3頁目「憧憬から愛慕」①



 次の日の木曜日。
 昨日がゴールデンウィーク最終日だった為、今日から再び通常通り学校があった。

 私は、教室の後方扉を開く。中は誰もおらず、一番乗りだった。
 時計を確認すると、七時半。うちは朝練をしている部活動もあることから、門は六時過ぎた頃から開けられているようだが、それにしても早すぎる。

 張り切りすぎたことを自覚して赤面する。どれだけ早く学校に来たかったんだ。
 昨日の余韻がまだ残っているからだろう。少しでも早く皆に会いたいだなんて思ってしまった。
 だが今朝、母に、「目、腫れてない?」と指摘されたこともあり、目の腫れがあまり引いていないのは気がかりだった。

 席に辿り着くと、授業の準備を始める。無心で教科書を取り出していると、ガラリと扉が開かれた。

 何気なく目を向けると、日中だった。

「え、夕雨さん」

 日中は私に気がつくと、軽く会釈する。つられて私も会釈した。

「は、早いね」

「それこっちのセリフだよ。オレいつもこの時間に来てるからさ」

 そうだったっけ、と頭を捻る。そこでいつもリュックが置いてあったことを思い出した。恐らく生徒会に行っているのだろう。

 視線を感じる。顔をあげると、日中は物珍しそうに私を見ていた。

「ど、どうかした……?」

「夕雨さんって、意外と人間だったんだね」

 日中は、眉ひとつ動かさないまま言った。私は、「なにそれ」と思わず吹き出した。

「表情が変わらないってよく言われそうだなって思ってたけど」

「言われるよ」即答だった。

「でしょ。だから勝手にオレと同類だと思ってたけど」
 そこで日中は、唐突に言葉を詰まらせる。私は、目を泳がす。

 なんとなく言いたいことは伝わった。もしかしたら彼には泣いていると気づかれていたのかもしれない。不器用に会話を閉ざしたところからも、日中は、意外と本心をそのまま口にするタイプなのかもしれない。いや、それは真宵の態度を見ても明白か。だからこそ、こちらに気をつかってくれていると伝わった。

 なんとなく悔しくなり、そんな彼に対抗するように視線を向ける。

「日中くんも……結構わかりやすいと思う」
 
 正直に打ち明けた。私の意図を感じ取ったのか、日中は若干顔を引き攣らせてこちらを見る。その視線に一瞬たじろぐが、堪えて言葉を続ける。

「昨日も、買い出しにつきあわされてたとき、嫌そうだなって感じたから」

「そりゃ、あんな暑い中、バカみたいな量の肉運ばされたら、嫌にもなるでしょ」

 日中は、開き直ったように応える。

「そもそも男だからというのが気に食わない。オレよりも真宵のほうが断然体力あるはずだよ」

「それは……」
 私は、苦笑する。正直否定できない。

 だが、そこで日中は何か思い出したような顔をする。その顔は、昨日の真宵を見ているときのような表情だった。

「まぁ、良い肉食べられたから、文句は言わないけど」

 日中は、ひとしきり文句を口にすると、「会議があるから」と手を挙げた。少し早めに登校したのは、やはり生徒会があるからだった。

 教室を出る日中を、手を振って見送る。
 再び沈黙の訪れる教室内。窓の外を見ると、ポツポツと登校する生徒が確認できた。そんな様子を、呆然と眺めていた。

 あっと気づく。テニス部の部長が、校門まで走っていくと、校門前に立っていた生活指導の先生と話し始めた。その服装が部活動用のもので、朝練の途中なんだなと知る。

 と、なんとなく観察していたが、ガラリと開くと「小夜ちゃん、やっぱり来てた」と聞き慣れた声が届き、思わず振り返る。やはり暁だった。

「今日も早いね」

「うん、なんか早めに来る学校もいいなって気づいたからさ」

 朝活ってヤツ、と暁は指を振る。

「朝から勉強するの、偉いね」

「…………勉強は、しません」

 素直に褒めたつもりだが、暁はやりずらそうに目を反らす。その反応に首を傾げた。

「いやほら……小夜ちゃん前に京都の雑誌見てたから。修学旅行のこと考えたいなって」

「あ、ごめん。今日は持ってきてないや……」

「それは残念。先輩に聞いたら、伏見と嵐山と東山に行くってさ」

 軽快に話す暁に、私は口を噤む。

「な、何か、ごめんね……」

「ごめん?」

「昨日あんなこと言っちゃって……。暁くん他にも誘いあったでしょ……?」

 私の緊張は、確実にみんなに伝わっていた。特に隣だった暁には、一番気づかれていたはず。だからこそ断れなかったのかもしれないと、今さら不安になっていた。

 だが暁は即座に「ないよ」と笑った。

「正直、まだ考えてすらなかった。周りのやつもそんな話してなかったし。みんなで行くのは変わらないし、適当に組めばいいかなって。だから俺……小夜ちゃんが一緒の班になりたいって言ってくれたの、すごく嬉しかった」

