私は再び外出していた。
赤髪の少女と銀髪の青年が現れたのは事実なのかがわからないが、帰宅の際に購入したはずの親子丼が空になっていることは、紛れもなく現実だ。
先ほども訪れたコンビニに入店すると、まっすぐチルド弁当の並ぶコーナーへと向かう。
運良く親子丼はまだ在庫が複数残っていたので、それを手に取りレジへ向かう。
「温めますか?」レジの店員のおばちゃんが尋ねる。
「はい。お願いします」
そう答えると、おばちゃんは私を一瞥してレンジに向かう。
先ほど訪れてから、まださほど時間は経っていない。もしかしたら、先ほど購入した時と同じ店員なのかもしれない。
再び同じ商品を購入する私を怪訝にでも思ったのだろう、とまた勝手に解釈をし始めたことでいたたまれなくなる。
アツアツの親子丼を受け取ると、逃げるようにそそくさと店を出た。
風呂上りであるだけに、気分が良かった。
ひやりとした秋風の刺激が心地良く、気づけば自宅とは違う方向へと足を進めていた。
気の向くままに歩を進めていると、目前に見覚えのある学校が現れる。
「久しぶりに来たな……」
どっしりと構える校門。隠す気のない防犯カメラにセンサー、目に見えて監視されているとわかる。
ここの芸能科に通う生徒のファンが押しかけてきて騒動になって以降、警備も厳重にされたとは、私が入学する以前に聞いた話だ。
校門横の柵には、派手な装飾の施された看板がたくさん掲げられ、生徒一人ひとりの気合をひしひしと感じられた。
茫然と看板を眺めていると、「すみません」と声をかけられて振り向く。
「もしかして、『青星第一高等学校』の文化祭に一般参加を考えられている方ですか?少し話を伺いたいのですが」
声をかけてきた記者は、嬉々として私に尋ねる。傍にはカメラや照明もあり、ニュースか何かの取材かもしれない。
と、そこまで思い出して、先ほどテレビで生中継でリポートされていたな、と思い出す。
「あ、いえ、私は別に……」
私はカメラを避けるように顔を逸らす。
さすがに反応の悪い一般人をそのままテレビで流すことはないだろうとはわかりつつも、気持ち急いでその場を離れた。
「一般参加、か……」私は苦笑する。「一応、出展する側の人間だけどな」
とはいえ、私からはここの生徒が持つ熱意が感じられないだろうとは自分でも思う。やる気のない外見に自分自身に同情した。
現場から十分に離れてから振り返ると、学校近くではあちこちにマスコミが構え、門から出てくる生徒を呼び止めては取材している。
芸能科があることで、メディア陣が構えていることは日常的な光景とはいえ、来週に迫った文化祭を前に、普段以上に数が多く見える。
無意識だったとはいえ、自分の軽率な行動に頭を殴りたくなる。
あれだけ憧れた場所であったにも関わらず、今では、すっかり遠い場所になっていた。
私は、もう一度名残惜しく学校を見ると、自宅へと足を進めた。
「あなたは、残忍な人ね」
「ぎゃあ!」
突如、目前に人が現れて、情けない声が出る。
大きく息を吐いて、対象を見る。
私の胸辺りの背丈で見下げなければいけないものの、真紅に輝く赤髪は見覚えのあるものだ。
「あ、あなた……」
「これで二度目。『親子丼』を販売する店も大概だけど、購入するのも同罪だわ」
「だが、犯罪級に旨いもんだから、理解はできる」
頭上から声が降ってきて、顔を上げる。
天を覆う木の上に、銀髪で眼帯をした青年が座りながら、何かを食べていた。
ハッとして手元のレジ袋を確認する。
案の定と言うべきか、そこに親子丼の姿はなかった。
「ちょっと、また……!」
「さっきはこいつが全部食っちまったからな。今度は俺の番だ」
青年はさも当然のように親子丼を口に掻き込む。見ていて気持ちがいいほどにあっさりと中身がなくなる。
私の中でカチッと、何かのスイッチが入った。
そうだ。これは私の生み出した幻想に違いない。
日常生活から隔離された私の身に、こんな非日常が起こりうるわけない。普段から空想を描いているだけに、いよいよ現実と空想との区別ができないところまで来てしまったんだ。
AIが三次元に飛び出てきたかのように。
二次元か三次元の区別がつかなくなるように。
空想は、いつしか画面を超えて感情をも揺さぶるものなんだ。
だからこそ創作者には普通に起こりうる現象だろうと、妙に納得した。
彼女たちは、私の生み出した幻想。
喉から手が出るほどに渇望していた創作ネタなんだ。
こうなれば、じっくり堪能するしかないだろう。
一通り思考を固めると、おもむろに目前に立つ赤髪の少女を見る。
「あなたは、私が生み出した幻想、でしょ」
私は僅かに微笑んで少女に言う。
いきなり態度の変わった私に、少女はぽかんと口を開ける。
「私の感情が分離した存在……そう、そう言った話を読んだこともあるわ。あまりにも現実的で錯覚してしまいそうだけど。ねぇ、そうなんでしょ」
