演奏終了後、外の空気に触れる為に裏口から外に出た。
久しぶりに広い場所で演奏したことからも胸が高揚していた。ホール内が品位漂う空間であることはともかく、天井が高く、伸びるように残響がこだまする。恩師がもっと知られるべきだ、と考えるのも納得できるなと素直に思った。
何気なく玄関の方へ顔を向けると、先ほど川で出会った男の子がお母さんに手を引かれて会場を後にする姿が目に入る。
本当に来てくれたんだな、と嬉しくなり、口角が上がった。
「白金、だよな?」
突如、覚えのない声で名前が呼ばれて顔を向けると、俺と同世代ほどの男女が立っていた。
一人は首にヘッドホンを下げて飄々とした軽い感じの男、もう一人は黒髪で白い肌の目鼻筋の通った小柄な女だった。
カップルにしては不釣り合いだな、と内心考えながら首を傾げる。
「昔、何度か青原の会場で演奏会来てただろ。俺もあそこで演奏したことがあってさ」
ヘッドホンの男が軽快に話す。確かに中学の頃、この男の言った会場で何度か演奏はしたことがある。
だが、俺にとったらこいつは知らない奴だ。一方的に俺のことを知っているのだろうが、友人のように馴れ馴れしく接されることが少し不愉快だ。
俺が無反応でいると、隣にいた黒髪の女が前に出てこちらに近づく。
「玲央さんに、少し頼みがあるんですが……」
黒髪の女は、たどたどしく口にする。
俺の名前を呼んだ彼女の声の響きに、どこか馴染みがあり眉をしかめる。
「うちの学祭の演劇に、玲央さんの制作された楽曲を使用させてくれませんか?」
――――――玲央
俺は、無意識に背筋が伸びていた。
「…………君、名前は?」
「え?」黒髪女は目を丸くする。
「まずは、何者か名乗るのが、常識だよ」俺は柔和に笑う。
「えっと……」黒髪女は、少し目を落として口を開く。「紫野学園高校に通う、桃山明日香です……」
目を丸くした。
あのノートに記載されていた高校に、名前。
妙に勘が冴えて名前を尋ねたが、こんな偶然、重なるものなのだろうか。
彼女は顔は美人であるが、衣服からもそう位の高い人物には見えない。
顔見知りでないのは確かだが、学校と名前が一致していることと、この変に胸が騒ぐところが見逃せなかった。
「えっと、あの……」
沈思黙考を続ける俺に、桃山は促す。
「……いいよ。俺の楽曲でよければ。学祭なら、全然使用料とかも必要ないからね」
俺はひらひらと手を振って答える。
あのノートには「万が一、この名前の子が俺の元に訪れたら、歓迎するように」と記載されていた。
理由はわからないが、確実に俺が書いた文字だった為、行動する根拠にはなる。
「音源は、どうしようか?」
「あ、大丈夫です。CDを持ってますので」
桃山はそう言って軽くお辞儀をすると、ヘッドホン男の元まで戻り、二人は会場を後にした。
俺はその場で茫然と立ち尽くしていた。
「CDを持ってる……?」
作曲はしているものの、生演奏が基本形にしてる為、メディアといった媒体で販売した経験はほぼない。それこそ、練習で録音したものを知人に渡したくらいだ。
「連絡先くらい、聞いておくべきだったな……」
俺は首を傾げながら控室へと戻った。
***
すっかり気候は秋となり、制服の移行期間も始まる。久しぶりに白ブレザーに腕を通し、馴染みの庭園で秋の気候を味わっていた。
今日の授業は、午後から受験対策の講座が開かれる為、受講する者以外はすでに放課後時間だ。
「静かだなぁ……」
ひやりとした風が、天を覆う木々の葉を揺らす。サラサラという心地良い音が静かに響くほど、辺りには人気が感じられない。
普段なら、どんなに一人になりたくても、寧々にはすぐにバレていたものだった。
発信器でもつけられてるのかと疑った時期もあったが、素直に俺の好みそうな場所に見当つけて行動していたんだろうとは納得できる。それだけ彼女は、俺のことだけを見てくれていたからだ。
俺は目を閉じて思考する。
あの日、寧々に別れを切り出した時は、散々怒られ、散々喚かれ、散々罵倒された。
当然だ。前触れもなくいきなり口にしたのだから、俺にも罪悪感はあった。
具体的な理由もないのに、別れを切り出した自分自身に対して正直驚いていた。
少なからず恋人にしても良いと思える位ではあった。寧々の家の会社が倒産したならまだしも、彼女自身に非があった訳じゃない。
だが、どうしてか。どうしても彼女との関係を終わらせたくなった。
穴の空いた胸に手を当てる。いまだ変わらず空洞で、冷たい風が通っているようだ。
「これが、虚しいというやつなのか」
寧々と別れたからなのか、それとも何か別の感情からくるものなのか。
消えた記憶と何か関係するのかな、とふと思う。
「記憶、ねぇ……」
