8【冬森 柚葉】①




身を刺すほどの冷風が街に吹く。その度に待ちゆく人は、マフラーに顔を埋めて足早に歩く。
十二月も明日に迫ったことで、虹ノ宮市にも冬が訪れていた。

駅前の歩道には、赤や緑の装飾が施され、壁にはギラギラ輝く電飾が施されている。屋根のついた商店街に入ると、サンタやトナカイのオブジェやクリスマスソングが流れ、店総出で冬のイベントを盛り上げていた。

「この歌も、もう聴き飽きたな」
ゼンゼは、鈴が鳴る〜と陽気に鼻歌を歌いながら、商店街内を見回す。

「十二月には、クリスマスというイベントがあるらしい。授業で習ったわ」
リンは関心がなさそうに答える。

「人間のイベントとかも授業で習うもんなのか」

「えぇ。負の感情が生まれやすい時期として扱われていた」

「何で?」

ゼンゼは素朴に尋ねる。リンは顎に手を当てる。

「クリスマスは、この世界では恋人たちと過ごす風習があるらしい。それに比例して、恋人たちとの争いごとや別れる確率も上がる。加えて恋人のいないものにとっては、虚しい時期になる」

「それは、残念なデータだ」
ゼンゼは愉快気に嗤う。

「それだけじゃない。十二月は、一年の最後の月であることから、一番忙しい『師走』と呼ばれる時期。厳しい寒さで環境も悪化する。手入れは夏以上に大変だと思うわ」

「なるほどなぁ。で、今回の対象は?」

「この商店街の喫茶店でアルバイトをしている女子大生」

「また学生か。ランクは?」

リンはリストを開く。

・種名:冬森 柚葉(フユモリ ユズハ)
・誕生日:二○二五年十二月二十一日
・職業:黄梅女子大学法学部四回生
・種ランク:S
・開花予定日:二○三七年十二月四日

「……Sランクだわ」

リンは思わず立ち止まって答える。
ゼンゼは意味ありげに含み嗤いして、彼女に振り向く。

「Sランク」

「何?」

「おまえの好物の高ランクだぜ。何、意気消沈してんだ」

ゼンゼは嗤いながら尋ねる。リンは不満気な顔を彼に向ける。

「あなた、わかってて言ってるでしょ?」

「ま、春は延命。夏はてめぇで花を咲かされ、秋は最低ランクの花が咲いた。これだけ失敗続きなんだから、今回のSランクも何かあるわな」

ゼンゼはあっさりと答える。図星を刺されたリンは、むっと頬を膨らませる。

「人間って面倒くさい」

「あぁ、俺も思うぜ。ただな」

ゼンゼは天井を見上げて目を細める。「案外、退屈しねぇもんだ」

「冬森ちゃん!こっち支えてもらえるかな」

突如、元気なおばちゃんの声が響く。それと共に「はーい」と明るくて活発な声が続いた。

リンとゼンゼは、釣られるように声の出所へと顔を向ける。

目先にある、レトロでこじんまりとした喫茶店。
クリスマスに向けての装飾を施す年配の店主と婦人、若いアルバイトらしき人物が目に入る。
小柄な体型で赤いエプロンを着用したボブヘアの女性。明るすぎない茶髪からも、成人した大学生のように感じられる。

「クリスマスって感じだね」
店主の婦人らしき人物は、腕を組みながら感心する。

「これも冬森ちゃんのおかげだね」

「いえいえ。私、センスは壊滅的にないので。装飾が良いおかげです」

冬森と呼ばれたアルバイト女性は頭を掻きながら答える。
そんな彼女を、店主と婦人は孫を見る目で応える。

「もう少し仕込みをしてくるから、冬森ちゃんもキリの良いところで上がってくれていいからね」

「はーい!」

店主と婦人は店内へと戻る。
冬森は、下に積まれた段ボールを片し始めるが、ふとリンたちの視線に気づいて振り向く。

真っ赤な髪にゴシックな衣装の少女と、銀髪で全身黒服に眼帯の青年、という異質な外見をした二人に一瞬、目を奪われるも、彼女は自然とにっこり微笑むと、段ボールを所持して店内へと戻っていった。

リンとゼンゼは、意表を突かれた顔で喫茶店ドアを眺めていた。

「今回のSランクは、案外素直そうね」
リンは素朴に感想を述べる。

「あいつなら、対象内だな」
ゼンゼも茫然と答える。

「対象内というよりも、対象だわ」
リンは不思議そうに首を傾げる。

「いんや、こっちの話」

ゼンゼはニヤニヤ嗤いながら、頭で手を組んだ。

シーズン4【冬森 柚葉】

 

虹ノ宮市の街中の一角に存在する大学。
赤レンガに絢爛豪華な金色の校門をくぐると、円状に手入れされた鮮やかな花壇が目に入る。本館にはステンドグラスがあしらわれ、ダストボックスでさえもヨーロッパの伝統的な装飾が施されている。

