3頁目「憧憬から愛慕」②



 水曜日のホームルームから、修学旅行の話題が中心だった。
 担任は、やる気がなさそうに予定を黒板に書く。訪れたことのない私でも聞いたことのある神社や地名ばかりで、スタンダードなコースだと感じられた。

 担任が一通り説明を終えると、残りは先週決めた班で集まり、自由行動を計画することとなった。私たちは席が近いので、特に移動せずに机を合わせた。
 班では、班長主導で話を行う。私たちの班は、暁が名乗り上げてくれた。面倒な役も率先して引き受けてくれる辺りも、彼が人気な理由だと改めて実感する。

 公立である金清高校の修学旅行は、京都の二泊三日旅行。
 一日目は午前は移動にあてられ、昼から伏見稲荷大社へ向かい、京都駅周辺で宿泊。
 二日目は、複数の神社や寺院に訪れた後、嵐山散策。
 三日目は、平安神宮や清水寺周辺の観光となっていた。
 基本的にすべて班行動で、嵐山と清水寺のときに長めの自由行動が設けられている。

「じゃ、まずは嵐山で行きたいとこ、あげていくか」

 暁が言った。「てことで小夜ちゃん、メモ係お願い」

「えっ」
 唐突に振られて、気が抜けた声が出る。

「小夜ちゃん、ノート取るの上手いから」

「で、でも、それなら日中くんの方が……」

 そう言って私は日中を見る。彼は生徒会の書記だ。

 彼の顔を立てるためでもあったのだが、日中は「ここでもオレに仕事を押しつけるつもり?」と険しい顔をしたので、慌ててノートを取り出した。

「ハイハイ! ウチは縁結びの神社に行きたい。ここでお守り十個買う!」
 真宵が、元気よく発言する。その頬には、珍しく桃色が差していた。

「がめついんだよ」
 暁が苦笑しながら突っ込む。

「さすがにそろそろ、決着つけねぇとだから」

 ケンカしそうな雰囲気だが、暁から部長に好意があることは聞いていたので、恐らく告白だろう。

「竹林に行くなら、人力車に乗りたいかも」日中は言った。

「意外とそういうのが好きなんだ」と暁。

「足代わりだけど」

「贅沢なタクシーだな。ってこいつの金銭感覚狂ってるんだった」真宵は呆れた顔をする。

「足代わりとかは置いといて、俺も人力車には乗りたいな。ただ」
 暁はそう言うと、雑誌を確認する。

「嵐山は結構、店の閉店時間が早いらしいんだ。自由行動は昼からだし、まずはごはんとか、お土産とか優先するか」

「このあられのかかったソフトクリーム、リンスタで見たことある!」

「千枚漬けとすぐきは食べたいな」

「おまえ本当に高校生か?」

 皆が次々あげていく。私は必死にメモした。

 私が記載したメモを見て、暁は満足そうに頷いた。

「こんな感じか。まぁ、あとは当日なんとかするか」

 暁は、計画表を見ると「つぎは東山エリアだな」と言った。

「清水寺って、『清水』と書いて『きよみず』って言うんだな」
 真宵は、雑誌を見ながら、感心するように言った。

「京都は、難読地名が多いからね」

 日中はそう言うと、ノートに『烏丸』と記載した。

「『とりまる』?」真宵が答える。

「『からすま』。街中にある地名だよ」

 真宵は頬を膨らます。日中は気にする素振りも見せずに、『先斗町』『化野』と記載した。

「『せんとちょう』と『けの』!」

「『ぽんとちょう』に『あだしの』」

「ふざけんな!」
 真宵が机をたたく。「それなら先生は『ぽんせん』とも言うんかよ」

 不意打ちでツボにはまり、噴き出してしまった。

「だったらこれは」

 そう言って日中は『天使突抜』と書いた。

「本当にある地名か?」
 真宵は、怪訝な顔をする。

「あるよ。下京区辺りにあるらしい」

「ファンタジーすぎんだろ」

 天使、という言葉に、不意に静止する。真宵の言う通り、突飛な非現実な空想ではあるが、なぜか惟月が浮かんだ。彼を始めて見たときに、雲が翼に見えた彼の姿だ。それほど惟月は、神秘的な存在だった。

 実際いまでも、マスクの力を疑ってはいる。正直、彼は私たちと同じ人間ではないのかもしれない。
 だが、彼と話すたびに、彼にも人間らしいところが見られるので、錯覚かなとすら思っている。
 だって、彼が人間でないだなんてそんな非現実は、それこそありえない。

「話がそれてる。そろそろ本題に戻るよ」
 暁は、苦笑しながら制する。

「なんだっけ」

「清水寺についてだよ」

 私はノートを写すことに集中していたが、聞いているだけでも楽しいものだ。雑談でも、心を満たすには必要なものなのかもしれない。

「というか、茜の意見ばっかだな。小夜ちゃん、なにかしたいことある?」

 暁は私に振る。私は、ふと願望が浮かぶが、一瞬ためらう。だが、せっかくの機会だ。ここまできたら言ってしまえ。

「着物レンタル、したいな……」

 雑誌の修学旅行プランに視線を向けながら言った。
 予想外の回答だったのか、三人は面食らったように一瞬制止する。

「おー! いいなそれ!」真宵は声を上げて賛成した。

「せっかく京都行くしな。全然アリ」暁も笑う。

「暑そう」日中は、怪訝な顔をする。

「じゃ、おまえだけ制服な」

 真宵は雑に言うと、日中は心なしふくれっ面になった。のけ者は嫌なようだ。

「よし、じゃ、ここでレンタルするか。予約いるみたいだし、あとで俺しとくわ」

 そう言って暁は、さらさらとスマホでメモする。

「ならお土産は、基本二日目の嵐山で買った方がいいかな。荷物になるし、着物なら食べ歩きしたいじゃん」

「たしかに。伏見で狐のお面買っちゃろ」

 サクサク予定が決まっていった。私はメモに必死だったが、聞いているだけでも気分が高揚するものだ。こうして話す時間も楽しいと思えるものだった。

 私はスマホを開く。画面には、真宵から頂いた惟月との写真が映し出される。

 彼のおかげで、夢見たことが着実に現実になりつつある。それに今日は水曜日だ。今すぐに報告したいほどに、心は浮かれていた。

「小夜ちゃん、さっきメモしてくれたの……」

 そう言って暁は振り返る。私は「あ、暁くん……!」ととっさにスマホを隠した。
 大袈裟な私の態度に、暁は数秒静止すると「言おうと思ってたんだけどさ、小夜ちゃん、俺のこと、名前で呼んでよ」と言った。

「む、無理……!」

「無理って」暁は笑う。

「苗字だと慣れなくて。距離感じるしさ」

 確かに彼は、友人たちからは基本的に下の名前で呼ばれていた。その光景に少し憧れはあった。だが、そんなの私の妄想でしかないと思っていた。

「は、恥ずかしいです……」

 私の反応に、暁は心なしムッとする。

「……俺は、呼んでくれないんだ」

 どういう意味かわからずに、キョトンとする。暁は、失言したという顔つきで「何でもない」とすぐに言った。
 ここまで言ってくれているのに、さすがに断るのも失礼な気がした。 

「れ、練習しておきます……」

「練習するものなの?」

 暁は軽く笑う。無責任だなぁと改めて感じた。皆には普通かもしれないが、私は異性を名前で呼ぶなんてハードルが高い。彼自身自覚がなさそうなところが余計に罪深いものだ。

***