バーベキューも終盤になり、食事を終えた皆は、川で遊んだり、片づけをしたりして各々自由時間を過ごしている。暁は、川で遊ぶ子どもたちに混ざって遊んでいる。日中は、準備をサボっていたからか、先輩にこき使われていた。
準備は任せてしまったので、片づけを手伝った方が良いはずだ。先輩と話す真宵に声をかけようとしたが、思わず静止する。
真宵の話す相手は、部長である三年生の男性の先輩。少しだけ話したが、気さくで接しやすい人だった。
そんな部長と話す真宵が、普段よりも可愛らしく見えた。クラスでは見たことのない、女性的な表情だった。
先輩が好きなんだな、とすぐに伝わった。
「わかりやすいよね」
突如、声が届いて隣を向くと、日中が立っていた。お皿に乗ったお肉をつまんでいる。
「日中くん」
「隠す気もないというか」
そう言うと、日中はその場を去った。気のせいか、少しだけぶっきらぼうな気がした。
せっかくの二人の時間だ。私も真宵には声をかけずに、先輩たちに勇気を出して片付けの声をかけた。
だが、やはり手伝わなくても良いと言われる。タダでお肉を食べさせてもらっただけに、私も引くことはできない。結果、あまり落ちていないゴミ拾いをすることになった。
私は、ゴミを拾いながら、周囲を見回す。
いつも来る見慣れた川のはずなのに、誰といるかで見え方がこんなにも変わるものだと知った。
ひとりでいるとき、暁と話したとき、大人数でいるとき、惟月といるとき……。
もう来てるかな?
片付けを終えた後、土手に上がって見回す。今日は人が多いからか、姿が見られないが、いつもの隠れ家的ベンチに惟月の姿があった。
惟月は、相変わらず制服姿だ。日照りの外であるが、暑さを感じていないかのように、すました顔をしている。時間を持て余すように足をプラプラ揺らしながら空を見ていた。
皆の輪から抜け出し、惟月のもとへ駆け寄った。
近づいた私に気がついた惟月は、目を丸くする。
「なんで来たの?」
惟月は、驚いたように私を見る。「今日は、バーベキューって言ってたじゃん」
「うん。でも、もう終わったから」
私は素直に言った。「それに水曜日は、惟月くんと会うって約束だから」
惟月は一瞬、面食らったような顔をするが、「キミも、物好きだね」と笑った。
「また話、聞いてくれる?」
私は問う。正直、誰かに話したくてウズウズしていた。
「もちろん」
惟月は、ニコニコしたまま頷く。その反応を見て、私は惟月の隣に腰を下ろした。
この一週間も、些細ではありながら色々なことがあった。
惟月の前では、なぜか緊張せずに話せた。惟月が丁寧に相槌をうって聞いてくれるので、私もたくさん話したくなった。
特に今日という日は、眩しすぎる一日だった。その気持ちを、鮮度の良い状態ですぐに誰かに打ち明けられることが、こんなにも嬉しいだなんて思いもしなかった。
ひとつひとつ言葉にすると、些細なことなのだろう。だからこそ、誰にも話すことができない。どんなに小さなことでも嬉しそうに耳を傾けてくれる惟月という存在が、私には欠かせない存在だった。
「本当に、楽しかったな……」
無意識に声が低くなった。
「私、こんなに楽しいと思ったの、多分、初めてなんだ……だから……」
寂しい。日が西に低くなりつつあると同時に、今日の終わりが感じられてしまった。
そんな私を惟月はじっと見ると、内心を察したように、目を細めた。
「修学旅行の班、一緒になろうって誘ってみたら?」
「えっ」
前触れもなく、持ち出されたことに素朴に驚いた。だが、彼が言いたいことは、何となく伝わった。
「キミ、修学旅行楽しみにしているでしょ。彼らと同じ班なら、今日と同じくらい楽しい思い出ができるんじゃないかな」
予想通り、惟月は私の感じ取ったことを言葉で説明した。
私は、目を伏せて顔を下に向ける。
「で、でも、私が誘っても……もう決まってるかもしれないし」
「聞いてみないと、わかんないじゃん」
惟月は、いたずらっ子のように笑う。
「きっといまのキミなら、言えるはずさ」
私は、口を噤む。
同じ班になりたいとは、先週暁とここで話したときに抱いた欲だった。だがその時は、まだ不安が大きくて、内に秘めたものだった。
しかし今日という日がとても眩しくて、今はまた彼らと一緒に行動したい、という気持ちが上回っていた。
惟月との話に夢中で、周囲が見えていなかった。「小夜ちゃん?」と声が届いたことで、ハッと我に返る。
声の方向を見ると、暁が不思議そうな顔で立っていた。
