八月中旬。今日は、暁と藍河稲荷神社のお祭りへ向かう予定だった。
噂では聞いていたが、訪れたことはない。大規模なお祭りのようで、内心ワクワクしていた。
貯めていたお小遣いで購入した浴衣を母に着付けてもらった。ニヤニヤした顔つきは、もはや私が話さなくても誰と行くかは伝わっているようだ。父はテレビに集中しているようで、私の顔を見ようとしなかった。
私は慣れない下駄で待ち合わせ場所へ向かう。西の空に日は傾きつつあるが、真夏の夕方はまだ長い。じめっとした湿気に蒸し暑さは感じるものの、普段は着ない服に、カランコロンと響く音が、修学旅行を思い出して無意識に表情が緩んだ。
駅に向かうなり、人が多くなる。珍しい服装だからこちらを見る視線が痛いが、他にも浴衣姿の人が見られるので、内心同志だと感じていた。
待ち合わせ場所の改札近くに、甚平姿の暁が立っていた。着てほしいとの私のお願いを聞いてくれたようだ。自然に着こなされている姿がさすがだなと感じてしまう。初めて見る彼の姿に胸が高鳴った。
暁に会う前に鏡で簡単にチェックする。汗で髪が崩れていないか不安になった。もちろん暁からもらったヘアピンもつけていた。だが、あまり待たせるのも悪い。
よし、と意気込むと暁の元まで向かった。暁は、私に気づくと、目を細めた。
「小夜ちゃん」
「お、お待たせ……」
私は恥ずかしくなり、顔を下に向けた。夏休み中は、真宵たち含めては会っていたが、二人で会うのは初めてだった。
デート、だと意識した瞬間、一気に体温が上昇した。真っ赤で硬直する私に、暁は「暑い?」と首を傾げる。
「いや、その……私、デートというのが初めてで、一気に意識したというか……」
「あぁ、そういう……」
暁は、察したように曖昧な表情になる。
「でも、甚平着てくれて、嬉しい」
素直に伝えると、暁も「浴衣、かわいいね」と言ってくれた。
そのまま電車で五本先の藍河駅で降りると、駅周囲はお祭りムードでにぎやかだった。
ホタルを観に来たときとは違い、人で溢れて騒がしい。普段は自然豊かで静かな街も、お祭りのときはガラリと空気が変わるのだな、と初めての一面を見た気分になった。
すでに西に日は傾き、薄暗くなりつつある。ここ数日は熱帯夜で、かつ人の多さで暑いことには変わりないが、日差しがないだけまだマシだ。それに、夜というだけでなぜか気分が高揚してしまうものだ。
たくさん並ぶ屋台にソワソワしていると「中央広場で、和太鼓の演奏してるみたいだね」と暁は、いつの間にか所持していたパンフレットのようなものを見ていた。確かに遠くの方で太鼓の音が響いていた。
「屋台は九時くらいまで出てるらしい。行ってみる?」
暁は言う。私はそれに頷いた。
屋台で適当に購入し、中央広場のベンチに座る。
目前では催し物が行われ、私たちは屋台で購入したものを食べていた。
食事が済み、少し雑談をしているときに、私は勇気をもって言葉にする。
「ねぇ、暁くん」
「ん?」
暁は、こちらに振り向く。緊張でスマホを持つ手が震えた。
「一緒に、写真撮らない……?」
そう言うと、ふっと暁の顔が緩んだ。
「かしこまって言うと思ったら、そんなことか」
「そんなことって……!」
「ごめん。そういや、まだ撮ってなかったね。もちろん」
そう言うと、暁は私に身体を寄せた。彼の特徴でもある香水が近くで香り、あぁ暁くんだ、と実感した。心なし距離が近い。友人とは違う距離感に、恋人なんだとひとりでドキドキしていた。
周囲には人がたくさんいるが、皆浮かれているようで写真を撮る人ばかりだ。だから恥ずかしくはなかった。
震える手でシャッターを押す。写真を撮り終えると、私はその写真を見つめた。
自惚れるほどに、自分の顔が可愛く見えた。こんな表情、見たことない。先輩を想う真宵のような表情で、私も暁への想いが抑えきれていないんだと自覚した。
バーベキューや修学旅行とは違う、二人だけの時間を切り取った想い出。私だけが持つ宝物だ。
「ずっと見てるじゃん」
ここにホンモノがいるんですけど、と暁は笑いながら自身を指差す。顔に感情が出てしまっていたのかもしれない。私は、唇を噛み、スマホをぎゅっと握る。
「……本当は、修学旅行の時に撮りたかったんだ。暁くんと写真撮ってる女の子が、ちょっと羨ましかった」
私は、本心を伝える。「今日、甚平着てきてって言ったのも、一緒に写真撮りたかったからなの……。だから、こうして写真撮れる機会が、また訪れたことが本当に嬉しくて」
私の言葉に、暁は数秒静止した。
「……俺も、同じ」
「同じって?」
「あの時、小夜ちゃんと写真撮ってた男子が、ズルいって思ってた」
予想外の返答に、私は口を開けたまま静止していた。暁は、呆けた私を見て軽く笑う。
「男子の中でもたびたび話題に出るし、小夜ちゃんはかわいいんだよ。お願いだから、もう少し自覚してほしい」
私は赤面してうつむく。暁もしばらく黙り込むが、やがて表情を変えた。
「……ごめん。こんな時に言うべきじゃないけど、言っておきたいことがあってさ。何かあってからだと、遅いから……」
「ううん、何?」
そう言うと、暁は空を見上げた。そんな彼を見つめる。
「俺、実は学校何回か変わっててさ。それもあって交友関係が浅くなりやすいところがあって。だから軽いって思われても、しかたなかったなって、むしろ 何で執着されるんだろうって思ったこともあったんだ」
滔々と語る。私は黙って耳を傾けていた。
