五月雨がしとしとと降り続く。そのたびに窓をパタパタと鳴らした。
梅雨前線の影響で、空は連日、分厚くて暗い雲が覆っていた。今年は二週間も梅雨の到来が早いらしい。
私たちが北に飛ぶ時には、梅雨前線も同行する羽目になるのではないのか、と心配になるが、「前線が届かず北海道には梅雨がない」と昔授業で習ったと思い出す。
先日まで過ごしやすい日々が続いていただけに、心なし気分が下がる。
「じゃあさ、俺の部屋来る?」
陰鬱なムードを割くような音が鳴る。
聞き覚えのある声に、無意識に箒を動かす手が止まった。
顔を向けると、廊下奥の角で顔見知りの青年と女性が話し合っていた。
「そのゲーム今ちょうどやってるところだったんだよね。一緒にしようよ」
青年は、節々に関西の訛りの感じられる発声で問う。
「えっ本当に? 行く行く!」
女性は、目を輝かせて答える。
青年は、僅かに口角を上げると、そのまま二人で自室へと戻っていった。
「ご健全なようで」
低く沈んだ声に振り向くと、引き攣った顔の祐介が立っていた。鳶色の柔らかい髪もラフに跳ねている。
「ゆ、祐介?」
「掃除の帰り、偶然」祐介は軽く手を上げる。
寮内の共同スペースの掃除は、週代わりの交代制だった。
私と同じく、祐介も今週、掃除当番のようだ。
「顔、恐いよ」
「俺、あいつのこと嫌いだしなぁ」
祐介はあっさりそう言うと、首を掻きながらこの場を去った。
山に稲光が走る。遅れてゴロゴロと雷声が届いた。
二人とも相変わらずだなぁと思いながら、再び手を動かした。
Day3「梅雨前線は来週にかけて、徐々に北上する見込みです」
「はい、上がり」
蓮は、手に持った一枚のカードを山場に出すと、両手を軽く振った。
「ふざけないで! 何でまた蓮が一位上がりなのよ! 絶対何か、イカサマしてるでしょ!」
渚は猛反論する。その手には、両手で支えなければいけないほどに大量の手札が握られていた。
「渚が毎回、良いカード渡すからだろ」
はい俺も上がり、と祐介は『七』のカードを山場に出すと、手に持たれた残りの一枚を隣の渚に渡す。
再び手札が増えたことで、渚の手がプルプルと震え始める。
今日は土曜日。渚の提案で朝の習慣を終えた後、皆でトランプをしていた。
連日外は雨が続き、外出と言う気分にもなれなかったので、気分転換にちょうど良い。
ちなみに今は大富豪中で、ここは安定に私の部屋だ。
「渚、パス~?」
美子が、中々手札を切らない渚に尋ねる。その手には、カード二枚とチョココロネが持たれている。
「そんなわけないでしょ!こんなに手札があるのにさ!」
渚はやけくそに手札を掲げる。
「は〜何なの。役があるものがない……」と呟きながら渚は『九』のカードを出す。
「わーい、これで上がりだ!」
美子は、手札から一枚『十』のカードを出して、残ったもう一枚を捨てる。
私は手札から『二』を一枚出してその場を流す。
あと残ったカードは『八』と『三』だが、これで私の勝利が確定した。
ものすごく視線を感じるが、顔を上げないように耐える。
淡々と『八』を出し、続いて『三』を出すと、「あ、上がり……」と勝利宣言をした。
その瞬間、渚が手に持つ手札を宙にばらまいた。
「何で? 何であたしばかり大貧民なのよ!」
渚は両手をジタバタさせた後、蓮を指差す。
「蓮よ! 蓮さえ落とせば、あたしは泥沼から抜けられるのよ!」
「渚が首位の座を死守してくれてるから助かるよ」
蓮はナチュラルに火に油を注ぐ。
案の定、オイルの注がれたエンジンは、ごうごうと黒煙を排出して、普段よりもうるさく音を鳴らし始める。
「何であたしが大貧民になった時に限って、良いカードばかり回ってくるのよ! それも二枚も渡さないとダメなんて、ジョーカー二枚もあったら何だってできるじゃん!」
「渚、三回連続でジョーカーくれたんだ」
蓮は隣に座る祐介に解説する。それを聞いた祐介は、慈悲に溢れた目で渚を見た。
彼の視線に気付いた渚は、標的を祐介に変える。
「祐介、あんたもよ! あんたのせいで、あたしのターンが飛ばされるし、カードがどんどん増えていったの!」
「だって『五』と『七』がよく来るからなぁ。別に強いカードでもないだろ」
俺だってやりたくてやってるわけじゃない、と祐介は何食わぬ顔で弁解する。
大富豪をする時は、基本的に出すカードの数字によって効果が発揮される「ローカルルール」を複数導入していた。