「あ、暁くん」
「先輩たちが、アイス買ってきたってさ」
暁は、惟月を一瞥して報告する。
「そ、そっか……」
惟月を置いて皆の輪に戻ることは、なんとも気が咎める。だが惟月は察した様子で「また来週」と言うと、ベンチから腰をあげ、その場を後にした。そんな背中を、私は名残惜しく見送った。彼には、私の思考が筒抜けのようで情けなくすら感じる。
「いまの人は?」
暁も、惟月に視線を向けながら素朴に問う。
「前に言っていた、惟月くん」
その言葉に暁は、わずかに眉をひそめるが「そっか」と笑った。
「学校で、見たことない?」
「ないなぁ。でも、うちの制服着てるな」
やっぱり彼でも知らないんだな。
そんなことを考えながら、皆の元に戻った。
***
すっかり西に低く日が沈んでいる。先輩たちはバーベキューセットを返すために車を走らせた。残った皆は、部長の一本締めで解散となった。
私たち高校二年生組四人は、夕日に染まった川を歩く。皆、学校方面であるだけ同じ方向を歩いていた。
「ウマかったなぁ。ありがとうな、茜」
暁は、大きく伸びをする。
「イイってことよ。先輩らも助かったって喜んでたぜ」
肉代は全部先輩持ちだし、と真宵はがははっと腰に手を当てる。後輩である特権を存分に利用している振る舞いだ。
「学校のカルビ丼よりも、良い肉だった」
日中は呟く。なんだかんだ彼も満足しているようだ。
夕日に染まった街を皆で歩く。皆疲れからか、普段よりも口数が少ない。だが、そんな沈黙がいまは居心地よかった。
足取りが重くなるのは疲労もあるが、それ以上に帰りたくないという気持ちが上回っていた。それほど私にとっては、今日という日が眩しくて楽しかったのだ。
――――修学旅行の班、一緒になろうって誘ってみたら?
惟月の言葉を思い出す。私は、深く噛み締めた。
私とは違い、皆他にも所属グループがあり、友人も多い。修学旅行なんて重大なイベントの班では、仲の良い人たちと班になりたいに決まっている。
彼らとは偶然、席が近くなっただけだ。些細な縁から生まれた奇跡だった。少し距離が縮まったと、きっと自惚れているところがある。
だからこそ、口に出すのは怖い。だけど今言わなければ、確実にタイミングを逃す気がした。
私はマスクに触れる。また、一言の勇気が欲しい。
大きく息を吸うと「あのっ」と切り出した。
「どうした?」
前を歩いていた真宵と日中はこちらに振り向く。隣の暁も、首を傾げてこちらに視線を向けた。
視線が一気にこちらに集まり、緊張が一気に上昇した。心臓の音が鼓膜にまで響く。自分から切り出したことなのに、現代文の朗読時間のように頭が真っ白になった。
やっぱりこわい。
嫌な反応されたらどうしよう。
断られたらどうしよう。
迷惑に思われたらどうしよう。
そんな不安ばかり浮かび、手が、唇が震えた。ひと握りの勇気も持ってしても言葉としてつむげなかった。
ただ、学校で切り出すなんてもっと無理だ。いまこのタイミングで言わなければいけないんだ。
経験したことのない非日常に舞い上がり、少しだけ欲張りになった自分を許してほしい。
「どうかした?」
私の緊張が伝わったのか、暁は足をとめて私を窺う。それに倣って真宵も日中も足を止めた。そんな彼らの優しさに、内心泣きたくなるほどだった。
私は再び大きく息を吸うと、思い切って打ち明ける。
「修学旅行の班、皆と一緒に、なりたいです……」
言ってしまった。無言の三人の視線が刺さり、顔が上げられない。
「今日、すごく楽しくて……、終わりたくないなって……。だから、修学旅行も、みんなとだったら楽しいかなって、思ったの……」
後半は、自分でも聞こえないほどのか細い声だった。聞くに堪えない、拙い弁解のようだが、惟月のくれた勇気のおかげで、本心を言葉にすることはできた。
緊張で心臓の音が耳奥まで鳴っている。周囲の雑音が聞こえなくなるほどだった。だが、そんな音を掻き消すように「おうよ!」との声が飛んできた。
「小夜ちゃんと一緒とか、他の奴らにきっと羨ましがられるな」
真宵は、鼻が高いとにこやかに笑う。
「そういや休み明けから修学旅行のこと、決めるって言ってたっけ」
日中は、空を見上げながら忘れていたように言う。
「なんも考えてなかったや」
暁も、苦笑しながら同調する。
恐る恐る顔を上げると、三人がこちらを見ながら笑っていた。
「い、いいの……?」
思わず尋ねていた。これは夢ではないのだろうか。
「あったりめーだろ。つか小夜ちゃんに誘われて断れるわけねーじゃん。むしろジマンしたいくらいだぜ」
