外に出ると、すでに日は沈んでいた。近くに大きな川があることで、より一層冷やされた風が身体を襲う。秋を先取りした感覚になり、無意識に胸を開いて深呼吸していた。
休日の夜だからか、忙しなく車が走行している。前方には工事中の足場の組まれた建物が目に入る。施設かショッピングモールでもできるのか、かなり大きな建物だ。
周囲は自然に囲まれているものの程々に活気があり、住みやすそうな居心地の良い街だなと感じた。
橋の上から何気なく川に目を落としていたが、高架下に見覚えのある姿が目に入る。
真剣な顔でノートに目を落とす桃山がいた。Tシャツにジャージといったラフな格好からも、演舞の練習をしているのかもしれない。
しばらく眺めていると、予想通りノートから顔を上げて、身体を動かしてタイミングの確認を始めた。
練習は男子と女子で別れている為、女子サイドの練習はほぼ見たことがなかったが、外見からも彼女は普段、運動をするようなタイプには見えない。みんなに遅れを取らない為に練習しているのだろう、とは見当がつく。
とはいえ、昼休み、放課後の集会に欠かさず参加しているにも関わらず、こんな時間まで費やすとは熱心なものだ。
桃山が再びノートを手に取ったタイミングで下に降りる。
周囲は暗く、また真剣な面持ちで確認しているからか、そばまで寄っても俺に気づく様子がない。
「桃山」
強くて低い声で呼ぶ。彼女はびくりと身体を震わせ、片耳につけたイヤフォンを外しながら俺に振り返る。
「………………何?」
桃山は冷たくて刺さる声で答える。相変わらず真顔だが、今は僅かに羞恥の色が混じっている。
「明日香ちゃんのマネ〜」俺は、普段の笑顔で答える。
桃山は、反応を示さずにそっぽを向く。俺はその場に腰を下ろした。
「偶然、見かけたからさ。普通に驚いたよ」
「……ここ、私の地元だから」
「へぇ。そうなんだ」素朴に驚く。「でもえらいね。学校外でも練習してるなんて」
足元に生えたエノコログサを摘んで、花穂を弄る。
素直に褒めたつもりだが、反応がない。
彼女に顔を向けると、顔を逸らしたまま俯いていた。
「ごめん。邪魔だったかな」苦笑しながら尋ねる。
「そんなんじゃない。普通に恥ずかしいから」
「恥ずかしいことじゃないと思うけどね」
本心だと捉えてもらえるように、敢えてさらりと返す。
「何事にも真面目に、熱心に取り組む人はえらいよ」
俺の口からこんな言葉が飛び出すとは思っていなかったのだろう。桃山は毒気の抜けたような顔をして俺を見る。
数秒間があった後、彼女は「だって、みんなの足を引っ張るようなことはしたくないから」と無愛想に呟いて、俺の隣に腰を下ろす。
「普段運動しないから、中々覚えられなくて」
照れ隠しなのか、桃山は滔々と弁解をする。普段冷静なだけに、そんな彼女の姿が新鮮で、無意識に口元が緩む。
「練習は大変じゃない?」
中々ハードでしょ、と世間話のように問いかける。
彼女は一瞬黙ると「でも」と口を開く。
「楽しいよ」
桃山は僅かに口角を上げて微笑んだ。予想外の反応に目を丸くする。
「……サボったりして、本当にごめんね」
今更、罪悪感が襲った。
応援合戦は団体競技だ。一人でも足並みを乱す奴がいると、バラバラになるとはわかり切ってる。特にうちの赤組は、やる気のある奴らばかりだから尚更だ。
どうせ忘れるとはいえ、後味は悪くしたくない。
「今はちゃんと参加しているから、別に気にしてない」桃山は顔を背けて無愛想に答えた。
「でも、こんな時間に一人は危ないよ?」
「家が近いから平気。それに」
桃山は顔を上げると、前方に建つ家を指差した。「あそこに、セコムがいるから」
「セコム?」
「瞬」
「あぁ」俺は苦笑する。指差された家が速水の家なのだろう。「確かに彼が近くにいるなら安心だね」
