「人間って不平等だよね。自分の立つ地位は、ほぼ生まれながらに確定されてしまう。幼い頃の環境が後々の自分を形成するというのに、性別も、両親も、住む場所も、社会的地位も、選ぶことができないんだ。自分であるのにも関わらず、他の圧力によって自分が構築されてしまう。成人すれば自由になれるのか?社会に出れば自由になれるのか?それはそうだと思うよ。でも、根本的に変えることなんてできない。結局は生まれた環境で全て決まってしまう。だから、自殺といったものは日々絶えることがない」
六時間目を終え、窓から部活動にいそしむ生徒の声が届くほどに閑散とした教室内。
清潔感漂う薄茶色の髪をなびかせ、アイロンの当てられた学ランを着用した少年は、教壇に足を組んで腰掛け、きめの細かい白い腕を動かしながら力説した。
そんな彼の演説を、赤髪の少女、リンは冷めた目で聞き流していた。
「何かひとつ、願いが叶うなら?」と尋ねただけなのに、明確な解答を口にせず、聞いてもいない自論を意気揚々と語り出す。
人間という生き物は、こんなに捻くれているものなのか。
「悩みや後悔、夢だったりもないの?」リンは再度尋ねる。
「そうだね。特に不自由を感じたことはないし、将来はお父さんの会社を継ぐことになってるから、夢だって叶ってるようなものさ。逆にひとつくらい悩みがあれば、もっと楽しめるのかもね」
少年は、満更でもなさそうに両手を広げて答える。
投げた球をファールで粘られて、こちらの体力を削られてる感覚だ、とリンは内心思う。
口では「悩みがない」と言い張る目の前の少年が嘘を吐いていることくらいは、リンにはわかっていた。
彼女は、目の色を変えて少年を見る。
少年の胸部には、開花を待つ種がドクドクと脈を打っている。その種が今まで咲かせてきた中でもはるかに上質であることは、文字通り目に見えていた。
だが彼の身体には、種に栄養を送るまいと阻害する大きな雑草が生えている。根を全身に巡らせ、深く絡みついていることからも、手入れに時間がかかりそうな厄介なものだ。
「それにしても、君、本当にこの学校の子なの?こんなに目立つ髪色なのに初めて見たんだけど」
学ランの少年は、物珍しそうにリンの髪を見る。
「昨日、転校してきたばかりなのよ。リンというの。よろしくね」
「そ。僕は、春川 桃吾(ハルカワ トウゴ)。ここ、他のとこよりもスピード早いから、ついていくの大変かもね」
春川は、同情か嫌味か判別のつかない言葉を投げると、教壇から飛び降り、「送迎が来るんだ」と軽く手を振りながらこの場を去った。
リンは、対象のデータを確認する為に、持参しているハードカバー本を広げる。
・種名:春川 桃吾(ハルカワ トウゴ)
・誕生日:二○二五年四月一日
・職業:私立白扇小学校六年C組
・種ランク:S
・開花予定日:二○三七年四月二十四日
簡素なデータと共に、先ほどまで言葉を交わしていた彼の顔写真が表示されている。
確かにデータを確認する限り、彼は十二歳の現役の小学六年生で間違いない。
日本の人間は、十八歳を過ぎると成人して大人と認められるはずだが、彼は成人するにはまだ六年近くある。
それなのに、まるで一度人生を経験したかのような達観した佇まいであったことからも、データを疑わざるを得なかった。
「十二歳……」リンは思考を巡らせる。「あれくらいの年齢の時は『思春期』という時期があると習ったっけ」
大して収穫がないにも関わらず、普段より疲労感が襲うな、とリンは溜息を吐きながら教室を後にした。
シーズン1【春川 桃吾】
学校の校門前では「また明日なー」との会話が飛び交い、生徒たちが下校している。
そんな彼らの姿を校門の壁に背を預けている痩身の青年は、煩わしそうな目で眺めていた。
全身黒服に身を包み、銀髪に吊り上がった目から覗く赤い瞳、右眼に着用された眼帯やピアスからも、いくら対象以外には姿が認識されないとはいえ、小学校に入るには通報されかねない容姿をしていることから、リンは彼に校門前で待つようにと指示を出していた。
とは言うものの、思ったよりも時間がかかったことで、彼は暇を持て余しているようだ。
