4【夏原 杏里】②




隣の病室のベッドの上には男性が眠っていた。チューブや点滴など医療器具をたくさん身体につけられ、かろうじて息が持ってるとわかる。
そんな彼の胸元からは茎が伸び、もうすぐ開花時期なのだろう、先端には蕾をつけている。

その蕾が開く瞬間を、彼の傍で今か今かと待つ二人の人物がいた。

一人は青髪で黒いベストを着用し、全体的にゴシックパンクな衣装の長身の男、もう一人は全身黒服を身に纏い、ウェーブがかった金髪の小柄な少女。頭部右側には、包帯が巻かれている。

こちらに背を向けているものの、彼らが同族であるとはすぐに察知した。

「汚いわね」
リンはゼンゼに抱えられたまま、眉間に皺を寄せる。

「あいつは多分、おまえと正反対のタイプだな」

彼らの対象であろうベッドに横たわる男性からは、複数の雑草が身体に絡んでいた。それも、乱暴に引き千切られたかのように根が絡み、ただ雑草が生えた時よりも状態が悪化しているとは目に見えてわかる。

おそらく、手前に嬉々として開花を待つ青髪の死神の仕業だとは感じられる。

「噂では聞いていたけれど、本当にいたとはね」

「そりゃ、俺らは花を刈ることだけが使命だかんな。そこに楽しさを見出そうとする奴が生まれるのは普通だ」

雑草を荒らして、人間の抱えている後悔や未練をさらに重くさせて、苦しい思いをさせて花を咲かせる死神がいる、とは研修の時によく耳にしていた。
ただ苦しむ姿がおもしろい、と言う趣味の悪い者もいれば、人間が嫌いだから、という理由で行動に移す者もいる。

一部にそういった死神がいるせいで、遺恨は絶えず発生するのだ。

「苦しい……嫌だ……死にたくないよう……」

ベッドに横たわる男性は呻く。それと同時に蕾も徐々に開いていく。

「ヒヒッ苦しいねぇ……死にたくないよねぇ……わかるわかる。そうだよねぇ」

手前の青髪の男は、ニヤニヤ笑いながら声をかける。そんな彼を金髪の少女は無言で一瞥する。

「でも、もう飽きたよ。さっさと逝こうか」

そう青髪の男が言った瞬間、徐々に開いてた蕾はパッと花開く。それと同時に、繋がれていた心音計からは、ピーという音が鳴り響いた。

途端、青髪の男は、勢いよく花に手を伸ばす。
だが、金髪の少女はそれを制して即座に花を刈った。

はらはらと花弁が舞う中、金髪の少女は青髪の青年に振り向く。口には刈られたばかりの花が咥えられていた。

「ベロウ。すぐに手を出そうとするのはよして」

金髪の少女は、包帯で巻かれていない左目の眼光を険しくする。「また、あなたの手が燃えてしまう」

「ヒヒッ悪いね。視界に入ると、つい」
花を見ると理性を失うよ、と青髪の男は言う。

「転送するから瓶を貸して」

「どうぞ」

青髪の男は、懐から瓶を取り出して金髪の少女に投げる。少女は花を瓶に入れると、そのまま丸のみした。

そんな光景を、リンとゼンゼは唖然として見ていた。

「あいつ、パッションあんな」ゼンゼは僅かに顔を歪めて言う。

その言葉には、リンも素直に同意した。

死神は、器から刈り取られていない状態の花や雑草に直接触れることができない。刈られた後も、花に触れる時は手袋が必須だった。

いわば種は電池のようなもので、器に入っている時は、スイッチが入れられて常に身体に電流が流れている状態だった。特に花や雑草には、電気を抵抗する器に覆われていない為、直接触れたならば、それこそ金髪の少女が言ったように、身体に電流が伝わり熱を発生させる。

だからこそ、電気を通さない不導体の鎌とタッグを組んで仕事を行う必要があった。

花に直接触れられないことは、基本中の基本であるにも関わらず、目前の青髪の死神は、躊躇うこともなく腕を伸ばした。
そんな彼の野蛮な行為に、リンの表情は強張った。

心拍が止まったのが伝達されたのか、複数の看護師が慌ただしく病室までやってくる。
ゼンゼはリンを抱えていた腕を下ろす。

看護師らと入れ違いで、青髪の男と金髪の少女は部屋を出てくる。
彼らは目前に立つリンたちに気づくと、顔を上げた。

「君たちは、同族かな?」

ベロウと呼ばれた青髪の男は、低俗なうすら笑みを浮かべながら問う。

「そうね。死神ではある」

リンは凛と背筋を伸ばして答える。はっきりとあなたとは別、といった意志が含まれているのでゼンゼは苦笑する。

ベロウはリンをじっと見た後、興味深気に顎を擦る。

「赤髪……君はエリートって呼ばれていたっけ。ヒヒッ人間なんかに関わって、鼻につくと思ってたんだ」
花だけに、とベロウは嬉々として続ける。
リンは冷めた目で彼を見る。

