応援合戦に全てを捧げたおかげで、脳がキャパオーバーを起こした。目前で繰り広げられる演目を日に晒された応援席からただ茫然と眺めていた。
「顔、洗ってくる」
慣れない化粧に限界がきたのか、モモヤマさんはタオルと化粧落としを片手に立ち上がる。
「いってらっしゃい」
私もむずがゆさを感じていたものの、化粧を落とすと全て消えてしまいそうに感じたので、そのままにしていた。遠足は帰宅するまでというやつだ。
モモヤマさんは、体育館横に設置されている水道へと小走りで向かった。
何気なくモモヤマさんを目で追っていると、彼女に声をかける複数の男の人が目に入る。彼らは体操着を着ておらず、大学生のOBのようにも見える。
男の人たちは、下心を丸出しにして彼女の全身を舐めるように見ていた。モモヤマさんは後ずさりして困惑している。
「ちょっと、オレ行ってくるわ」
瞬時に状況を察知したハヤミくんは、話していたクラスメイトを手で制して、颯爽と立ち上がる。私も無意識に腰を浮かしていたと気づく。
だが、そこで予想外のことが起きた。
忽然とジョウジマくんが姿を現すと、モモヤマさんに近づき声をかけた。ジョウジマくんは男の人たちを一瞥すると、彼らは顔を引き攣らせて、その場を去った。
ジョウジマくんは、再びモモヤマさんに顔を向け、数回言葉を交わすと、そのまま二人で体育館裏へと歩いていった。
私とハヤミくんは数秒静止し、そして目で会話した。
気のせいなのか、ジョウジマくんがモモヤマさんを助けたように見えた。
二人の行方が気になり、気づけば応援席を離れて体育館側にいた。端の壁から腰を落として裏側を覗くと、二人は対面で会話しているところだった。
「すごいことになったな」
私の背後からぽつりと声が聞こえて振り向くと、ハヤミくんがいた。
「ハヤミくん?」
「風嶺がおもしろそうなことしてるから、ついてきてしまった」
ハヤミくんは少年のような笑顔で告白する。
「いや、それにしても、さっきのジョウジマくんは少し驚いたね」
「うん、本当に」
「あっ、こんなところにいた団長!」
突如として聞こえた声に、私たちは肩を飛び上がらせる。振り向くと、背後には同じ赤組の後輩たちがいた。
「団長!衣装って、どこに片づければいいですか!?」
彼らはハツラツとハヤミくんに近づく。クラスメイトに自慢したいからと、着替えが遅くなったらしい。
ハヤミくんは、頭を掻きながら後輩たちに対応した。
気づかれてないことに内心安堵して視線を戻すが、そこで息を呑む。
「見物なんて趣味が悪いね」
私の目前には、にこにこ笑うジョウジマくんと、僅かに驚いた顔をするモモヤマさんが立っていた。
「ご、ごめんなさい……」
こんな状況で言い逃れできる訳がないので、素直に謝罪した。
「せっかく、アスカちゃんが勇気を出そうとしてくれたのに台無しだよ」
ジョウジマくんは笑顔のまま言った。
「え?」
ジョウジマくんの言葉に驚き、モモヤマさんに視線を向けると、彼女は頬を赤らめて俯いていた。
え、本当に?
