「失礼な人ね」
夏原は呆れたように両手を広げる。「かわいい後輩の姿が見えてないなんて」
冗談のように口にした夏原だが、リンたちは答えない。
「ちょっと……何?」
夏原は困惑した顔で尋ねる。
時間がないことから、もう隠す必要もないか、とリンは観念して彼女に向き直る。
「夏原杏里、さん」
突如呼ばれた本名に、夏原の顔は歪む。
「何で、名前……」
夏原は後ずさりする。
「それは」リンは彼女をまっすぐ見る。
「私はあなたを迎えにきた、死神だからです」
夏原は絶句する。そして無意識のうちに一歩、二歩と後ずさりしていた。
この世界では、『死神』は幻想の存在として扱われている。そんな場所で突然、死神だと告白されても、信じ難いとは思うものだ。
だが実際に死神を目前にすると、肌で感じられるのか、あっさり事実を受け入れる人間が多いものだった。
実際目前に立つ夏原も、冗談だとは受け止めていない顔をしている。
わかりやすく困惑、動揺、そして恐怖の色が浮かんでいた。
リンは、表情を変えることなく言葉を続ける。
「先ほどの彼が見えていなかったのは、私がそういう存在だから。死神は、死期の迫った人にしか見られない。この世界では『お迎えがきた』だなんて表現をするのでしょう?私はまさに、あなたをお迎えにきた存在なんです」
リンは真顔のまま答える。
「何……私の命を取りに来たっていうの……?」
夏原はリンを睨みながら後ずさりする。
「これは運命。そして、あなた自身もそれを受け入れているように見えるわ」
人間に死期を宣告するのと同じく、死神と正体をばらすことも雑草が芽生える可能性がある。
だが彼女は、すでに死に対しては覚悟しているように感じられ、大して大きな雑草が生えることもないだろうとリンは踏んだ。
芽生えるかわからない雑草の心配をするよりも、今見えている巨大な雑草を取り除く方が先だ。
「大丈夫。私が直接あなたに危害を加えることはしない。むしろあなたに良い未来を与えにきたのよ」
そう言ってリンは手を差し出す。
「あなたの未練は『母親に認めてもらいたい』。そのためにこのステージに立ちたいと願った。だけど、声帯ポリープのせいで満足に声が出せない。このままでは母に認めてもらうどころか、まともにステージを終えることすらできないはず」
リンは滔々と語る。
具体的な病名を口にされたことからも、夏原は警戒の目で注視する。
「あなたには素晴らしい才能が宿ってる。そしてその才能は、次生まれる人間にも引き継がれる。それなのに、くだらない未練を残して質を落としてほしくないのよ。だから」
リンは顔を上げて夏原を見る。「私が治してあげる」
「え?」
「そうしたら、万全の体勢でステージに臨めるでしょう?」
以前、ゼンゼが例えで上げた探偵の話を思い出していた。
同じ内容の幻覚を見せても、始めと同じ効力を得られないことは、もちろん把握済みだ。
だがあえて『治す』ということを伝えると、薬に頼らなくても対象は治ったと錯覚しやすいもの。特に彼女は、先ほど喉が治ったことに気づいている様子だったので、言葉にも信憑性が増す。
一度得た信頼は、中々崩れることはない。
「もしかしてだけど……さっきの選考会の時に喉が良くなったのって、あなたの仕業?」
夏原は恐る恐る問いかける。
「そうね」
リンはあっさりと答える。
予想通り、彼女は気づいていた。これなら言葉という『薬』も効果が発揮しやすいものだ。
「ふざけないで」
突如、低くて沈んだ声が響く。
顔を上げると、夏原が鬼の形相でリンを睨んでいた。
「え?」
予想外の彼女の反応に、リンは僅かに動揺する。
「道理でおかしいと思ったわけよ。今まで体調に合わせてコンディション整えてきたのに、いきなり声が出るようになって。もしそのせいで失敗してたら、どうしてくれてたのかしら」
「いや、その」
「それにあなたの力を借りて母に認めてもらおうと私が望むとでも思うわけ?そもそも自分の力を認めさせたいのに、他人の力を借りるわけないじゃない。ばっかじゃないの?」
夏原はキャラが変わったようにまくしたてる。
