「瓶」
ゼンゼは、手を出して乱暴に言う。
リンは、腰のポシェットを漁り、無言で彼に渡す。
ゼンゼは咥えていた花を瓶に入れると、ラベルに「種名:冬森柚葉 ランク:A」と文字が浮かび上がった。
「質がひとつ、落ちちまったな」
ゼンゼはそう呟くと、瓶を丸のみして転送を行った。
そんな光景をリンは茫然と眺めていた。
「俺、何度も言ったよな」ゼンゼは険しい顔でリンを睨む。
リンは何も答えない。
反応のない彼女を見ると、ゼンゼは大きく息を吐いた。
「今回は春のボンボンの時とはわけが違う。おまえは対象の花を『可哀そうだから』咲かせたくないって思ったんだ。これが何を意味するのか、わかってんのか?」
リンは何も答えられない。
「そんな感情を持って延期していたら、おまえも俺も消えていたんだぞ!」
ゼンゼは、リンの肩を持って身体を揺する。
感情的に怒る彼をリンは冷静な目で見つめると、目を瞑って息を吐く。
「否定はしない。本当にごめんなさい。この男が許せなくて、冷静に物事を考えられていなかった」
リンは頭を下げる。ゼンゼも同情するように目を落とす。
「でも、あなたのお陰で、目が覚めたわ」
顔を上げたリンは、先ほどまでの人間のような彼女とは目の色が変わっていた。
凛と背筋を伸ばし、まっすぐ前方を見据えている。
いつものリンに戻ったことで、ゼンゼも安心したように尖った歯を見せた。
「今回ばかりは、相棒に感謝しな」
「今回だけでなく、あなたには毎回感謝しているわ」
素直に認めるリンをゼンゼは怪訝な顔で見る。
「おまえ、心まで浄化されたんか?」
「意味がわからない」
リンは、顔を歪めて下を向く。
軽快な音が寝室に響く。それと同時に、壁にかかった時計の装飾がチカチカと光り始める。
時計の針は、日付が回って零時を指していた。
途端、張り詰めた空気が室内に漂う。
顔を上げてゼンゼを窺うと、彼は前方を注視しながら愉快そうに嗤っていた。
「おまえ以前、春に出会ったボンボンに言っていた言葉あるだろ」
「何?」
唐突な質問に、リンは怪訝な顔になる。
「『こんなことしたら、いつか自分に返ってくるって言うでしょ』。この世界は、開花以外は必然的に起こるもんだが、案外均衡は取られてんのかもな」
「どういう意味?」
「おまえら、誰だよ」
突如、厳しい言葉が飛ぶ。
はっとしてリンは顔を上げると、椿が険しい顔でこちらを見ていた。
「おまえら……いつからここにいたんだ……」
椿は、怒気の混じる声で問う。
壁に貼られた大量の写真や付箋に、彼の足元で眠る血塗れの冬森。
言い逃れできない状況を目撃されたことで、椿は動揺を隠せていなかった。
「いつからって、最初から?」
ゼンゼは、人差し指を顎に当てながら、小首を傾げる。
「ふっ……ふざけんなよ!」
椿は包丁を手に取ると、焦燥気味にゼンゼに襲い掛かる。
だがゼンゼは軽くかわすと、リンを脇に抱えて窓枠に足をかける。
常軌を逸する彼の身体能力に、椿は目を白黒させる。
「これは餞別の言葉だ」
ゼンゼは、椿に振り向いて口を開く。
「残り僅かな人生、せいぜい後悔のないように足掻くんだな」
そう言うと、リンを抱えたまま窓から飛び降りた。
椿は、いまだ思考が追い付かないまま、窓を茫然と眺めていた。
***
「彼は、私たちが見えていなかったはず」
リンは、ゼンゼに抱えられたまま困惑気味に尋ねる。
「昨日まではな」
適当な木の上まで来ると、ゼンゼは脇からリンを下ろす。
いまだ状況を読めていないリンを一瞥すると、暗い空を見上げる。
「俺らの姿が認識されるのは、開花期間の近い奴か霊感のある奴だけ。だがあいつは、さっきまで俺らのことが見えていなかったから霊感はない」
「あ」
「つまり、開花期間に入ったってことだ」
ゼンゼは口角を上げて結論を述べる。
「基本的に開花予定日一ヶ月前から姿が認識され始めるもんだ。春川や秋月の妹をやった黒橋の連中を唆し、今回は自ら手を下した。恐らくあの壁に貼られていた写真全てにあいつが関与している。さすがに神も黙っていなかったってわけだろ」