最近ネットで話題にされてる『永遠印』という指輪。
『恋人優待』なるものが利用できる代わりに使用条件を破ると、身体的ペナルティが与えられると判明し、一週間前に販売停止された。
こんな奇妙な騒動、メディアが見逃す訳ないはずなのに、何故か表立って取り上げられてはいない。それに、容疑者についても一切公表されなかった。
金の臭いがするな、と苦笑する。同類だから嗅ぎ分けられるとも言える。
気になるのは、それらのニュースを見た際に「記憶が消された」という言葉が飛び出たこと。
夏休みの記憶のない俺にとったら、見逃せるわけがない発言だった。
俺は基本、手にアクセサリーはつけない。だから『永遠印』に手を出していたとは思えない。
だが、寧々は俺の予想もしない突飛な行動に出ることがある。
俺が昔、付き合っていた彼女の両親が経営する企業を破綻させたことや、俺のスマホから家族含む女の連絡先を全て消したこともある。
もしも、寧々のせいで指輪を着用させられ、ペナルティを受けることになり、記憶が消えているのならば。
それに、あの演奏会で出会った『桃山 明日香』と名乗った黒髪女のこともある。
ノートに記載されていた『紫野学園高校』と『桃山明日香』に関わりある人物が、彼女以外にいると思えないが、俺とどういう関わりのある人物かが全く思い出せなかった。
ノートに書かれていたことで、記憶の消えた二か月間で関わった、重要な人物であることには違いないはずだ。
ニュースでは、次第に記憶が思い出せたという言葉も聞いた。
何の根拠もないものの、俺も思い出せる日が来るのでは、と少しばかり期待していた。
「本当、俺らしくないよね……」
俺は寝転んだまま、隣に置いた鞄につけているミサンガに触れた。
その瞬間、つんざくような音が響いて頭を抱える。ガンガン打たれるような衝撃が走り、脳に亀裂が入った感覚に陥る。
「何だ、これ……」
それと同時に、亀裂から裂けるように埋もれていた記憶が溢れ出した。
目前には全く覚えのない光景が広がっている。この記憶が俺自身経験したものなのかの判別が、すぐにできなかった。
「あれ……?」
だが、それらは空白だった時間を埋めるように、徐々に脳に定着し始める。
『紫野学園高校』
これは、俺がゲームのステージとして準備した、二ヶ月だけ通った私立高校だ。理事長の行動力あって、偏差値は低いものの部活動は全国レベルではある。最寄駅の近くのワックが生徒の寄り道スポットだった。
『城島』
これは、俺がゲームを攻略する為に生み出した女好きのキャラクターだ。明るい茶髪にパーマのかかった掴みどころのない性格。名前は読んでる本から適当につけたものだった。
『桃山 明日香』
この名前は、
思い出すと同時に、俺の目から感情が溢れ出した。
「……やってくれるね……唯ちゃん…………」
俺は、勢いよく身体を起こして鞄を手に取ると、駅まで駆け出した。
***
慌てて改札を抜けて、特急電車に飛び乗る。乗車してる間も気が落ち着かなかった。
「何で、忘れてたんだ……!」
俺は悔しくて顔を歪ませる。
演奏会で会いに来てくれたにも関わらず、彼女を満足に迎えられなかった。
「でも、明日香ちゃん……俺のCDを聴いてくれてたんだな……」
記憶が完全に消えていたはずなのに、彼女の中に少しだけ俺が残っていたんだと実感でき、胸が締めつけられた。
愛しくて気を抜くと感情が表に溢れそうになる。
最寄駅に辿り着いた時に、彼女の連絡先を知らないことに気づく。
「また、勢いだけで行動しちゃってるし……」俺は苦笑する。
とりあえず、前方に見えるワックに寄ろうと足を進める。
記憶が抜けていたとはいえ、一ヶ月前のことだ。何度か訪れたことで駅前のワックも馴染みとなっていた。
何か行事が近いのか、ワック内は打ち合わせをしてる紫野学園高校の人が多い。菅の憧れる放課後時間が広がってるな、と口角が上がる。
期待をしたわけではなかったが、奥の席に視線を向けて目を見開いた。
そこには三人の、見知った顔があった。
一人は栗色でゆるくウェーブのかかった髪をした派手な外見の海堂。夏休み明けから姿を見なかったが、今はころころ表情を変えて忙しなく口を動かしている。
彼女の前には、ボブヘアの素朴な顔の風嶺。大人しく気弱そうに見えるものの、彼女のおかげで今、俺は再びこの場に来ることができている。
そして、彼女の隣には、漆黒の髪に白い肌の桃山。相変わらず笑顔はないデフォルト顔ではあるものの、今一番見たかった、愛しい顔だ。
俺はゆるむ口元を手で覆いながら、彼女の元へと足を進めた。
part4:a tempo 完
「どうぞ」
俺は鍵を開けると、入室するように促した。
桃山は緊張した面持ちでおずおず部屋の中に入る。
