかった。でももう大丈夫だから」
そう言うと、惟月にまっすぐ視線を向けた。
「もう一人じゃないから、安心して」