「私は、したいと思ったことは自分の力で叶えてきた。その為なら、自分自身にまで目を背けて我儘になったんだから」
夏原は、手をぎゅっと握りしめて呟く。
「あんたみたいな奴の力なんているものですか!私は最期まで自分で生きてやるんだから」
夏原はそう叫ぶと、勢いよくその場を後にした。
リンは唖然としてその場に立ち尽くす。
「おもしろい奴だな」
二人のやり取りを遠目で眺めていたゼンゼは嬉々として声をかける。
「難易度が高いわ」
「あいつはSランクだからな」
リンはいまだ険しい顔をしたまま、夏原の出ていったドアを眺める。
「そろそろ始まるんだろ?」
行こうぜ、とゼンゼはドアに向かう。
だが、リンはその場から動こうとしない。
「リン?」
「どんな花を咲かせてくれるのか、楽しみじゃない」
リンは険しい顔で言う。
そんな彼女を見て、「そういや、ここにも傲慢な奴がいたっけ」とゼンゼは肩を竦めた。
舞台は説明会時の張り詰めた空気から一変し、今はたくさんのメディアに招待客、と和気あいあいとした空気が漂っていた。
結果発表も兼ねているようで、観客席に座る人たちからもそわそわした空気が感じられる。
「まさか『MIKAN』も出場するとはな」
ゼンゼは嬉々として語る。「ま、あの『Lemonは従兄』は最高だったからな」
ゼンゼは嬉々として語るが、リンは反応を示さない。
「おまえ、まだ怒ってんの?」
ゼンゼはひょいと覗き込む。
「怒ってない」
「怒ってんじゃん」
ざわざわしていた館内からわっと歓声が上がる。
発生源へ顔を向けると同時に「伝説の歌姫だ」との声が上がった。
「伝説の歌姫……」
「対象の母、か」
夏原の母は、現役を引退してるとは聞いているものの、芸能生活で洗練されたであろう美貌はいまだ健在で、その場にいる誰よりもオーラを放っていた。
「さて、人間だけの力でどこまで取り除けるのか、見ものね」
リンは対抗するように顔を背ける。
そんな彼女を見て、ゼンゼは苦笑した。
***
陽気な司会者が登壇し、メディア向け発表会が開始される。
前座が終わると、いよいよ出演者発表を兼ねたコンサートが始まった。
「生MIKANの声、スゲー」
ゼンゼは嬉々としながら、周囲に合わせて手拍子する。
MIKANは、脳天気な外見からは想像できないほどスッと鼓膜に響く声を所持していた。一度聴いたら頭に染みつく、独特なテンポの曲で観客の脳を酔わせる。
彼の曲には、それほど刺激のある中毒性があった。
陽気な空気の充満する会場内ではあるが、ただ一人、リンはいまだ腑に落ちない顔をしていた。
「いよいよ、大トリだ」
さきほどまでの会場とは一変して、間接照明の光る薄暗いしっとりとした空気に変わる。
舞台上に主役が現れると、場内の人々は瞬時に声を殺す。
夏原はたっぷりと間を取った後、マイクを持ち上げ、流れるヴァイオリンの旋律に声を乗せる。
本当に病気なのか、と疑うほどに伸びる声をしていた。
会場全体を痺れさせ、そして釘付けにさせた。
だが、やはり悪化しているようで、中盤に差し掛かった途端、夏原は顔を歪める。それと同時に激しく咳込んだ。
一瞬にして会場内の空気が変わる。さきほどとは違い、今は安否を窺う種類のものだ。
夏原の額には尋常じゃないほど汗が出ている。それと同時に胸元から茎が伸び始めていた。
「ほら、やっぱり」
リンは焦燥気味に立ち上がる。
「どこ行くんだ?」
「母親が認めたという幻覚を彼女に見せる。それなら未練も取り除けるはずだわ」
だが、それを聞いたゼンゼは即座に彼女の行動を制す。
「何するの?」
「人間って、案外ヤワじゃねーもんだ」ゼンゼは嗤いながら舞台を眺める。
リンも舞台へ目を向けると、目を見開いた。
彼女は立ち上がり、先ほどよりも力強い声でサビを歌い上げる。
その声は、今まで聞いてきた中でも一番心地良い声だった。
そんな彼女の声の響きに、リンの身体は無意識に震えていた。
「これが、『伝説の歌姫の娘』」
ゼンゼも目が奪われたように釘付けになっている。
「いいえ、ゼンゼ」
リンは茫然としたまま訂正する。「彼女は、『アンリ』よ」
