「何だって、掃除した瞬間が一番きれいなもの。お風呂あがりや、クリーニングの後、そして、雑草を抜いた鉢植え」
少女は、カツカツ靴を鳴らしながら近寄る。
「花だって、雑草が抜けた瞬間が一番質が良い。それは人間も同じ、とは以前、言ったよね」
「何を……言って……」俺は、無意識に後退りしていた。
「人間だって後悔や未練といった負の感情が抜けた瞬間が、一番質が良い。そして、その質は循環されるのだから、次に生まれる人間だって質が良くなる」
少女は、時計のようなものを取り出す。
呆然とその様子を眺めていたが、ピキッとの音が耳に届き、我に返る。
途端、頭上の電気が落下してきた。俺は後ろに飛び跳ねてそれを避ける。
随分劣化していたのか。電線はむき出しで、焦げた先端からはビリッとの音が鳴った。
「危なっ…!」と、目を丸くしたところで、足が地に着かないことに気づく。
電気を避けた反動で、ホームから身体が飛び出していた。桜が目を見開いて俺を見ている。
途端、鼓膜が破れたかのように、音が聞こえなくなる。それと同時に、スローモーションのように目前の光景が目に映る。
目前に立つ赤髪の少女の手には、身の丈に似合わないような何かが携えられている。視界がぼやけて、はっきりと認識できない。それに先ほどまで傍に立っていた黒服の青年の姿は、いつの間にか見られなくなっていた。
冷静に目に映る光景を眺めていたが、そこでリンッと、心地良い鈴の鳴る音が響く。
「『お迎えが来る』って言葉の通りに、開花の迫った者には、その存在が認識できる。……失礼。この世界では、『開花』とは言わないわね」
赤髪の少女は、手に携えた何かを俺に向ける。
「私は、『死期の迫った人』にしか見られないの」
途端、全ての感覚が蘇る。それと同時に、つんざくような警笛が鼓膜を襲う。
何かに圧迫されるような感覚が襲うと共に、俺の視界は暗くなった。
***
大学の掲示板には、生徒の訃報を知らせるニュースの記事が掲示されていた。
去年の学内での飛び降り自殺に次いで、今回は駅のホームから電車への飛び込み。
不謹慎極まりない行為だが、ただでさえ「F欄」と呼ばれる花埼大学であるにも関わらず、これ以上うちの大学の名を出して評判を落とすな、と見せしめとして掲示されているようにも映る。
馴染みの顔と名前が記載されている記事を、藤井はただ茫然と眺めていた。
「この人、拓哉と同じ高校の人だろ?」
藤井の隣にいる人物が尋ねる。
大学生活が始まって二週間、世渡り上手な藤井には、すでにお昼を共にできる友人ができているようだ。
「……そうだな」藤井は苦笑する。
「最近、心配だったんだよな。飲み会で誰もいない席に話しかけたり、立入禁止されている北棟に行ったり、何かに呼ばれたように夜の学校に戻ったり……」
「あー、あのイベントサークルの飲み会の話は俺も聞いたな。やべぇ一年が入ってきたって」
結構噂になってんぜ、と友人は軽い調子で言う。何だかいたたまれなくなり、藤井は頭を掻く。
「でも、北棟に行ったのか。もしかしたら、あの付近に近づいたら自殺願望が生まれる、って噂は本物なのかもな」
友人は思い出したように呟く。そんなことを信じるのか、と藤井は友人を軽蔑するが、ふと気づく。
「確かに、あいつのここ最近の口癖が『死にたい』だったんだよな」
***
「さすが、今回もAランク」
全身黒尽くめの服を見に纏った青年、ゼンゼは嬉々として褒める。何かを咀嚼するように口元が動いていた。
「当然よ」
赤髪の少女、リンは淡々と答える。「私は、きれいな花しか咲かさない」
小柄でありながら、凛と背筋を伸ばして歩くリンの背中をゼンゼは興味深気に眺める。
「未来に希望を抱かせた瞬間に、花を咲かせるおまえは容赦がねぇ」
「雑草を取り除いた瞬間が一番きれいな状態。質の良い花を刈るには最適のタイミングだわ」
リンはゼンゼの戯言にも動じずに答える。そんな彼女をゼンゼは一瞥して肩を竦める。
人で溢れる騒がしい街中、真っ赤な髪にゴシックな服を見に纏った少女と、全身黒尽くめで眼帯をした銀髪の青年が歩く。
この場に馴染まない異質な容姿であるにも関わらず、周囲の人は全く見向きもしない。だが、彼女たちが通る場所は皆、無意識に身体が避けている。
「それに、これは人間の為でもあるのよ」リンは前方を見据えて口にする。
「花が咲くという運命は避けられないこと。そんな中で、後悔や未練が全て消えて、悔恨ないまま人生を終わらせられるのだから」
リンは凛と前方を見据えて答える。
「おまえも、この一年で少し変わったもんだ」
ゼンゼは、鋭く尖った歯を見せて嗤う。
リンは反応を示さずに足を進める。
次の観察対象は、今日この街に来ているとのデータがある。だが、人が多い昼過ぎであることから、対象を見つけるには時間がかかりそうだ、とリンは内心思う。
「ねぇ」
突如、リンの行動が制される。振り返ると、小さな男の子がリンのスカートの裾を引っ張っていた。
「その鎌、かっこいいね」
そう言って、隣に立つゼンゼを指差す。ゼンゼはお、とリンを一瞥すると、少年に顔を寄せる。
「坊主、見る目あるな。ありがとな」
ゼンゼはニヤニヤした顔で言う。だが、少年はリンを見たまま反応を示さない。
「死神さんみたいだね!」
少年は、満面の笑顔で言う。物語の中から飛び出てきたようなリンたちと出会えて、わくわくしている様子だ。
その言葉を聞いたリンは、「不謹慎ね」と呟くと、少年に向き直る。
「私は、リンって名前なの」
「リン!」
「ちょっとハジメ!どこ行ってるのよ!」
遠くの方から少年の母親らしき人の声が届く。母親は少年を抱きかかえると、リンたちに視線を送ることもなく、元来た道を戻り始める。
ハジメと呼ばれた少年はリンを指差し、「ねぇ、大きな鎌を持った死神さんがいるよ!」と母親に説明する。
いきなり我が子から物騒な言葉が飛び出たことに母親は目を丸くして振り返るが、「何、言ってるのよ」と溜息を吐いて、元来た道を歩き始める。
リンは、分厚い本を取り出して中を確認する。
・種名:海幕 一(カイマク ハジメ)
・誕生日:二○三三年十月三日
・職業:橙保育園 ひかり組
・種ランク:B
・開花予定日:二○三八年四月十九日
簡素な情報と共に、目前の少年の写真が載っている。
リンは少年に向き直ると、「毎日楽しい?」と問いかける。
突然の質問に少年は一瞬キョトンとするものの、「うんっ」と満面の笑みで答えた。
本当独り言が多いんだからー、と母親の呟く声が響く。
リンとゼンゼは、彼らとは反対の道を凛と背筋を伸ばして歩く。
「あいつは延命でもいいな」
「冗談は、よして」
上機嫌に呟くゼンゼの言葉をリンは冷静に切り落とした。
シーズン1【草凪 春太】完了