むさくるしい男の影のない女子大学であることからも、学内は全体的に華やいでいた。

「やりずれぇ」

オープンテラス内にそびえる木々の上。ゼンゼは下部で行きかう女子生徒を見ながら顔を引き攣らせる。「女子大なんて、小学校よりいたら駄目な場所だろ」

「大丈夫よ。教授で男性はいるんだから」
隣に座るリンは、淡々と答える。

「俺のどこが教授に見えんだ」

「別にいいじゃない。対象以外には、見られないんだから」

「万が一、対象に見られたら困るから、と外で待たしてた春のおまえはどこいった」

「大学の構内は、高校までよりもはるかに広い。足として、あなたが必要なのよ」

「都合のいいもんだ」
ゼンゼは観念したように頭を振った。

リンの言う通りに、この黄梅女子大学のキャンパスは校舎が一箇所に固まっていることからもとても広い。
あちこちに校舎の場所を示す看板が建てられ、さらに内装も拘られてることから、ちょっとしたテーマパークのようにも感じられる。

「でも、ま、Sランクに妥当な学校ではあるか」

「えぇ。それに事務所前に掲示されていた成績優秀者の写真に対象が写っていたわ。恐らく、今回の対象は頭脳が人並み以上」

黄梅女子大学は、白扇まではいかないものの、決して安くない学費に高い偏差値、華やかな内装からも、お嬢様大学だと世間では知られている。

対象の所持するSランクに相応しい大学と言えるものだ。

授業を知らせるベルが鳴る。それと同時に、忙しなく教室に向かう今回の対象、冬森が目に入る。
グレーのコートを羽織り、ボブヘアが風でなびく。少しヒールのある靴からも、カツカツと地面に擦れる軽快な音が響いていた。

「今回の対象は四回生で、履修もゼミのみ。だから対象が大学内にいるのも、恐らくこの時間だけだわ」

リンは安心させるように説明する。
だが、反応がない。

「ゼンゼ?」

リンは彼を窺う。
だが本人は、目下の冬森を恍惚とした表情で眺めていた。

「冬森、柚葉ちゃんね~」
ゼンゼは意味深に名前を呼ぶ。

「名前を覚えるなんて、珍しいわね」

「俺はタイプの子の名前は忘れねぇんだ」

ゼンゼは当然の如く答える。リンは怪訝な顔になる。

「女子大学に入るのを躊躇っていたものの言葉とは思えないわ」

「それとこれとは別だって」

確か青星第一に入った時も、彼は女優や女性モデルの名前ばかり憶えていたな、とリンは内心思い返す。

「柚葉ちゃんは、彼氏いるんかな?」
人外は対象かな、と本気かわからないことを言う。

植物でも動物でも雄雌があるように、死神や鎌にも性別は存在する。
だが、使命の与えられている神という存在は、うつつを抜かす隙はほぼ無い。むしろしてはいけないと言った方が妥当だろう。

「昔、聞いたことがあるわ」

「何が?」

「人間と神が恋に落ちた時の話」

ロマンチックな話題に聞こえるも、ゼンゼは露骨に顔を歪める。

「言い換えれば、神が人間に殺された話になる」

「そうとも言う」

神は人間と違い、寿命で死ぬ、ということはほぼない。
その代わりに、与えられた使命を全うし続けなければならなかった。

太陽神は街を照らす為、海の神は海を守る為に存在する。
もしも、太陽神が使命を全うしなければ、永遠街は暗いままで作物は育たず、豊作の神の使命も果たせなくなる。食糧不足に陥ると人類の数は減少し、種を循環させる死神の使命も果たせなくなる。
一人の神が統率を乱すことで、全ての均衡が崩れてしまう仕組みになっているのだ。

だから神は、使命を放棄した時点で、均衡を保つ為にも消えてしまうことになっていた。

「人間と深く関わることで、神に余計な『情』が芽生え、使命を果たせなくなる。だからみんな、人間は『害』だと言う」

「そりゃ、一番死ぬ確率が上がるもんだから仕方ねぇもんだ」

「冗談だとはわかっているけれど、前科がある以上、気をつけて」

リンはゼンゼの眼帯を見ながら言う。
彼は「俺は巻き添えを喰らっただけだがな」と、肩を竦める。

「それに本能と感情ってものは別物だ。外見が良いと思うのは本能。逆に本能で好きになる、だなんて言葉もあまり聞かないもんだ」

「雄ってそういうものなのね」

「おまえも秋月のことを『顔が良い』と判断していたじゃねぇか」

ゼンゼは間髪入れずに突っ込む。
リンは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。

「それは、確かに」

「だろ? そういうもんなんだ。ま、心配すんな」

二人は立ち上がると、冬森のかけていった教室前の木まで飛び移った。

 

