水曜日。六月で梅雨入りしたこともあり、天候はすぐれなかった。だが、土砂降りではないので、川へ向かうことにした。
惟月はいた。いつものように、ベンチに座っている。
私を見ると、優しく笑った。
「今日は来てくれた」
その言葉に、私の顔は青ざめる。
「まさか……、先週も来てたの?」
恐る恐る問うと、「そうだね」とサラリと答えたので目を丸くした。
「ご、ごめん……さすがに来ないかと」
先週は土砂降りだった。川も氾濫していたはずだ。
「約束は守るタイプなんだ」
おちゃらけた調子で言うが、本心にしか聞こえない。
私は、畏まった態度で惟月の隣に腰を下ろした。惟月は、「今日は二週間分あるね」と言った。
私は、普段のように話し始めた。
ホタルを観に行ったこと、修学旅行の班で自由行動について決めていること
そしてこの、言語化できない感情のこと。
今では話すことにも、少し慣れてきた。そのおかげで、少し踏み込んだことも打ち明けることができた。
「最近の私…… 欲張りなの」
「欲張り?」
唐突な言葉に、惟月は静止する。あまりにも直球だったかもしれない。私は慌てて言葉をつけ加える。
「前までは、話せるだけで嬉しかったのに、今ではそれが当たり前になっちゃって……。そのせいで高望みしちゃうんだ……。そんな自分が浅ましい。自分が、汚い……」
正直私は、恋愛をしたことがない。いままでも気になった人はいたが、所詮適うわけないと、遠くから眺めて終わったものだった。気になった人は、暁のように活発で皆から好かれる存在だ。恋人がいると知ったら、軽く残念には思っても、当然だよね、とも思ってしまった。ないものねだり。私にはないものを持つ人物に、惹かれているのかもしれない。
暁も例外じゃない。同じクラスになって最初は、遠くから眺めることだけで満足していた。間違いなく憧れの存在だった。
それなのに、偶然席が近くなって、話せるようになってから、自分でも驚くほど欲深くなってしまった。
少し早く学校にいけば、暁と二人になれる。
メッセージだと、周囲の視線を感じない。
もっと暁の近くにいたいと願ってしまう。
暁と恋人になったことのある人物に、嫉妬してしまう。
「普通のことだと思うよ。それだけ相手を強く想ってる証拠だから」
そう言うと、惟月は自身の胸に手を当てた。「そして…… 自分が幸福になれることだから」
空気の変わった惟月に顔を向けると、彼は今まで見たこともないほど穏やかな表情をしていた。
「確かに自分の想いが、相手には重みになることもある。伝えても受け入れられないことだってある。だけど相手を想うことは……浅ましいことじゃないと思うんだ。話せたり、席が近くなったりと、小さな幸運でも幸福になれる。相手に嬉しいことがあると、自分にも幸福が伝染する。そうして大切な人への 想いが強くなるから、さらに高い幸福を掴もうとしてるだけなんだ」
息が止まるほどに見惚れていた。キレイな思考だ。それにこんな顔初めて見た。
出会って二ヶ月。初めて惟月のことを知った感覚になった。普段の反応とは違い、まるで彼の想いを打ち明けてくれたような気持ちになった。
今まで自身のことを話さなかったからか、彼はどこか手の届かない存在だと感じていた。だけど今、私の隣に座る彼は、同じ学生の男の子にしか見えなかった。
「でも、楽しい……初めての感情で、わからないことばかりだけど。これも全部、惟月くんが勇気をくれたからだよ」
そう伝えると、惟月に顔を向ける。彼も無言でこちらを向いた。
「私いま、とても幸せなんだ」
繕うことなく、言った。
だが、それを聞いた惟月の顔は、なんだか切なそうな表情になった。
「惟月くん……?」
私の反応には答えず、惟月は立ち上がる。私はそんな彼を見上げる。
偶然か、惟月を初めて見たあの日のように、日の傾いた空の背景が重なり、彼に翼が生えているように見えた。
「僕のおかげじゃない。キミが勇気を出したからさ。良いタイミングが巡っても行動できない人もいる。恥ずかしくて伝えられない人もいる。些細な幸運を喜べなければ、幸福なんて訪れないんだよ」
惟月は真っ直ぐ私を見て言った。「それに小夜は汚くないよ。僕の知る限りで、一番キレイな人だから」
惟月の今の言葉と態度から、妙な不安が訪れた。
「惟月くん」
そう呼ぶと、彼はこちらに向いた。透き通った白い肌に、大きな澄んだ目、ツヤのある髪。服飾などでは彩る必要もないほどに、まるで彫刻のようにキレイな造形だ。
神秘的な容姿に、人間らしさを感じなかった。
「どこかに行ったり、しないよね……?」
無意識に尋ねていた。毎週水曜日、惟月が来てくれることが当たり前になっているが、私は彼のことを全然知らない。同じ学校ではあるはずだが、学校では会える気もしなかった。
突然、私の前からいなくなる、そんな嫌な未来が見えてしまった。
だが惟月は、柔らかい笑みで何も言わない。確実に私の不安が伝わっているはずなのに、欲しい言葉を口にはしてくれなかった。
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