「ゼンゼ」
リンの無愛想な声に気づいた黒服の青年、ゼンゼは、「遅かったな」と溜息を吐きながら壁から背を起こす。
「私のイメージしていた小学生と、だいぶかけ離れていた」リンは淡々と答える。
「人間って、面倒くせぇだろ?」ゼンゼは嗤いながら尋ねる。
おもしろがってるな、とリンは彼を一瞥すると、無言でスタスタと歩き始める。
ゼンゼは何食わぬ顔で隣に並び、同じく歩き始める。
「今回はどうだった?」
「わかっていたけれど、確かに種は上質だった」
『種』とは、この世界で言う『魂』にあたる。
リンたち種を管理する者には、種名一人ひとりの情報が記載されているリストが渡されていた。魂の管理者、死神としては当然の持ち物だ。
そのデータから、彼には元々、最高クラスであるSランクの種が与えられていたことが確認できていた。
現に「白扇小学校」は、学費が通常の私立小学校の約八倍はかかる金持ちの通う学校だ。小学校から大学まで一貫であることからも、対象が経済的に裕福な家庭で育ったとは、直接会う前から把握できている。
種の質の良さは引き継がれていたというわけだ。
「でも、今まで見た中で、一番大きな雑草が生えていた」
雑草は、種に回るはずの養分を奪って種の質を阻害する。放置すると、どんどん成長して膨れ上がり、最終的には質を落とすだけでなく、花が咲いた後も『遺恨』としてこの世に根付くことになる。その結果、以前の墓地のような荒れた地になってしまうのだ。
せっかく種の質が良いのに、このままだと汚い花が咲くのは目に見えていた。
「目測ではランクはAに落ちている」
「Aでも十分、上質だがな」
「元々Sランクであるだけに、見逃せないわ」
リンは険しい顔になる。「でも、手入れに有用そうな情報は得られなかった」
「まぁ、いきなり見ず知らずの奴に『何かひとつ、願いが叶うなら?』と尋ねられて、正直に答える奴も中々いねーだろうよ」
「聞いていたの?」リンは怪訝な顔で彼を見る。
「前にも同じ質問してただろ。つかまじで今回もそれ言ったんかよ」
ゼンゼはむしろ驚愕したような反応をする。リンはムッとする。
「だって、前回はそれでうまくいった」
「あん時の奴は、わかりやすい持病があったからだ」
以前、花を刈った対象は、ピアノ一筋だが事故で腕を負傷した少女だった。
彼女が「もう一度ピアノを弾きたい」と願うのは粗方予測できることであり、実際リンが尋ねた時も予想通りの返答があったものだ。
赤い夕日が街を照らす。影ふみしながら帰宅する小学生たちの傍らを二人は音も影もなく通り過ぎる。
「素直に話してくれれば、手入れがしやすいのに」
「今までの対象が簡単すぎたんだ。人間は基本、捻くれてるからな。率直に尋ねても、大抵曲がった解答しか得られねぇよ」
彼の投げやりの言葉も、先ほどの春川の態度を思い出すと、リンには納得せざるを得なかった。
雑草を取り除くには、対象のこの世への『未練』や『後悔』といった負の感情を解決する必要がある。
リスト上には、種の基本情報しか記載されていない。
育つ環境によって質が変化する為、雑草の有無、また雑草の生えた原因などの情報は、実際現場に足を運ばないとわからないものだった。
「神に管理されている人間の分際で、生意気なんだから」
彼女の傲慢な態度に、ゼンゼは愉快気にヒューッと口を鳴らす。
「俺、おまえのそういうとこ好きだぜ」
「揶揄わないで」
「あぁ、だからひとつ忠告だ」
そう言うと、ゼンゼは足を止めてリンに振り向く。リンは何だ、と彼に顔を向ける。
「人間をあまり舐めすぎんな。おまえはまだデビューして数日のヒヨッコだ。あんまり下に見てると痛い目見んぜ」
普段とは違う真剣な表情の彼に、リンは小さく息を呑む。
数秒した後、「ご忠告どうも」と素っ気なく返す。そんな彼女の態度にゼンゼは肩を竦める。
「でも、そうか。そんな上質の雑草は旨ぇんだろうな」
ゼンゼは、空を見上げながら恍惚とした表情を浮かべる。そんな彼を本当に食事が好きなんだな、とリンは一瞥する。
ひとまず雑草の生えた原因、負の感情さえ掴めばいい。