真宵が拳を見せて笑う。
「オレも班、考えてなかったし」
日中も空を見上げながら呟く。
「俺も。母さんに色々聞いとくわ」
暁は、親指を立てて得意げな顔を見せた。
乗り気な彼らを見て緊張が一気に解けたのか、思わず目に涙が浮かぶ。堪えようと思ったが、耐えられずに一筋頬に流れた。幸い周囲は薄暗くなり、マスクをしているだけ、情けない表情は気づかれていないと信じたかった。
「ん? おい どうした……」
下を向いたことで、真宵が私を覗き込む。そのおかげで皆の視線が刺さった。
これ以上情けない姿を見せたくない。私はマスクをあげて目をつむる。
「あ、入相(いりあい)先輩」
唐突に暁が、前を指差して言った。
「えっ」
真宵は、心なし上ずった声で前を向く。だが数秒後、ふくれっ面で振り返る。
「いねぇじゃん」
「見間違いだったかなぁ。つか、暗くなってきたんだからさっさと歩けって」
暁は、適当にあしらうように言った。真宵は、唇を尖らせながら前を向いた。そのおかげで、私が泣いていることがバレなかったようだ。
二人が前を向いたタイミングで目を擦る。隣の暁には気づかれているかもしれないが、いまはそれを隠す余裕すらなかった。
たった一言の発言。だが私にとったら、涙が出るほど勇気のいる行動だったのだ。
***
帰宅すると、洗面台で手を洗う。腕が少し赤くなっていた。日焼け止めは塗っていたが、一日外にいただけ仕方ないことだろう。中々感じない痛みだけに、お土産のようにも感じてむしろ嬉しさすら感じていた。
顔を上げると、目も赤い。久しぶりに泣いたことで、やはり少し腫れていた。
「小夜~、お風呂入る?」
母が声をかける。目が赤いと気づかれたくなくて、私は「少し休んでから入る」と答えると、そそくさと部屋に上がった。
ベッドに倒れ込むと同時に、スマホに通知音が届く。真宵の作成した四人のグループラインに今日の写真が送られていた。「バーベキュー」とのグループ名がさっそく「修学旅行小夜ちゃん組」と変更されていて、思わず吹き出してしまった。だが、そんな行動すら私には嬉しいことだった。
グループに送られた写真を、思考が回らないまま眺める。
「私、楽しそ~……」
マスクを外して肉をほおばる自分の顔を見るのが新鮮だ。こころなし目も輝いているようにも見える。まるで子どもだな、といたたまれなくなった。たしかに先輩たちが子どもを見る目になるわけだと客観視して気づいた。
何気なく眺めていたが、暁の写真で、指が止まる。写真の中の彼も、変わらず好感の感じられる爽やかな笑顔だ。写真を撮られることに慣れているのか、どれも写真写りが良い。それにどこかしらに写っている。そんな写りたがりな暁に、無意識に笑顔になった。
茫然と眺めていると、真宵から個別にメッセージが届いた。
『これは、小夜ちゃんだけに』
続けて届いた写真に、思わず目が丸くなる。
ベンチで私と惟月が会話している場面だった。まさか真宵に目撃されていたとは気づかなかった。
『この人が惟月くん? 仲良さそうじゃん』
直球の質問に、一瞬で全身が熱くなる。その場には私しかいないのに、弁解するように頭を横に振った。
だが、そこでふと思う。私と惟月は、どんな関係なのだろうか。彼とは気兼ねなく話せるが、私は彼のことをなにも知らない。水曜日に川で会う奇妙な関係であることには違いないが、説明が難しい。
勝手ながらも、便宜上『友だち』と呼ぶことにした。
『友だちだよ』
『ふうん。ま、その辺りの話は、修学旅行の時にでも』
その言葉とともに、おちゃらけたスタンプが送られる。恋バナは修学旅行の定番ではある。彼女自身恋バナが好きそうではあったので、ほぼ確実に話題になるだろう。それに私自身、真宵についても聞きたかった。
細やかな楽しみが少しずつ増える。楽しみに終わりがこない今の状況が幸せだった。ささいなことでも幸せだと感じられるのは、平凡だった日常を送っていた積み重ねでもあるのかもしれない。
それも、全ては惟月が背中を押してくれたからだ。
惟月との写真を見る。彼に話す自分の顔が、自分ではないみたいに自然体だった。
私って、意外と感情が顔に出やすいのではないだろうか、そんな錯覚さえしそうなほどだった。
「私、こんな表情してるんだな……」
マスクの力は、どちらかというと風水のような感覚だ。
そんな力を与えてくれた彼だからか、私は、この幸福が続くように、と惟月との写真を待受にした。
2頁目「脇役から主人公」完