「この部屋に入れるのは、妹だけだったんだよ」
俺は、物珍しそうに室内に置かれた機材を見る桃山に伝える。彼女は歯痒そうに口を歪めて俯いた。
俺はソファに腰を下ろすと、桃山に向き直る。
「明日香ちゃん、こっち来て」
俺は桃山に手招きする。彼女は警戒の目で静止する。
「何もしないって」俺は肩を竦めて苦笑する。
「だって……」桃山は頬を染めて目を落とす。
彼女の言いたいことはわかる。みんなの前でいきなりキスしたんだ。自分でも何の説得力もないとはわかるし、正直、下心がないとは言えない。
だが、あの場であんなことをした本当の理由を言っても納得されないとはわかっているので、弁解はしなかった。
「明日香ちゃん」
俺は目を細めて笑う。
意を決したのか、桃山は俺の隣にちょこんと座った。
「明日香ちゃん、俺の演奏会来てくれたでしょ。どうしてあのCDの『白金』だってわかったの?」
俺は素直に抱いてた疑問を投げかけた。確かジャケットは外して、CD自体にも名前など一切記していなかった。
「風嶺さんが教えてくれて……」
「唯ちゃんが?」
予想外だった。彼女には俺がゲームプレイヤーだとは伝えたが、『白金』にまつわる話は一切した記憶がない。
とそこで、演奏会に一緒に来てた赤井が俺のことを知っていたと思い出す。彼から風嶺に伝わった可能性もあるか。
ここまで思い出して懸念事項が浮上する。
俺は僅かに強張った顔で、彼女を見る。
「明日香ちゃんってさ、今、付き合ってる人はいない……?」
大事なところを確認していなかった。
彼女が赤井と付き合ってるようには見えなかったものの、それでも男と二人で外出するほどに壁が薄くなったことには違いないんだ。
元々、彼女は容姿が飛び抜けて良い。勢いで連れて来てしまったものの、今更不安になった。
だが、彼女はすぐに首を横に振って返答した。
「いるわけない。だって………ずっと玲央が好きだったから…………」
桃山は小さく震えながら呟き、次第に目から涙が伝った。
俺は黙ったまま、彼女の頬に手を当てて涙を拭う。
「やっと、言わせてくれた……」
「あの時は、本当にごめん……」
俺は素直に謝罪する。
『恋愛ゲーム』のことは、世間では信用されていない。理由を告げたところで、信じてもらえる気がしなかった。
「でも、これだけは信じてくれないかな」
そう言うと、俺は彼女の頬にキスをした。
「俺も、明日香のことが好きだよ」
繕うことなく心から想いを伝えた。
桃山は、涙で潤んだ瞳で茫然と俺を見る。
「信じられない?」
苦笑して尋ねると、桃山は少し困惑した表情を浮かべる。
「だって、あなたは、突然いなくなった……」
「もう、絶対離れないよ」
俺は彼女の顔を引き寄せ、再び頬にキスをする。
「本当にごめんね、明日香」
何度も謝罪して、何度も名前を呼ぶ。
そのたびに頬、目、鼻、おでこ、と夢中で彼女の顔にキスをした。
「ちょっと……」
胸に圧力を感じて正気に戻る。
目を落とすと、桃山は顔を真っ赤にし、小さな手で俺の胸を押していた。
「恥ずかしい?」
さすがにやりすぎたとは反省してる。
「こんなの……初めてで…………」
桃山は、目をぐるぐる回転させて困惑していた。
彼女の全てが愛しくてずっと頬が緩んだままだ。
今、自分でもどんな顔をしているかわからない。
俺は頬から手を離すと、彼女の目をまっすぐと見た。
「明日香ちゃん。キス、してもいい?」
そう尋ねると、彼女はしばらく静止するも、無言で頷いた。
「じゃ、目閉じて?」
桃山は俺の言葉を聞くと、口を結んで目を閉じた。
その瞬間、心臓が高鳴った。
キスなんて散々してきたはずなのに、こんなに胸がしめつけられるほどに愛しい行為だと思わなかった。
これが、ドキドキするってことなのか。
俺は桃山の顔を引き寄せると、じっくり味わうようにキスをした。唇を柔らかく噛み、歯を舌でなぞる。彼女の小さな舌と不器用な息遣いすら愛しかった。
顔を離すと、桃山はぼんやりとした顔で俺を見る。
プツンと、何かが弾けた。
気づけば彼女をソファに押し倒し、俺は自分のネクタイを緩めていた。
桃山は目を見開いて驚いている。状況が掴めていない様子だ。
でも、感情の押さえ方なんて、俺が知る訳ない。
「明日香のことで、頭いっぱいにさせてよ」
俺は桃山の白い頬に手を当て、艶やかな声で尋ねる。
やっと状況を察したのか、彼女は顔を真っ赤にして、眉間にしわを寄せて俺を睨む。
俺は口元を緩めると、桃山の耳元に顔を寄せて、耳にキスをする。彼女は反射的に身体をびくりと震わせた。
「……嫌?」
低い声で囁く。
桃山はしばらく黙り込むが、小さく首を横に振る。
「もう、絶対に忘れさせないよ」
『罰××ゲーム』 完