そう言うと、彼女は無言でこくりと頷いた。
水の流れる音が心を穏やかにさせる。この川は幅が広く、頭上を走行する車の騒音も気にならない。不意に吹く風で草原がサラサラと鳴り、対面ではランニングする若者が目に入る。
速水の家が近いとはいえ、攻略対象は手を伸ばせば触れられる距離にいる。周囲は暗く、人気も感じず、カウントを稼ぐのは容易だ。他の対象だったらすぐに実行に移っている。
だが、どうしてなのか。今はそんな気分になれなかった。
「……それは?」
桃山の呟きが耳に届き、我に返る。
彼女の視線は、俺の隣に置いてある、ヴァイオリンケースに向けられていた。
「あぁ、これは……」
と、ここで一瞬、言葉に詰まる。
逡巡した結果、ケースからヴァイオリンを取り出した。
桃山は驚いた顔になる。
「……俺みたいな奴が、ヴァイオリンをしてるのは、意外?」
「うん」
「即答。素直でよろしい」
軽く笑って受け流すと、消音器を着用して相棒を構えた。
演舞で使用されている曲は、何度か聴いたことで、すでに脳内に刻まれていた。
桃山の練習していた箇所を思い浮かべながら弓を引く。
「明日香ちゃんが練習していたのって、この部分だよね」
軽く弾いた後に確認すると、桃山は無言で頷く。
「このパートは拍子が複雑だからね。頭で理解するよりは、何度も聴いて感覚で掴むしかないよ」
俺は構え直すと、再び弓を引いた。
簡単にアドバイスだけするつもりだったが、やはり触れるとスイッチが入る。意識した瞬間、周囲に霧がかかった。
自然から鳴る音と調和の取れたアンサンブル。橋に反響し、今この場にいる俺と桃山の間だけに包まれた。ノイズが一切響かずに、澄んだ空に輝く星さえも協調してるように感じられる。
弦楽器は陽に弱く、中々屋外で演奏する機会がないだけ高揚していたのかもしれない。
俺はすっかり、『城島』であることを忘れていた。
最後まで弾き終えると、ぱちぱちと乾いた肌の接触する音が耳に届く。顔を上げると、桃山が真顔で手を叩いていた。
「すごいね」
「そんな顔で言われても」肩を竦めて揶揄う。
桃山は少しムッとした顔をするも、名残り惜しそうに手を鳴らした。
俺は前方に向き直り、小さく溜息を吐く。
ヴァイオリンはゲームに持ち込まないと決めたはずなのに、熱心に練習する桃山を見てると対抗心が燃えてしまった。
俺にも熱中するものがあるんだ、と間接的に教えたくなったのかもしれない。
「もう一曲」
桃山は俺をまっすぐ見て要求する。
俺は一瞬考え込むと、意地悪そうに口角を上げた。
「実はさ、俺、こう見えてもプロなんだよね」
そう言うと、桃山は目を丸くして驚く。
嘘じゃない。今は学業優先ではあるものの、音楽団の演奏会に出演した機会もあれば、楽曲を提供した経験もある。今回ゲームの為に利用した金も、全てヴァイオリンで得たものだ。
家柄的に本業にはできないものの、今後も手放すつもりはない。
俺が何を言いたいのか察したのだろう、桃山は肩身が狭そうに口を噤む。俺はすぐに言葉を続ける。
「あ、さすがにお金をくれとは言わないよ。でもひとつ、お願いを聞いてくれないかな?」
「お願い?」桃山は素朴に問う。
「うん。簡単なことだよ」
俺はヴァイオリンを膝に下ろすと、桃山に向き直る。
「俺のことは『城島』じゃなくて、『玲央』って呼んでくれないかな?」
予想外だったのだろう、俺の要望を聞いた桃山は、目を白黒させて静止する。
「苗字で呼ばれることに慣れてなくてさ。それに名前の方が、明日香ちゃんとの距離も感じないしね」
俺は、にこっと笑って両手を広げる。
桃山は考え込むような顔になり、呆然と天井を見上げた。
「……そこまで難しいことかな?」
やり辛くなり、肩を竦めて尋ねる。