私たちの場合は、【スペ三返し】【五飛ばし】【七渡し】【八切り】【十捨て】【Jバック】【革命】【階段】【都落ち】【縛り】【反則上がり】を取り入れている。
『五』のカードは、【五飛ばし】と呼ばれ、次の人のターンが飛ばされるもの。
『七』のカードは、【七渡し】と呼ばれ、『七』を場に出した枚数だけ次の人に手札を渡せる、というものだ。
確かに数字自体の力はそこまでないが、次の人にとってこれほど嫌なカードはない。
妙な運を持っている祐介の隣に座っていた渚が、残念ながら標的になっていた。
特に今回の彼は、『七』は四枚持っていたにも関わらず、革命を起こさずに淡々とカードの効果を発揮させていた。
自身の手札が強かったのかもしれないが、先ほどの彼の態度からもあえて渚をいたぶって楽しんでいたのかもしれない。
祐介の隣だけは嫌だな、と内心思った。
「渚忘れたのか? 蓮は昔から大富豪が強かったじゃないか」
「だからなのよ! 大富豪するのなんて一年ぶりぐらいでしょ。だからそろそろ蓮の効力も弱まってるかなぁって」
「俺の効力って何?」
蓮は面食らった顔で問う。
「何も考えてなさそうなのに強いところ」
「大貧民の人に言われてもなぁ」
「うるさーい!」
「渚が一番うるさいよ~」
美子が耳に手を当てて叫ぶ。
「蓮を大富豪の座から引きずり降ろしさえすればいいの。そうすればあたしが大貧民から逃れることができるんだから!」
大富豪の人と大貧民の人が互いにカードを交換する代わりに、大富豪の人が一位上がりでない場合、一気に大貧民に転落するという【都落ち】ルールだ。
「まぁでも確かに、そろそろ変わりたいよな」祐介は隣の蓮を一瞥する。
「だから心機一転しましょう! ということで、二人くらい捕獲してきます」
渚が慌ててこの場を去ろうとするので、「ちょっと待って」と即座に呼び止める。
「二人捕獲って何?」
「今は五人だけど、七人になったら蓮を落とすのも早いでしょ。かさ増し作戦」渚は不敵に笑う。
「二人って誰さ」
「いま、そこの廊下に歩いている人で!」
渚は勢いよくドアを開けると、きょろきょろと周囲を見回す。
標的を定めたのか、目を輝かせてこの場を去った。
「道連れにされる、憐れな人間は誰かなぁ……」
祐介は哀愁漂う目で言う。
「だ、れ、が、来、る、か、な〜」
美子は楽しそうに呟く。
「いきなり何やな!」
突如、渚の向かった方角から、訛りのある声が届く。
聞き覚えのある声色に、私たちは顔を見合わせる。
「いや~まさかなぁ……」
祐介は僅かに顔を強張らせる。
「もしかして、なおくん?」
美子はチョココロネをもぐもぐ食べながら言う。
激しい足音が徐々に大きくなり、盛大にドアが開かれる。
「捕まえてきたよ!」
爛々と目の輝く渚の脇には、二人の青年が確保されていた。
そのうちの一人を見て苦笑した。
「廊下に歩いていたが最後ってやつかな、奏多」
「ねぇ、これは一体、何なのさ……」
渚の右脇に抱えられている、紫紺色の髪の純真そうな青年、南 奏多(ミナミ カナタ)は、強張った顔で答える。
ちなみに奏多は、私のいとこだ。
「いきなり何なんだよ渚ちゃ、っておまえら?」
左脇に抱えられている、べっ甲色の髪に前髪がヘアピンで留められている青年、松尾 直樹(マツオ ナオキ)は、関西特有の訛りの混じる発音で私たちを見る。
「おまえら何して……って、美子ちゃんまで……」
直樹は、チョココロネを黙々と食べる美子に気づくと顔色を変える。
「なおくんこんにちは~一緒にトランプやろう」
美子は、満面の笑顔で声をかける。
彼女の笑顔を見た直樹は、やりずらそうに顔を逸らす。ピアスの光る耳は赤くなっていた。
「嫌だったら帰ってもいいぞー」
美子の隣に座る祐介は笑顔で声をかける。目が笑っていない。
「いや、どうせ暇だし、別に……」
直樹は、頭を掻きながらブツブツ弁解する。
「さぁ、これで仕切り直しよ! あと席替えも必要ね。あたし奏多の隣が良い」
そう言って渚は、奏多の肩に寄り添う。
「な、何で僕?」
「だって、奏多優しいし」
渚は持ち前の魅せ顔で奏多を見つめる。そう言われた彼の顔は、妙に紅潮した。
この場合、祐介より奏多の方がマシ、という意味なのだろうが、何ごとも真に受ける彼は理解してないだろう。幸せな奴だ。
「というかここって女子寮だろ。いいのかよ」
そう言って直樹は室内を見回す。
一応、うちの寮には「午後十時以降は生徒の寮室訪問は不可」という寮則はあるが、男女間、中学高校間での訪問の縛りは特にない。
「そんなルール、あったっけ?」
