4【夏原 杏里】①




薄暗い間接照明に照らされ、雰囲気ある空間に一人、若い女性が佇んでいた。
胸元まで真っ直ぐ伸びた栗色の髪に、紅色で惜しげもなくストーンのあしらわれた華やかなドレスを身に纏っている。

ピアノのしっとりとしたイントロが流れ始めると、彼女は所持していたマイクを手に取り、波に乗るように声を旋律に乗せる。

不純物の一切混じっていない透き通った高音は、鼓膜にスッと心地良い響きをもたらせ、その場にいる全員を身震いさせた。

誰もが口を閉ざし、固唾を飲んでモニターに映る彼女の勇姿を見守っていた。

「さすが、Sランク」

皆が画面を注視する奥、壁に背を預け、画面に視線を向けながらゼンゼは囃す。

「質の良さが顕著に表れているわ」
隣に立つリンも、無機質な表情のまま手元のリストを確認する。

・種名:夏原 杏里(ナツハラ アンリ)
・誕生日:二○二一年十月三十一日
・職業:青星第一高等学校音楽科三年生、歌手
・種ランク:S
・開花予定日:二○三七年六月九日

先ほどまでは慌ただしく生放送の支度を整えるスタッフや、休息をとる芸能人がガサゴソとお弁当を漁る音で騒がしかった楽屋内も、画面のモニターから声が響いた瞬間、静まり返った。

それほど目前のモニターに映る女性、夏原の声には、人を惹きつける才能があった。

ピアノとソプラノの共鳴が止み、心地良い余韻を堪能した後にわっと歓声が響く。遠くからこの場に響くほどに観客席の熱い拍手がこだまする。

夏原は歓声響く中、静かにお辞儀をして舞台袖へと戻っていった。
それと同時に、この場にいる人たちも時間が動き出したように行動する。

「次、誰だっけ」

生放送であることからも、スタッフたちは時間を気にして忙しなく廊下を走る。
そんな慌ただしい廊下をリンたちはおもむろに歩く。

「杏里ちゃん、今日も最高だったよ」

スタッフの心なし上ずった声が響く。声の若さからも、まだ芸能界の仕事について日が浅いとわかる。
顔を向けると、案の定、若い男性と額の汗をタオルで拭いながら控室へ戻る夏原の姿が目に入る。

「ありがとうございます」

夏原は朗らかに微笑み、礼儀正しく頭を下げる。そんな彼女を周囲の人々はうっとりと眺める。

「やっぱりそういうもんなのか」

ゼンゼは、足早に控室へ戻る夏原の背中を見ながら、間延びした声を上げる。

「そういうもの?」リンは淡々と問う。

ゼンゼは「いんや、なんつーか」と頭を掻く。

「Sランクの種には、それ相応の難関があるんだなって」

背筋を伸ばして、颯爽と歩く夏原の背中。

彼女の身体からは、図太い根の絡む雑草が生えていた。

シーズン2【夏原 杏里】

 

舞台裏は、生放送中であることからも慌ただしかった。
「あと五分で待機してください」の声と共に、煌びやかな衣装を身に纏った出演者が駆けていく。

たくさん人が横行する廊下だが、皆、呼吸をするように一角を避けて身体を捻っていた。

「お、すげー!こいつ、今動画サイトで話題の歌手『MIKAN』じゃね!?」
ゼンゼは、目前を過る中性的な若者を見て叫ぶ。

若者は、芸名『MIKAN』に合わせているのか、オレンジ色の髪色に、赤や黄緑色のヘアピン、黄色のパーカーを着用し、全身原色で固めた奇抜な格好をしている。
真横で自身の名前を呼ばれたにも関わらず、ゼンゼにはひと目もくれずに颯爽と通り過ぎていった。

「何で、そんなこと知っているのよ」
リンは怪訝な顔でゼンゼを見る。

「もちろん、ジャパニーズカルチャーから得た情報だ」

ゼンゼは、懐から手のひらサイズの板状の機械のようなものを取り出す。
それは日本に辿り着いて以降、街中ですれ違う人が皆、夢中で注視している製品に見えた。

「こいつは『スマホ』って言って、これさえありゃ、漫画も読めるし音楽も聴けるし動画も観れる。まさに文明の利器だな」
そう言いながら、器用にスマホを弄る。

彼の突拍子もない行動には、もう驚くこともない。どうせまた、暇だという理由でどこからか拝借したのだろう。

「確か、先月出した新曲『スイカと塩』は、アップして一日でミリオン再生を達成したらしい」

「興味ないわ」リンは突き放すように答える。

「こういう言葉を知ってるか?」ゼンゼは指を立てて切り出す。

「『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』。敵についても自分についてもしっかりと把握していれば、百回戦っても敗れることはないって意味だ」