 そういうものなんだ。暁なら誰とでもうまくやっていけそうだとは感じた。
 やはりレベルが違う人だ。

 私は窓に視線を向ける。つられるように暁も顔を向けると「あ、入相さんだ」と呟いた。

「昨日も、買い出しのときとかもすごく頼りになってさ、やっぱ部長してるだけしっかりしてるよね」

 暁はさらりと褒める。真宵とよく話している彼なら知っているかもしれない。私は気になっていたことを思い切って尋ねる。

「もしかして真宵さんって……部長のことが、好きなのかな?」

「そうだよ。すぐにわかったでしょ」

 暁は笑いながら即答した。たしかに恋愛未経験の私でも、すぐに気づいたものだった。彼女自身、好意を隠す様子はなさそうにも思えた。

「俺と茜、あと入相さんも同じ中学でさ。だから結構長いよ」

 そう言うと、暁は指折り数える。「俺が知ってるだけで、六回は告ってる」

「ろ、六回も……?」私は目を見開く。

「逆に言えば、六回振られてるってことだけどね」暁は苦笑する。

「その情報、聞いてよかったのかな……」
 自分から尋ねたくせに、なんだか申し訳なくなった。
 
「んー、殴られるかも」
 暁は大げさに笑う。「ま、小夜ちゃんならいいでしょ」
 
 真宵が、いろんな意味で強い人だとは感じていた。だが、私なら一度振られたらきっと心が折れてしまってダメになる。昨日、同じ班になりたいと言ったときでさえ感じたことのないほど緊張した。もしも皆に断られていたらと思うと鳥肌が立った。その経験を六回もしていることに驚いた。それでも一途にいられる彼女には、芯の強さがあると改めて感じた。
 真宵は、口は軽いが、やはり私の持っていないものを持っている。

「でも、それだけ一途でいられるのって、かっこいいな」
  
 気づけば、言葉として溢れていた。隠す必要もない、素直な本心だった。

「うん。入相さんといるときの茜は、かわいいよ」

 暁は、恥ずかしげもなく素直に言った。私は、暁を一瞥する。
 本人は無自覚で、下心も感じられない。だからこそ、人に好意を持たれやすいのだろう。こういうところが、ズルいなぁと感じてしまった。

***



 金曜日の午後のホームルーム。以前担任が宣言した通り、内容はやはり修学旅行についてだった。 

 今日は、一番重要でもある修学旅行の班決めだ。周囲からは、「一緒に組もう」「あの子誘おう」だなんて騒ぎはじめる。私は、黙って周囲を眺めた。それだけの余裕があることに、自分自身驚いていた。
 だが、自分が勇気を出した結果だと実感するたび、力が漲る感覚だった。

 改めて私の夢ではないだろうか。本当に班になってくれるだろうか、という不安があった。

 案の定暁は、他の友人から「璃空〜班どうする?」とさっそく誘われていた。

 だが、暁は「悪い」と言うと、こちらに振り向く。「俺、小夜ちゃんたちと班組むって決めてたから」

「おうよ、だから今回は悪ぃな!」
 真宵も、手を掲げて言った。

 彼らの振る舞いに、やはり夢じゃなかったと気づかされる。
 タイミングを逃さなくて本当によかった。もしもあのとき言えていなかったら、こんなことにはなっていなかったはずだ。

「じゃ、俺らも名前、書いとくか」

 暁がそう言うと、黒板へ向かって、私たちの名前を書いた。本当に暁たちと班になれたことに嬉しく、感極まっていた。

「じゃ、今日はここまで。来週から自由行動決めてくな」

 担任が適当に締めたことで、今週も授業を終えた。
 今日は金曜日。惟月はいないとわかっているのに、川へ行きたくなった。
 だからこそ、今日は図書館へ向かう。水曜日は少しでも長く惟月との時間を取るために。

 彼らと同じ班になれたのは、間違いなく惟月が背中を押してくれたからだ。

 はやく惟月に、報告したい。

 水曜日が待ち遠しく感じながら、教室を出た。

***