「これも、運命かしら」
「どっちかっていうと、『因果応報』というやつだろうな」
ゼンゼは肩を竦める。
「椿はあと一ヶ月以内に開花する。おそらくおまえが見るに堪えない咲き方をするだろうから、むしろ同情するってもんだぜ」
「どういう意味?」
「ここがどいつの管轄か、忘れたのか?」
ゼンゼは得意げに指を振る。リンはまたもやあっと声を上げる。
「今回ばかりは、私からもお願いしようかしら」
リンたちは立ち上がると、その場を後にした。
***
人気のない郊外の街。十二月の寒さに加えて深夜であることからも、虫や鳥も休息をとっているのか全く声が聞こえない。
乾いた風の音が木々の葉を揺らす囁きのみが、静かに響く。
遺恨の活動が活発になる深夜、墓地に佇むリンは周囲を見回して顔をしかめる。
「本当……汚い庭」
「おまえの庭とは大違いだな」
突如、墓地に突風が吹く。それと同時にリンたちの前に、昼間に見た二人の存在が姿を見せる。
「エリート様からお呼び出しとは、僕も出世したものだな」
青髪の死神、ベロウは、薄ら笑みを浮かべながらリンに近づく。
隣に立つ金髪の鎌、ロコは、無言でゼンゼを一瞥する。
「単刀直入にお願いするわ」リンは早速、要件を切り出す。
「おそらく来月、あなたの管轄内で『四樹 椿』という名前の人間を刈ることになるはず。その人間は手入れせずに、無惨に花を咲かせてほしい」
エリート出身のリンの口から、下劣な言葉が飛び出たことに、ベロウは面食らった顔をする。隣のロコも、僅かに動揺していた。
「ふぅん、何。その人間に無い胸でも触られたのか?」ベロウは興味深気に顎を擦る。
「Sランクの種を三つもダメにされたわ」
リンは、ベロウのセクハラ発言を完全スルーで答える。
「残念ながら僕は、いちいち人間の名前なんて覚える気はないよ。だが」
そこでベロウは、普段の低俗な薄ら笑みを浮かべる。「僕は、人間という生き物が大嫌いなのさ」
「あなたに期待しているわ」
リンはそう言うと、踵を返してその場を去った。
ゼンゼもロコを一瞥すると、「そういうわけで、よろしく」と軽く手を振ってリンの後に続いた。
すでに終電が終わっていることからも、帰りの電車はない。
ゼンゼは、リンを抱えて虹ノ宮市へと向かう。
「あいつ曰く、人間の死ぬ瞬間が一番きれいらしいな」
ゼンゼは陽気に嗤いながら言う。「あいつの死に顔、眺めるのも良いな」
「よその庭を気にする暇は、私たちにはない」
リンは興味なさそうに答える。
「それにあの死神なら、恐らく椿に同情するほどの花を咲かせる」
「それは認める」
ゼンゼは愉快気に同調した。
十二月の寒空の下。澄んだ空には一等星がたくさん輝いていた。
リンはゼンゼの胸の中で茫然と空を眺めながら思案に暮れる。
「青髪の死神や、椿という人間に出会ったことで、わかったことがあるの」
「わかったこと?」
「何故、私がきれいな花を咲かせることに拘るのか」
「ほう」
ゼンゼは興味深気にリンを見る。
「種には生まれつき個体差が生じる。それは仕方のないこと。でも、どんなに裕福な人でも、どんなに才能のある人でも、運命によって若いうちにその生涯を終えることがある。どんなに上質の種でも、開花する未来は全員に等しく与えられている。質が悪くても、時期がずれようとも、うまく開花せずに枯れたとしても、開花時期は必ず訪れ、十人十色の花を咲かせる。『死』という未来は、唯一誰しも平等に与えられているもの」
「確かに、開花の未来だけは、俺らでもわからねぇ」
「個体差のある種でも、開花する未来だけは誰にでも訪れる。だったなら、最期くらいはどんな人間も笑って咲ける方が良いじゃない。私たちは、そんな手助けを唯一することができる。だからこそ、人間を苦しめる青髪の死神に嫌悪感を抱いたし、勝手な解釈で死を語る椿が許せなかった」
そこまで話すと、リンは澄んだ空を見上げる。
「私は、人間が好きなんだと思う」
リンは柔らかく笑って告白する。