「あまり派手に荒らさないで。私の庭まで被害が及ぶ」

「関係ないよねぇ」
ベロウは関心もなさそうに答える。

「ここは僕の庭だ。任期を全うするまでは、好きにさせてもらうよ」

そう言うと、金髪の少女に目で合図して大股で歩き始める。彼女は私たちを一瞥すると、無言で彼の背中についていく。

「我儘王子と忠実な従者って感じだな」
ゼンゼは興味深気に彼らの背中を見る。

「目移りするのも、ほどほどにして」

「俺は、幼女は対象外なんだ」

リンは診察室で会話する夏原に視線を戻す。

 

***

 

次の日、リンたちの姿は、夏原の通う青星第一高等学校にあった。

小学校とは違い、休み時間にはボールを所持して校庭へ駆けていく生徒は見当たらず、廊下で談笑する男女や、教室内でスマホを弄る人などが確認できる。私服登校のようで、皆個性や趣味の表れた服を着用している。

隠す気のない校門前の監視カメラや厳重なセキュリティ体制、ロッカーにかけられた鉄の錠や、ゴミが一切見当たらないところからも、普通の高校よりもレベルが違うと感じ取れる。

「白扇小学校はザ、金持ち校って感じだったけど、ここはまた違った格が感じられるな」
ゼンゼは周囲を見ながら言う。
今回は高校であり、特に外見に違和感がないことからも校門前で待てとの指示は出されていないようだ。

「ここは芸能人の通う高校らしい」
リンは廊下に掲げられている『芸能科』と書かれたプレートを見ながら言う。

青星第一高等学校は芸能科を始め、映像科、漫画科なども備わる芸術に特化した私立学校であり、多くの著名人を輩出している場所だ。
その名声通りに、周囲には垢抜けた人たちで溢れていた。

夏原の通う『音楽科』の校舎を目指す。オーディション結果を称え合う女子の上辺だけの会話が耳に飛び込めば、掲示板には、成果報告や仕事募集の掲示がされており、並の学校ではないと肌で感じられた。

「あ、あいつは昨日のドラマに出てた『ナッシー』だ」

ゼンゼは、遠方で男子生徒に囲まれている女子生徒を見ながら嬉々として声を上げる。中心にいる女子生徒は、きれいな黒髪をなびかせて愛想を振りまいている。

テレビで見るより老けてるな、と失礼なことを言う彼をリンは呆れた目で見る。

「あなたは本当に好奇心旺盛ね」

「仕方ねーだろ。夜は観察ができねーんだから」
ゼンゼは開き直ったように胸を張る。

確かに夏原の住む場所は、テレビ局と高校の中間に位置する三十六階建ての高層マンション最上階だった。
外野からはともかく、対象には姿を認識されることから家の中にも入れない以上、夜は観察が不可能だった。

リンは小さく息を吐くと、「でも」と目の色を変える。

「確かにここは、上質揃い」

「これは、満開になる時期が楽しみだ」
ゼンゼは笛を吹くような軽い調子で同調した。

対象の教室はこっちだったはず、とリンたちは足を進めた。

 

夏原のいる教室を窺う。
休憩中なのか、教室内で意気揚々と出演作品を宣伝する会話が飛び交う中、彼女はマスクを着用して静かに本を読んでいた。
夏原に声をかける生徒も見られるものの、彼女はすぐに会話を切り上げ、読書の森へと帰っていく。
昨日の彼女の様子からも、恐らく喉については隠しているようだった。

「まぁ、ただでさえライバルに囲まれてる中、弱点を晒すようなことはしねーわな」
特にあいつは傲慢だし、とリンを一瞥してゼンゼは呟く。

「今回はどうやって接触すんの?また転校生?」

「いや、今回はそれに加えて、さらに設定を加えるわ」
リンは真顔のまま答える。

「あ、やっぱり転校生設定は健在なんだ」
ゼンゼは肩を竦めた。

リンたちの姿は対象以外には認識されないことから、接触する際は、面倒ごとにならない為にも対象が一人になる必要があった。
リンはタイミングを見逃さぬよう、観察を開始する。

教室内の座席は三分の一は空席で、他の生徒も授業単位で抜ける人が多く、生徒の入れ替わりが激しかった。
それが通常なのだろう、教室内の生徒も「あ、この時間はこれたんだ」と遅れてきたクラスメイトに平然と対応する。
まるで大学のようだな、とリンは以前訪れた大学と比較して思う。