南校舎二階に位置する、冬森のゼミの開かれている教室。
広い講堂で行われる講義とは違い、人数は十人ほどと少なく、教室内も長机が十ほど備わっているほどで、シンプルな造形だった。
黒板には『ハーバード白熱教室 殺人に正義はあるのか』と記載されている。

「あなたは時速百キロの列車を運転しているが、途中でブレーキが壊れていると気づく。前方には五人の作業員がいて、このまま直進すれば、間違いなく五人が亡くなる。だけど、ハンドルを切って脇道に逸れれば、一人の作業員だけで済む。さて、そこであなたならこのまま直進して五人を犠牲にするか、あるいはハンドルを切って一人を犠牲にするか」

教壇に立つ教授らしき人が説明する。
それを聞いた生徒たちは、各々に思案するが、すぐに「ハンドルを切る」と答える。

「雑草の有無と種の質によるわ」
窓外の木から観察しているリンは、当然の如く答える。

「言うと思った」
ゼンゼは苦笑しながら答える。

「この世界では『最大多数の最大幸福』というものがある。できるだけ多くの人間を救うことが、社会全体の幸福とされているんだ」

「Eランクの種が五個あっても、ゴミにしかならない」

「ま、数値的にみればそうなんだけどよ」ゼンゼは頭を掻く。

「どんなゴミ人間でも、人間である以上、カウントは等しく一になるのがこの世界の常識だ。だが、そこで結果だけで解釈しないのが、人間のややこしいところなんだ」

みんなが「ハンドルを切る」と答える中、冬森だけは「ハンドルを切らない」と答えて、クラス内は騒然とする。

「だって私がハンドルを切ったら、私から人を轢きにいったように見えるでしょ。ハンドルに一切触れなかったら、列車の故障によって起こった事故だって済ませられる」

「でも、五人が死ぬんだよ」

「でももしハンドルを切ったら、一人を犠牲にしたという後悔にさいなまれるわ」

ゼミ内は各々に議論を始める。
そんな光景をリンは興味深気に観察する。

「もし今回の対象、冬森がハンドルを切った場合、人を轢いたという罪を背負うことになり、恐らく雑草が芽生える。結果、彼女の質が落ちることになる」

「だろうな」

「つまり、この問題の解答はこれね」

リンは指を立てる。「作業員と運転手の中で、一番質の良い種を所持するものの意向に沿う」

聞こえていないのか、ゼンゼは反応を示さなかった。

午後十時。日はすっかり落ちたことで、ほとんど店じまいされ、昼間は活気盛んな商店街も閑散としていた。
冬森の働く喫茶店も営業が終了し、閉店作業がされていた。

「今日一日、観察してわかったこと。今回のSランクは、心が澄んでいる」

リンは、目下で床を箒で掃く冬森を見ながら述べる。

「今のところ持病は確認できなければ、周囲で花が咲いた情報もない。学校や職場内での人間関係も良好。金銭的な問題も感じられない。何より彼女自身に厄介な性格が見られない。環境は最高に整っていると言える」

「でも、大きな雑草は生えている」

ゼンゼは補足する。リンは、「えぇ」と顔を歪める。

冬森の身体からは深く根づく雑草が生えていた。それこそ今まで見たSランクのものと同等ほどの大きさだ。
対象自身の環境が良いだけに、全く思い当たらなかった。

カランカランと喫茶店ドアのベルが鳴る。それと同時に、仕事を終えた冬森が頭を下げて中から出てくる。

寒空の下、マフラーに顔を埋めながら冬森は、自身の住むアパートへと戻る。
ゼンゼは即座に腰を上げて、彼女の後を追う。
「そんなに急いで、どうかした?」
遅れてリンも後に続く。

「こんな夜遅くに一人で歩くのは危ないだろ」

ゼンゼは至極当然のように答える。リンは怪訝な顔になる。

「あなたって、そんなに紳士だったかしら」

「対象と話すことは観察の基本だ」

「下心を感じるわ」

「女の子と話す時ってのは、大抵の雄は下心がある」

ゼンゼは開き直ったように答える。リンは冷めた目で彼を見る。

「私情を仕事にまで持ち込まないで」

「俺らの世界は、結果良ければ全て良しってもんだ。ま、軽く情報掴んでくっから待ってろよ」

ゼンゼはそう言うと、足早に冬森の方へと向かう。普段のやる気のない彼とは別人のような足取りだ。

だが、そこで冬森がスマホを耳に当てたことで立ち止まる。

「あ、椿くん。今、仕事終わったんだ」

冬森は、上機嫌に話し始める。
今日聞いた中で、一番声のトーンが高く、そして明るい声に感じられる。

リンとゼンゼは、その光景を唖然と眺めていた。

「柚葉ちゃん。彼氏いるようね」
リンは、同情の混じる声で言う。

「彼女を迎えに来ない奴は、彼氏失格だ」
ゼンゼは、やけくそに頭を掻いた。

 

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