チェックインが終わり、部屋に入った頃には力尽きていた。なけなしの体力で風呂と夕食をすますと、ふとんの敷かれた部屋内で大の字に溶けた。
遊び疲れて人型を保つことすらできなくなっていた。日で焼けた肌がジリジリ熱を帯び、全身が火照っている。目を閉じるとすぐにでも落ちてしまいそうなほどだった。
だが、天文部の活動はこれからが本番だ。
ほどなくして、部屋まで合宿係の人が指示に来る。私たちは、外着に着替えると、旅館を出て裏の広場まで向かった。
すでに皆、望遠鏡を組み立て始めている。
空を見上げる。雲はないが、月が明るく輝いていた。眩しすぎるほどで、そのせいで星の輝きが失われていた。
「明日は満月っぽいよな」
天草が言った。
「だね。こんなに丸いし」
私は答えた。
「やっぱ、予想通りだったな」
金城が言った。
「月が眩しくて、星は見えない」
月夜が答えた。
限界がきた。思えば今日は、朝から飛行機に乗って沖縄についたばかりだ。立ったまま眠りそうになっていた。
「倉木、寝そうじゃん。寝てこいよ」
天草のヤジが聞こえる。
「だって、せっかくの合宿なのにもったいない」
私は駄々をこねる。だが、目は、ほとんど閉じかかっていた。
「んなこと言っても顔死んでんじゃん。明日があんだろ」
天草は呆れたように言う。私は渋々部屋へと戻った。
***
二日目は、街観光だった。グループにわかれて好きなところへと訪れる。
施設観光したり洞窟へ行ったり、グループによって様々だった。
私は、天草と同じグループだった。月夜は金城と同じグループ。基本的に班のメンバーは合宿係の人が決めるようだが、一応ある程度配慮されてるらしい。
大型のレンタカーに乗り込む。天草がいることもあり、移動中の車内も話題がつきなかった。
「なぁ、なんか距離感あるくね?」
グループで集合写真を撮った時、天草が自分だけ皆より距離があることを指摘する。
「あんたが、自分から離れたんじゃないの」
「違う。これは明らかに避けられてんだ。ハミゴだハミゴ!」
天草は喚く。そんなくだらない会話すら楽しかった。ゲラなのかな、と思うほどしょうもないことでも笑った。
***
今日の夜も、観望会を行う。
昼間からハイになってたようで、体力がつきてるはずなのに目は冴えていた。
「やっぱ今日は満月だな〜」
天草が空を見上げながら言う。
「眩しすぎる」
月夜は月明かりを鬱陶しそうに眉間にシワをよせる。
「来月は十五夜だもんな。もう夏も終わりか〜」
金城が噛みしめるように言った。
「ここ数年、春と秋なんてねぇもんな。多分もうすぐ冬が来るぜ」
「冬が来たら、俺もいよいよか」
金城は空を見上げながら笑う。
彼は年末頃に留学へ行く。そのことを指しているのだろう。
急激に寂しくなった。夏の終わりと共に、この楽しい時間も終わってしまうんだと実感してしまった。
久しぶりだった。皆と心置きなく空を見ながら時間を過ごすことが。とても楽しくて、本当に楽しくて、終わってほしくない。
「きれいだね、空」
ふと、月夜がポツリと言った。
ひょんな言葉に、皆、彼女に振り向く。
「月、きれい。何度も見た月なのに。やっぱり、皆で見ると、違うんだね。これがお金で買えない価値って言うのかな」
月夜は、噛みしめるように言う。月明かりに照らされている彼女の方が美しい、と喉まで出かかった。
月夜は自分の感情をほとんど口にしない。だから私たちは面食らった。
一番見惚れていたのは、言うまでもなく金城だった。
何となく、今は二人にしてあげよう、と思った。
「私、ちょっとコンビニ行ってくる」
私がそう言うと、「あ、俺も」と即座に天草は手を上げた。
「お前ら、なんかいる?」天草は金城に問う。
「コーヒーで」金城は手を上げる。
「私も」月夜も言う。
「はいよ。じゃ、行くか」
天草は、私を促して歩き始めた。
夏の夜、ホテルからコンビニまでの川辺の道のりを歩く。
虹ノ宮よりも田舎で自然が多い。のどかで街明かりも少なく、虫の音がコロコロ響く。
「天草でも、気使うんだ」