「本当に、本当にごめんなさい」私は深く頭を下げて謝罪した。
ジョウジマくんは私に目線を合わせてしゃがむ。私は顔を上げた。
「前もお礼、もらいそびれたからね」
ジョウジマくんはそう呟くと、モモヤマさんを一瞥した後、私の顎を引き寄せて―――キスをした。
「!?」
顔を離そうとするが、力が強くて離れない。バンバンと腕を叩くも、彼は全く聞く耳を持たない。
熱い。嫌だ。怖い。強い香水の香りが鼻にまとわりつく。身体の底からゾワゾワとした感覚が襲う。抵抗したいのに全然力が入らない。彼はあまりにも慣れている。
視界の端で指輪が赤く光る瞬間を捉えた。だが指輪の奥で、茫然と立ち尽くすモモヤマさんが目に映り、ハッと我に返る。
やっとのことで顔を離されるが、同時にモモヤマさんは走り出した。
「モモヤマさん……!」
私は叫んで後を追おうとするが、行動を制される。
振り返ると、ジョウジマくんが口角を上げたまま、私の腕を引いていた。
突如、肌の接触する乾いた音が鳴る。静かな体育館裏に虚しく反響した。
私は、力任せに彼の頬を叩いていた。
「……最低」
乱れた呼吸のまま彼に視線を向ける。涙が溢れそうで視界が少し歪んだ。
ジョウジマくんを初めて見た時にも感じた。彼は、相手の事情を知った上で、わざと感情を逆撫でするところがある。今も、明らかにモモヤマさんの好意に気づいた上で、彼女に見せつけていた。
だが、ジョウジマくんは私のこの行為すら見越していたのか、全く動じずに頬を擦る。
「最低、か」
ジョウジマくんはぽつりと呟くと、顔を上げて私に視線を向ける。
「……え…………?」
私は彼の顔を見て目を丸くした。
「でも、それは違うよ」
ジョウジマくんは、口角は上がっているものの、辛そうな目をしていた。
彼の反応に虚をつかれる。思考が追いつかないまま立ち尽くしていると、彼は自身の左手に巻かれた包帯を外し始めた。
茫然と眺めていたが、包帯の下から現れたものに目を見張った。
「本当に最低なのは―――――この『恋愛ゲーム』でしょ?」
ほどかれた包帯。その下に隠されていた彼の素肌。
彼の左手薬指には、黄色のカラーストーンのついた指輪がはめられていた。
「その指輪……」
「キミとお揃いだね」
ジョウジマくんは、こちらに左手を向けて目を細める。
「でも、オレはこれで終わり」
その瞬間、ピピッと音が鳴った。
ジョウジマくんは、顔色を変えずにポケットからスマホを取り出して、画面を確認した後、私に向ける。
スマホの液晶には「ゲームクリア」の文字が浮かんでいた。
私はやっと、彼が何者なのか気がついた。
「もしかして、あなたもプレイヤーだったの?」
「うん。そうだよ」ジョウジマくんはさらりと告白する。
「このゲームは、指輪が見えると色々やりずらいでしょ。だから隠してたってだけ。外すのは駄目って言ってたけど、隠すのが駄目とは聞いてないしね。ほら、別にどこも怪我してないよ」
ジョウジマくんは左手をくるくる回した。元カノと色々あったと言っていたが、傷や痣といったものは全く確認できない。いや、色々あったのは、指輪をしていることからも事実であるのだが。
確かにゲーム内容的に、薬指に指輪がはめられていると進め辛いところはある。しかし外せないから仕方ないと思っていた。隠すという発想には至らなかった。
自身の左手に視線を向ける。そこではたと気づく。
「もしかして、私がプレイヤーだとわかったからキスしたの……?」
「当たり前じゃん。まさか自惚れてたかな?」
ジョウジマくんはあっけらかんと言う。私はキッと彼を睨む。
「でもキミにとってもよかったでしょ?これでまたひとつ、カウントされたんだから」ジョウジマくんは調子を変えずに言う。
確かに先ほど指輪が赤く光ったことからも、カウントされたとは確認できた。
だが、それでも気持ちを弄ばれたようで気分は悪かった。
「だからってモモヤマさんに見せつけるようなやり方、しなくたっていいじゃん……」
怒りからも声が震えた。ゲームの為ならば、わざわざ彼女の想いを踏みにじる必要はなかったはずだ。
私の言葉を聞いたジョウジマくんは「キミはやっぱり気づいてないんだね」と首を捻る。
「気づいてない?」