「玲央」
突如、冷静な声が響いて背筋が伸びる。
桃山に顔を向けると、彼女は天井を見上げたまま口を開いていた。
「玲央……玲央……玲央…………」
「何してるのさ」
予想の斜め上の反応に、さすがに吹き出しそうになる。
「名前を呼ぶ、練習」桃山は淡々と答える。
「明日香ちゃんは、真面目だね〜」
投げやりに言葉を吐くと、手に持った石を放り投げる。ボチャンと音を立てて石は川底へと沈んでいった。
視線を感じて顔を向けると、桃山が真っ直ぐ俺を見ていた。
「明日香ちゃん?」
「玲央」
桃山は柔らかく微笑んで、俺の名前を読んだ。
あ、まずいな、と脳内に警鐘が鳴り響いた。
「…………じゃ、アンコールに応えますか」
俺は視線を避けるように顔を前方に向けると、ヴァイオリンを構えて弓を引き始める。
桃山の視線を感じるが、目を閉じて遮断した。
演奏してる最中も気が散り、集中できなかった。
乱れることはないものの、満足できる音が鳴らない。
汗が止まらなかった。自分で言ったくせに、こんなに動揺するとは思わずに困惑していた。
おぼつかないながらも弾き終えると、桃山は先ほどと変わらない表情で手を叩く。
俺は苦笑すると、手際よくヴァイオリンを片付けた。
「もう遅いからさ、気をつけて帰るんだよ」
軽く手を振ると、逃げるようにその場を去った。
「何、言ってんだろ……」
あんなチャンスは滅多にない。もっと他に、要求すべき事項はあったはずだ。
だが、後悔は感じずに、満たされている自分がいる。
無意識にゆるむ口を手で覆いながら、ホテルへと足を進めた。
***
昨日、また一人女を攻略したことで、カウント数は『19』を刻む。
結局十九人目まで、容姿につられる軽い女でカウントを稼いでしまった。
だからこそ、最後の一人は高難易度に挑戦しよう、とすでに標的は決めていた。
後始末を終えたホテル内で、不要となった女の連絡先を消し始める。
制限時間まであと一週間弱。この先は、毎日寝床を探す手間がかかるが、相棒以外は金で賄えるので問題はない。
練習の帰り道、流れで赤組の三年生と駅前のワックに来ていた。
適度に距離を取り、傍観者でいる立場も慣れたものだ。
目前で繰り広げられる会話を茫然と眺めながら、今後どのように行動すべきか思案に暮れる。
ゲームが順調にすすめられていたから、調子に乗っていたのかもしれない。
斜め前で、澄ました顔でコーヒーを啜る対象を一瞥する。ここまで気を緩められて、正直悔しくなっていた。
どのように記憶が消えるかわからないが、あと一人だ。何か問題があったところで、数時間後には記憶が消える。
最悪風嶺がいる。プレイヤー同士の情報共有は禁止されてない。多少、手荒に攻略したとしても、後から事情を話せば済む話だ。
「城島さん。あなたも話し合いに参加してください」
菅の声が耳に届き、現実に引き戻される。
「何かいいね」
「何かいい、とは?」速水が素朴に尋ねる。
「青春って感じじゃん」
頭が回っていなかったのだろう。見えたものそのまま口にしていた。
第三者の立場で見物していたことから、俺の目には、目前で繰り広げられる議論が、菅の思い描くような眩しい放課後時間として映っていた。
「何、言ってるの」
突如、冷ややかな声が耳を突き抜けて総毛立つ。周囲の人たちも絶句していた。
「桃山さん……?」「明日香?」
風嶺と速水の、強張った声が聞こえる。
恐々声の発生源へ顔を向けると、桃山が険しい顔でこちらを見ていた。
「明日香ちゃん……?」
「あなたも応援団の一人。ちゃんと輪に入って」
桃山はピシャリと言い放つ。正面から叱られて、さすがに怯んでしまった。
もう、この女には、とことん引き摺り込まれるものだ。
「……敵わないね」
そう呟くと、適当に口を開いた。