「でも……今まで嫌だと言われたことも、不安にさせてたことも、最近全部 納得できてしまったから。だから、できるだけ小夜ちゃんを不安にさせないように心がけるから。それと俺、多分すごく妬くと思うし、不安にもなると思う。あの時自分でも、あんな行動取るって思ってなかったし、これからも 我儘言うかもしれない。でも、それが重荷に感じたこともあったから、だからその時は、ちゃんと言ってほしい。小夜ちゃんに迷惑はかけたくないから」
暁は、僅かに悔しそうな顔で言った。そんな彼に目を細める。
「……迷惑じゃないよ。だって、それだけ私のことを大事に想ってくれてるってことでしょう?」
「……小夜ちゃん……」
「それに、私だって同じだよ……。真宵さんたちに、暁くんの話を聞いたとき、暁くんと付き合った女の子が羨ましいなって思った。私は男の子とは、話すことすらできなかったから……、暁くんと話したりメッセージのやりとりだけでも嬉しくなったの。他の子も同じ気持ちになるのかなと考えると、やっぱりおもしろくないなって思うよ……。だから私も多分、たくさん嫉妬しちゃうと思う」
正直に伝えると、暁は焦った表情で、「だ、だったら、女子の連絡先全部消そうか?」と言ったので、慌てて手を振る。
「それはかわいそうだよ。そこまで暁くんを独占できない。嫉妬がないといえばウソになっちゃうけど……でも、友だちは大事にしてあげて」
そう言うと、暁は「…………はい」と反省したような顔で答えた。
こんな顔初めてみたな、と思わず口元が緩みそうになり、私も同じく空を見上げた。
「いま、こうして暁くんと一緒にいられることって、新学期当初の私では到底考えられなかったことなの。惟月くんがくれた一言の勇気のおかげで、私の妄想が、現実に変わった」
私は滔々と語る。ホタルを観たあのときのようだ。
そう、私がいま暁と一緒にいられるのは、新学期当初では予想もできなかったことだ。むしろあの頃は、話す機会が来たらと不安にすらなっていた。
それから、暁と話せたことだけでも幸せに感じていたのに、今では日常になってしまった。そのせいで、貪欲になる自分が少し怖かったのだ。
全ては、惟月がくれた勇気のおかげなのに――――。
「憧れだった人とこうして一緒にいられることって、こんなにも嬉しいことだなんて、私は知らなかった。みんなにとっては当たり前かもしれないけれど、私にとったら奇跡のようなことなの。それなのに、どんどん欲が増してしまう自分が恐くなった。だから一緒にいられるだけでも、すごいことなんだって、忘れないようにしたい」
そう言うと、暁が面食らったように数秒静止する。
「……やっぱり俺は、小夜ちゃんみたいに綺麗じゃない」
「え?」
「俺は、一緒にいるのが当たり前になるくらいに、一緒にいたいから」
暁は、柔和に笑うと、私に手を伸ばした。
「想いを伝えることが大事だってことは、小夜ちゃんが教えてくれたんだよ。だから一緒にいたい時も、嫉妬した時も、嫌だと思ったことも……全部俺に言ってほしい。かっこ悪いところも、見せるかもしれない。ケンカだってするかもしれない。それでも……、ちゃんと伝えてほしい。どんな言葉も態度も 俺は全部、受け止めるから。負担になんかならない。俺だって同じだし、それだけ小夜ちゃんが想ってくれてるって伝わるから」
暁は、私の頭を優しくなでる。とても温かくて大きな手だった。
「もしも、すぐに応えられなくても……時間をかけて二人で乗り越えればいい。それに我慢したら、いつか爆発するし、きっとお互い幸せになれない。俺は小夜ちゃんを幸せにしたい。俺と一緒にいる時は、幸せだと思ってほしいんだよ。こんなこと……誰にも思わない。小夜ちゃんが初めてなんだよ。それだけ俺は小夜ちゃんのことしか 見えてないから」
「だから……、俺と一緒にいることが特別じゃなくて、一緒にいる俺が特別だと思ってほしいな」
暁が私を見る目が変わった。見たこともないほどに柔らかくて優しい目だった。
そういう考え方もあるのか、と目からウロコだった。
私は、話すことが苦手だった。解答の見えない感情を口に出してしまったら、迷惑がかかるかもしれないという不安が押し寄せる。貪欲で汚れた本心を 言葉として表してしまったら、自分が醜いと自覚してしまう。
だけど二人なら、補い合って解答を見つけられる。そして……、一緒にいる時間が特別なものになる。そうして幸福を二人で育んでいくんだ。
恋人って、パートナーって、そういう存在なのかもしれない。
私の頭をなでる手が温かい。不思議と緊張はせず、代わりに安堵のような心地良さが広がった。
「……幸せだなぁ」
目からは涙があふれ、ポツリと呟いていた。それを聞いた暁は、面食らったように額に手を当てた。
「…………抱きしめていい?」
「は、恥ずかしいよ……!」周囲は人が歩いている。
「すみません……」
暁は、肩を落とす。
今日の暁は、見たことのない表情ばかりだ。私だけしか見られない特別な顔なんだと嬉しくなる。
暁がたまらなく愛しくなり、私はおずおずと暁の手に触れる。私の行動に気づいた暁は、応えてくれたように、強く握ってくれた。
「そろそろ中央広場で、演奏があるらしい。観に行こっか」
「うん……!」
橙色の空がきらっと光った気がした。流星が流れたかのような刹那的な光だった。
惟月くん、あなたのおかげで、私は幸せだよ。
だから、もう心配しないで。
『檸檬と彗星』完