そう尋ねると、ジョウジマくんは体育館壁に寄りかかる。
「恋愛ゲームは『期間内に指定された人数の異性と両想いになる』という内容だけど、具体的なカウント条件は『唇へのキス』でしょ?感情に関しては言及されてないんだ。正直、環境と自分さえ変われば、カウント条件は簡単にクリアできると思わない?正しくその通りだったよ」
ジョウジマくんは、口元に笑みを浮かべたまま饒舌に語る。その様子はどこか吹っ切れているようにも見えた。
そんな彼の調子からも、私の怒りのやり場が掴めなくなった。
「カウント条件からも、女好きで軽そうな性格の方がやりやすいのは明白だ。だからオレはそう振舞った。でも、いきなり性格を変えるなんて、今までと同じ環境だったらやり辛いでしょ。だから場所を変えた。ただそれだけのことだよ」
そう言うと、ジョウジマくんは目を細めて両手でピースする。
「結果、二ヶ月で二十人という内容だったけどクリアできたんだ」
「二ヶ月で二十人!?」
ジョウジマくんは、「正気じゃないよね」と苦笑する。
「それこそ、いちいち好意を抱いてたら、時間的にもクリアできていないだろうね。ただ、ゲームマスターの狙いは、クリアさせることじゃない」
ジョウジマくんは身体を起こして、私に向き直る。
「キミは相手を攻略した時、どんな感情を抱いた?『楽しい』『幸せ』『この時間が永遠に続けばいいのに』。そんな風に思ったんじゃないかな」
確かにハヤミくんと夏祭りに行った時には、幸せだと感じた。結果的にカウント条件も満たすこともできた。
「でも私はあの時、カウント条件に関係なく、自分の感情でハヤミくんに触れたいって思った」
それこそ、私自身の中に生まれた感情に素直になれたことを誇らしく感じていた。
しかし、私の言葉を聞いたジョウジマくんの目は少し丸くなり、そして先ほどよりもニヤニヤした顔つきになる。
「へぇキミ、団長を攻略したんだ。彼、純情そうなのにやるねぇ」
あっと声に出た。頬が痙攣して顔面が引き攣るが遅い。
ジョウジマくんは前かがみになり、私を揶揄うように覗き見る。私は無言で顔を背ける。
「確かにキミの彼への想いは本物かもしれない。ただ、結果的にカウント条件を満たしたことには変わりないでしょ。つまり、彼との思い出もゲームに関わりあるものになってしまったんだ」
そう言うと、ジョウジマくんは身体を起こして人差し指を立てる。
「そこで、ゲームクリア後にどうなるのか思い出してみて」
彼の言葉を聞いて、私は心の中で子どもの言葉を思い返した。
―――ゲームクリアした際には、それらに関する記憶は全て消え、お二人は指輪をはめる以前の関係に戻ります。
「『恋愛ゲームが終了したらそれらに関する記憶は全て消える』。恋愛ゲームの内容はもちろん、それらに付随する記憶も消えるはずさ」
ジョウジマくんは、答え合わせするように口にする。
「オレが証明したように、カウント条件のみ考えると、ゲーム自体は簡単にクリアできる。だけど、『異性と両想いになるゲーム』と言われたことで、プレイヤーは必死に相手を好きになろうと努める。キミみたいにカウント条件を満たす為に、自分を正当化する。結果、幸せな経験や時間を手に入れる。クリア後には、全て消えることを忘れて」
私は呆気にとられる。
ハヤミくんと行った夏祭りの記憶も、リョウヘイの私に対する想いも忘れてしまうということだろうか。
「ゲームマスターは恐らく、恋愛ゲームを進める中で得た感情や経験を奪われる恐怖を感じさせたくて、このようなゲームを仕掛けたんじゃないかな。それこそが、永遠を裏切った『罰』なんだよ」
そこまで言い切ると、ジョウジマくんは私に視線を向け、「『恋愛ゲーム』は、恋愛した時点で負けなんだ」と現実を突きつけた。
***
重みのある言葉がのしかかり、思考回路が鈍くなる。
「ちなみに、あと一時間後にはオレここにいないと思うよ」
ジョウジマくんはスマホを確認しながら言う。
「な、何で……」
「だってオレは、ゲームの為にこの学校に転校してきたからね。だから、この学校にいた事実が全て消えるんだ。キミたちと出会ったことも、応援合戦に出たことも」ジョウジマくんはあっさりと言う。