***
「制作は、順調かい?」
焙煎されたコーヒー豆の香りが立ち込める室内。理事長は、カップをふたつ机に置きながら尋ねる。
「えぇ。お陰様で、貴重な経験ができました」
俺は差し出されたカップを手に取り、口をつける。
口当たりの良い、爽やかなフレーバー。自宅では紅茶が定番だった為、この街に来てからは、コーヒーを嗜む機会が増えたものだ。
「あと一週間弱か」理事長は天井を見上げて呟く。「夏休みがあったから、一ヶ月ほどしかいられなかっただろう。本当にいいのかい?」
「すでに資料は揃っておりますから。そこで、お伝えしておきたいのですが……」
俺は身体を起こして、居住まいを正す。
「もしかしたら仕事の都合上、九月十日以前に、この学校を去ることになるかもしれません」
「なんと、まぁ……」理事長はキョトンとした顔になる。「さすが白金くん。高校生でありながら、多忙だね」
「まぁ、ヴァイオリンは、ほぼ趣味みたいなものですが」俺は目を細めて笑う。
「だが君、応援合戦に出るのだろう。せっかくなら、体育祭まで残ればいいものの」
理事長はカップに顔をよせると、香りを嗜み始める。
「それは」俺は目を逸らす。「俺の気分にも、よりますね」
いつ去ることになるかは不明だ、という旨を告げて理事長室を出た後、そのまま応援合戦の練習へと向かう。今日は衣装合わせで場所が違ったな、と記憶を巡らせながら足を進める。
室内に入ると、冷たい風が身体を覆った。普段クーラーのない部屋なだけに、エアコンの有難みを噛み締める。
理事長室に寄っていたことで、すでに話し合いは開始されており、各々衣装を手に取って確認をしていた。
普段着用することがない衣装なだけに、みんな浮き立っているようだ。
「へぇ~、衣装こんなんだ」
三年生男子の集まる場所へとふらっと近寄り声をかける。
衣装は黒一色の長ラン。生地も分厚く、かなり暑そうだな、と内心舌を出す。
「刺繍を入れることになりましたよ」
菅が鼻息を荒くして俺に説明する。さすがと言うべきか、彼の目は爛々と輝き、誰よりもソワソワしてるとわかる。
何やら視線を感じて顔を上げると、険しい顔で俺を睨む桃山がいた。
普段から距離感には気を付けてはいたものの、昨日彼女に指摘されてからはやり辛くなったものだ。
「遅くなってごめん」俺は軽く手を上げて、謝罪した。
***
初めて衣装を着用しての全体練習日だった。
体育館内に籠る熱気と、身に纏った黒い衣装で、身体が蒸されるようだ。
面倒ながらも、舞い上がってる菅を適当に相手しながら、授業開始まで待機していた。
何やら騒がしいなと顔を向けると、着替えの済んだ女の子たちが、ぞろぞろと館内に入ってきたところだった。
平然を装いつつも、男たちはちらちら視線を送っている。俺らとは対照的に、白くて肌の露出の多い衣装だから仕方ないとは思う。
小さく舌打ちをすると、対象に近づいて軽い調子で声をかけた。
練習中、みんなの視線が桃山に注がれているとすぐに察知した。
彼女はクラスでは大人しい方なのだろう。小柄であるだけ、なおさら目立たないとは想像できる。
だが今は、身体全体を使って宙を舞い、底から発声し、存在が大きく感じられた。彼女の努力の成果が顕著に表れていて素直に感心した。
そこでふと、裏腹の感情が湧いていると気づく。認識してしまったせいで、水を含んだスポンジのように急激に膨れ上がる。
対面形式であるだけ、表に出ないよう気は払っているものの、頬が痙攣して引き攣りそうになった。
速水の威勢のいい声を聞き流しながら、静かに目を落とす。
潮時だ。罰の真意を理解した時から、慎重にゲームに取り組んでいたはずなのに、感情に振り回されている時点で思う壺なんだ。
だが、どのように行動すべきか、自分では決断できなかった。