美子が、顎に指を当てて天井を見上げる。
「おまえが言っても、全然説得力ねぇよ」
祐介が、頬を痙攣させながら言う。
兄妹の反応に、直樹は「な、何のことやろ~……」と肩を丸めて口を閉ざした。
人付き合いの上手い祐介が、わかりやすく嫌悪感を出しているところからも改めて感じる。
祐介と直樹は、仲が悪い。
その理由は大体見当がついているものの、時期が時期なだけに様子を見るべきだ。
雨が降っている時に「今日は雨が降る」と予報するのは、論を俟たない。
「よし、それじゃあ始めるわよ!」
渚はチャキチャキとカードを切ると手札を配り始める。カードの準備をするのは大貧民の仕事だ。
「都落ちは?」私は問う。
「もちろんありに決まってるでしょ! これはいわば、蓮を引きずり下ろす為の再セッティングなんだから」
「それずるくない?」
眠りかけていた蓮が顔を歪めて問う。
「フハハハハハハこれで無敵だわ! さぁ、始めましょう!」
渚は臆面もなく高笑う。
私たちは、奏多と直樹を含めた七人で、再び大富豪を開始した。
***
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでよ!」
渚は頭皮の毛穴が擦り切れるほどの勢いで頭を掻く。自身がモデルだとすっかり忘れている振る舞いだ。
「だから言っただろ。大富豪は蓮が強いって」祐介は首を掻きながら言う。
「ただでさえ人数が増えたせいで手札が少なくなったのに、蓮があたしの強いカードを根こそぎ持っていくからよ」
「自業自得だね」
奏多は同情するように笑う。
「じゃあいいわ! 今回から都落ちは無し! そうじゃないとあたしが勝てないもん」
はいダイヤの三の人、と渚はチャキチャキと場を仕切る。
奏多たちが増えてからもう五戦はしているが、いまだ大富豪と大貧民の座は動かなかった。
渚に同情したこともあり、私たちは溜息を吐きながらも言うことを聞く。
しかし都落ちを撤回した途端に、首位が動いた。
「何でこのタイミングで奏多が一位になんの!」
渚は、隣に座る奏多に険しい顔を向ける。
「な、何でだろう……僕もわかんないや」
奏多は、耳を掻きながら弁解した。
「渚~お腹減った」
美子は、お腹を擦りながら力なく呟く。
「俺も、そろそろ眠たい」
効力も切れてきた、と蓮は言う。
室内の時計を見ると、午後一時を指していた。
午前九時にはトランプを始めていたので、私も少し疲労を感じていた。
「今日はこれくらいでいいだろ。渚」
祐介の問いかけに、渚はムッと頬を膨らませる。
「仕方ないわね。みんな、顔洗って出直してきなさい」
渚は蓮を睨むと、ずかずかと足を鳴らしてこの場を去った。
「どの口が言う」
蓮はぼそっと吐き捨てると、あくびをしながら部屋を出た。
「またいつでも呼んでよ」
直樹は、私に振り返ると軽く手を振る。
「次はないぞ」
祐介は即座に言葉を挟むと、「美子、食堂行くだろ?」と声をかける。
「うん、行く行く!」
美子は、表情をぱぁっと明るくさせると、祐介の隣にくっつく。
祐介は直樹を一瞥すると、そのまま食堂へと向かった。
直樹も顔を強張らせてこの部屋を出る。
室内に残った奏多と私は、皆の出ていったドアを茫然と眺めていた。
「ほんと、台風みたいだよね、渚ちゃんって……」
奏多は引き攣った顔で言う。
「台風の目だね、悪い意味で」
私は補足する。
「偶然直樹と話していた時に、地割れしそうなほどの足音が迫ってきて、誰かと思ったら渚ちゃんでさ。そしたら僕らの腕を掴んで、ほんと、何ごとかと思ったよ」
「奏多は押しに弱いよね」
「渚ちゃんはずるいでしょ」
奏多は苦笑する。「あんな哀願の目で『助けて』なんて言われたらさ」
「一応、モデルだし」
「それなんだよね。ああいうところで才能を発揮されるから」と奏多は白旗を振る。
「ま、でも久し振りに楽しかったよ。またいつでも誘ってよ」
「今度は、沙那も一緒にね」社交辞令を忘れない。
「哀ねぇ……」
奏多はやりずらそうに頬を引き攣らせると、部屋を去った。
奏多と直樹、そして瑛一郎と今名前を挙げた沙那は、小学校からの幼馴染だ。
彼らとは偶然学校が同じになっただけだが、奏多と私が身内であったことがきっかけで、互いに関わりが増えていった。その為、お互い顔馴染みであったのだ。
一気に静かになり、外の雨音が室内に響く。一人になったことで気が抜けたのか、急激に眠気が襲った。
私は大きく息を吐くと、そのままベッドにうな垂れた。
***