お昼時、雲ひとつない快晴で、太陽は高く街を照らしている。五月初旬であるにも関わらず、すでに日光が肌を焦がすほどの照り具合だった。
私は、藍田川へ向かっていた。恵まれた天候で、休日にせっかく外に出たのだから、このまま帰宅するには惜しかった。
ゴールデンウィークに入っていることで、普段は静かな川も普段よりも人が多い。高架下ではバーベキューをする学生グループ、川に入って遊ぶ家族グループなどが見られる。
来週には私もあちら側へ立つのか、と内心歯痒くなった。
人は多いが、それでも居づらいとは感じない。相変わらず藍田川は個人の好きに過ごせる居心地の良い場所だと感じた。
私は、河川敷に降りると、いつものベンチに腰を下ろす。このベンチは高架下近くにあり、視界に入りづらいのか、いつも空いていた。私にとっては隠れ家のようでお気に入りの場所だった。
カバンから借りた京都の旅行雑誌を取り出した。
お土産になにを買おうか、なにを食べようか。先週、このように雑誌を見ながら妄想をしていると、惟月と出会ったな、と懐かしさすら感じた。
何気なく辺りを見回す。惟月はいない。水曜日でないので、当然ではあった。
だが予想外に、別の人物の姿が目に留まった。
「小夜ちゃん?」
土手に、暁がいた。Tシャツにカーゴパンツ、キャップを被り、カジュアルな私服姿で自転車を支えている。
「あ、暁くん!?」私は目を丸くする。
暁は、土手に自転車を止めると、河川敷を下りてこちらまで来る。あまりにも不意打ちな登場で、私は泡を食った。
無作為に服のしわを伸ばす。まさか知人に、それも暁に会うとは思わず、適当な服を着てきてしまった。幸いマスクだけはつけていた。
「こんなとこで会うなんて、びっくりした。家この辺なの?」
私のもとまで来た暁は、普段と変わらずに話す。
「う、ううん。もっと学校に近いよ。ここが好きで……」
「わかる。特に今の時期は、最高だしな。だから俺も寄ったし」
そう言うと、暁は流れるように私の隣に腰を下ろした。教室後ろ座席で香る彼の香りがふわりと舞い、本当に暁がいると実感した。
私はちらりと暁を窺う。寄り道と言ったことと、彼の装いからどこかへ出かけていたようにも見えた。
「どこかに行くの?」
惟月と会話したときのように、できるだけ自然に話しかけた。ここ数日で話すことが増えたからか、ほんの少しだけ会話のコツを掴んだと思っている。
「あぁ、うん。ちょっと……」
しかし暁は、少しやりずらそうに応える。
その反応に不安になったが、暁は「実は、バイトしてて……」と続けた。
「そ、そうなんだ」
特段驚きはしなかった。一応校則で禁止されているが、実際は隠れてアルバイトをしている人はいる。もちろん学校から近い職場は注意されかねないが、学校から離れたこの辺りだと、気づかれないものだろう。そして実際は、先生も目を瞑っているものと聞く。
学校がある日もすぐに帰っていたのはバイトもあったのかな、とふと思う。
「そう。だからゴールデンウイークは別に、暇じゃない」
暁は苦笑する。真宵の発言を思い出してのことだろう。
「小夜ちゃんはバイトしてないの?」
「うん。親が働くなって言ってて……」
「まじかー逆だな。メシ代くらいは自分で出せって言われるんだ」
「バーベキュー大丈夫なの?」
素朴に気になった。先ほど暇じゃないと言ったことから、シフトを詰めて入れているのだろう。
「うん。シフト開けたから、平気」
だが暁は、特に問題なさそうに笑って答えた。
「わりと融通聞くんだよ。だから遊園地前まで出勤とかむちゃくちゃな予定も組める」
「た、体力あるね……」
「若さの特権。店長も良い人だし」暁は、爽やかに笑う。
もちろん店長も良い人なのだろうが、彼の人柄の良さもあるのだろうな、とボンヤリ思う。皆から好かれる彼は誘いも多いと感じられたし、私と違って毎日予定が詰まっているのだろう。
やっぱり私とは人種が違うな、と改めて感じた。
「それ、修学旅行に向けて?」
暁は、私の手に持つ旅行雑誌に気づく。その視線に気づいた私は、慌てて隠したが、遅かった。
「たしか休み明けから決めるって言ってたもんな。さすがだな」
「い、いや……そういうわけでは……」
私はしどろもどろに弁解する。惟月のときとは違い、今回ははっきりと修学旅行のためだと気づかれてしまった。やる気が空回りしているようで恥ずかしい。
「どの辺り行くんかな。やっぱり初めてなら、金閣寺や清水寺辺りかな。でもあぶり餅は食べたいよね」
「い、行ったことある……?」
「うん。俺の母さん京都出身でさ」
「そうなんだ」素直に驚いた。
「根っからの京女だよ。だから結構、京都のいけずとかも通じる」
暁は苦笑する。
「例えば、『よう喋るな』は『黙れ』って意味。『にぎやかやね』も同義語」これは俺もよく言われる、と暁は笑う。
「あと『時間大丈夫?』は『はよ終われ』。これは家に誰か来たときとか電話で言ってるとこ見るな。あと『この味付けなに?』は『余計なもの入れるな』」
私は呆気にとられる。こんなの相手の言葉を、素直に受け取れなくなるものだ。
「こ、こわい……」
「まぁ、意味がわからんかったらスルーできるしな。言った本人はストレスたまるだろうけど」暁はカラッと笑った。
雑誌を見る彼の横顔を見て気づいた。いまもヘアピンを使ってくれていた。
私は唇をかむ。思わず笑みがこぼれてしまいそうになった。
「ってごめん、長いこと話して。そろそろ行くわ」
そう言うと、暁は慌てて立ち上がった。
「ううん。ありがとう」
私はできるだけ強張った表情筋を動かす。お礼を言ったことが意外だったのか、暁は少しだけ面食らった顔になった。
実際何気なく訪れたが、暁と話したことで、今日という日が特別なものに変わったことには違いない。
「じゃ、またバーベキューの時に」
「うん」
手を振って見送る。暁の背中を見ながら、少しだけ欲が出てしまった。
だが、今はまだその言葉を口にする勇気はない。
私は、心の奥にしまっておくことにした。
***