「じゃあ……モモヤマさんの中に生まれた、あなたに対する好意も消えるってこと……?」
おそるおそる尋ねると、ジョウジマくんは空を見上げて、「まぁこんな奴を好きになるなんて彼女の為にならないし、これでよかったでしょ」と目を細めた。
しかし彼は、無意識なのか手につけられたミサンガを名残惜しそうに弄っていた。
その瞬間、ジョウジマくんの指輪が光り出し、空中に以前見たキューピッドの子どもが映し出された。
「おめでとうございます。これにてゲームクリアです」
相変わらず外見に似合わない淡々とした声で子どもは言う。
「遅くない?」
「色々と手続きがありまして」
「なんか事務的だね」ジョウジマくんは肩を竦める。
「恋愛ゲーム、ぬるゲーだったよ」
「確かにあなたのような方には物足りなかったかもしれませんね。ですが」
子どもはジョウジマくんに視線を向ける。「本当にそうでしょうか」
「本当に、とは?」
「あなたは自分を偽り過ぎたことで、本当の自分が見えなくなったのです。感情を抱いていなければ、制限時間ギリギリまで粘ることはしない。早期にゲームの真意に気づいたことで、『罰』は重く感じられるでしょうね」
子どもは意味深に言葉を吐くと、彼の持つスマホの音が鳴る。画面に『残り60分』と表示された。
「ゲーム終了まで、あと一時間です。それまでは、余生を楽しんでください」
そう言い残して、子どもは消えた。
「楽しんだところで忘れるんだから、意味ないでしょ」
ジョウジマくんは投げやりに呟く。
『恋愛ゲーム』は、進行中に生まれた感情や思い出といった記憶を奪うことに目的がある。だからジョウジマくんは、ゲームマスターの思惑通りにならない為に自分と環境を変え、それこそゲームを『攻略』した。その理屈も筋が通ってるので納得できた。
だけど、彼の振る舞いと今の子どもの発言から、疑問が生じた。
「ねぇ、聞いてもいい?」
「なあに?」ジョウジマくんは目を細めて振り向く。
「私で最後の一人だったんでしょ。わざわざ私じゃなくても、モモヤマさんでもよかったはずだよ。というか、初めはそのつもりだったんだよね」
そう尋ねると、ジョウジマくんは「キミがプレイヤーだとわかったから、協力してあげたんじゃん」と苦笑した。だが、私は表情を崩さない。
「それもあるかもしれない。でも、あなたは嫌だったんじゃないの?」
「嫌?」
ジョウジマくんは怪訝な顔をする。彼の視線に少したじろぐが、ぐっとこらえて持ち直す。
「本当にゲームクリアしか見てない人なら、目の前に簡単にカウント条件を達成する存在がいながらも、それを無視する周りくどいことはしない。記憶が消えるなら尚更だよ。純粋に自分を好きでいてくれたモモヤマさんをゲームに巻き込むことが嫌だったんじゃないの?」
私の言葉を聞いたジョウジマくんは黙り込む。
「あなたは、感情を持ってしまった自分から目を逸らした」
「だから何?」
低く、重みのある声が響いて息を呑む。
ジョウジマくんの顔からは、一切の笑みが消えた。
「キミみたいに純粋な者も、オレみたいな捻くれた奴も、クリア後の白紙に戻るという末路は同じだ。記憶が消える恐怖も、忘れてしまえば関係ない」
「でも、さっきあなたは、感情が奪われることが『恐怖』と言った」
「それは純粋な人間の立場の見解だ。オレは恐れてない」
「だったら何で、モモヤマさんを助けたの!?」
ほぼ叫んでいた。ジョウジマくんも目を見開いて静止する。
「どうせ全部忘れてしまうなら、この学校の人なんてどうだっていいはずだよ。でも、どうしても見逃せなかったんでしょ」
私は震える声でそう告げると、ジョウジマくんは観念したように深い溜息を吐き、「彼女のせいだよ」と呟いた。
「助けたのはオレもわからない、勝手に身体が動いてた。それこそ感情が生まれた証拠かもね。今まで上手くいってたのに、最後の最後で悔しいじゃん。だから、見せつけたのは、報復」
ジョウジマくんは背を壁に預けて、空を見上げる。
私は彼から視線を逸らさないまま「ねぇ」と口を開く。
「なあに?」
「本当はモモヤマさんのこと、好きなんでしょ?」
そう尋ねると、ジョウジマくんは力なく笑い、「どっちだと思う?」と問いかけた。