「だから、何なの」

「質の良い花を咲かせたいならば、まずは人間そのものの生態を知る必要がある。それに、普通に地球のカルチャーはおもしろいもんだぜ」

その言葉を聞いたリンは、一瞬黙ると「少し勘違いしてない?」と切り出す。

「私はただ、自分の庭が荒れるのが嫌なだけ。きれいな花さえ咲けばいい。つまり、人間そのものに興味はないのよ」

「さいですか」ゼンゼはつまらなさそうに口を窄めた。

赤髪で黒系統のゴシックな衣装を身に纏ったリンと、全身黒服で銀髪に眼帯をしたゼンゼ。
街で歩いていたら何かのコスプレと言われそうな目立つ外見の二人ではあるが、この場所、テレビ局ではそんな容姿も違和感なく馴染んでいた。

慌ただしい廊下を二人はゆったりとした歩幅で歩く。

「それにしても、あれが高校生か」

ゼンゼは宙を見ながら呟く。
彼の言いたいことは、リンにも伝わった。

今回の対象、夏原杏里は、観客やスタッフに対してのマナーがきちんと身につき、またいくつもの戦場をくぐり抜けた洗練されたような貫禄がある。
ひと目見ただけでも、高校生には見えないほど大人びた印象を抱いた。

「以前の誰かとは大違いね」リンはやけくそに言う。

「おまえ、結構根に持つタイプなんだな」
ほら未練は抜かねぇと、とゼンゼは嬉々として揶揄う。リンは無言で顔を背ける。

「ここだわ」

不意にリンは足を止める。顔を上げると、プレートには「アンリ様」と記載されていた。
二人はドアに耳を寄せて、中の様子を窺った。

「却下」

途端、低くて沈んだ声が二人の耳に届く。
リンとゼンゼは思わず静止し、そして目を合わせた。

「ここ、あいつの楽屋だよな?」

ゼンゼは僅かに強張った顔でプレートを確認する。
確かに、はっきりと夏原杏里の芸名が記載されている。

リンは再びドアに耳を寄せる。

「私はカツは太るから食べないって言ったでしょ!別のものにして」

夏原の呆れた声と共に、バンッと何かを払いのける物音が響く。それと同時に若い男性のひいっと情けない声が聞こえる。

「すっすみません!すぐに買いに行ってきます」

悲鳴を上げたであろう新人スタッフは、目で確認しなくてもわかるほどにペコペコと頭を下げると、足早にドアへと向かい、勢いよく開く。

「ッツ」

リンは、突如開かれたドアに思いきり顔面をぶつける。そんな彼女を見てゼンゼは噴き出す。
新人スタッフは、額を押さえる彼女には目もくれずに、焦燥気味に何処かへと駆けていった。

「大丈夫か?」
額を擦るリンに、ゼンゼは嗤いながら尋ねる。

「あいつ……花を咲かせてやろうかしら……」
リンは本気かわからないことを吐く。

「まーまー、そう感情的になんなって」
ゼンゼは嗤いながら彼女の肩を叩いて慰めた。

「それにしても、さっき見た時よりも雰囲気が全然違うもんだ」

ゼンゼはドアの隙間から夏原の様子を窺う。

「まぁ、芸能界となると傲慢にでもならないとやっていけないのでしょ」

先ほどまでは、にこやかにスタッフに挨拶をしていた愛想の良い彼女だったが、今は不愛想な顔でスマホを弄っている。その姿は、街で見かける普通の女子高生にしか見えない。

「でも、逆にわかりやすいわね」

輪廻図を確認する限り、今回の対象、夏原杏里には、元々歌唱力のある上質の種が与えられている。
種は基本的に同じ血筋で巡る。現に、彼女の母親も元歌手であり、また高校生という年齢を考えても、夏原は幼少期から芸能界でいたであろうことは推測できる。

つまり、それほど生活の一部となっているのだから、雑草が生えた原因も恐らく歌手という仕事に関係しているとは予測できるものだ。

「彼女の先ほどの態度を見ても、仕事に対してかなり拘りがあるのでしょう。その辺りを探っていけば掴めるはずだわ」

リンは噛み締めるように言う。
そんな彼女をゼンゼはじっと見る。

「何?」

「いやなんつーか、似た匂いがすんな、って」

「私はあんなに傲慢じゃないわ」リンはそっぽを向く。

「こういう言葉を知ってるか?」

ゼンゼは指を立てて切り出す。リンは険しい顔で振り向く。

「『人の振り見て我が振り直せ』」

「何それ」

「知らないなら、別にいい」

ゼンゼは、愉快気に肩を竦めた。

 

***

 