終了と同時に大歓声が起こった。
観客皆、立ち上がって声援を送る。
リンたちも、つられるように手を叩いていた。
「あ、彼女……」
リンはある一点に目が釘付けになる。
夏原の母も立ち上がり、涙を流しながら拍手していた。
舞台上の夏原も母親の姿が見えたのか、僅かに表情が緩む。
それと同時に、するりと身体から雑草が抜けた。
「おっし」
ゼンゼはすかさず地を蹴り、疾風の如く夏原の元まで寄る。
「いっただっき、まーす!」
がぶり、と大きな雑草に喰らいつき、即座にステージ上のカーテンバーに飛び乗る。
突然の突風に、夏原は驚いた顔で辺りを見回すも、鳴りやまない歓声にすぐに意識を戻す。
「さすが、Sランクの雑草はうめーなぁ」
ゼンゼは満足気に雑草をほおばった。
夏原はそのまま喉を押さえて、足早に舞台袖に引っ込んだ。
舞台袖に引っ込んだと同時に夏原は激しく咳き込む。
その声が聞こえたのか、遠くから「大丈夫ですか」の声と共にバタバタ廊下を走る音が聞こえる。
夏原は答える元気がないようで、その場に膝から崩れ落ちる。
胸元から伸びる花の茎は伸び、蕾も開きかかっていた。
「お疲れ様」
突如、声と共にぱちぱちと手の接触する音が鳴る。
夏原は辛うじて残った体力で顔を上げると、そこには見知った死神の顔があった。
ゼンゼが足早に駆けていった時に、リンは舞台袖に待機していたようだ。
雑草が除去し終えたならば、やることはひとつだ。
「ほらね……」
夏原はほぼ発声できてない声で言う。リンはまっすぐ彼女の目を見る。
「あなたの力なんて、いらなかったでしょ」
そう呟くと、夏原は静かに目を閉じた。
リンは、咲いた花を茫然と眺める。
頭上で雑草を堪能していたゼンゼも彼女の元による。
「さすが、咲かせるタイミングは相変わらずだな」
ゼンゼは揶揄うように言う。
「いえ、今回は違うわ」
「違う?」
「私が咲かせたわけじゃない。元々、このタイミングで咲く運命だったのよ」
リンはいまだ花を眺めながら説明する。
「彼女は、自力で開花日までに自分を手入れした」
普段は鮮度を保つために開花後すぐに花を刈るが、いまだ行動に移ろうとしない彼女に「リン?」とゼンゼは声をかける。
「多分、私が力を使っていたら、ここまできれいな花は咲いていなかった」
「確かに、今回の歌は、今まで聞いた中で一番きれいだったな」
ゼンゼも噛み締めるように頷く。「今回は死神様は『お役目御免』ってところだ」
揶揄うように口にするが、リンは「認めるわ」と僅かに微笑んだ。
予想外の反応にゼンゼは目を丸くする。リンは普段の表情に戻って小首を傾げる。
「これは幻覚かな」
「幻覚?」
「ほら、きれいなうちに刈るぞ」
しれっと会話を逸らすゼンゼに小さく息を吐きながらも、今回の使命も全うした。
***
夏原が開花してから二ヶ月。
基本的にリンたち死神は、常に誰かの対象の観察を行い、休みという日は存在しない。
だが珍しく今日は、特に観察対象もいないにも関わらず、管轄外である広い会場まで来ていた。
「さすが、音楽のオリンピックと呼ばれるだけあるか。人がうじゃうじゃいる」
ゼンゼは周囲を見回しながら言う。リンは感心もなさそうに目的である会場を見上げていた。
「でも珍しいな、おまえからここに来たいと言うなんて」
ゼンゼは興味深気にリンを見る。
「少しくらいは、この世界のカルチャーに触れておくのもいいと思っただけよ」
百戦勝つ為にもね、とリンは素っ気なく返す。
人が集まる場所へ顔を向けると、二人はあっと静止した。
会場前には、たくさんの花が飾られていた。その中央には『アンリ様』と記載され、夏原の大きなパネルが掲げられている。
色とりどりの花は、彼女の門出を祝福しているようにも見えた。
「そういや来週は、死者が帰ってくるって言われてる『お盆』ってやつだろ」
ゼンゼは思い出したように口を開く。「もしかしたら、ちょっと早めに帰ってきてるかもしれねぇな」
「彼女なら、可能性はあるわね」
リンは小さく笑うと、会場内へと足を進めた。
シーズン2【夏原 杏里】完了