見たこともない彼女の笑顔に、ゼンゼは目を丸くする。
「『人間の分際で』とか言ってた奴とは思えねぇな」
「馬鹿にしてる?」
「いんや、褒めてる」
ゼンゼはニヤニヤ嗤って答えた。
「人間の為に、平等の死を与えようとする死神か。それこそ、使命さえ放棄しなけりゃ、立派だと思うぜ」
ゼンゼは広い空を飛びながら呟く。
「おまえのような死神に迎えに来てもらいたいって人間に思われたら、それこそ本望だろうな」
しみじみと語る彼を、リンはじっと見つめる。
「ゼンゼ。聞いてもいい?」
「何だ」
「あなたの前の相棒は、どんな死神だったの?」
リンは淡々と尋ねる。
ゼンゼは、数秒黙り込むと「そうだなぁ」と空を見上げる。
「人間みたいな、死神だったな。死神のくせに、開花の瞬間に立ち会えねぇんだ。結局、つい人間を助けたことで、そいつは消えてしまった」
「契約を解除したのは、どのタイミングで?」
「そいつがリストを取り出した瞬間だ」
ゼンゼはやりずらそうに眼帯を触る。
リンは彼を一瞥すると、小さく息を吐いた。
「研修では、人間が『害』だとしか教わらなかったの。そこにどんな深い理由があるのかわからなかった」
そこでリンは、改めて頭を下げる。
「ありがとう、ゼンゼ。経験のあるあなたと相棒を組んだからこそ、私は今でも生きられている」
珍しくかしこまった彼女に、ゼンゼは一瞬目を丸くするも、「自分の為なんだがな」と肩を竦める。
「俺はもう契約を解除することができねぇんだ。俺はおまえと生きることしかできねぇんだよ。まだまだ腹は減ってんだ。だから、どんな手を使ってでもおまえを生かせるってもんだ」
「随分上から、ものを言うのね」
「おまえにだけは、言われたくねぇ」
ゼンゼは引き攣った顔でリンを見る。
だが普段の彼女とは違い、僅かに口角が上がっていた。
***
いつの間にか、周囲は煌びやかな電飾や街灯で明るく照らされ、陽気な笑い声がそこらで響いていた。
露出の多い衣服で勧誘する店員や、居酒屋前で陽気に騒ぐサラリーマンなど、変わらぬ眠らない街の日常が広がっていた。
リンたちは、住居にしている駅構内に辿り着く。
リストを手にした時、そこに貼られているものを見てリンはあっと声を上げる。
「『禍福は糾える縄の如し』という言葉を知っているかしら」
「あ?」
大きく伸びをしていたゼンゼは、気の抜けた声を上げる。
「これだけSランクの種が台無しにされたことで、私たちは不幸続き。だから、そろそろ良いことが起こってもおかしくないでしょう」
リンは、リストに貼られたシールをジッと見る。
「何だ、それ」
「神がどれだけ、この世の均衡を保っているのか、試してみる時だわ」
スマホを貸して、とリンはゼンゼに声をかけた。
***
早朝の駅構内。通勤時間であることから、改札は人で溢れていた。
「この世はアンバランスだわ。でも、意外と均衡は保たれているものなのかもしれない」
リンは、足元でうごめく人の並みを見ながら呟く。
「悪いことが起これば良いことが起こる。それは、例え神であっても例外じゃねぇんだな」
隣に座るゼンゼも同調する。
「例え小さなことでも、返ってきたことには違いない」
リンは手に持つ紙切れをじっと眺めながら言う。
そんな彼女をゼンゼは一瞥する。
「ま、俺らが持っていたところで、意味はねぇもんな。『猫に小判』『豚に真珠』『馬の耳に念仏』ってやつだ」
「活かすも捨てるも、その人の運命次第ってところかしら。いわばこれは肥料なのよ」
百戦勝つためにもね、と言うと、紙切れを宙に放つ。
ひらひらと舞い、人で溢れる波に飲まれていった。
颯爽と歩く会社員たちは皆自分のことにしか意識が向いていないのか、それを無視して歩く。
紙切れは虚しく壁の隅にやられるものの、駅の掃除をしていた小汚い老人に運良く発見される。
老人はじっと数字の書かれた紙切れを見ると、縋るようにポケットにそれをしまった。
「これで、またひとつ」
リンはそう呟くと、今日の使命を果たすために腰を上げた。
シーズン4【冬森 柚葉】完了