「あ、モデルの花梨だ。今日は撮影じゃないのか」
ゼンゼは、暇そうに廊下窓の外を見ながら呟く。

「雑誌まで読んでるの」リンは関心のなさそうな声で相槌を打つ。

「最近CMによく起用されてんだ。『花梨が身に着けた服は十分で完売する』と謳われている」
ゼンゼは得意気に指を振った。

授業終了を知らせるベルが鳴ると、夏原は颯爽と教室を出る。
まだホームルームがあるのか、彼女以外に教室を出るものはおらず、廊下は閑散としている。

対象が一人になった瞬間、リンは足早に彼女に近づき「あの」と声をかけた。

「アンリさんですか?」リンは心なし声色を温かくして問う。

赤髪にゴシック服と、物語の世界から飛び出してきたような容姿をしているにも関わらず、夏原は特に驚くこともなく、「何?」と言葉短く尋ねる。

「私、あなたの事務所の後輩のリンと言います。同じ学校で、同じ事務所ということで、挨拶をしておきたいな、と思いまして」
リンは真顔のまま言う。

「新しい要素は、事務所の後輩か」
ゼンゼは離れた木の上から様子を窺いながら嗤う。

「悪いけど、私、後輩とか見てないから」

夏原はきっぱりと言い放つと、背を見せて校門へと向かう。その態度には、以前テレビ局スタッフに見せていた愛想の欠片も感じられなかった。

粗方反応を予測していたリンは、静かにに振り向くと「喉、大丈夫ですか?」とダメ押しする。

その言葉に夏原は、反射的に足を止めて、訝しげにリンを見る。

「私、隣町の病院に通っておりまして、昨日」

リンは意味深に言葉を切ると、夏原は溜息を吐いて彼女に振り向く。
「あなたが望むのはお金?地位の剥奪?それともただのお節介?」
夏原は険しい顔で問う。

「ただ、マスコミに売るならあと二日待ってほしい。それ以降なら、いくらでも好き勝手に言ってくれていいから」

「二日後に、何かあるの?」リンはすかさず問う。

夏原は数秒黙り込むも、「ま、その様子だと、あなたは受けないようね」と警戒を解く。

「音楽祭の選考会が二日後なのよ。だから、それまでは実力と関係ないことで邪魔されたくないの」

「音楽祭?」
リンの素朴な質問に、夏原は怪訝な顔を向ける。

「音楽のオリンピックとも呼ばれてる四年に一度の音楽祭よ。かつてトップアーティストの巨匠が設立した、能力が認められたもののみ立てる舞台。あなた、それでも同じ事務所の後輩なのかしら」

「この通り、経験は浅く、まだその辺りの知識は全然」
リンは真顔のまま両手を広げて自虐する。
そんな彼女を見て、夏原は溜息を吐く。

「とにかく、邪魔だけはしないで」

そう言うと、夏原は踵を返して自宅へと戻る。
それと同時にリンの傍に黒い影が寄る。

「今回は、あっさり原因が判明したな」

「そうね」

「音楽祭に出たいから選考会に受かりたい。だったら、やることは簡単だ」
ゼンゼは指を振る。「声帯ポリープを治せばいい」

「いや、今はまだ駄目」

「何で?」

キョトンとするゼンゼをよそに、リンは神妙な面持ちで思案していた。

「さっきの態度からも、彼女は恐らく音楽祭に出演することは目的じゃない」

先ほどの夏原は、二日後の選考会を終えたら好きにすればいいと言っていた。音楽祭に出場することが目的ならば、それこそ本番を終えるまで、と答えるだろう。
ただ見栄を張っていただけなのかもしれないが、先ほどの彼女のさっさと会話を切り上げようとした口調も、どこか諦めたような振る舞いからも、彼女自身、音楽祭まで持つような身体ではないと悟っているのかもしれない。

「だからこそ、選考会だけは万全の状態で望みたい。でも、今このタイミングで病気を治しても選考会までにまた再発するかもしれない」

掃除した瞬間が一番きれいな状態であり、時間が経てば再び汚れるのは当然の原理だ。今このタイミングで雑草を除去したところで、選考会までに再び生える可能性がある。

「それに一度薬を使用すると慣れるものよ。二度目の手入れの時には効果が弱まり、初めの時よりもきれいに取り除けなくなる」

リンは険しい顔で小さくなっていく夏原の背中を見る。

「花は繊細なのよ。手入れを見誤るとかえって質を落とすことになる。だから、選考会ギリギリまでは薬は使えない」

「今回も、開花予定日当日までお預けか~」
ゼンゼは力なく空に呟いた。

 

***