控室から出てきた夏原は、帽子を深くかぶり、サングラスとマスクを着用して、しっかりと顔を隠している。私服なのか、ロゴの入ったスポーツブランドのフード付きパーカーにジャージを身に纏い、舞台上の彼女とは正反対の地味な格好をして、そそくさとテレビ局を立ち去った。

リンとゼンゼは、観察の為に彼女に気づかれぬように後をつける。

「『話題沸騰!伝説の歌姫の娘・アンリ!齢十七にして歌賞十冠達成!』」
ゼンゼは手元の新聞を広げながら、高らかに言う。

「母親も伝説って言われてんだもんな。やっぱスゲー血筋なんだ。こりゃ今回は期待できるな」

「そんなもの、いつ手に入れたの」リンは呆れた顔で問う。

「テレビ局に置いてあった」ゼンゼはあっさりと答える。

彼のぬけぬけとした態度にリンは小さく溜息を吐くも、目の色を変えて対象に視線を戻す。

これだけ数々の賞を受賞し、メディアにも大々的に取り上げられて、芸能活動としては一見順風満帆なようにも見えるが、それに比例するように大きな雑草が生えている。
Sランクの種なだけに、見逃すことはできないものだ。

 

夏原は駅まで辿り着くと、改札を抜けてホームまで向かう。リンたちも急いで後を追う。
電光掲示板を確認すると、夏原の自宅とは反対の行先を指していた。

夏原は到着した電車に颯爽と乗車する。リンたちは気づかれないように隣の車両に乗り、連携ドアから対象を観察する。
乗車して二十分ほど経つが、彼女はまだ降車する気配はない。

「管轄外まで来ちまったな」
ゼンゼは『尾泉』と表示されている車内案内を見ながら呟く。

尾泉市は、リンの管轄である虹ノ宮市の隣に位置する郊外の街だ。
基本的に仕事は、対象の住居で割り振られており、開花場所が管轄内とは限られていない。管轄外に出ることは特に問題ではなかった。

街から離れ、人がちらほら確認できるほどの閑散とした駅に辿り着く。
夏原は周囲を気にするようにキョロキョロと見回す。リンたちは気持ち姿を隠すように壁に隠れる。

夏原は、そのまま駅直結の大きな病院の中へと消えていく。
リンは彼女の入った病院の看板を確認する。

「予想した通りね」

看板には『耳鼻科』と書かれていた。恐らく彼女は喉に炎症でもあるのではないのか。

「『持病は、雑草の芽生える原因に成りうる可能性が高いもの』」
ゼンゼは胸を張って言う。リンは険しい顔で彼を睨む。

「おまえの口癖だ」

「揶揄ってるでしょう」

「ま、でも今回は正解だろうな」

ゼンゼはあっさり手のひらを返すと、すたすたと病院へと入っていった。
リンはむっと頬を膨らませながら、彼の背中を追った。

窓から壁まで白一色に統一された病院内は、清潔感溢れる香りが漂っていた。
待合室では人が各々に新聞や雑誌を手に取り待機する姿が見られ、どこかからキャスターがゴロゴロと転がる音が響く。

純白で菌の一切を排除された洗練された空間に、黒い影が二つあった。

「ポリープ、悪化しているね」

診察室内の年配の医者は、穏やかな声で告げる。「あれほど、発声はだめだって言ったはずだよ」

「でも、私は歌手なのよ」夏原は眉間に皺を寄せて答える。

「わかっているよ。だがね、目の前の仕事よりも、これからの人生、どちらを天秤にかけるつもりだい。このままだと、取返しのつかないことになる」
医者は厳しい声で諭す。

「確かに、俺らが来ていることで、取返しのつかないことにはなる」
ゼンゼは嗤いながら同意する。

リンはリストを捲り、ポリープについて調べる。

「『声帯ポリープ。発声が原因で喉に腫瘍ができる。悪性の場合は最悪死に至る』」

「なら、今回の死因はそれかな」

「声帯摘出や発声を禁じて自然治癒すれば回復も望めるが、それをしない理由」

リンは夏原の背中に視線を戻す。「そこに恐らく、未練が関係しているはず」

しかし、ゼンゼはその言葉が聞こえていないのか、反応がない。

「ゼンゼ?」リンは彼を窺う。

「久しぶりに見たな」

ゼンゼは隣の病室の小窓に視線を向けながら嗤う。「そっか、ここ、おまえの管轄外だったな」

「どういう意味?」

リンは首を傾げて問う。彼女の背丈では小窓に届かず、中の様子が窺えないでいた。

「ほらよ」

そう言って、ゼンゼはリンの脇を抱えて抱き上げる。小柄なリンはあっさりと持ち上げられる。

「ちょっと……」と声を発したところで、あっと目を見開く。