私は周囲を見回しながら言う。彼も私に便乗するように、あの場から逃げたように見えた。
天草は、眉間にしわを寄せて私を見る。
「何だよその言い方。普段俺が気を使わないみたいな」
「使ったことあったっけ?」私は素朴に問う。
「うるせーな。俺が居づらくなるだけだ」
天草は、やり辛そうに頭をかく。
「でも、月夜があんなに感情を口にするなんて初めて。本当に楽しかったんだと思う」私は言う。
「私も、楽しかった。昨日も今日も、ずっと楽しかった。久しぶりで、もう明日帰るんだって思うと寂しくなる」
滔々と呟くと、天草がこちらを一瞥し、「わかるな」と同意した。
「俺も、すげぇ楽しかった。終わってほしくねぇってのは、わかる。だってあとは成績発表くらいだし」
「現実、思い出させないでよ」
私は引き攣った顔で、彼を小突いた。
「楽しかったよなぁ、ウン」
天草は、噛みしめるように言う。そんな彼を横目に窺う。少し寂しそうな顔をしていたので何も言えなくなった。
コンビニに辿り着く。頼まれた物を購入し、外に出ると、天草がタバコを吸っていた。
その姿が、土屋さんと重なり思わずドキッとした。
「天草……タバコ吸うんだ」
「実はな。あんま皆、いるとこじゃ吸わねぇけど」
一服したかったのもある、と天草は言う。
「タバコって、美味しいの?」
「いや、美味しくはねぇ」
「なら何で?」
「現実逃避?」
天草は、空に息をふかしながら言う。
「手持ち無沙汰になって、暇だから吸うか、みたいな」
「クスリだね」
「変わんねーだろ」
天草は、ふと思いついたように天を見上げると、吸っていたタバコをこちらに差し出す。「吸ってみるか?」
思わぬ行動に一瞬たじろぐ。
「薬、勧められるのって、こんな感じなのかな」
「タバコは合法だ」
私は、天草の手に持つタバコに口をつけた。大きく息を吸うと、嗅ぎなれた灰が体内に充満した感覚になり、思わず咳き込む。
そんな様子を見て天草は笑う。
「すげ~吸い込んだな。吐き出さなきゃそうなるっつの」
「だって、吸い方なんてわからないよ」
私はケホケホ咳き込みながら反論する。
天草は、もう一度タバコを吸って大きく息を吐くと、灰皿にジュッとタバコの火を押し付け、「待たせたな」と手を払った。
フワッと灰の香りが舞う。
嗅ぎ慣れた匂いなのに、初心を思い出し、思わず感極まった。
「倉木?」
天草は、私を覗き込む。一八〇は超える大柄な体格で、横に並ぶと見下されてる感覚になった。
「いや、ごめん、何でもない……」
私は手で顔を防ぐ。
薬指の指輪が光る。ハッと現実に引き戻された感覚になった。
「今頃月夜たち、いい感じかな」
何気なく口にした。
「どうだろな。まぁ銀河だし、心配ない」
天草はそう言うと、私に向き直る。
「お前は、どうなんだ?」
「えっ」
「お前は、幸せか?」
天草が問う。彼も私の指輪を見て言ったのかもしれない。
私の中は感情でぐちゃぐちゃになった。
「もう、わかんないや……」
私は呟く。
「愛されることはすごく幸せなことなのに、それだけじゃないのかもしれない。すっごいわがままだなって思う」
今までは、幸せの延長線に、恋人がいると思っていた。
金城を思い出していた。恋人となった水谷さんといる時と、月夜といる時では全然顔が違う。恋人じゃない人といるほうが幸せに見えた。
実際私も、土屋さんといる時より、今の方が楽しいと思ってる。
皆と空を見上げるこの時間が一番幸せだった。
私はおかしいのだろうか?
これ以上感情を口にすると、暗くなりそうだ。
慌てて口を噤み、天草を窺う。
その顔は、珍しく何か考えている様子だった。
「別に、良いんじゃね」
しばらくした後、天草が口を開いた。
「お前、自己紹介の時言ってただろ。皆と空が見たいって。だから、それ優先にしても、おかしくない」
天草は言う。私は空を見上げた。
好きなことを相手の嫉妬で阻まれる。そんな状態が続いたから落ち着いて空を見られなくなった。
こんなにも簡単なことなのに。
「ごめん。寂しくてちょっとナイーブになってた。もどろ」
私たちは、夏の夜空を見上げながら、広場まで戻った。
***