水曜日のホームルームから、修学旅行の話題が中心だった。
担任は、やる気がなさそうに予定を黒板に書く。訪れたことのない私でも聞いたことのある神社や地名ばかりで、スタンダードなコースだと感じられた。
担任が一通り説明を終えると、残りは先週決めた班で集まり、自由行動を計画することとなった。私たちは席が近いので、特に移動せずに机を合わせた。
班では、班長主導で話を行う。私たちの班は、暁が名乗り上げてくれた。面倒な役も率先して引き受けてくれる辺りも、彼が人気な理由だと改めて実感する。
公立である金清高校の修学旅行は、京都の二泊三日旅行。
一日目は午前は移動にあてられ、昼から伏見稲荷大社へ向かい、京都駅周辺で宿泊。
二日目は、複数の神社や寺院に訪れた後、嵐山散策。
三日目は、平安神宮や清水寺周辺の観光となっていた。
基本的にすべて班行動で、嵐山と清水寺のときに長めの自由行動が設けられている。
「じゃ、まずは嵐山で行きたいとこ、あげていくか」
暁が言った。「てことで小夜ちゃん、メモ係お願い」
「えっ」
唐突に振られて、気が抜けた声が出る。
「小夜ちゃん、ノート取るの上手いから」
「で、でも、それなら日中くんの方が……」
そう言って私は日中を見る。彼は生徒会の書記だ。
彼の顔を立てるためでもあったのだが、日中は「ここでもオレに仕事を押しつけるつもり?」と険しい顔をしたので、慌ててノートを取り出した。
「ハイハイ! ウチは縁結びの神社に行きたい。ここでお守り十個買う!」
真宵が、元気よく発言する。その頬には、珍しく桃色が差していた。
「がめついんだよ」
暁が苦笑しながら突っ込む。
「さすがにそろそろ、決着つけねぇとだから」
ケンカしそうな雰囲気だが、暁から部長に好意があることは聞いていたので、恐らく告白だろう。
「竹林に行くなら、人力車に乗りたいかも」日中は言った。
「意外とそういうのが好きなんだ」と暁。
「足代わりだけど」
「贅沢なタクシーだな。ってこいつの金銭感覚狂ってるんだった」真宵は呆れた顔をする。
「足代わりとかは置いといて、俺も人力車には乗りたいな。ただ」
暁はそう言うと、雑誌を確認する。
「嵐山は結構、店の閉店時間が早いらしいんだ。自由行動は昼からだし、まずはごはんとか、お土産とか優先するか」
「このあられのかかったソフトクリーム、リンスタで見たことある!」
「千枚漬けとすぐきは食べたいな」
「おまえ本当に高校生か?」
皆が次々あげていく。私は必死にメモした。
私が記載したメモを見て、暁は満足そうに頷いた。
「こんな感じか。まぁ、あとは当日なんとかするか」
暁は、計画表を見ると「つぎは東山エリアだな」と言った。
「清水寺って、『清水』と書いて『きよみず』って言うんだな」
真宵は、雑誌を見ながら、感心するように言った。
「京都は、難読地名が多いからね」
日中はそう言うと、ノートに『烏丸』と記載した。
「『とりまる』?」真宵が答える。
「『からすま』。街中にある地名だよ」
真宵は頬を膨らます。日中は気にする素振りも見せずに、『先斗町』『化野』と記載した。
「『せんとちょう』と『けの』!」
「『ぽんとちょう』に『あだしの』」
「ふざけんな!」
真宵が机をたたく。「それなら先生は『ぽんせん』とも言うんかよ」
不意打ちでツボにはまり、噴き出してしまった。
「だったらこれは」
そう言って日中は『天使突抜』と書いた。
「本当にある地名か?」
真宵は、怪訝な顔をする。
「あるよ。下京区辺りにあるらしい」
「ファンタジーすぎんだろ」
天使、という言葉に、不意に静止する。真宵の言う通り、突飛な非現実な空想ではあるが、なぜか惟月が浮かんだ。彼を始めて見たときに、雲が翼に見えた彼の姿だ。それほど惟月は、神秘的な存在だった。
実際いまでも、マスクの力を疑ってはいる。正直、彼は私たちと同じ人間ではないのかもしれない。
だが、彼と話すたびに、彼にも人間らしいところが見られるので、錯覚かなとすら思っている。
だって、彼が人間でないだなんてそんな非現実は、それこそありえない。
「話がそれてる。そろそろ本題に戻るよ」
暁は、苦笑しながら制する。
「なんだっけ」
「清水寺についてだよ」
私はノートを写すことに集中していたが、聞いているだけでも楽しいものだ。雑談でも、心を満たすには必要なものなのかもしれない。
「というか、茜の意見ばっかだな。小夜ちゃん、なにかしたいことある?」
暁は私に振る。私は、ふと願望が浮かぶが、一瞬ためらう。だが、せっかくの機会だ。ここまできたら言ってしまえ。
「着物レンタル、したいな……」
雑誌の修学旅行プランに視線を向けながら言った。
予想外の回答だったのか、三人は面食らったように一瞬制止する。
「おー! いいなそれ!」真宵は声を上げて賛成した。
「せっかく京都行くしな。全然アリ」暁も笑う。
「暑そう」日中は、怪訝な顔をする。
「じゃ、おまえだけ制服な」
真宵は雑に言うと、日中は心なしふくれっ面になった。のけ者は嫌なようだ。
「よし、じゃ、ここでレンタルするか。予約いるみたいだし、あとで俺しとくわ」
そう言って暁は、さらさらとスマホでメモする。
「ならお土産は、基本二日目の嵐山で買った方がいいかな。荷物になるし、着物なら食べ歩きしたいじゃん」
「たしかに。伏見で狐のお面買っちゃろ」
サクサク予定が決まっていった。私はメモに必死だったが、聞いているだけでも気分が高揚するものだ。こうして話す時間も楽しいと思えるものだった。
私はスマホを開く。画面には、真宵から頂いた惟月との写真が映し出される。
彼のおかげで、夢見たことが着実に現実になりつつある。それに今日は水曜日だ。今すぐに報告したいほどに、心は浮かれていた。
「小夜ちゃん、さっきメモしてくれたの……」
そう言って暁は振り返る。私は「あ、暁くん……!」ととっさにスマホを隠した。
大袈裟な私の態度に、暁は数秒静止すると「言おうと思ってたんだけどさ、小夜ちゃん、俺のこと、名前で呼んでよ」と言った。
「む、無理……!」
「無理って」暁は笑う。
「苗字だと慣れなくて。距離感じるしさ」
確かに彼は、友人たちからは基本的に下の名前で呼ばれていた。その光景に少し憧れはあった。だが、そんなの私の妄想でしかないと思っていた。
「は、恥ずかしいです……」
私の反応に、暁は心なしムッとする。
「……俺は、呼んでくれないんだ」
どういう意味かわからずに、キョトンとする。暁は、失言したという顔つきで「何でもない」とすぐに言った。
ここまで言ってくれているのに、さすがに断るのも失礼な気がした。
「れ、練習しておきます……」
「練習するものなの?」
暁は軽く笑う。無責任だなぁと改めて感じた。皆には普通かもしれないが、私は異性を名前で呼ぶなんてハードルが高い。彼自身自覚がなさそうなところが余計に罪深いものだ。
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