私の問いかけに、少女は無言で空を見上げる。私の頭上にいる青年を見ているとは伝わった。
「この世界では、俺らみたいな存在を『幻想』と扱われている」
頭上の青年は嗤いながら答える。「こうなりゃ『目には目を歯には歯を』ってやつだ」
会話の意味が理解できないが、気にすることはない。
どうせ、幻想なのだから。
少女は私に視線を戻し、「そうね。私はあなたの願望を叶える為に現れた、幻想」と棒読みで答える。
「幻想には、幻想を」
少女はそう呟きながら、ぱちんと指を鳴らす。それと同時に、何か違和感を抱く。
さすがに今、見ている幻想には目を疑った。
「な、何これ!?」
私の身体から、草のようなものがうじゃうじゃ生えていた。
慌てて手で払うも、触れることができない。
肌から草の生えている視覚的に異様な光景は、幻想と受け入れるにも時間がかかった。
「気持ち悪い……何なのこれ……!」
「それは、あなたに芽生えている雑草」
ハッとして顔を上げると、赤髪の少女がこちらを見ていた。
「雑草を取り除くには、雑草が芽生えた要因、負の感情を断つ必要がある」
「負の……感情……?」
「今回の場合は、『あなたが現状から目を逸らした理由』にあたるかしら」
少女はそう言うと、かつかつと靴を鳴らして私に近づく。
幼い体躯ながらも、凛と背筋を伸ばしている姿は、心強い存在に感じられた。
「あなたは何故、不登校になったの?」
少女の幻想は尋ねる。
どうして現実的なことを尋ねるのだ、と問いたくなるが、それと同時に妙に納得できることが浮上する。
「そっか、私、やっと現状と向き合おうとしているんだ……」
そう呟くも、少女は真顔のままだ。
彼女の依然として変わらない態度からも、納得せざるを得なかった。
幻想は幻想でも、彼女は私の不安から生み出された存在なんだろう。
だから初対面でも私の個人情報を知っていたし、私の避けていた核心的なところも鋭く突く。
これは、今の私の現状と向き合う為に必要なこと。
冷静に現状を紐解いていくしかない。
自問自答して、前に進もうとしている。
そんな自分が誇らしくなり、無意識に口角が上がる。
「何故ってそんなの、自分でもわかっていることでしょ」
私は大きく息を吸って深呼吸する。
それと同時に、当時の記憶が走馬灯のように頭に流れる。
「ただ、現実に耐えられなくなって逃げただけ」
私が不登校になったのは、夏休みが明けてからだった。
簡単に言えば、心が折れたのだ。
***
「いえーい!昨日アップしたイラストのおかげで、フォロワー一万人突破」
隣の席から甲高い声が響き、耳に刺さる。その後に「紅葉ちゃんすごい!」とぺらぺらの反応が遅れて届く。
ちらりと隣を窺うと、上機嫌にスマホを見せる紅葉と呼ばれた女子に、その取り巻き数人がいた。
「『REBELS』今、旬ジャンルだもんね」
取り巻きの一人が頷きながら言う。
「私ももっとフォロワー欲しいし、描いてみようかな」
「うんうん。今、このキャラが人気らしいし、タグつけたら誰だってすぐ見てもらえるよ」と、紅葉はスマホに映る自身が描いたであろう『REBELS』に登場する科学者の絵を指差して答える。
「これを機に、文化祭で発行する本の宣伝もし~ちゃお」
上機嫌にスマホを弄る紅葉の隣で、私はペンを折りそうになった。
『REBELS』は、私の愛してやまない作品だ。
連載当初はさほど注目されていなかったが、作品の核となる団体の登場により一気に人気作へと昇りつめ、現在アニメも放送されていた。
連載も最高潮で声優陣も豪華であることから、今季アニメで一番注目されていた。
私は連載開始当時から応援していただけに、急に人気作となったことに嬉しくはありつつも複雑な心境だった。
こっそり発掘した原石の眠る島に、一気に観光客が訪れたことでメディアに取り上げられ、原石をも磨かれ宝石として高値で捌かれているような感覚だ。
何よりも注目され始めたことで、懸念していた『原作を知らないくせに、注目されたいが為に絵を描く』という行為が多発した。
愛のない二次創作ほど、吐き気の来るものはない。それも、ジャンル人気にあやかり、本来の目的に繋げようとしているのだから尚更だ。
一次創作と二次創作は、世界が違う。
一次創作は、ゼロから一を生み出す、いわばその世界を創造する神となる。自ら世界のルールや規律を定め、常識を作り、そしてキャラクターを生み出す。
その労力は並大抵ではない。大地を創るだけでも半年とかかるものだ。
一方、二次創作は、一から二を創る装飾者。創設された大地に恐れ多くも上がらせていただき、花を添える役目だ。
必要なのは、その世界に対してのリスペクトなのだ。
隣の奴らは、作品への愛や尊敬もなければ、注目される為だけに二次創作をしてフォロワーを集めている。SNS上ではよく見かけるものだ。