「対象の開花予定日は四日後の二十四日。それまでに何としても雑草を取り除かなければ」
明日から本格的に手入れを始めるから、とリンたちは拠点としている高層ビルの屋上へと向かった。
次の日、リンの姿は、再び白扇小学校にあった。
絢爛豪華な校門を潜ると、扇形の紋様をした石畳が目に入る。
噴水のある池には鯉が泳ぎ、汚れの見当たらない校舎の白い壁は日に照らされてより一層映えていた。
子どもの通う場所だと思えぬ気品漂う建築からも、節々に金の匂いが滲み出ていた。
休み時間のベルが鳴り響いた瞬間、生徒たちはボールを手に取り、下駄箱まで駆けていく。
これこそがイメージしていた小学生像なのだ、とリンは遠目でその光景を眺めていた。
背丈はほぼ変わらないものの、赤髪に黒系統でゴシックな衣装は、この場には適さないものだ。
だが彼らは、リンに目もくれることなく一目散にそばを通り過ぎていく。
人間に姿を認識され始めるのは、開花予定日のおおよそ一ヶ月前から。
リンはこの街の管轄であることからも、認識されたところで近日中に花を咲かせることになるのだから問題はなかった。むしろ認識された方が対象を探す手間が省けることからやりやすいまでもある。
とは言うものの、念には念を入れ、ゼンゼは今日も学校外で待てをくらっていた。
春川のいる教室にたどり着いたと同時に、「桃吾くん、嘘ついたでしょ!」と叫ぶ声が耳に届く。
中を窺うと、困惑した表情を浮かべる少年と、そんな彼をキョトンとした顔で見る春川が目に入る。
「何のこと?」春川は首を傾げて素朴に尋ねる。
「理科の宿題、来週提出って言ったじゃん」
春川に迫る少年は、頬を赤らめながら困惑気味に説明する。「昨日分のプリント、職員室まで取りに行った時に明日提出だって言われたよ」
尋問することばかりに気を取られているからか、少年の声のボリュームは教室内に響き渡るほどで、周囲の人たちは口に手を当ててクスクス笑っていた。
だが当の本人は、春川の解答が気になるようで気にする素振りはない。
春川は数秒静止すると、「ねぇ、雷治」と人差し指を顎に当てる。
「僕、ちゃんと明日だって言ったよ?」
「嘘吐かないでよ」
雷治(ライチ)と呼ばれた青年は息巻いて反論する。
「君の聞き間違いでしょ。昔からの誼みで教えてあげたのにさ、自分の失態を僕に押し付けるなんて、雷治って薄情な人なんだね」
春川はわざとらしく肩を窄める。周囲の人も、雷治何言ってんだという冷めた目を向ける。そこには、彼に対する軽蔑の色が感じられた。
雷治は表情を一変し、「ごめんね。そうだよね。僕が聞き間違えてたんだ」と意見を撤回する。
「わかったなら、別にいいんだよ」春川は目を細めて笑う。
そんな様子をリンは冷めた目で見ていた。
こんなにも胡散臭い笑顔があるだろうか。だが、雷治という少年は純粋なのか、簡単に騙されている。確かに春川の玩具にされるわけだ。
気を取り直して、リンは目の色を変える。
変わらずに種の質は良いままだった。
だが、それと同等のレベルに雑草の存在も大きく感じられる。
リンは顎に手を当て、思案する。
昨日の調子からも、直接接したところで大した情報が得られる気はしなかった。それどころか、再びよくわからない演説や弁解で翻弄されて疲労感が募るだろう、と目前の春川を見ながら思う。
授業を知らせるベルが鳴り、校庭で遊んでいた生徒もわぁっと叫びながら教室内に戻ってくる。
リンの傍らを生徒がバタバタとかけていく。姿は見えてないはずなのに、皆無意識に彼女の立つ位置を避けていた。
リンは分厚いハードカバー本を広げる。『春川 桃吾』のページをめくり、ペンを手に取ると、備考欄に『周囲から信頼されている嘘吐き』と記入した。
「ひとまず今日は観察をしようかしら」
夏休みの課題であさがおの観察日記が出されるように、花は日に日に成長する。花の観察は、種の管理者としては基本中の基本だ。
リンは、春川に姿を見られないように壁に隠れて観察を開始した。
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