練習が済み、各々着替えの為に体育館を後にする。
そばでレンズの厚いメガネをかけた男が、手に持つタオルを茫然と眺めていた。
タオルが明らかに女物で違和感を感じていると、風嶺が所持していたものだと思い出す。彼女がこの場に忘れて、メガネがそれに気づいたのだろう。どうすべきか悩んでいる様子だ。
「それ。俺の友だちのやつだから、返しておくよ」
自分でも驚くほどに低くて冷たい声になった。メガネは関係ないものの、無意識に苛立ちが混じっていたのかもしれない。
メガネは肩を震わせて数秒悩むも、おずおずとタオルを俺に差し出し、この場を後にした。
俺はそのまま近くのベンチに腰かけて空を見上げる。
ゲームクリアまであと一人。いつ、チャンスが訪れるかはわからないものだ。カウントが『19』を刻んだ時点で、いつでもこの街を去れる準備はできている。
「あの子に、賭けてみるかな」
空に呟いて顔を下げると、何の偶然か、目前に俺を見る風嶺がいた。
「なあに? もしかして、見惚れてた?」
「そ、そんなんじゃない」
風嶺は顔を背けると、そそくさと体育館ドアまで向かう。
「あ、もしかしてこれかな?」
タオルを見せるように掲げると、風嶺は正しくそれだといった顔になる。
「後で届けようかなって、思ってたんだけどね」
俺は立ち上がると、風嶺の元まで歩く。
「あ、ありがとう……」
風嶺はおずおずと手を伸ばす。
その瞬間、腕を空へ上げた。彼女は呆気に取られた顔をしている。
「お礼は?」俺は笑みを絶やさずに問う。
「えっと、さっき、ありがとうって……」
「そんなんじゃなくて、もっとちゃんとした」
そう言うと、風嶺はあからさまに険しい顔になる。俺は笑顔を崩さずに言葉を続ける。
「もし、俺が声かけなければ、今頃、このタオルは君の元に返ってなかったんじゃないかな~。気になる子のタオルなら持ち帰りたいって変態もいるもんだね」
円滑に流す為にも、都合のいい事柄をでっち上げる。先ほどのメガネが風嶺に好意を抱いていると態度で感知したから利用させてもらった。
俺の言葉を聞いた風嶺は、表情を一変させて青くなる。外見通り、彼女も純粋なのだろう。
「お礼って、例えば……?」
風嶺はおそるおそる尋ねる。俺は考える振りして周囲を見回す。
すでに練習は終え、各々更衣室に向かった後だ。元々体育館は学内の隅に位置しており、現在辺りに、人気は感じられない。
俺は、人差し指を立てて口を開く。
「ちゅーでいいよ」
「は!?」風嶺は、心底驚いた顔で反応する。
「お金もかからないしさ、手軽でしょ?」
軽い調子で尋ねる。
いまだ彼女の左手薬指に、黄色に輝く指輪が着用されてることからも、カウントは稼ぎたいはずだ。
閑散とした空間に、簡単にカウント条件を満たす存在が目前にいる。それも女好きで軽そうな男だ。行為自体は数秒で終わる。
さて、どう出る。
だが風嶺は、一瞬も悩むことなく、俺から身体を逸らすと、左手を前方に突き出した。
「私は……そんな軽い女じゃないので」
吹き出しそうになった。
指輪を見せて彼氏の存在を示そうとしているのだとは伝わるが、俺にとったら笑い話だ。
思わず口元が緩むが、ぐっと耐える。
タオルは諦めたのか、風嶺は背中を見せて元来た道を歩き始めた。
「唯ちゃん!」
「何…………わっ!」
「冗談だよ。ほら、忘れ物」
軽く笑って手を振る。風嶺は、腑に落ちない表情を浮かべたまま、そそくさとこの場を去った。
再びベンチに腰をかけると、息を吐いた。
「やっぱり彼女は、真面目にこのゲームに、取り組んでいるんだね~」
顎に手を当て、一人呟く。
仕方ない。これが結果なんだ。
まだゲームは終わらないんだと、思わず口角が上がった。
part2:Andante 完