気が小さいとは思いつつも、大好きな作品であるだけに怒りが湧いた。
だが、それと同時に、この環境だから仕方ないか、とも思わざるを得なかった。
青星第一高等学校は、出る杭をいかに磨くかに力を入れていた。
杭の選別方法は、この学校の先生ではなく、世の中の反応だ。
授業で制作した作品は常にネットに上げられ、そこで注目された人物が、『優秀』とみなされる。
『優秀』とみなされた生徒は、強い繋がりのある事務所や編集部に推薦され、手厚いサポートが受けられる。
学校は『著名人を輩出した高校』という業績、事務所側はすでにネットで人気を保障されている人材、生徒は夢見た確実な仕事場を得られ、どの者に対してもメリットのあるこの仕組みに反対する者もいない。
目で見える人気じゃなければならない。
もちろん、業績を傷つけるような目立ち方は撥ねられるものの、みんな炎上すれすれの位置を狙って注目されるように思索する。
結果重視であるこの学校では、例え実力があっても、反応されなければ意味がない。
だからこそ、生徒はこぞってフォロワーを集めた。
そんな空気に初めはうんざりしたものの、私はすぐに気づかされる。
人の好みのわかれる芸術。食事や医療とは違い、生活に絶対的に必要不可欠ではないからこそ、多数の支持がなければ食っていけない業界なんだ。
好きだから、という一心だけで自由に生きていける世界じゃない。
それが、趣味と仕事の違いなんだ、と。
その瞬間、私の中で学校の空気が一変した。
この場には、本気で仕事にしたいと思っている人物が集まっている。
もちろん、私だって例外じゃない。幼い頃から話を考えるのが好きで、絵も描くのが好きだから漫画家になりたい、と願ったからこそ、高い学費ではあるものの両親を説得して、いくつものある適性検査を経て、この学校を志望したんだ。
だが、私ほどの覚悟じゃ熱意が足りない、と感じさせられた。
みんなとにかく注目される為に、どんな手段だろうがフォロワーを掴む。
そして、過程はともあれ、確実に結果に繋げている。
ずるい。悔しい。狡猾だ。卑怯。卑しい。
でも結果重視であるこの学校では、注目された者が『優秀』なんだ。
だから、どこか羨ましいと思ってしまっている自分もいた。
さらに現実を知らされたのは、編集担当さんと作品を作っていた時のことだった。
私は高校入学して一ヶ月ほど経った後、昔からついてくれていたフォロワーの細々とした応援のおかげで、反応は薄いものの偶然編集さんの目に止まったのだ。
この学校の仕組みに絶望していただけに、正直嬉しくなった。
だが、打ち合わせをしていく中で、自分がわからなくなった。
このシーンが描きたいのに、この場面が描きたいのに、この設定の話が描きたいのに。
それを告げたところで、あっけなく否定される。
自分の好き勝手に書いた作品を評価されたい、だなんて甘えたことを言っていた。
商業なのだから、大衆が好む流行りジャンルを取り入れなければならないとはわかっている。
だが、編集さんと話している時は苦痛でしかなかった。
原因が自分に能力がないからとわかっていたからだ。
途端、作品を創る手が止まった。
どうして進めればいいのかわからなくなった。
どうすれば、担当さんに気に入ってもらえるか。
どうすれば、反応を得られるのか。
どうすれば、人気を獲得できるのか。
創作をする楽しさなんてものは二の次で、抜きんでることばかりを思索する。
担当編集がついて一ヶ月。夏休みの迫った初夏。
結局私は、夏バテで意欲がなくなったと自分に言い訳して、ネームを提出しなくなった。
それは夏休みに入ってから気付いたことだ。
外的要因がなくなった今一度、ノイズを全て断ってみようと、私は一切のSNSからログアウトした。
現実の繋がりも、SNSの繋がりも切れた、何のしがらみもない環境。
デトックスされたように、脳内がクリアになった。
競争も評価も反応もない、自分だけしかいない世界。
焦ることもなければ、他者の目を気にする必要もない。
だからこそ、純粋に自分の作品と向き合えることができた。
夏休み中は、ただひたすら、自分の思うままに世界を創ることができた。
創作ってこんなに楽しかったんだ、と実感することができたんだ。
だが、夢はすぐに覚める。
始業式、私は鞄を持つ手が震えた。
ネットは、目さえ背ければ見えることはない。
だが、あの環境は、目で見えなくても、誰かが口を開けば耳で聞こえてくる。肌で感じてしまう。
五感で伝わる、比較される戦場へと、また戻らなければならないんだ。
そこでハッと気づく。
ネットと同じだ。視界に入れなければ良いだけだ。
ただでさえ私立なのに、加えて材料費がかさむ漫画科。
一人暮らしまでして作った制作環境で挑んだにも関わらず、半年もたたずに降参してしまった。
だが、再び戦場に戻る勇気は、今の私にはなかった。